魅了を解こうとしなければ、あるいは
今作はハッピーエンドですが、
バッドエンドルートが読みたい方は、
【魅了されたままでいたかったのに】
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をどうぞ。
ハリエット・ロッセーの婚約者ピートは、貴族の出自では無かった。
王家御用達の大商会、コルニフ商店の跡取り息子であった。
名ばかり没落貴族のロッセー家は融資目当て、商人であるピートの家は貴族との更なる繋がりの強化が目当て。
お互い、完璧なまで政略的婚約であった。
ハリエットは最初からピートが気に入らなかった。
出会った頃の彼が、酷く冴えない外見のとても身長の低い少年だったからだ。
しかも怯えがちなくらい人に対して気遣いの出来る性格だったことも、逆にハリエットの癪に障ったのだった。
最初に会った時、ハリエットはピートに挨拶代わりに告げた。
「わたくしからの愛なんて都合良く期待しないで下さいまし。 賤しい平民と婚約しているなんてそれだけで恥ずかしいのですからね」
ピートは目を伏せてから、悲しそうに微笑んでハリエットを見上げる。
「承知、いたしました……」
確かに背丈は短かったが、ピートはずば抜けて優秀な少年であった。
数年後、王立学園の特待生枠で入学することになったのだ。
「ロッセー男爵令嬢!」
入学式の時、ハリエットは背後からの声にギョッとした顔をする。
ハリエットの隣にいた従兄弟のクロストが、咄嗟に彼女を庇いながら後ろを振り返ったくらいだった。
そこにはピートが嬉しそうな顔をして立っていて、ハリエットに話しかけてきた。
「クラスは別々になってしまったですけれど、どうか仲良く――」
『仲良く』ですって?
身の程も弁えぬ醜男の癖に。
完全にハリエットは逆上した。
クロストが庇おうとするのを振り切ってピートに近づくなり、扇で強かに彼の顔を幾度も殴ったのだから。
「汚らわしい平民の分際で! 思いあがるのではなくってよ!」
「お、おいハリエット!? 暴力はマズいだろうが!」
泡を食ったクロストが止めようとしたが、ハリエットは暴れて激しく抵抗するし、ピートは己を庇おうともせずに無抵抗に殴られているきりだった。
「こんなみっともないのが! わたくしの婚約者だなんて! 本当に悍ましいわ!」
ハリエットは殴るだけピートを殴ってから、クロストを置き去りにして行ってしまう。
「お、おい。 ……大丈夫か?」
クロストはしばらく唖然としていたが、ピートが鼻血を出していたので我に返ってハンカチを渡した。
「あ、ありがとうございます――」
ピートはそのハンカチを握りしめて、震えながら泣いた。
クロストは何も言えなかった。
ハリエットの高飛車な性格は痛いくらいに従兄弟の彼も知っている。
この平民の少年が、その彼女の婚約者にされたことが気の毒で仕方なかったのだ。
ピートはようやく泣き止むと、痛々しい笑顔を浮かべた。
「……このハンカチの刺繍の御家紋は、フォルサ伯爵令息でお間違いないでしょうか。 僕はコルニフ商店のピートと申します。 必ず、必ずお綺麗にしてお返ししますね」
「良いよ、気にするな。 ……その、何だ。 無理はするなよ」
手遅れかも知れないと思いつつ、クロストは言った。
あのハリエットの我が儘に付き合わされて無理をしないなんて、相当な大物で無ければ無理だからだ。
「優しいお言葉だけで、充分です」
でも、こうやって己を気遣いしてくれる誰かがいる。
それだけでピートは救われた気持ちになって、今度こそ明るく笑ったのだった。
幸か不幸か、ハリエットはとても美しい少女であった。
婚約者のピートがいることは誰にも知られていたが、そう言ったものは恋愛にとっての最高のスパイスである。
彼女は第五王子から始まって錚々たる顔ぶれの貴公子達と華麗に恋愛した。
何度もピートは止めるように頼んだし、最後の方は泣いて土下座までしたのだけれど、ハリエットはこの婚約者が疎ましいだけだったので相手にもしなかった。
最初の方はハリエットも意図的に無視していたが、最後の方では意識さえしなくなったのだから。
その所為で、彼女は最終学年になってからようやく気付くのである。
己の名ばかりの婚約者ピートが、同じ特待生の平民の少女ディアナと相思相愛で有名になっていることに。
ハリエットが貴族然とした優雅で堂々とした美少女であったなら、ディアナは愛くるしく庇護欲をそそる可憐な美少女であった。
ピートはディアナを手を繋いで登下校し、とても優しい視線を向けて微笑み、共に勉強や読書をし、時には議論をして。
ベンチに隣り合わせで腰掛けた時に、何度も何度も何度も何度も『愛している』と囁き合っていたのだ。
いつしかあのピートが、すっかり背が伸びて、堂々たる体躯と明晰な頭脳を備えた好青年になっていた。
ハリエットは再び徹底的に逆上した。
