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ナインテイルより愛を込めて。  作者: 檸檬飴
ゲームの終わり
13/18

13

 〈ユフインの温泉街〉への道は、山間の細い道を縫うように続いていた。馬車が緩やかな坂を登るたび、風に乗って漂う湯の香りが鼻をくすぐった。〈ナインテイル自治領〉でも名高いこの温泉地は、火山の恵みによる良質な湯で知られ、湯煙が街全体を包み込む幻想的な光景が広がっている。


「温泉だよ! ねえ、交渉終わったら入っていいよね?」


シイナは目を輝かせた。その無邪気な声に、ヒルヒメも「いいね、それ!」と笑う。


「観光気分も良いですが、まずは目的を忘れないように。ここはラレンド家の縄張りですから。穏やかそうに見えて、何か裏があるかもしれない」


ツキヨミが冷静に釘を刺した。彼は山の斜面に広がる街を見下ろしている。


 〈ユフインの温泉街〉を治めるラレンド家は、観光と温泉を基盤とする商家だ。他家との競争よりも自家の安定を優先し、周辺のモンスター被害に悩まされながらも〈冒険者〉を頼りにする傾向が強いと聞いていた。だがゲーム時代の情報を加味すると裏では諜報活動を担う"影巫女"ユウヅキが、一行の動きを監視している可能性もある。今回はそのユウヅキとは会わず、表の巫女が対応するだろう。


「モンスター討伐の依頼だったら簡単そうだし、すぐ終わるかな?」ヒルヒメが楽観的に言った。シイナも「まぁ、そうなら楽でいいけどね」と気軽に返す一方、スイテツとウケモチは黙って頷くだけだった。


×


 街に到着したヒルヒメ達は、ラレンド家の屋敷へと案内された。温泉街の中心に位置するその屋敷は木造の簡素な造りながら、庭には小さな露天風呂が設けられ湯気が立ち上っていた。屋敷の周囲には薬草や入浴剤を売る露店が並び、湯治客で賑わう声が響いている。門をくぐると、穏やかな湯の香りが一行を包んだ。


 屋敷の広間に通されると、そこに一人の女性が立っていた。白い巫女装束に身を包み、穏やかな微笑みを浮かべた若い女性だ。〈ナインテイル九山巫女〉の一人ではない、表の巫女としてラレンド家に仕える者だった。ゲーム時代では名前は明かされず、ただ「巫女」と呼ばれる存在だ。裏で暗躍する"影巫女"ユウヅキとは異なり、彼女は祭祀を司り街の平穏を祈る役割を担っていた。


「ようこそ、〈ユフインの温泉街〉へ。私はラレンド家に仕える巫女です。遠くからお越しくださり、ありがとうございます」


彼女が静かに挨拶した。その声は柔らかく、湯煙のように穏やかだった。


コバンが一歩前に出て、丁寧に頭を下げた。


「初めまして、巫女様。ぼく、コバンと申します。〈やおよろず〉の皆様(みにゃさま)と共に、貴家とのご縁を頂きたく参りましたにゃ」


「そのお気持ち、ありがたく思います」


巫女が微笑む。


「実は、この街の周辺にモンスターが現れて困っておりまして。湯治客の安全を守るためにも、お力を貸していただければと」


その言葉に、ヒルヒメが答えた。


「モンスター討伐ならお任せください。すぐ片付けます」


「その意気込み、心強いです。どうかよろしくお願いします」


巫女は淡々と依頼を伝えた。彼女の態度は穏やかで、どこか事務的だった。


タケハヤが「よし、さっさと終わらせて温泉入ろうぜ」と拳を握り、シイナが「仕事が先だよ」と苦笑いした。ツキヨミは巫女の背後を見やり、


「表向きはこれだけですか。裏では……何か動いてるかもしれないですね」


と小さく呟く。


「心配しなくても、わたし達に危害を加えることはないと思うよ?」


ヒルヒメが首を傾げると


「だと思いますが。ただ、気になっているだけです。状況を把握したいだけの悪い癖です」


そうツキヨミは苦笑した。


×


 翌日、ヒルヒメ達は街の周辺に巣食うモンスターの討伐に向かった。巫女からの依頼は、温泉街近くの山道に現れたモンスターの群れを退治すること。〈エルダーテイル〉のゲーム時代なら初級クエストに近いが、〈大災害〉後は湯治客にとって現実の脅威だ。


 山道に進むと、赤黒い鱗を持つ蜥蜴たちが熱気を帯びた息を吐きながら襲いかかってきた。スイテツが剣を抜き、タケハヤが刀を構え、ツキヨミが弓で援護に回る。ウケモチの障壁が的確に敵の攻撃を阻み、シイナと大市が後方から連携してHPのコントロールをする。「わたしの仕事なさそうだなぁ」と呟きながらもヒルヒメは回復役のヘイトが向かないように調整する。〈冒険者〉らしいの息の合った動きで、モンスターたちは瞬く間に全滅した。


