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恋と運命の幕が上がるとき2

 



 騒がしさと旋律が絡み合う中。


 アレン様の思わぬ言葉に心が揺れて、私はひとり、胸のざわめきを抱えたまま立ち尽くしていた。


 アレン様のあの言葉――「俺から逃げられると思ったか?」

 赤い瞳、唇が触れそうなほどの距離、あの囁き。



(……ずるい)


 耳に残る声を振り払うように、私はそっと瞼を閉じる。

 心臓の音が、まだ速い。落ち着く気配はなくて。



 そんなとき――


「フィオラ!」


 駆け寄ってくる足音とともに、声が聞こえた。

 振り向けば、レオンとシリウスがこちらへと向かってくるところだった。


「大丈夫か!? なんか、ぼーっとしてたから……能力(ギフト)、使うか? 落ち着くやつ!」


 レオンが勢いよく詰め寄ってくる。その横で、シリウスが少しだけ眉をひそめていた。

 いつもと変わらない優しい表情の中に、微かな不安の色が混じっている。


「……なんか、すごく心が揺れてるけど……大丈夫?」


『え、あ……ううん、大丈夫。セシル殿下のせいとかじゃ、ないから』


 セシル殿下のことではなく、アレン様の言葉に胸が乱れているとは言えなかった。

 だから私は、ほんの少し微笑んでそう返すことしかできなかった。


 そのとき。


「姉さん」


 静かに現れたカロンが、私たちのすぐそばに立った。


「……さっきから、少し気になることがあるんだ」


 いつもの丁寧な口調。けれどその声には、わずかに張り詰めたものがあった。


「セシル殿下と話した人たちは、必ず“二つのパターン”に分かれるんだ。

 一方は、殿下とさらに親しくなったみたいに接するようになる。

 でももう一方は――まるで急に興味を失ったみたいに、殿下の話題すら避けるようになるんだ」


「……え?」


 レオンが首を傾げとき、今度はルカくんが足早にやってきた。


「絶対、おかしいよ。さっきまでセシル殿下のこと、普通にいろいろ話してくれてた子がいたのに……殿下と話したあと、急に何も話してくれなくなったんだ。まるで、その話題に“鍵”でもかけられたみたいにさ」



 その言葉に、皆が顔を見合わせる。

 偶然とは思えない、一連の変化。


 空気が静かに沈んでいく中――



「――ずいぶん、真剣な顔をしてるね」


 その沈黙を破ったのは、聞き慣れた低い声だった。


 私たちが一斉に振り返ると、そこにはラフィン先生の姿。

 相変わらずの穏やかな笑みを浮かべながら、私たちを見下ろしていた。


「おや、何か邪魔しちゃったかな? けれど……生徒たちが集まって、そんな深刻な顔をしていたら、つい気になってしまってね」


 そう言って、ラフィン先生はゆっくりと一歩、こちらに近づく。


 その歩みには柔らかさがあるのに、空気がひやりと冷たくなるような錯覚を覚える。


「……セシル殿下のこと、話していたのかな?」


『っ……』


 ドキリとした心の音が、胸の奥で跳ねた。


 どうして先生が、私たちの話題を察したのだろう――そんな疑問が浮かぶよりも早く、ラフィン先生は微笑みを深める。


「彼は、とても特別な存在だよ。王族でありながら、あれほど周囲を“惹きつける”力を持っているなんて、なかなかいない」


 穏やかな口調。けれどその言葉には、どこか試すような響きがあった。


「……“縁”というのは、興味深いと思わないかい? 誰とつながり、誰と切り離すか――それだけで人は、簡単に変わってしまう」


 レオンが息を呑む気配が伝わる。

 シリウスは黙ったまま、じっとラフィン先生を見ていた。


「たとえば……とても素直だった子が、ある人物と話しただけで、急に無口になったり。

 あるいは、別の誰かが、今までになく誰かを特別に意識しはじめたり」


 その言葉に、私は思わず息を止めた。


(……知ってる? 先生……?)


 誰も言葉を発さないまま、空気が張り詰めていく。


 ラフィン先生は、それを楽しむかのように視線を私に向けた。


「君も、きっともうすぐ選ばなくちゃいけない。……誰とつながり、誰を手放すのか」


『……』


 言葉が出てこない。


 その瞳は薄い水色のはずなのに、底知れない深さと――そして、どこか狂気のような色が宿っているように見えた。


「けれど……君が“選べない”と言うのなら」


 ラフィン先生は、ゆっくりと微笑んだ。


「セシル殿下に委ねるといい。……彼に“選んでもらえれば”、きっと君は幸せになれるよ」


『……っ』


 まるで“それが最善だ”とでも言うように穏やかに語られた言葉に、背筋がひやりと冷える。



 その瞬間、カロンが一歩前に出る。


「ラフィン先生。……僕たちは、個人的な会話をしていたところです。失礼ですが、今はご遠慮いただけませんか」


 その声音には、はっきりとした拒絶と警戒が滲んでいた。

 けれどラフィン先生はまったく怯むことなく、ひょいと肩をすくめて笑う。


「……おや、失礼。場を乱すつもりはなかったんだけどな」


 ラフィン先生が背を向け、足音を残して去っていく。



 その場に残された私は、うまく呼吸ができないまま立ち尽くしていた。


(……私が、“選べない”って言ったら、セシル殿下に……?)


 胸の奥がひやりと冷えて、なにか大きなものに呑まれそうになる。


 ――そのときだった。


「先輩〜、今日もぎゅーってしていい?」


 背後からふわりと細い腕が絡む。

 甘えるような声と共に、肩に柔らかな髪が触れる。


「ねぇ、先輩ってさ……僕のために生まれてきたんじゃない?」


 『ル、ルカくん……?』


 戸惑いの声をこぼすと、ルカはふっと笑って、でもその声は意外なほど真剣だった。


「だからさ――セシル殿下じゃなくて、僕がフィオラ先輩を幸せにするよ?」


 その一言に、胸がどくんと跳ねる。

 


『え……』


 言葉が喉に詰まる。どう返していいか分からない。

 ルカくんの腕のぬくもりだけが、やけに鮮明に感じられた。



 ――そんな静寂を破ったのは、すぐ隣から聞こえた低い声だった。


「……こんな時に僕たちの前で、何をやってるの?」


 冷たくも静かなカロンの声。

 隣にいたシリウスが目を細め、レオンは思わず口を開きかけて――けれど言葉を飲み込む。


 ルカくんは、わずかに肩をすくめて、ぴたりと私から離れると、くるりと三人の方へ向き直った。


 そして、ふわっと笑う。



「だって……負けてられないもん、ね?」


 ルカくんが無邪気に笑いながらそう言った。


 いつものような、けれどほんの少し照れた笑顔。

 その空気に、誰かがふっと笑い、そして少しだけ――場がやわらいでいった。



 誰もが何かを抱えていて、それでも誰かを想っている。


 優しさも、切なさも、甘さも――全部が、こんなふうに重なり合って、

 私の心に残っていく。


 ラフィン先生の言葉も、ルカくんの小さな手も。

 その奥にある“選ばれる”“選ぶ”という重たい響きが、今も胸に残っていた。


(……私は、何かを選んで、何かを捨てなければいけない時が来るのだろうか)


 答えはまだ分からない。

 けれど、たしかに少しずつ――その時が、近づいている。


 夜空は何も語らない。

 でも私は、その下で、静かに決意を胸に抱いた。


 ――選ぶ時が来るのなら、せめてその選択が、私の“意志”でありますように。




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