ふたりのようせいさん
「うん、やっぱ陽性だったみたい。熱? 今んとこ微熱、って感じかな。……大丈夫だって、薬もらってるし。症状軽いから家でジッとしとくよ。ああ、母さんは親父の面倒、ちゃんと見といてあげてよ、そんじゃ」
俺は耳から離したスマートフォンを軽くタップして、テーブルの上に置いた。
しん、と静まり返った自宅のリビング。額に貼った冷却シートを触りながら、ひとりつぶやく。
「これから休日を挟んで5日間、何して過ごそうか……」
厳しい自宅待機が必要だった新型コロナも、今では5類感染症。インフルエンザと同じで、外出するのも個人の判断だ。症状もそんなに重くない。だけどここは自粛すべきだろう。友達に見つかってイジられるのも嫌だし。
静かすぎるし、せめてテレビでもつけようかとリモコンに手を伸ばした時、玄関のチャイムが鳴った。
なんだ、こんな朝方に来客?
気怠い体を動かしながら、俺はモニターのスイッチを押して来客者を確認する。
知った顔だった。
「どちらさまでしょうか?」
俺はわざと、インターフォンに向かってそう言った。
「想太、いるんでしょ? あたしだよー」
あたしじゃわかんねーよ。心の中で悪態をつきながら、靴箱の上に置いてある使い捨てマスクを耳にかけ、玄関のドアを開ける。
「いったい何の用だよ、ナッツ」
若干凄んだ態度で相対したハズだったが……本人は俺の額に目をやって、ぷぷっと吹き出していた。俺は冷却シートをはがして、ズボンのポケットにつっこむ。
「あはっ、やっぱり聞いてた通り、陽性だったんだね」
「陽性だったんだねーって、知ってんならなんで俺ん家まで来たんだよ、わざわざ感染されに来たのか?」
「いやいや、そーじゃなくてぇ」
ナッツはマスクの上から手を当てて笑っている。相変わらずこいつの考えていることはよくわからん。ナッツ――火野奈津美は、俺と同じく映画研究部に所属している同級生だ。部員の中では下級生も含めて一番背が低く、名前をもじってナッツと呼ばれている。
「まあ、立ち話もなんだし、ちょっと上がらせてよ」
「おい待て! なんで家ん中まで上がる必要があるんだよ」
「今日から一週間ぐらい、想太のお父さんとお母さんは不在のはずだよね?」
「うっ、なんでそれを……」
「近所の人はみんな知ってるよ、想太のお父さん海外公演でフロリダに行くって」
親父が地元の有名人なのは誇らしいんだけど、こういう情報がダダ漏れなのは困りもんだ。
「だからって、陽性者の家に上がり込むなんておかしいだろ。感染るぞ、本当に!」
「その点は安心して、あたしもだから」
「は、あたし……も?」
「あたしも陽性だったんだ」
さっきまでウザったかったナッツの目つきが、急に妖しげな光を放ちはじめる。
「お互い陽性者なんだから、感染すこともないよね? あたし、寮でジッとしてるのは退屈なんだ。ね、だからいいでしょ? 入れてよ」
結局、俺の家はふたりの陽性者を受け入れることになってしまった。
「うわー、部員のみんなと遊びにいった時以来だけど、やっぱ広いねー」
「どーも」
「あ、これこれ。このめちゃくちゃデカいテレビ! 気になってたんだー、さすがカネモチだね」
「うちはそんな金持ちじゃねーよ」
「前からこのテレビでゲームしてみたいって、思ってたんだよー」
そういいながらナッツはバッグからゲーム機を取り出した。ハード丸ごとだ。プレステ、スイッチ……ゲーミング用と思われるノートパソコンまである。こいつ、最初からそれが狙いか?
