1 異世界の始まり
・引用がバカみたいに多い。
・類似点(と言う名のパクリ)が多い。
・終わりまでプロット書いてるけど終わるかわかんない。
・筆者の性癖強め。(結婚設定など)
・今更の二次創作。
まるで液状化したような暗雲が眼下を流れていく。
天は昏い。神がその慈悲を後悔したように。
時にその昏い天に向かい、さらに漆黒の雲海から青白い稲光が駆け上がる。常軌を逸した光景の中を、視界は疾走してゆく。
遙か彼方にあるのは、漆黒の雲の上に浮かぶ巨大な崩壊。
崩れ落ちかけた大理石で出来た、巨大建築物。
狂気が作り上げたような柱の列と数々の回廊、階段、尖塔、神殿。その羅列の果てしないつながり。
突然炎の剣が振るわれた。
世界の終末を告げるかのごとく空中に血のような赤いロゴが現われる。
――ノウアスフィアの開墾。
いったい何を開墾するというのだ。何を得ようというのだ。お終いはそこまで迫っているというのに。
吠え猛る風のうなり声のなかで、狂気の錯視神殿は悪夢を孕み脈動を始める。それは数百の魂。この世界に訪れた――異界の殉死者たち。
×
潮騒のような音に包まれていた。
――いや、これは本当の潮騒か。潮のにおいがする。
感覚を研ぎ澄ませた。
すると、背中には柔らかい感触が有る。
しょりしょりと細やかな音の感覚があった。
これは砂、だろうか。
ゆっくりと目を開くと、薄青い宙が見えた。薄く星空を映し、静かにそこにある。
奇妙な空間だった。
『何もない』。それだけが判った。
少し顔を動かすと、さりさりと髪と何かが擦れる感覚がする。できる限り動かすと、視界の半分が白いもので埋まった。
砂場だ。
違う。
砂浜、だ。
この潮騒は、きっと海なのだ。そんな予感がした。
思考がまとまらない。
遠くからさく、さく、と、音が近付いてきた。
それは顔の横で止まった。目の前に、誰かの脚がある。顔がわからない。
「目覚めてしまったね」
女性のような低い声がした。
「君はここで起きてはいけない」
『誰か』の屈む気配がする。
『誰か』の手が触れた。
「どうしよう。予定には無かったのに」
困っていないような声色だ。だが、『誰か』は心底困ったような態度をする。長考し、唸り声を発する。
「……おや。向こうにもおんなじのが居るね? 同期させるMODでも使っていたのかな」
「これは助かった」と、安堵の声を漏らした。心底安心した様子だった。「これなら、不安も何もないね」
手が差し伸べられた。「立てるだろう?」
逡巡し、どうにか腕を持ち上げた。「よし、いい子だ」
ぐい、と手を引かれて立ち上がる。足元が不安定で一瞬よろけるが、踏みとどまった。
『誰か』は自身より低い身長のようだった。
「ついでで案内してあげよう。何もないけれど」『誰か』は手を引く。
廃神殿のようなもの、砕かれた何か、何かの建物の残骸。
見せられる度に何かを話していた。
「それじゃあ、時間だ。向こうに送ってあげる」
『誰か』は手をかざす。
「ここでの記憶は忘れてしまうからね」
――理不尽だ、と思った。
×
冷たくて硬い感触があった。
目を開くと激しいノイズにも似た視覚異常が引きつれるような耳鳴りを残してさる。ほんの一瞬だけの異変だ。
一度は途切れたものを無理やりに繋げたような違和感と共に、ヒルヒメは聖堂に横たわっていた。
――ここはどこ?