 「簡単すぎだな。これならすぐ終わる」と、タケハヤが呟く。だが、ツキヨミは「迅速さが大事だと思います。ラレンド家は結果を重視するでしょう」と冷静に指摘した。


 討伐を終え、屋敷に戻った一行は、巫女に報告を行う。彼女はドロップ品の鱗を手に取り、「お見事です。こんなに早く解決するなんて、湯治客も安心できますね」と穏やかに認めた。


 コバンがその隙を見逃さず、提案を切り出した。「巫女様、ぼくから一つお願いがございます。この周辺のモンスターを〈冒険者〉が定期的に掃討する契約を結んで頂けませんか? その代わり、温泉街の特産品――薬草や入浴剤の販路を我々が広めるお手伝いをしますにゃ」


巫女が少し考えるように目を伏せ、再び開いた。「それは良いお話ですね。モンスターの被害が減れば街も安定しますし、特産品が広まれば湯治客も増えるでしょう」


「それに、〈やおよろず〉が温泉街の宣伝を担えば、さらに賑わいますよ!」と、シイナが付け加えた。巫女が小さく笑い、「その提案、素敵です。皆様のお力なら、この街に良い風を吹かせてくれそうですね」と頷いた。


×


 その夜、ヒルヒメたちはラレンド家から提供された宿で一泊することになった。宿は温泉街の外れにあり、木々に囲まれた静かな一軒家だった。部屋の窓からは湯煙が立ち上る街の灯りが遠くに見え、夜風に混じる湯の香りが心地よかった。


「やっと温泉入れる! 仕事の後の一浴は最高だよね!」


シイナが浴衣の袖を振りながら言った。タケハヤも


「根城の風呂はオブジェクトだったが、〈大地人〉が使うところはちゃんと使えるんだよな」


と呟く。ツキヨミは窓の外を見ながら、どこか落ち着かない様子だった。


「何か気になることでも?」


ヒルヒメが尋ねると、ツキヨミは小さく首を振った。


「いえ、ただ……この街、穏やかすぎる。ラレンド家の巫女は確かに誠実でしたが、〈影巫女〉ユウヅキの存在が気になります。彼女が動いてるなら、私達の行動はすべて見られてるかもしれない」


「まぁ、考えすぎじゃない? コバンさんが契約まとめてくれるだろうし、悪いようにはならないよ」


と、ヒルヒメが楽観的に笑う。コバンは「にゃふふ、確かに契約はバッチリですにゃ! でも、ツキヨミ殿の勘は侮れませんにゃ」と、どこか含みのある笑みを浮かべた。


 一行が温泉でくつろいでいると、宿の裏庭から微かな物音が聞こえた。スイテツが即座に剣の柄に手をやり、ウケモチが障壁を張る準備をする。ツキヨミが静かに立ち上がり、弓を手に窓辺に近づいた。


「誰かいる。気配が……隠れてるつもりでも、判りますね」


と、ツキヨミが囁く。


「モンスターじゃないよね?」


シイナが少し緊張しながら言うと、タケハヤが


「だったら俺が一撃で仕留めるぜ」


と刀を構えた。


 だが、物音の主はモンスターではなかった。裏庭の木々の影から、一人の女性が姿を現した。黒い装束に身を包み、顔の半分を布で覆ったその姿は、巫女のそれとは明らかに異なっていた。彼女の動きは音もなく、湯煙の中を滑るように近づいてくる。


「〈やおよろず〉の皆様、夜分に失礼します」


その声は低く、抑揚が少ない。彼女が布を外すと、鋭い目つきの若い女性の顔が現れた。〈ナインテイル九山巫女〉の一人、裏で暗躍する「影巫女」ユウヅキだった。


「ユウヅキ……やっぱり動いていましたか」


ツキヨミが弓を下ろさず、警戒を解かない。ユウヅキは小さく笑い、両手を広げて危害を加える気がないことを示した。


「安心してください。私はただ、話をしに来ただけ。ラレンド家の表の巫女が皆様を信頼しているのは本当です。でも、私の役目は、この街の『安定』を別の角度から守ること」


「別の角度って?」ヒルヒメが首を傾げると、ユウヅキは静かに続けた。


「この温泉街は、〈ナインテイル自治領〉の情報が集まる場所でもあります。湯治客の中には、他家の使者や密偵が紛れていることも。皆様がモンスターを退治し、特産品の販路を広める契約を結んだことで、街はさらに注目を集めるでしょう。それが、良い風を呼ぶか、余計な波乱を招くか……私の仕事は、それを事前に見極めることです」


コバンが一歩前に出て、にこりと笑った。


「にゃるほど、ユウヅキ殿はラレンド家の『目』というわけですにゃ。で、ぼくたちに何を求めているんですかにゃ?」


ユウヅキの目が一瞬鋭く光った。


「率直に言えば、協力です。皆様が〈やおよろず〉として他家と取引を広げるなら、その情報の一部を共有してほしい。ラレンド家は争いを好みませんが、知らぬ間に巻き込まれるのは避けたい」