「おいおい、ゲームに熱中しすぎて体調悪化しても知んねーぞ」
「ふふふ、あたしはノロウイルスにかかってもゲーム配信してた猛者だからね、余裕だよ」
「何が猛者だ。大人しく映画鑑賞にしといたらどうなんだ」
「映画は部活動でお腹いっぱいだよ」
ナッツは中学のころからゲームの実況配信をしていると言っていた。実際に視聴したことはないけど、アバターも自分で制作し、壁の薄い女子寮で配信を続けるために自前で防音設備すら設置したって噂だ。この小さな体のどこからそんな情熱がわいてくるのか……。
「言っておくけど、俺ん家でゲーム配信はNGだからな」
「まさか、そんなことしないよ。それに、ほら、男と一緒に配信って、アレじゃん」
「ん?」
「よっし、プレステ接続完了! いくぞー! でっでっででででっかーんででででっ」
少し妙な感じがしたが、流されてしまった。最後のはネットミームか何かだろうが、俺にはよくわからない。
なんだかんだ、ナッツがやっているゲームを見たり、手伝ったりしていると、あっという間に時は過ぎていく。
「ナッツやたら元気そうだけどさ、体が怠かったりしないの」
「うんや、あんまし」
「熱はあるだろ?」
「熱……まー38度にいかないぐらいかな」
「俺と一緒ぐらいか」
「そういえば、膝とか肩とか、関節のあたりがちょっと痛いかも」
「ふーん、いろんな症状があるんだなぁ」
ゲームの合間にこういう話をしないと、お互いに陽性者だってことを忘れそうになる。
「あ、もうこんな時間。そろそろお昼ごはん食べないとヤバいね」
「ほんとだ、3時前だよ」
俺はそろそろナッツが帰るかと思って、リビングの隅にある段ボールからゼリー飲料を取り出した。多忙な俺の親父が、昔から箱買いしているものだ。
「ほら、寮に帰るまでの間、これで小腹を満たしとけよ」
「え?」
「空きっ腹で、帰宅途中に体調崩したらマズいだろ」
「いやいや、想太クン。あたしはまだ帰らんよ」
「……はあ?」
「ちゃーんとお昼ごはん持ってきたんだからね。と言っても、おにぎりだけど」
何だって!? こいつ、午後も家に居るつもりかよ!
「はい、これが想太のぶんね」
「えっ、俺の分?」
なんで俺の分まで一緒に作ってるんだ?
「その様子だと、お父さんとお母さんが帰ってくるまでの間、ずっとゼリー飲んですごそうと思ってたんでしょ。ダメだよ、そんなんじゃ。少しは腹持ちが良くて栄養があるものも食べなくちゃ」
図星だった。ラップに包まれた丸いおにぎりを、3つ手渡された。そのうち1つは、茶色い昆布がはみ出して見えている。手作りのおにぎりをもらって、帰れ、とはなかなか言えなかった。
「ああ、あっつー、きつい……」
「まったくもう、スマブラをガチでやりすぎだよ」
夕方になって、ナッツは体調を崩し、ソファの上で横になった。額には冷却シートも乗っかっている。
「とりあえず、熱を測ってみっか」
「う、うん」
ナッツは冷却シートを剥がすと、赤みがかった額を俺に差し出した。俺は非接触体温計を額に向けて、ボタンを押した。
「39……てん……7度、やべえな」
ナッツは、なぜだか不満そうな表情をしていた。
「想太クン……わかってないねぇ」
「はぁん? とにかく、今すぐ熱冷ましの薬を飲んでおいたほうがいい。持ってるだろ? 薬局から出されたやつ」
「持ってない」
「へ?」
「寮に置いてきちゃった」
マジか。昼めしは持ってきてるのに薬は置きっぱなしかよ……こいつの優先順位はどうなっとるんだ。
「しょーがねーな」
俺は壁に掛けてあった自分の鞄から、頓服薬、と書かれた白い袋を取り出した。中には10個の錠剤が入っている。
「ほら、俺の薬があるからさ、無理すんな」
「いいの? ……ありがと」
「俺も今のうちに飲んどくからさ」
「ふふふ、ふたりで一緒のおクスリをキメるんだね」
さっきから何を言ってるんだ……。熱の影響で頭が遣られはじめているのだろうか。ゼリー飲料で薬を胃の中に流し込んでいると、あることに気がついた。
「ナッツさ、晩ごはん、持ってきてないよな?」
「うん。夕方になったら帰るつもりだった」
「帰れ……ないよな、それじゃ」
「うん……」
帰れないとなると、今日一晩ナッツを泊めなければならない。なんてこった……男女二人がひとつ屋根の下で一夜を? 高校生の身分で? いや待て、変なことは考えるな、これは緊急事態なんだ。友だちの病気が悪化して仕方なく家に泊めた。それだけなんだ!