周囲を見回すと、見慣れない空間に包まれていた。思わず息を吸い、ひんやりとした感触が大理石にも良く似た石製の床だったのだと気付く。
床に手を突き上体を起こす。
体の操作に違和感はなかった。
だが、自身の両手は上質な絹によく似た柔らかな純白の長手袋に覆われていたのだ。
「……なに、これ」
左手の薬指には何か硬いものがはまっているようだが、手袋に覆われていて、詳しくは確認することができない。
細やかなレースはぴったりと肌に合わせて伸縮を自在にして、角度によって淡く色を変える。
両腕をひとしきり眺めた後、次は自身の体を見下ろす。
同じく、純白のドレスに覆われていた。
胸元が大きく開いているがその上からレース生地で首元まで覆われているので、羞恥心は意外と少ない。
「……これって、ウェディングドレス?」
自身の知識を総動員して出力された答えはそれだった。
純白のドレスといえばそうだろうと。
立ち上がると意外に重くなかった。特殊な素材でも使っているのだろうか。
スカートを持ち上げて足元を見る。高いヒールの編み上げのパンプスを履いていた。
「どうりで立ち難かったんだ」
履いたことがないくらいに高いヒールだったが、上手く立てている。そのことに疑問に思いながらも、ドレスの裾を持ち上げて歩いてみた。
後ろ側は引きずるほど長い。けれど、邪魔ではない。不思議な感じだ。
自身が動けることを確認して、もう一度周囲を見回した。
周囲に人は居ない。
ただし、この場所の外には人が居るようで、何かしらを叫ぶ声が聞こえる。
出入り口を探して、そっと扉を開けた。
目の前に広がるのはナカスの街。
いくつもの廃ビルがアスファルトのあちこちから旺盛に伸びるツタに絡みつかれ、精霊力の恵みを受けた古木と融け合った、プレイヤーの本拠地。いまや郷愁を覚えるほどに慣れ親しんだ――〈エルダー・テイル〉日本サーバーの街だ。
「なんだよ……っ」
「お、俺っ。おかしい、なんだコレっ!?」
「だ、誰か出てこいよっ! 責任者、おいっ! 聞いてるんだろうっ!!」
傍らから瀕死の動物のような悲鳴が聞こえる。
余りにも情けない悲鳴。
バタン。
情けなさに思わず扉を閉める。
「(なんだあれ)」
いや、『なんだあれ』ではない。きっと、自身と同様の体験をした人々の悲鳴だ。
みっともなく路上に這いつくばり、パニックを起こしたように自分の身体を確認しながら、哀れな虚勢の怒鳴り声を上げている、自分と同様の境遇の人間達。
それはざっと見ても、視界内に10人以上は存在した。
「(よかった。自分以外にも人間が居た……)」
扉から離れ床に座り込み、安堵をする。実物を確認できただけでも上々だ。それに、周囲の人間達がパニックを起こして居られるということは、周囲にあからさまな脅威がない、という事の証明にもなる。
しばらくはこの場所に留まっていられそうだ。
実際、ヒルヒメも周囲の人間達と同様にパニック状態にあった。
その上、ヒルヒメは女性だ。
力がないから『何か』が起こった際に、きっと真っ先に死んでしまう。
だから、無意識に他人を求めた。
声を上げていた者達は誰も彼もが、たっぷりした布の衣服を身につけ、あるいは鎧を着込んだ中世ファンタジー世界の住民の姿をしていた。
それもそのはずだ。
〈エルダー・テイル〉は世界最大級の大規模オンラインゲームであり、内容としては剣と魔法の世界をモチーフにしているから。
だが、それはあくまでゲームとして、だったはず。
「(どういうこと?)」
ヒルヒメはどうにか思い出す。
自分は〈エルダー・テイル〉をプレイしていた。
自宅のデスクに座って、液晶モニターに映るゲームを楽しんでいたのは思い出せる。
〈エルダー・テイル〉は実に20年もの歴史を誇る古参タイトルだ。もちろん内容やゲームの描写エンジンは度重なるバージョンアップで最新の物と何度も交換されていた。
だが、20年の蓄積から来る奥深いデータやゲーム性といった要素がユーザーからの人気を博し、とくに「玄人好み」なヘビーユーザーからは絶大な支持を受けていた。らしい。
ヒルヒメはその辺りは詳しくないが、そう、ネットでは聞いていた。