その勢いのまま、放課後の学園の中庭のベンチで体を寄せ合って楽しそうに会話している二人のところに突撃して、挨拶代わりにディアナ目がけて扇を振り下ろしたのだった。
「この泥棒猫!」
咄嗟にピートがディアナを庇って殴られた。
ディアナが小さな悲鳴を上げる。
今度は彼の頭から血が流れたのだ。
その血を見て、ますますハリエットは頭に血が上るのを感じた。
「わたくしの婚約者にちょっかいをかけるなんて! 平民の癖に! 薄汚い泥棒猫め! 恥を知りなさい!」
けれど、あの臆病だったピートはハリエットを睨んで断言したのだった。
「確かに僕はロッセー男爵令嬢の婚約者です。 でも愛しているのはここにいるディアナただ一人。 これ以上僕達を邪魔しないで下さい!」
まさかピートに反抗されるとは思っていなかったハリエットは後ずさった。
「お、覚えてらっしゃい!」
咄嗟に捨て台詞を吐いて、ハリエットは逃げたのだった。
ハリエットは館の自室で枕を引き裂き、鏡を割り、机の上のものをなぎ払いながら考えた。
たかが平民の癖に貴族に刃向かったのだ。
きっとピートはあの泥棒猫に『魅了』されているに違いない。
『魅了』
それは精神操作系の禁術である。
使用するだけでこの国では死罪が待っているのだ。
――であるならば、ピートの『魅了』を解除すれば元通りに己に対して従順になるのでは無いだろうか。
彼女はそう考えて、王都に住む唯一の魔女、通称『黒塔の魔女』に会いに行った。
『黒塔の魔女』は妖艶な年齢不詳の美女であったが、黒塔の扉を叩いた彼女をあっさりと中に入れた。
「ふうん。 ピートの『魅了』を解除すれば良いんだね? 簡単さ。 だが只じゃ引き受けられない。 何だって魔女に頼むには、代償が必要なんだよ」
「そう。 ……幾らかしら?」
「そうだねえ」
しばし魔女は考えていたが、
「……あんたにまつわる人の『慈悲の心』を少しばかり貰うとするか」
「慈悲? まさか貴女もクロストのように『平民に対してもう少し慈悲深く接しろ』――なんて仰るつもりじゃないわよね?」
「……」
魔女は驚いたようにハリエットを見つめていたが、一瞬の後に大笑いを始めた。
「いやー、そうか! そう来たか! そりゃあいい! これは最高の見世物になりそうだ!」
散々に笑った後に魔女は杖を一振りして、
「さあ、これであんたの婚約者のピートの『魅了』は解除された。 明日、確かめてご覧」
翌朝、うきうきとした気分で登校のために館を出たハリエットだったが、いつまで経っても登校しなかった。
そのまま、彼女は行方不明になったのだ。
彼女によって何度も何度も泣かされた、貴公子の婚約者達がついに手を回したのだとか、魔女と取引したからだとか、色々な噂が流れたが――結局、彼女は二度と見つからなかった。
一方、ピートはディアナと手を繋いで登校した。
まだ朝早くで誰も来ていない教室で、二人は話し合う。
「ねえ、ディアナ。 君はどうして『魅了』を僕に掛けたんだい? そんなものが無くても僕は絶対に君を――」
『魅了』が解かれた今だからこそ、余計なものを抜きにしてディアナのことが本当に愛おしいし、彼女を大事にしたいと思うのだ。
彼女のために何処までも努力したいし、彼女を絶対に幸せにしたいと強く思っている。
「ええ、私は貴方のことを信じているし、愛している。 それは貴方もだと分かっているわ」
「ディアナ……」
「だから、許せなかったのよ。 私の大事な人の心と体を無関心で傷つけ続けるあの女が。 それにあの女はクロスト異母兄様にも見捨てられていたわ。
婚約者のいる貴公子に片っ端から手を出して、もう庇いきれないって。 あの女の両親もそれを咎めようとしないから、もうお終いだって」
「クロスト異母兄様って……まさか!」
あのね、とディアナはピートに耳打ちした。
「ねえ、誰なら『魅了』を扱えると思う?」
ピートは悟った。
「フォルサ伯爵家に仕えるメイドが君の母親だと聞いていたけれど、本当は『魔女』だったのか……」
「うふふ。 王国としては、死罪ということにしてでも密かに抱え込みたいわよね。 まあ、させないけれども」
ここまで彼を信頼して、彼女は重要な秘密を打ち明けてくれたのだ。
「……ねえ、ディアナ」
ピートは改まってディアナと向かい合う。
「君は僕を尊重してくれた。 真心から愛してくれた。 君の存在と愛で僕はどれほど救われたか分からない。 君以外の人は考えられないし考えることも出来ない。
――この学園を卒業した後になるけれど、僕とどうか結婚して欲しいんだ」
ディアナは驚いたが、やがて微笑んだ。
「まあ。 浮気したら『不能』にするわよ? 魔女は怖い生き物だもの」
「喜んで。 君から呪われるなら何て幸せなんだろう。 でも、君に誰も呪わせないために僕は生きるよ」
魅了を解こうとしなければ、あるいはハリエットも無事でいられたかも知れない。
あと、鉄扇なのかって思うくらい頑丈な扇ですよね。




