↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR

この世には王がいない

作者: 世継
掲載日:2026/10/22

その国には、王がいなかった。


正確には、王がいないことになっていた。


城は残っている。王宮を囲む白い壁も、王の帰還を待ち続ける兵士たちも、広場に立つ歴代の王の石像も。


ただ、玉座だけが空だった。


「ねえ、どうして王様はいないの?」


少年が尋ねると、父は決まって同じことを言った。


「王様は、遠いところへ行ったんだ」


「いつ帰ってくるの?」


「さあな」


父はそこで話を終わらせた。


少年は、それ以上尋ねなかった。


この国では、王について尋ねることを好まない大人が多かったからだ。


ある日、少年は城壁の外れで、一人の老人と出会った。


老人は石像の前に座り、何かを数えていた。


「何を数えているの?」


少年が尋ねると、老人は顔を上げた。


「王様の数だよ」


少年は石像を見渡した。


全部で十二体。


「十二人いるよ」


「そうだな。ここには十二人いる」


老人は頷いた。


「では、この国には王様が何人いる?」


「十二人じゃないの?」


老人は笑わなかった。


「この国には、一度も王がいなかった」


少年は首を傾げた。


「でも、石像があるよ」


「ああ。王がいた証拠だ」


「じゃあ、王様はいたんじゃないか」


老人は、ひどく悲しそうな顔をした。


「……そう思えるうちは、まだ幸せだ」


その夜、少年は夢を見た。


誰もいない玉座の間。


長い階段。


そして、玉座の前に立つ一人の男。


男の顔は見えなかった。


ただ、その手には剣が握られていた。


男は少年に尋ねた。


――お前は、王になりたいか。


少年は答えなかった。


男はもう一度尋ねた。


――ならば、誰の上に立つ。


少年が口を開こうとした瞬間、男の首が落ちた。


床を転がった首が、少年を見つめた。


その顔は。


少年自身の顔だった。


目を覚ますと、夜が明けていた。


少年は父のもとへ駆け寄った。


「父さん。昔、この国に王様はいたの?」


父は、手にしていた食器を落とした。


割れた陶器が床に散らばった。


長い沈黙のあと、父は言った。


「……どうして、それを聞く」


「夢を見たんだ」


「忘れなさい」


「でも――」


「忘れろ!」


父が怒鳴ったのは、それが初めてだった。


少年は口を閉じた。


父は震える手で、床の破片を拾い始めた。


その背中は、ひどく小さく見えた。


少年は、父の手元に目を落とした。


破片の一つに、見覚えのない文字が刻まれていた。


古い食器の裏側。


普段なら、決して目に入らない場所。


そこには、こう記されていた。


第十三代国王、最後の命令。


少年は父を見た。


父は何も言わなかった。


ただ、破片を握る手から、赤い血が一滴落ちた。


その日から、少年は王のことを調べ始めた。


十二体の石像。


空の玉座。


誰も語ろうとしない歴史。


そして、十三代目の王。


調べれば調べるほど、不思議なことが増えていった。


古い記録には、王の名前だけが残されていなかった。


肖像画は、どれも顔の部分だけが削り取られていた。


王宮の地下には、十三人分の墓があるというのに、墓碑に刻まれている名前は十二人分しかなかった。


最後の墓には、名前の代わりに、短い一文が刻まれていた。


――王は、王を喰らった。


少年はその文字を指でなぞった。


その瞬間、背後から声がした。


「そこまでにしておけ」


振り返ると、あの老人が立っていた。


「どうして?」


「知れば、戻れなくなる」


「何が?」


老人は答えなかった。


少年は墓碑を見つめたまま、尋ねた。


「王様は、どうしていなくなったの?」


老人は長いあいだ黙っていた。


やがて、重い口を開いた。


「王がいなくなったんじゃない」


老人の目が、少年を捉えた。


「王という存在を、この世界から消したんだ」


「誰が?」


老人は答えた。


「王だよ」


少年は笑った。


意味がわからなかった。


王が王を消した?


そんなことがあるはずがない。


けれど、老人は笑わなかった。


「この世界には、かつて一人の王がいた。そいつは世界のすべてを手に入れた。国も、民も、歴史も、未来さえもな」


「それで?」


「最後に、そいつは気づいたんだ」


老人は墓碑に手を置いた。


「自分が王である限り、世界は永遠に自分のものだ。だが、自分が死ねば、世界は自分のものではなくなる」


「……だから?」


「だから、王は世界から王を消した」


老人は、少年の目を見た。


「自分がいなくなったあとも、世界が自分のものであり続けるように」


少年は何も言えなかった。


老人は墓の前を離れた。


去り際、彼は一度だけ振り返った。


「覚えておきなさい」


その声は、ひどく静かだった。


「王になるということは、すべてを手に入れることではない」


老人は言った。


「すべてを手に入れたあと、それを失うことさえ許されなくなるということだ」


老人が去ったあとも、少年は墓の前に立ち尽くしていた。


やがて、地下墓地の奥から鐘の音が聞こえた。


一度。


二度。


三度。


少年は顔を上げた。


壁に並ぶ十二人の王の肖像画。


削り取られた顔。


そのうち、一番奥の一枚だけが、いつの間にか変わっていた。


削られていたはずの顔が、はっきりと浮かび上がっている。


そこに描かれていたのは、老人だった。


そして、その隣。


まだ何も描かれていなかった十三枚目の肖像画に、ゆっくりと人影が浮かび始めた。


少年は、息を呑んだ。


そこに描かれていたのは――


自分だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。