今日はその〈エルダー・テイル〉に12番目の追加パックが当てられるという記念すべき日のはずだ。あらかじめダウンロードされたデータは今日を境に解禁となり、〈エルダー・テイル〉の世界には新しいアイテムや新しいゾーン、新しいモンスターや戦い、そして何よりもレベル上限が上昇するということで、多くのプレイヤーが〈エルダー・テイル〉の世界に接続をした上で期待に震えていた。
ヒルヒメは〈エルダー・テイル〉ではそれなりにベテランプレイヤーである。
高校生からカウントしてもう5年はこのゲームで遊んでいる。
追加パックにわくわくしない訳ではないが、その日に合わせて『結婚式』をギルドのメンバー達と行っていた。
――はずだ。
だがそこで記憶は断絶する。
何かのデモを見たような記憶はある。
黒い画面に、輝く炎の文字。
高速にスクロースするアスファルトのように粘着質の闇と湛えた空と、その漆黒を切り抜いたような白い月。
だけれど、それだけだ。
そして今、ヒルヒメは町外れの小さな教会の聖堂で四肢を確認している。ゲームの世界に取り込まれてしまった、実在の身体を備えたプレイヤーとして。
「(とりあえず、身体は動くし大きな危険はない……)」
それ以上のことを考えるのはやめた。
だって、考えたところで現状何も知らないヒルヒメに答えが出せるとは思えなかったからだ。それに、出した答えが正しいとも限らない。
それに、考えてしまったらきっと動けなくなる。
パニックに飲み込まれたら最後、能動的に動けなくなる。この状況下でそれは避けたい。
涙が溢れそうだった。
緊張、混乱、後悔。色々な感情が無い混ぜになって溢れそうだった。だけれど、それを耐えてもう一度立ち上がる。
やけに高いヒールの靴だが、バランスを崩すことなく立ち上がれる。
細く見えるが、身体は結構頑丈そうだ。
「(頑丈ならきっと、少し大変な目に遭っても大丈夫)」
身体は軽いし、体力もありそうだ。スカートが長いのが気になるが、転びさえしなければきっと逃げられる。
呼吸の仕方がどうとか、身動きに必要な情報をあえて頭の中で考えて、ゆっくりと実行する。そうでもしないと、あまりもの事態に溺れてしまいそうだった。
ゆっくり呼吸すると、聖堂に使われている香の匂いがした。どこか煙っぽいが落ち着く匂い。
窓が風でカタカタと揺れた。
つられるように、窓に近付く。
扉から見えたものと同様の光景が見える。
いくつもの廃ビルがアスファルトのあちこちから旺盛に伸びるツタに絡みつかれ、精霊力の恵みを受けた古木と融け合った、ナカスの街。
その、街の外れ。
白く弾けるような外の光は強く、初夏のようだった。
街はその純粋な光量に照らされて、アスファルトに覆われた地面に巨木と廃ビルの影が黒々と陰を落としている。その美しいコントラスト。
田舎の風景のようなどこか懐かしさを覚えると同時に、急に現実感に襲われた。
これは夢でも冗談でもないんだな、と。
現実的でない光景の中で現実感に襲われるなど、どう考えてもおかしい。非現実的な出来事だった。
事実、外では今でも無言でうずくまる人間や、誰彼構わず喧嘩腰で説明を迫る人々がいた。
「なんでだよっ!? 何でオレはこんなトコにいるんだよ。なぁ、おれはさっきまでポテチ喰ってたよな?」
わめく声が聞こえる。
騒いだって何も変わらないのに。
「(……だけど、あの様子を見ると、他にも巻き込まれているプレイヤーがいるのかな)」
そこまで考えて、「(『プレイヤー』で、あってるのかな。本当にここがナカスの街だって決まってないのに)」と、思考を中断する。
ヒルヒメの今の視界は現実世界そのままだ。
もし、これがゲームの世界ならば、HPを示すバーや各種アイコンの表示欄だとか、画面に表示されていたものがないのはおかしいだろう。
もしかするとただ似ているだけで〈エルダー・テイル〉の世界とは無関係かもしれない。と、ヒルヒメが思考すると、視界に重なるように一連のメニュー画面が浮かび上がる。
正確にはそれは視界、というよりは意識の内側に存在していた。ヒルヒメはその現象に息を詰めるが、次の瞬間には興味深く観察を始める。他にすることがなかったのもある。
