2-6 本章の結論と次章への接続
本章でやったことは、「高齢化が原因で日本が苦しい」という、世の中に流通している問題設定そのものをずらすことだった。高齢化を“負担”として語る言葉は強い。だが強い言葉ほど、思考を停止させる。高齢化は確かに進んだ。しかし、それは突然発生した事故ではない。人口の山が時間とともに上へ移動した結果であり、最初から予定されていた現象だった。予定されていた現象を「原因」と呼んだ瞬間に、因果の向きが逆転する。ここで議論が壊れる。
だから、本章の結論は明確に言語化する必要がある。問題は高齢化ではない。問題は、人口縮小社会への未対応である。そして、その未対応の負担が、下の世代に集中的に押し付けられている。0
この三点を曖昧にすると、読者はすぐに「高齢者が多いから仕方ない」「誰かが我慢しないといけない」という古い枠組みに戻ってしまう。だが、我慢の話に逃げたところで構造は改善しない。高齢化は通過点であるという時間軸を入れた以上、議論は“通過点の現象”ではなく、“その後も続く前提”に向け直さなければならない。その前提が、人口が減り続けるという条件だ。
ここで一つ、言い換えをしておく。高齢化を「原因」にしてしまうと、社会の成功が社会の失敗に見えてしまう。長寿は医療と生活水準が積み上がった結果であり、成果だ。成果を責める議論は、必ず世代間対立に変質する。すると、問題の焦点は制度から外れ、人間同士の対立へと逸れる。本章が切断したかったのは、この誤った敵設定である。高齢者は原因ではなく結果であり、ここで人を責める方向に進んだ時点で議論は破綻する。
では、何が「未対応」なのか。縮小を前提に制度を作り替えなかったことだ。人口が増え続ける前提で作られた仕組みを、人口が減る前提へ移行するには、設計のやり直しが必要になる。ところが、それは政治的に不人気であり、先送りされやすい。先送りは、一見なにも起きていないように見える。しかし実際には、見えない形でコストが積み上がる。しかもそのコストは、声が大きい側ではなく、交渉力が弱い側に集中する。結果として、下の世代が背負う形になった。ここまでが、本章の結論である。1
そして、ここからが接続である。負担が下の世代に集中しているという事実を、具体的な生活の形に落とし込む必要がある。下の世代は、なぜ生活が不安定化したのか。なぜ将来を予測できなくなったのか。その不安定さは、どこから生まれたのか。2
ここで初めて、次章の入口となるキーワードが意味を持つ。雇用、所得、生活の予測可能性。この三つが崩れると、人は合理的に動く。つまり、少子化は“選択の結果”として加速する。第1章で固定した前提に、再び戻ってくるわけだ。少子化を道徳や価値観の問題として語るのではなく、条件の問題として語るためには、まず「高齢化が原因」という誤った入口を閉めなければならなかった。第2章は、そのための章である。
次章「貧困がすべてを止めている」では、ここで置いた問いに答える。高齢化を責める議論を終わらせた上で、下の世代の現実を、雇用と所得と予測可能性という具体の言葉で扱う。高齢化を問題だと言い続けても何も変わらない。変えるべきは、縮小という前提に目を背けてきた設計のほうである。本章の確定結論はそれだけだ。3




