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性別を偽って恋をするのが流行っているようです

作者: 緑玉
掲載日:2025/12/11

ここは王宮の中庭。

午後の日差しを受けて、草花たちは柔らかく風に揺れ、まるで光に伸びをしているかのようだった。


そんな穏やかな場所で、公爵家令嬢の私 ナターシャ・ベルドランは、王太子の婚約者となったエルザ様に呼び出された。

彼女はもとは男爵家の出だが、婚約と同時にバース侯爵の養女となった。爵位の上では私の方が上のはずだが、王太子の婚約者ともなれば、もはや王族に等しい。


ナターシャは丁寧にお辞儀をして挨拶した。けれど、エルザは返礼もせず、ただ冷ややかに相手を見下ろす。そして、口を開いたその瞬間、思いもよらぬ言葉が落ちた。


「私がわからないの? ナターシャ。学院であれほど毎日顔を合わせていたというのに。」


彼女はわずかに俯き、喉もとに手を当てる。次の瞬間、低く若い男の声で――。


「僕だよ。」


「……! エルダー⁈」


胸の奥で何かがはじけた。学院での思い出が一気に蘇る。エルダーは気さくで、いつも試験に苦労していた男爵家の三男坊。けれど、目の前にいる彼女は、どう見ても女性だった。


「ふふっ。本当は女だったの。貴女ってば、鈍感なのね。」


信じられない思いで立ち尽くす私に、彼女は愉快そうに微笑む。

まさか、学院で共に過ごした友が性別を偽っていたとは、全く気づかなかった。


「魔法も少し使ったけれど、もともと声域が広いの。低い声も無理なく出せたし、背も高かったからね。あの頃は、すべて上手くいっていたわ。でも…ある日、殿下にだけは気づかれてしまったの。」


「殿下に……?」


「ええ。でも、それがきっかけで恋に落ちたの。殿下は私が学院を追われるのを嫌がって、全てを上手く処理してくださったのよ。」


「…そう…だったの。」


王太子が手を回したのなら、もう誰も彼女を咎めることはないだろう。

それでも、なぜ今になって私に打ち明けるのだろう――?


反応が薄いのが気に入らなかったのか、エルザは唇の端を上げ、わざとらしく言った。


「悔しいのでしょう? 本来なら、貴女が王太子妃候補だったのに。」


そう、卒業と同時に発表されるはずだった王家の婚約者。水面下では、家格や年齢、政治的均衡を考えて、私が内定していたと聞いている。


(なるほど…私が外されたことで、悔しがる姿を見たかったのね。わざわざ真実を明かしたのも、そのためか。)


つまり彼女は、最初から殿下を目的として私に近づき、そして殿下との恋を「秘密の共有」で盛り上げた、ということ。

なんとも、自分が滑稽に思える。

けれど、不思議と悔しさは湧かなかった。


「ご期待に添えず申し訳ありませんが、私はお二人の婚約を心からお祝い申し上げます。どちらも…大切な友人でしたから。」


エルザは、何も返さなかった。

ナターシャは静かに一礼し、その場を後にした。




♢♢♢


あれから数ヶ月、あの庭でのやり取りを時折り思い出しては溜息をつくナターシャ。


(悔しさはない。けれど、自分の知らないところで、自分が恋を盛り上げる駒として扱われたことが、どうにも悲しい…。)


ふと自室にある本棚に目をやると、王太子妃候補として身につけておくべき教養の本がびっしりとあった。その隅に、ひっそりと、恋愛小説の本が数冊置いてある。ナターシャは本棚に近づき、そのうちの一冊をそっと手に取った。

題名は、『男装した姫は隣国の公爵令息と恋に落ちる』


(こんなもの、物語の中だけだと思うじゃない。まさかこんな身近で起きるなんてね)