「とにかく、もうゲームやスマホはやらずに安静にしているんだ。今から毛布も持ってくる。テーブルの上にゼリー飲料も置いとくから、好きなだけ取って飲んでいいぞ。高熱の時にはむしろゼリーのほうが助かるだろ?」
まるで独り言のように、一方的に話しつつ俺はナッツを看病する準備をした。2階から毛布を持ってきた時、ナッツはすでに寝ていた。俺はナッツの上に毛布をかけて、ふう、と溜め息をついた。
その直後、気を抜いてしまったせいなのか、猛烈な怠さが俺の体を襲ってきたのだ。
わ、忘れてた。俺も陽性者……だった。
今すぐ横になりたい。頭もボーっとする。しかしソファにはすでにナッツがいる。やむなく俺はカーペットの上に寝転がることにした。ホットカーペットだし、床よりはだいぶマシだろう。
寝ているのか、起きているのか、わからない状態のまま横になっていると、色々なことが頭に浮かんでくる。もちろん、ソファで寝ているナッツの事も。
俺とナッツが初めて会ったのは……新入部員歓迎会だったな。あの時、俺はたまたま動画投稿サイトのゲーム実況シリーズにハマってて、その話をしたらナッツがやたら食いついてきたんだよな。まさか自分でゲーム配信もしている強者だとは思わなかったなあ。
どれくらい時間が経っただろうか、俺は寝返りを打った拍子で目を覚ました。
まだ夢うつつのような状態だったが、周りの状況に何か違和感があった。
「あれ、俺電気消してたっけ……」
ゆっくりと体を起こすと、何だか膝元が暖かいことに気がつく。
毛布が掛かっていた。そして俺のすぐ横で、ナッツが寝ていた。
――え、なんで?
いつの間にか、俺とナッツが一緒の毛布で寝てる!?
飛び上がりそうになったが、相変わらず体は怠いままで、立ち上がる力さえも沸いてこない。ナッツの様子を見てみると……どうやら寝たままのようだ。
ナッツ……高熱が出てんのに、わざわざ電気を消して毛布も分けてくれたのか?
結局俺は、ナッツの隣で横になった。
眠りにつくまでの間、俺はまたナッツの事を考えはじめる。
思えば俺は、あんまり女子と話すタイプじゃないんだけど、ナッツとは男友達みたいに気軽な会話ができるんだよな。ナッツは俺に対して無遠慮な行動をするけど、学校ではあんまり派手な噂は聞かないし。……もしかして、ナッツは俺にだけこんな接し方をしているのかな?
気がついたら、朝が来ていた。ナッツはすでに毛布から出ていて、帰り支度をしている。俺も、昨夜に比べたら体の怠さが和らいでいた。
「ごめんね想太。迷惑、かけちゃったね」
「別にいいさ、俺も寝落ちしちゃったし」
玄関先で佇むナッツの姿は朝日に照らされて、いつもより……キレイに見えた。
「それにしても、インフルエンザってあんなに熱が出るんだね、あたし甘く見てたよ。寮に帰ったらちゃんと薬飲んで、寝てなきゃね」
「ああ、それがいいよ。……ん?」
インフルエンザ、だと?
「ナッツ、ま、まさかお前……インフルエンザの陽性なのか?」
「え? そうだけど」
「なっ、ばっ、ばっかじゃねえの!? 俺はさ、新型コロナの陽性なんだけど!」
「えー、陽性だったら同じなんじゃないの」
「全然違うわい! コロナとインフル、両方感染する場合だってあるんだぜ! どうすんだよもう、濃厚接触ってレベルじゃねーぞ! あ、でも、いや、そこまではいってないか……」
「想太クン、慌てすぎだよ」
「うるせー!」
あれから一週間後……心配していた通り、今度は俺がインフルエンザに、ナッツが新型コロナにかかってしまった。
「いやー、本当に感染っちゃったね。どうする? あの時の延長戦する?」
スマートフォンからは元気そうなナッツの声が聞こえてくる。
「誰が延長戦なんかするかい! 今度はうちの両親も家にいるんだからな。ナッツも諦めて寮で大人しくしてるんだ!」
「そうだねー、また感染させたら無限ループになっちゃうもんねー」
「さすがに耐性がつくから無限ループはねえよ……」
「あー、それとね」
「ん、なんだ?」
「今度はおにぎりの代わりに、バレンタインデーがもうすぐだからチョコレート送ったげる。隣で女の子が無防備で寝ているのに、一切手を出さなかったジェントルマンには、特別甘いやつをあげちゃうよ!」
「え、あ!? ナッツお前――」
通話は切れてしまった。
まさかあの時……ナッツも起きてた、ってこと?
解熱剤を飲んだばかりなのに、俺の体温はぐんぐん上昇していく。これはインフルエンザのせいだ。きっとそうだ。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。