 「情報共有か……スパイみたいな話だな」と、タケハヤが少し不満げに言う。シイナも「うーん、なんか裏取引っぽくて、温泉の気分が台無しじゃん」と呟く。


 ツキヨミが冷静に口を開いた。


「現実的に考えれば、悪い話じゃないですね。ラレンド家が安定を求めるなら、私達が敵対する理由もない。情報の一部を渡す代わりに、こちらにもメリットが欲しいところですが」


ユウヅキが頷く。


「もちろん。ラレンド家の薬草や入浴剤の製法の一部を、〈やおよろず〉に優先的に提供します。それに、〈影巫女〉の情報網から得られる噂――例えば、周辺地域のモンスターの動向や、他家の動き――も、必要ならお伝えします」


「それは悪くないですにゃ!」コバンが目を輝かせた。


「薬草の製法は特産品の価値を高めますし、情報は次の冒険の準備に役立ちますにゃ!」


ヒルヒメが少し考えるように腕を組み、


「うーん、でもさ、ユウヅキさんってほんとに信用できるの? 影ってくらいだし、裏切ったりしない?」


と率直に尋ねた。


 ユウヅキは静かに笑い、湯煙の中を見上げた。


「裏切りは安定を乱します。私が求めるのは、この街の平穏。それを守るためなら、〈やおよろず〉とも手を組む価値があると判断しました」


その言葉に、一行は互いに顔を見合わせた。スイテツが「信用は行動で示せ」と短く言い、ウケモチが「彼女の気配に敵意はないよ」と補足する。シイナが「まぁ、温泉守るためなら、ちょっとくらい協力してもいいかな」と笑い、タケハヤも「なら、さっさと決めて温泉に戻ろうぜ」と肩をすくめた。


 ツキヨミが最後までユウヅキの目を見つめ、ようやく弓を下ろした。


「いいでしょう。情報共有の契約、受け入れます。ただし、私達の動きを制限するような真似はしないでくださいね」


「約束します」ユウヅキが静かに頭を下げ、湯煙の中に消えるように去っていった。


 翌朝、一行は宿を出る準備をしながら、昨夜の出来事を振り返った。


「影巫女って、なんかカッコよかったね。でも、ちょっと怖いかも」


と、シイナが笑いながら言う。ヒルヒメも


「うん、でもさ、温泉街を守るために動いてるなら、悪い人じゃないよね」


と呟く。


 コバンが荷物をまとめながら、


「にゃふふ、今回の旅は収穫多めですにゃ。ラレンド家との契約に、ユウヅキ殿との裏契約。〈やおよろず〉の名前が、もっと広がりそうですにゃ!」


ツキヨミが遠くの山を見やり、


「ただ、情報屋との付き合いは慎重にしないと。ユウヅキは味方に見えるが、彼女の『目』はどこまで見てるかわからないですからね」


と静かに言った。


×


 交渉の最終日、巫女は広間で正式に契約を結ぶことを宣言する。


「〈やおよろず〉の皆様の力に感謝します。定期的なモンスター掃討と特産品の販路拡大、これを条件に手を組みましょう」


ヒルヒメが「こういう穏やかなとこだと、揉め事もないのかな」と気軽に言ったが、ツキヨミが静かに補足した。「ラレンド家は他家との競争意識が薄い。安定を求める姿勢が強いから、私達の提案が受け入れやすかったのでしょう」


コバンがにこりと笑い、「にゃるほど、その通りですにゃ。巫女様は純粋に共存を望んでおられるようですにゃ。ただ……」と、少し声を潜めた。「裏では、〈影巫女〉様が我々の動きを見ておられるかもしれませんにゃ」


「え、影巫女って何?」と、ヒルヒメが首をかしげた。


「表に出ない存在だよ。諜報を担う巫女らしいが、今回は会わなかった。俺たちの情報がどこかに流れてる可能性はある」と、ツキヨミが説明した。


屋敷を後にする際、巫女が湯煙の中で見送りに出た。白い装束が湯気に溶けるように揺れ、彼女は静かに言った。


「この街は穏やかさが命です。皆様のご協力が、それを守ってくれるなら嬉しいです。またおいでくださいね」


「絶対来ます! 次は温泉入りに!」と、シイナが元気に返すと、巫女が「ふふ、楽しみにしてます」と笑った。その笑顔は穏やかで、裏の動きを感じさせないほど純粋だった。


 離れる街を、コバンが穏やかに見つめた。


「巫女様の言葉は本心ですにゃ。でも、〈影巫女〉様の目がどこかにあると思うと、少しドキドキしますにゃ」


ツキヨミが静かに頷く。


「安定を求める家だからこそ、裏で情報を集めてるのでしょう。私達を利用する気はないようですが、油断はできないですね」


ヒルヒメが湯煙を見上げながら呟いた。「温泉街、平和でいいね。こういう場所を守るのも、悪くないよ」


〈ユフインの温泉街〉を後にした一行は、次の目的地へと向かった。ラレンド家との穏やかな契約は、裏に隠された目を感じさせつつも、彼らの旅に小さな安らぎを与えていた。

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