自嘲を含んだため息とともに本を戻した、その瞬間だった。廊下の方で慌ただしい足音が響く。普段は落ち着き払っている父が、珍しく取り乱した様子で部屋へ飛び込んできた。


「ナターシャ!大変だ!南の帝国からお前に縁談の申し込みがきた!しかも相手は…第3王子だ!!」


「えっ⁇」


全く覚えのない、しかもとんでもない相手からの縁談。ナターシャの思考は一瞬で真っ白になる。しかし父は続けた。


「明日早くに我が家に来られるそうだ!しっかりと準備しておくように。」


南の帝国ジャルカナン。

世界随一の経済力と軍事力を誇り、豊かで幸福度の高い国として知られている。我が国も魔法の研究では負けてはいないが、それでも帝国には頭が上がらない。


そんな大国の王子と会った記憶はないし、ナターシャと結婚することで向こうに得られる利益も思いつかない。

だが、父が嘘をつく理由はない。


ナターシャは混乱した心を必死に抑え、来たる明日に向けて準備を始めた。




♢♢♢


使用人総出で家中が磨き上げられ、装飾品も見直され、王子を迎える応接室はこれ以上ないほど厳かに整えられていた。

ナターシャもまた、侍女の手によって過去最高と言える仕上がりとなり、まばゆいほどの淑女となっている。


そしてついに、南の大帝国第三王子、ユリウス殿下がやって来た。

玄関前で父母とともに恭しく礼をすると、殿下は軽く会釈して「どうぞ楽に」と優しく気遣ってくれる。


ユリウス・アル・ジャルカナン。

整った顔立ちに、魔力量の高い者特有の漆黒の髪が光を受けて艶やかに輝いていた。


応接室での歓待は、緊張しきった両親によって慎重に進められたが、殿下が早々に「ナターシャ嬢と話をしたい」と告げたため、両親はそそくさと席を外した。


ナターシャは殿下の向かいに腰を下ろし、あらためてその顔を見つめる。

――やはり、見覚えはない。


ユリウス殿下はゆっくりと視線を合わせ、落ち着いた声で口を開く。


「突然押しかけたうえに縁談まで申し込んでしまい、驚かせたね。だが君がこの国の王太子の婚約者から外れたと知って…どうしても動かずにはいられなかったんだ。」


丁寧な説明だが、ナターシャにはどうしても疑問が残る。


「あの…光栄なお話ではあるのですが…。私たち、会ったこともお話ししたことも、ありませんよね?なぜ私を…?」


そう問いかけると、ユリウスは一瞬目をぱちくりさせ、次いで「しまった」というように額に手を当てて笑い出した。


「ああ、そうだった。肝心なことを伝えていなかったね。ナターシャ、君に謝らなければならないことがもう一つある」


パチン、と指を弾く。


次の瞬間、ユリウスの体が少しだけ縮み、黒髪がきらめく金色の長い髪へと変わり、雰囲気までも柔らかなものへと変わった。


まるで物語に出てくる姫君のようでーー

ナターシャはその姿によく知った名を思わず口にする。


「……ユリアナ?」


「正解。ごめんなさいね。他国の王族が本来の身分で留学したら、静かに勉学どころじゃないでしょう? だから身分と性別、両方を隠していたの」


そこにいたのは、王立学院の図書館でよく顔を合わせていた、あの近隣小国の留学生、伯爵令嬢ユリアナだった。


帝国の王子が本来の姿で留学してくるなど、確かに平穏に過ごせるはずもない。

ーーだが。


(性別詐称の暴露、二度目なのだけれど。)


ナターシャはくらりとした頭を抑えつつ、何とか意識を保つ。

ユリウスは変身を解き、ふたたび黒髪の王子の姿に戻った。


「君を欺きたかったわけじゃないんだ。ただ…真実を明かす機会をついに作れないまま帰国してしまってね。仮にも王太子殿下の婚約者候補である君と、図書館とはいえ、男の姿で二人きりになるのは印象が悪いだろう?だから女性として君と過ごしていたんだ。」


彼は申し訳なさそうに、でも優しい眼差しで笑っていた。


「改めて言わせてくれ。君が好きだ、ナターシャ。願わくば、これからは君と一緒に、嘘偽りない真実のこの姿で、時間を共に過ごしていきたい。」


ナターシャは誠実なその告白に、彼自身がユリアナだった時から中身は変わっていないんだ、と言うことを感じた。ユリアナは、いつだって相手を真っ直ぐに思う優しい女の子だった。そんな彼女だから、ナターシャは友人になったのだから。


「私も、もっと殿下のことを知りたいです。どうぞ、よろしくお願いします。」


柔らかな笑顔が自然に溢れ、それを見たユリウスは滅多に崩さない表情が少し赤面してしまった。




♢♢♢


二人の婚約話は王族に報告され、瞬く間に国中へ広まった。大国との婚姻に国民はお祝いムード一色だ。

エルザは歯軋りし、悔しさに震えた。

貧しい男爵家に生まれた彼女にとって、生まれながらに恵まれたナターシャはずっと妬ましい存在だった。

だからこそ王太子を奪ってやったのにーー。

結局また簡単に自分を超えていく、その現実に、無理やり積み上げた自尊心が崩れていくのを感じた。


指からするりと扇子が抜け、床へ落ちる音が辺りに響いた。








そしていよいよ、帝国へ旅立つ日。

ユリウスがそっとナターシャへ手を差し伸べる。


「さあ、行こう。」

「はい、殿下。」


添えられた小さな手は、やさしく包み込まれた。

指先から伝わる温度が、胸の奥までじんわりと広がっていく。


こうして二人は歩き出した。


それから幾つ時を重ねても、仲睦まじく手を繋いで歩く夫婦として、帝国で語られるのは、もう少し後の話である。


お読みいただき、ありがとうございます!

面白かった、最後まで読んだ、という方は是非、

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