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〈貿易港ノースゲート〉への道は、海の匂いと潮風に満ちていた。馬車が石畳の道を進むたび、遠くから聞こえる波の音と船乗りの掛け声が耳に届く。〈ナインテイル自治領〉の海路を牛耳るこの港町は、交易の要衝として賑わいを見せていた。帆を広げた船が港に停泊し、荷物を積み下ろす人々が行き交う中、ヒルヒメはその光景を見つめた。
「港って活気があるね! なんかワクワクするよ」
と、シイナは潮風に揺れる髪を抑えて笑った。明るい瞳には、〈エルダーテイル〉の世界に閉じ込められた現実を忘れさせるような無邪気さが宿っていた。
「確かに賑やかだけど、裏を返せばそれだけ守るべきものが多いということじゃないかしら。ゲーム時代でもあったけれど海賊や嵐は、この街にとって常に脅威だと思うわ」
大市が冷静に分析する。狐耳と服の裾を風に揺らし、彼女は港の喧騒を観察していた。
タケハヤが周囲を見回しながら、「まぁ、コバンが何か考えてるんだろ? お前、考え無しじゃあ無ェもんな」と声をかけた。隣に座るコバンが「にゃあ、そう言って頂けると嬉しいですにゃ」とにこにこしながら頷いた。
〈貿易港ノースゲート〉を支配するウェルフォア家は、〈ナインテイル自治領〉の海路経済を独占する保守派だ。他地域との交易で利益を確保することに重きを置き、〈冒険者〉を「便利な道具」としか見ていない傾向があると聞いていた。ヒルヒメ達の目的は、その姿勢を少しでも変え、信頼を勝ち取ることだった。
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ウェルフォア家の屋敷は、港を見下ろす高台に建っていた。白い石壁と青い屋根が海風に映える。交易で得た富を象徴するように屋敷の装飾は華やかで、広間には異国の織物や装飾品が飾られている。ヒルヒメ達が門番に名乗りを上げると、意外にもあっさりと通された。
「随分と気軽に受け入れてくれるんだね」
と、ヒルヒメが呟く。だが、ツキヨミが
「それは表面だけでしょう。深入りする気はないでしょうね」
そう静かに返した。
広間に通されると、そこに一人の女性が立っていた。花のように穏やかな外見を持つ彼女は、白と青を基調とした巫女装束に身を包み、柔和な笑みを浮かべていた。〈ナインテイル九山巫女〉の一人、"芳花の巫女"エイメル=ウェルフォアだ。港の安全と繁栄を祈る役割を持つ彼女は、ウェルフォア家の伝統を守る象徴的存在だった。
「ようこそ、〈貿易港ノースゲート〉へ。私はエイメル=ウェルフォア、この家の巫女を務めております。遠くからお越しくださり、感謝いたします」
彼女が優しく挨拶した。その声は穏やかで、まるで春の風のようだった。
コバンが一歩前に出て、丁寧に頭を下げた。
「初めまして、エイメル様。ぼく、コバンと申します。〈やおよろず〉の皆様と共に、貴家とのご縁を頂きたく参りました。まずはこちらをどうぞ」
と、持参したカボスジュースを差し出した。
エイメルが柔和な笑顔でそれを受け取り、「まあ、なんて素敵な贈り物でしょう。港に花を添えるような爽やかさですね」と感謝を述べる。
ヒルヒメが少し緊張しながら前に進み出た。
「ええと、私たちは〈やおよろず〉の第一部隊です。私はヒルヒメと言います。この街のお役に立てることがあればと思って来たんですけど……」
「そのお気持ちだけで十分嬉しいですよ」
と、エイメルは微笑む。
「実は、港の荷運びが少し滞っていて。軽いお手伝いをしていただければ、私も安心して祈りを捧げられます」
その言葉に、タケハヤが「力仕事か。〈冒険者〉らしい依頼だな」と頷き、シイナが「やっぱりこうなるよね」と苦笑いを浮かべた。エイメルの依頼は簡単そうに見えたが、ウェルフォア家の本音はまだ見えない。
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翌日、ヒルヒメ達は港での軽い仕事を引き受けた。エイメルの依頼は、貿易船から荷物を下ろし、倉庫まで運ぶ護衛兼運搬作業だ。〈冒険者〉の実力を控えめに示すため、派手な戦闘は避け、効率的に動くことに徹した。
タケハヤが重い木箱を軽々と担ぎ、ヒルヒメが荷物を整理しながら指示を出す。シイナが周辺を見張り、スイテツとウケモチが荷車の管理を担当した。ツキヨミは全体を見渡し、「無駄なく進めれば、好印象でしょうね」と呟いた。
