第4章
初出社日の午後。
俺は、人生で初めて「会議」というものに出席していた。
場所は、第一会議室、通称『絶望の間』。
なにが絶望って、まずこの部屋のデザインが絶望的だった。
磨き上げられた黒曜石のような巨大なテーブルは、どう見ても魔王の食卓だ。
椅子は一つ一つが背もたれのやたらと高い玉座のようで、座り心地は最悪。
部屋の照明は薄暗く、俺の将来を暗示しているかのようだ。
その玉座の一つに、氷室サヤカさんが女王のように腰掛けている。
今日の彼女は、デコルテが大胆に開いたカシュクールブラウスにタイトスカートという、俺の理性を殺しにかかる出で立ちだ。
そして、テーブルの隅には、同僚の灰咲シノが、まるで世界の全てを呪うかのように虚ろな目で座っている。
「では、対マジカル・リリィ作戦会議を始めます」
サヤカさんの涼やかな声が、やけに重々しく響く。
「まずは、心理戦のスペシャリストである灰咲さんから、意見を聞きましょうか」
指名されたシノは、気だるそうに顔を上げた。
その血の気のない唇が、か細く、しかし毒に満ちた声で紡ぎ出す。
「……簡単。彼女のSNSを特定。ネットの海から、過去の黒歴史……例えば、中学生時代のポエムブログや、加工前の自撮り写真などをすべてサルベージ。それを搭載した自爆型ドローンを、彼女の学校の上空で飛散させる」
会議室が、凍りついた。
「周囲の嘲笑と羞恥心で、彼女の精神は崩壊。二度と魔法少女に変身できなくなる。効率的で、安上がり」
なんて、なんて陰湿な作戦なんだ……!
俺は、怒りのあまり机を叩いて立ち上がっていた。
「ふざけるなッ!」
俺の叫びに、シノの虚ろな瞳が初めて俺を捉えた。
「……何?」
「それは作戦じゃない! ただの陰湿ないじめだ! 品性も、美学も、愛も、何一つないじゃないか! いいか、女の子の心はな、ガラス細工より繊細で、宇宙よりも広大なんだぞ! それを土足で踏み荒らすなんて、万死に値する!」
俺はぜえぜえと息を切らしながら、ポケットからUSBメモリを取り出し、巨大モニターに突き刺した。
「俺の作戦は違う! 俺の作戦は……愛だ!」
スクリーンに、俺が昨晩寝る間も惜しんで作り上げたプレゼン資料が映し出される。
タイトルはこうだ。
【対魔法少女用特殊怪人プランα:『ぬめり侯爵』による悦楽的無力化の考察】
「俺が提案するのは、粘液触手怪人『ぬめり侯爵』です!」
俺は会議室の前方に出て、身振り手振りを交え、まるで自分が体験してきたかのように語り始めた。
「まず、ぬめり侯爵は、リリィちゃんの前に現れると、深々と、イギリス貴族のように優雅にお辞儀をします! そしてこう言うんです! 『麗しの君、私と悦楽のワルツを踊っていただけませんか?』ってね!」
シノが「頭おかしい……」と呟いたのが聞こえたが、構うものか。
「もちろん、リリィちゃんは抵抗します! でも、侯爵の触手は暴力のためじゃない! 彼女を優しく、しかし決して逃がさずホールドするための、最高のダンスパートナーなんです! ああ、そして何よりこの粘液! ベタベタなんかじゃありません! これは世界最高級のエステサロンで使われる美容液と全く同じ成分で、薔薇とカモミールの香りが彼女の心を優しく解きほぐすんです!」
俺の妄想は加速していく。
「侯爵と触手のワルツを踊るうちに、美容液は彼女の肌の奥深くまで浸透! 戦いが終わる頃には、彼女の肌は前よりもっとツルツルすべすべになってる! 『負けたのに……お肌の調子が最高……!?』って! この罪悪感と背徳感が、彼女を新たなステージへと導くんです!」
さらに俺の演説は続く。
「そしてクライマックス! 侯爵の触手は、リリィちゃんの身体にある三十二カ所の快感ポイントを、寸分の狂いもなく、的確に、そして優しく刺激し始める! 彼女は叫ぶでしょう!『いやっ、だめ、そんなところ……!』って! でも、その声はだんだん甘く、熱っぽくなっていく! 最後には、脳が悦びで焼き切れて、恍惚の表情のまま『もう……好きにして……』って、侯爵の腕の中に崩れ落ちるんです! どうです!? これこそが、愛! これこそが、完全なるコミュニケーションじゃないですか!」
プレゼンを終えた俺は、情熱のあまり肩で息をしていた。
会議室は、死んだように静まり返っている。
他の社員たちは、まるで理解不能なものを見る目で俺を凝視している。
シノは、完全に俺を汚物として認識したようで、ハンカチで口元を覆っていた。
だが、その沈黙を破ったのは、サヤカさんだった。
「ぷっ……」
彼女の肩が、小さく震えている。
「くくっ……あ、あはは……あははははははは!」
ついに耐えきれなくなったように、サヤカさんは机に突っ伏して、腹を抱えて笑い出した。
涙まで流している。
「び、美容液の……ワルツ……! 最高だわ! 黒崎君、あなた天才よ!」
ひとしきり笑った後、彼女は涙を拭い、ビシッとシノを指さした。
「灰咲さん、あなたの案は却下。陰湿なだけで、ロマンスが足りないわ」
そして、恍惚とした表情で俺を見つめる。
「採用よ、黒崎君。君の『愛』、存分にリリィちゃんにぶつけてきなさい」
その瞬間、俺は確信した。
この会社こそ、俺の天職だと。