目の前の景色から意識を逸らすような感じで、おでこに集中すると、お馴染みのデータ群が見えるようだ。より正しく表現するならば見えるという訳じゃないけれど『判る』。
そこには彼女が〈エルダー・テイル〉で使っているキャラクターの名前、外見、装備スロットなどが表示されている。丁寧に各種アイコンも表示済みだ。
「確定……なのかな」
街並みや周囲の人々の衣装を見た時から薄々気付いていたが、もはや信じるしかなさそうだ。表示データを見る限り、ここは〈エルダー・テイル〉の世界。そうでないにせよ、非常に近しい世界なのだ。
ここにいるのは『ヒルヒメ』であって、自室でゲームをしていた『春花昼姫』ではない。
外に出ようかと思うけれど、聖堂の中が一番安心できると思って動けずにいる。外に出た方がきっと、何か新たな変化に気付けるかもしれないし、知り合いに出会えるかもしれない。
窓からそっと外を見るが、見知っているが知らない外に出る恐怖が勝って動けずにいる。
「(……もう少しだけ)」
落ち着いて外に出られるようになるまで、この安全(と思われる)聖堂の中に留まっておきたい。
見たところ、相当な大人数がこの世界に迷い込んでいるように思える。彼らと協力すれば事態の解決および、何かしらの解明に乗り出せるかもしれない。だが、ヒルヒメは動けずにいる。
まず、外に出なければ。
だが、『何も知らない』という恐怖が勝っている。ここからでなければ何も始まらないというのに。
それに、きっと今動き出しても、情報が足りなさすぎてまともな議論はできないだろう。
「(下手をすれば、パニックを伝染させてみんなで絶望的な気分になるだけかもしれないし……)」
学級委員長やら何かの役員になるような人間だったらこうはならなかったのだろうか。小さく現実逃避をしてみる。
「駄目だ。とにかく外に出ないと」
でも、身一つで見知らぬ外に出るのは恐怖が勝る。小さく体が震えてしまう。
とにかく、自身で『外に出られる』と確信できるまでは。
外には出られないものの、それなりに落ち着いている。それは案外、聖堂前で取り乱してくれた人達のおかげかもしれない。人間、すぐ近くで自分よりみっともない状態を晒してくれる他人が居れば、それなりに自分を取り戻せるものだ。
まずは何はともあれ真っ先に試さなければならないことがある。
ヒルヒメは、聖堂内にある椅子に腰を下ろすと脳内情報を呼び出して操作を試みた。
表示を呼び出すためにはおでこのあたりに集中するだけで良いらしい。バスの車内で考え事をするときのような気分によく似ている。
しかし、メニューを操作するときはかなり集中力が必要だ。気合いだけでメニューのカーソルを動かすのは難しい。いっそ指で動かせたらいいのに、と軽く触れるような想像をすると、メニューが花弁のように開く。
「(うわ、操作が簡単)」
探していたのは『報告機能』だった。〈エルダー・テイル〉は何千人ものプレイヤーが同時にサーバーにアクセスをして広大な世界で冒険を行なうRPGだ。その中で起きたトラブルやバグを運営会社に連絡するための機能がこの『報告機能』に入っているのだ。
もし仮に、いまのこのふざけた状況を解決できる『手っ取り早い』手段が存在するとすればそれは『報告機能』の『障害報告』以外にあり得ない。
しかし当然のように『報告機能』の『障害報告』の欄は空白になっていた。
「……まぁ、そうだよね」
小さく溜息を吐く。もっとも、そこまで期待していた訳でもない。こんなばかげた状況が運営会社への通報一発で解決するなら、この異世界突入が運営会社の仕掛けたイベントだということになる。
それはこんなにもリアルなバーチャル・リアリティが技術的に再現できるという意味であり、世界的な大発明だ。ヒルヒメが暮らす2018年の現在であってもSF小説のような全感覚没入型のシステムが完成されたなんていうニュースは聞いたことがなかった。
「(少なくとも、運営会社への連絡は取れない、か)」
そうなると、可能性としてはどうにもならない事態の方が高いだろう。
小さく落胆を抱えつつも、ヒルヒメはそのままメニューを操作し続ける。