作業を終え、屋敷に戻った一行は、エイメルに報告を行った。彼女は荷物の山を見て、「お見事です。こんなに早く片付くなんて、衛兵たちも驚くでしょうね」と穏やかに認めた。
コバンがその隙を見逃さず、提案を切り出した。
「エイメル様、ぼくから一つお願いがございます。この港の貿易船を〈冒険者〉が護衛する契約を結んで頂けませんか? 海賊対策にもにゃりますし、報酬として交易品の一部を頂ければ幸いですにゃ」
エイメルが少し考えるように目を閉じ、再び開いた。
「それは良いお話ですね。港の安全は私の祈りの願いでもありますから。もしよろしければ、祈りの儀式にもお力をお貸しいただけますか?」
「儀式?」とヒルヒメが首をかしげると、エイメルが微笑んだ。「ええ、港の繁栄を願う簡単なものです。皆様に護衛として立ち会っていただければ、私も心強いです」
ツキヨミが静かに頷いた。「その程度なら問題ないですね。護衛と儀式への協力、双方にメリットがある提案のはずです」
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港での荷運び作業を終えた夕暮れ、ヒルヒメたちは宿で休息を取っていた。すると、港の市場から騒がしい声が聞こえてくる。シイナが窓から身を乗り出し、「何か面白いこと起きてるんじゃない?」と目を輝かせた。
市場に駆けつけると、商人たちが騒然としていた。ウェルフォア家の屋敷から贈答用に用意された貴重な果物が、市場の露店から数個盗まれたというのだ。盗まれた果物は、エイメルが近隣の交易相手に贈るための特別な品で、彼女の名誉に関わる問題だった。
「果物一つで大騒ぎかよ」とタケハヤが笑いつつも、ヒルヒメが「でも、エイメルさんの立場を考えたら、放っておけないよね」と提案。コバンが「にゃ、これは〈やおよろず〉の信頼を高めるチャンスですにゃ!」と目を光らせ、一行は調査に乗り出した。
シイナが市場の子供たちと話して情報を集め、ツキヨミが露店の配置や人の流れを冷静に分析。すると、盗んだのは地元の子供たちで、果物の鮮やかな色に惹かれて「遊びで持って行った」だけだと判明。ヒルヒメたちは子供たちを追い、港の桟橋近くで果物を手にじゃれ合う少年たちを見つけた。
「ねえ、それ大事なものなんだから返してくれるかな?」
とヒルヒメが優しく説得すると、少年たちはしぶしぶ果物を返した。タケハヤが「次はちゃんと許可取れよ」と軽く言い、シイナが「でも、気持ちわかるなー! キラキラしてて、つい欲しくなるよね」と笑ってフォロー。
果物を返却しに屋敷を訪れると、エイメルは穏やかな笑顔で迎えた。
「小さなことでも、こうして気にかけてくれてありがとうございます。この果物はただの果物じゃない。この港の誇りなんです」
と、彼女は珍しく真剣な口調で語った。コバンが「にゃら、次は果物を守る護衛任務も引き受けますにゃ!」と冗談めかして提案すると、エイメルは「ふふ、その時はお願いね」と小さく笑った。
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翌朝、〈貿易港ノースゲート〉の港を見下ろす岩場に、ヒルヒメたち〈やおよろず〉の一行は集まっていた。エイメル=ウェルフォアが執り行う「港の繁栄を願う儀式」の日だ。朝霧が海面に薄く漂い、波の音が静かに響く中、港の船乗りや商人たちが遠巻きに見守っていた。儀式の場は、岩場に設けられた簡素な祭壇を中心に、海風に揺れる青と白の布で飾られていた。祭壇には果物の実と塩が供えられ、ウェルフォア家の伝統を象徴するように、鮮やかな緑が朝陽に輝いていた。
エイメルは白と青の巫女装束に身を包み、髪に花の髪飾りを付けていた。彼女の手には細長い木の杖があり、先端には小さな貝殻が結ばれている。穏やかな笑みを浮かべつつも、どこか厳かな雰囲気を漂わせ、彼女は一行に軽く頭を下げた。
「皆様、今日はお力添えありがとうございます。この儀式は、〈ナインテイル自治領〉の海路を守り、港に繁栄をもたらすためのものです。どうか、護衛として見守っていてくださいね」
ヒルヒメが「任せてください!」と元気に頷き、シイナが「なんか、ちょっとドキドキするね!」と潮風に髪をなびかせながら笑った。タケハヤは腕を組み、「まぁ、変な奴が来なけりゃ楽な仕事だな」と呟き、コバンが「にゃ、油断は禁物ですにゃ」と周囲をキョロキョロ見回した。ツキヨミは静かに祭壇を見つめ、「儀式そのものは単純でも、ウェルフォア家の意図を探る好機ですね」と呟いた。
