表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/11

第2章

 就職活動、五十連敗。

 俺は、公園のベンチで死んだ魚のような目をしていた。


 安物のリクルートスーツは六月の湿気と冷や汗でじっとりと肌に張り付き、結び目が歪んだネクタイが、まるで首を吊るための縄のように思えてくる。

 スマホの画面を惰性でスワイプする。

 キラキラした一般企業の求人情報が、俺の心を抉る。


 その時だった。


『ジェネシス・イノベーションズ社 第二特殊コンテンツ事業部 急募』


 目に飛び込んできたのは、ひどく簡素で、それでいてどこか蠱惑的な求人広告だった。


「ジェネシス……イノベーションズ……? 『ジェネシス』?  まさか、あの悪の組織のジェネシスか!? いや、でも会社名に『イノベーションズ』なんて横文字がついてるし……ただの偶然か? でも待てよ、『第二特殊コンテンツ事業部』……? 怪人とか、そういうことか!? だとしたら……だとしたら、これは千載一遇のチャンスじゃないのか!? 合法的に、いや、給料をもらいながらリリィちゃんに会える……敵として!」


 俺の心臓が、ドクドクと警鐘を鳴らす。

 このチャンスを逃せば、俺は一生、モニターの中からリリィちゃんを応援するだけの人生だ。

 俺は覚悟を決め、震える指で「応募する」のボタンをタップした。


 そして数日後。

 俺は、天まで届きそうな超高層ビルの、殺風景な会議室にいた。


 磨き上げられた黒いテーブル。窓の外に広がる、まるでミニチュアのような都会の景色。

 俺が今まで生きてきた薄汚い世界とは、何もかもが違う。

 場違い感で死にそうだ。


「お待たせいたしました、黒崎マコト様ですね」


 凛とした、鈴が鳴るような声。

 顔を上げると、そこに今回の面接官が座っていた。


 俺は息を呑んだ。


 完璧に切りそろえられた、艶やかな黒髪のボブ。

 理知的な光を宿す切れ長の瞳は、シャープな銀縁メガネの奥で、俺という存在を値踏みするように細められている。

 泣きぼくろが、その白い肌の上で官能的なアクセントになっていた。


 身体のラインを寸分の狂いもなく拾い上げる、タイトな黒のパンツスーツ。

 きつく締められたウエストとは対照的に、白いブラウスの胸元は、その奥にあるであろう豊かな双丘の存在感を、暴力的なまでに主張している。

 組まれた脚は、どこまで続いているんだと問い詰めたくなるほど長く、しなやかだ。


 氷のようにクールで、それでいて溶岩のように熱い何かを内に秘めた美女。


「面接官の氷室ひむろサヤカです」

「…………は、はい!黒崎です!」

 

 裏返った声が出た。もうダメだ。終わった。


 案の定、当たり障りのない質問に、俺はしどろもどろに答えることしかできない。

 彼女の興味が、1ミリ、また1ミリと俺から削り取られていくのが肌で感じられた。

 ああ、五十一連敗か…………。


「では、最後の質問です」


 諦めかけた俺に、サヤカさんが初めて、ほんの少しだけ身を乗り出してきた。

 

「これは仮定の話ですが……もしあなたが、当社の競合である、とある大人気コンテンツを無力化する任務を与えられたとします。そのコンテンツ名は……そうね、『魔法少女マジカル・リリィ』としましょうか」


 ――キタ。


 俺の脳細胞が、一斉に歓喜の声を上げた。

 これはテストだ。

 俺の「愛」が試されている。


 俺は椅子から立ち上がり、バンッ!と机に手をついて身を乗り出した。

 

「猫です!もふもふの子猫軍団です!」

「…………猫?」

 

 サヤカさんの眉が、ぴくりと動く。


「はい! 想像してください! リリィちゃんの前に現れる、百匹の可愛い子猫たち! 『にゃーん』『ごろごろ』って、愛らしい声で彼女を取り囲むんです! 正義の味方であるリリィちゃんが、無抵抗な子猫を攻撃できるはずがない! まずここで、彼女の攻撃手段を完全に封じます!」


 俺の口から、妄想が滝のように溢れ出す。もう誰にも止められない。


「子猫たちは彼女の足にスリスリして、体温と毛皮の感触で彼女の闘争本能を強制的に解除! そしてとどめは! 軍団の頂点に君臨する、ひときわ大きくてもふもふなボス猫! その首輪には『またたび爆弾』が仕込まれているんです!」

「またたび…………爆弾…………?」

「はい! 至近距離で炸裂した超高濃度またたびの霧に、リリィちゃんは抗う術がありません! 理性の中枢は麻痺し、身体は快感に支配される! 『にゃ、にゃはぁ〜…………もう、戦えないにゃぁ〜…………』って、全身をふにゃふにゃにして、その場に座り込んじゃうんです! 瞳は潤んで、頬は上気して、口元からはキラキラしたよだれが垂れちゃったりして! 最高じゃないですか!? 完璧な無力化です!」


 ハァ、ハァ、ハァ…………。

 我に返った時、俺は肩で息をしながら、目の前の美女にドン引きされているであろう己の姿を自覚した。

 終わった。今度こそ本当に終わった。社会的に抹殺された。


 長い、長い沈黙。

 時が止まったかのような会議室に、やがて、くぐもった声が響いた。


「くっ…………くくく…………」


 サヤカさんが、肩を震わせている。

 やがて耐えきれなくなったように、口元に手を当てて、しかし隠しきれない笑い声を漏らした。


「ふふっ…………あはははは! またたび爆弾! 最高だわ! あなたの頭の中、どうなってるの!?」


 彼女は涙を拭うと、俺を射抜くような、熱っぽい視線で見つめた。


「その情熱…………その常軌を逸した発想力…………そして、何よりも楽しそうなその顔。気に入ったわ」


 サヤカさんはすっと立ち上がると、俺の前に来て、完璧に手入れされた美しい手を差し出した。


「ようこそ、ジェネシスへ。黒崎マコト君。君の『煩悩』、我が社が有効活用してあげる」


 その微笑みは、女神のようでもあり、悪魔のようでもあった。

 

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