第8章
その日の夕方。
ネオンの光が猥雑にきらめく繁華街の、ゴミの匂いが立ち込める薄汚い路地裏。
ここが、俺の第二の舞台だ。
指令車の中で、俺はモニターを見つめていた。
心臓が、これから始まる最高のエンターテイメントへの期待に、ドクドクと大きく、そしていやらしく高鳴っている。
「プラン『ファースト・ロマンス』、始動!」
俺がコンソールを叩くと、路地裏の中央に、突如としてピンク色の薔薇の花びらが嵐のように舞い散った。
甘ったるい香りが、ドブの匂いを完全に上書きし、空間を支配する。
その薔薇の中心から、一体の怪人がゆっくりと姿を現した。
キラキラと輝く、腰まで届く流麗な銀髪。
少女漫画の作画カロリーをすべて注ぎ込んだかのような、大きく潤んだ蒼い瞳。
純白に金の刺繍が施された、王子様然とした軍服。
俺の第二の傑作、その名は『プリンス・ロマンス』。
その直後、空から一体の流星が降り注いだ。
ドゴォン!という轟音と共に、燃えるような赤い魔法少女マジカル・ヴァルカンが着地する。
「ジェネシスめ! 今日はどんなキモい怪人かしら!」
彼女の金色の瞳は、好戦的な光に満ち満ちている。
引き締まったお腹、黒いホットパンツから伸びる、しなやかな筋肉を宿した太ももが、彼女の戦闘能力の高さを雄弁に物語っていた。
だが、プリンス・ロマンスは動じない。
彼は彼女の前にゆっくりと歩み寄ると、その場で優雅に片膝をついた。
「我が戦場のお姫様。あなたをお迎えにあがりました」
吐息が混じるような、甘く、とろけるようなイケメンボイス。
俺が声優データベースから選び抜いた、鼓膜を直接愛撫するような最高の声だ。
「…………はぁ?」
彼女の美しい顔が、盛大に引きつった。
「ふざけないで! アンタみたいなキザな軟弱男、あたしがそのキラキラした顔面ごと、一秒でスクラップにしてやるわ!」
彼女が炎をまとった拳を振りかぶり、プリンスに殴りかかる。速い!
「プリンス、ステップα-7で回避! そのままプランBへ移行!」
俺は指令車の中で叫ぶ。
プリンスは、まるで舞踏会でワルツを踊るかのように、最小限の動きで彼女の剛拳をひらりとかわす。
そして、彼女の突進の勢いを利用し、その身体を巧みに壁際へと誘導した。
ドンッ!
鈍い音が響き渡る。
プリンスが、彼女の顔のすぐ横の壁に、片手をついたのだ。
伝説の『壁ドン』である。
「なっ……!?」
至近距離で、キラキラしたイケメンの顔面が迫る。
二人の間に、逃げ場はない。
彼女の身体が、ピクリと硬直するのがモニター越しにもわかった。
「そんな乱暴なところも、愛らしい……だが、俺の前では素直になってもいいんだぜ?」
プリンスの唇から、甘いセリフがこぼれ落ちる。
彼女の顔が、首筋から耳まで、カッと一気に赤く染まった。
「ち、近寄るな変態! 誰がアンタなんかに……!」
「おや? 顔が赤い。照れているのか? 可愛いな」
「て、照れてない! これは怒りの赤よ!」
「そうか? だが、君の心臓の音、ここまで聞こえてきそうなくらい、速く、熱く打っているぜ?」
そうだ、もっとだ! プリンス!
彼女のツンデレの鎧を、甘い言葉の弾丸で撃ち抜け!
俺は、興奮のあまりコンソールのボタンを連打しながら、次々とセリフを送り込む。
「その瞳……燃えるような宝石だな。俺以外の男を映すなんて、許さない」
「ひぃっ……!?」
彼女の肩が、びくっと大きく震えた。
彼女の呼吸が浅く、速くなっていくのがバイタルデータに表示されている。
いいぞ、いいぞ!
「強がっている君も好きだが……俺の前だけで見せる、君の弱いところも見てみたい」
プリンスは、空いている方の手で、彼女の頬を撫でるように流れる一筋の汗を、そっと指で拭った。
「な、な、なによ、いきなり触らないでよ!」
「汗をかいている。緊張しているのか? それとも……期待、しているのか?」
プリンスは、さらに顔を寄せ、彼女の耳元に唇を近づけた。
その熱い吐息が、彼女の耳たぶを直接愛撫する。
「あああああああんっ!」
そうだ!耳だ!
女の子の耳は最高に敏感なんだ!
彼女の身体が、今度こそはっきりと、びくんびくんと痙攣を始めた。
膝が笑い、立っているのがやっとのようだ。
「だ、黙りなさい! あたしに弱いところなんかないわ!」
その声は、もはや怒声ではなく、涙声の悲鳴に近い。
瞳は潤み、焦点が合っていない。
(よし、今だ! 最終フェーズへ移行!)
彼女が、最後の力を振り絞って「くらえぇ!」と叫びながら、もはや威力のない拳を振り上げた、その瞬間。
プリンスは、彼女の拳を優しく受け止めると、その手を引き寄せ、もう片方の手で彼女の顎にそっと指を添えた。
必殺の『顎クイ』コンボだ。
「な、なにを……」
至近距離で、潤んだ金色の瞳と、キラキラした蒼い瞳が交錯する。
プリンスは、とどめの一言を、吐息と共に彼女の耳元へ囁きかけた。
「もういいんだぜ。そんなに強がらなくても。俺が、君の全部、めちゃくちゃになるまで、受け止めてやるから」
「―――――――――ッ!!」
彼女の身体から、全ての力が、音を立てて抜けていった。
彼女の脳のキャパシティは、連続する少女漫画的シチュエーションと、官能的な囁きによって、完全に焼き切れたのだ。
「も、もう……やめてぇぇぇ……!」
炎のような勢いは見る影もなく、彼女は涙目のまま、その場にずるずると崩れ落ちた。
両手で真っ赤になった顔を覆い隠しているが、指の隙間から、熱い吐息が「はふっ、はふぅ……」と漏れている。
「……もう……だめぇぇぇ……」
か細い、か細い声でそう呟くと、彼女は完全に沈黙した。
精神的戦闘不能。
完璧な勝利だ。
プリンスは、そんな彼女に優雅な一礼をすると、無数の薔薇の花びらとなって、夜の闇に消えていった。
「よっしゃあああああああああああああ!」
指令車の中で、俺は天を突き破るほどのガッツポーズを決めていた。
「見たか! 俺の理論は正しかった! ツンデレの弱点は、物理攻撃でも魔法攻撃でもない! 純度100%の少女漫画的展開なんだよ!」
俺は、震える指で今回の戦闘記録を保存する。
これを見ながら飲むコーヒーは、きっと世界一うまいだろう。
俺は、自分の才能に打ち震えながら、次の作戦への妄想を、すでに膨らませ始めていた。