儀式が始まると、エイメルは祭壇の前に立ち、杖を手に海へ向かってゆっくりと歩を進めた。彼女の声が、波の音に混じって響き始める。古い〈エルダーテイル〉の言葉で紡がれる祈りは、まるで歌のように穏やかで、港全体を包み込むようだった。彼女が杖を振るたび、貝殻がカタカタと音を立て、海風が潮の香りを運んだ。
「海の守護よ、船路を導き、嵐を鎮め給え。この港に集う者たちの願いを、果実の恵みとともに受け取ってください」
エイメルが果物の実を手に持ち、そっと海に投げ入れると、波間に小さな波紋が広がった。見守る船乗りたちが静かに手を合わせ、商人たちは満足げに頷いた。ヒルヒメは「なんか、神秘的だね……」と呟き、シイナが「うわ、めっちゃきれい!」と目を輝かせた。
だがその瞬間、タケハヤが低く呟いた。「おい、岩場の陰に何かいるぞ」。一行が視線を向けると、数人の怪しい人影が物陰で動くのが見えた。海賊か、儀式を邪魔しようとする者か――ツキヨミが素早く指示を出し、「派手に騒ぐのは避けましょう。静かに取り押さえます」。コバンが「にゃ、了解ですにゃ!」と軽快に動き、シイナとヒルヒメが左右に分かれて人影を包囲した。
短いやりとりの後、人影たちはただの地元の若者で、儀式の珍しさに興味を引かれて覗きに来ただけだと判明。タケハヤが「ったく、ビビらせやがって」と笑い、若者たちを軽く叱って解放した。エイメルは儀式を中断せず、穏やかな表情で最後まで祈りを捧げ終えた。
儀式の後、エイメルは一行に歩み寄り、柔和な笑みを浮かべた。
「おかげで無事に終えられました。皆様の護衛が、祈りをより力強いものにしてくれた気がします」
彼女の手には、感謝の印として小さな花の髪飾りが握られ、ヒルヒメに手渡された。
「これは私から。〈やおよろず〉の皆様の誠実さに、感謝を込めて」
ヒルヒメが「わ、ありがとうございます! 大切にしますね!」と笑顔で受け取り、シイナが「これ、めっちゃ可愛いね!」と横から覗き込んだ。コバンが「にゃ、この縁を大事に育てていきますにゃ」と満足げに頷き、ツキヨミが「彼女からの信頼は、得られつつありますね」と冷静に締めくくった。
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交渉の最終日、エイメルは広間で正式に契約を結ぶことを宣言した。
「〈やおよろず〉の皆様の力とコバン様の贈り物に感謝します。貿易船の護衛と儀式への協力、これを条件に手を組みましょう」
ヒルヒメが目を丸くして呟いた。「なんか、あっさり決まったね」
だが、シイナが少し疑わしげに、「何か、騙されてる?」と零した。あまりにもスムーズに進む話に、不安がよぎったのだろう。
コバンが軽く笑い、「特に騙されてる訳ではにゃいですにゃ。ただ、『取るに足らないただの商人と〈冒険者〉』だと思われてるだけですにゃ」と返した。
ツキヨミが補足した。「ウェルフォア家は〈冒険者〉を深く信用していないでしょう。あくまで短期的な道具と見なしてるかと。彼女は穏やかですが、家の意向に従ってるだけだと思います」
エイメルが柔和な笑顔で付け加えた。「皆様のお力は確かに役立ちます。でも、私には伝統を守ることが何より大切ですから。どうか、これからも港を見守ってくださいね」
屋敷を後にする際、エイメルが木の下まで見送りに出た。白と青の装束が海風に揺れ、彼女は静かに言った。
「この港はウェルフォア家の誇りです。皆様のご協力が、少しでも花を咲かせてくれるなら嬉しいです」
「任せてください!」とヒルヒメが元気に返すと、エイメルが「ふふ、元気ですね」と小さく笑った。その笑顔には、巫女としての穏やかさと、家の伝統に縛られた控えめな意志が混ざっていた。
離れる港を、コバンが穏やかに見つめた。「エイメル様の好意は、今後の足がかりににゃりますにゃ。少しずつでも信頼を築いていきたいですにゃ」
ツキヨミが静かに頷き、「彼女に政治的発言力は少ないかもしれませんが、穏やかな態度が味方になってくれるかもしれないですね。短期的な利用でも、足跡を残せれば十分のはずです」と評価した。
シイナが海を見つめながら「道具扱いかぁ。まぁ、嫌いじゃないけどね。この港、結構気に入ったよ」と呟く。
〈貿易港ノースゲート〉を後にした一行は、次の目的地へと向かった。ウェルフォア家との関係はまだ浅いながら、エイメルの柔和な笑みが小さな希望を残していた。