もはやヒルヒメ自身となったこのキャラクターのステータスは、この事件が起きる前と同じようだった。細かい数値などで些細な変化はあるのかも知れないが、そこまで覚えていないので確認のしようがない。少なくとも、あらゆる数値はヒルヒメの大まかな記憶と同じ範囲に収まっている。
〈エルダー・テイル〉はレベル制のRPGだ。ヒルヒメはこの世界での最高レベルであるレベル90を持っている。
とは云ってもそれは別段特別なことではない。
プレイヤーの半数弱がレベル90だった。
〈エルダー・テイル〉は長い歴史を持つゲームだ。オンラインゲームの多くがそうであるように、何百という修正パッチで多くの要素を追加されてきた歴史を持っている。
ヒルヒメは実際に体験していないが、初めて〈エルダー・テイル〉が発売されたとき、その最大レベルは40だったらしい。ファンはその〈エルダー・テイル〉を楽しみ、最大レベルまで育てた後に「もっと冒険の続きを!」という要望の声をあげた。
多くのそんなプレイヤーの希望に応える形で拡張パックが発売され、レベル上限が50になる。
このような上限の引き上げが繰り返されて、現在の最高レベルは90となったのだ。
ゲームとしての〈エルダー・テイル〉は、レベル上限が上昇して新しい冒険が追加されていた。プレイヤーは冒険を通して自身のキャラクターを強化し、新しいレベル上限に到達する。そして、しばらく……多くは1~2年が経過すると新しい拡張パックにより、またレベル上限が上昇する。その繰り返しだった。
今回の拡張パック〈ノウアスフィアの開墾〉が発売されたならばレベル上限は100になるという話はヒルヒメも聞いていた。いまこの時点、つまり拡張パック発売直前や直後という時期ならば、プレイヤーの過半数が最大のレベルを持っているのは不思議でも何でもない。
「(まあ、レベルさえ上げれば良いって訳でもないし)」
どちらかといえば、装備の強化やステータスの割り振りなどの方が重要である。レベルが高くとも装備が悪ければどうしようもない。
〈能力値〉をチェックして〈スキル〉を眺める。どれにも異常はない。ゲームのままだ。
ヒルヒメの職業は〈吟遊詩人〉、武器攻撃職の職業の一種だ。〈エルダー・テイル〉には8つの種族と12のメイン職業、数多くのサブ職業がある。そのなかで一番基本になるのはメイン職業で、これは戦士系3種、武器攻撃職3種、回復系3種、そして魔術師系3種の合計12種が存在する。
〈吟遊詩人〉は武器攻撃職の中でも12職の中でも特異な能力を持つ職業で、〈エルダー・テイル〉の世界においてはまずまずの職業だった。武器攻撃職にカテゴライズされてはいるものの、〈暗殺者〉や〈盗剣士〉のような突出した攻撃力を持たず、持てる武器も軽量の片手武器や弓、ごく一部の両手武器に限られる。12職の中でも割と人口が少ないと云われている。
理由は明白で、攻撃力が低い上に、他人を援護するという性質上一人での冒険には向かないからだ。〈エルダー・テイル〉は多人数での冒険を推奨しているが、当然仲間と時間が合わなければ、どんなプレイヤーでも一人で行動をする事になる。
単体で生存性能が高い戦士や、他の武器攻撃職、もしくは自分を回復してピンチを切り抜けられる回復系が人気があるのは仕方ない事だった。
「(わたしにとっては、何の問題もないんだけど)」
ヒルヒメは、少しだけ溜息を吐く。
ヒルヒメ自身は〈吟遊詩人〉がそんなに悪い職業だとは思っていない。周囲の仲間を鼓舞し、彼らの戦闘に貢献できるというのは現実では滅多にない体験だからだ。
そこまで情報を確認して行き、ヒルヒメはようやく『念話機能』に思い当たった。『念話機能』はいま現在サーバーにアクセスしている知人に連絡を取る機能だ。目の前にいるならば声をかければそれで済む。おそらくそれは現在のこの身体と世界でも出来るだろうとヒルヒメは考えた。というか出来なければ困る。
この『念話機能』は離れた知人と連絡を取る、〈エルダー・テイル〉のいわば携帯電話のような機能だ。ヒルヒメはフレンド・リストを呼び出してスクロールさせてゆく。
フレンド・リストはヒルヒメが登録した知人の名前とメイン職業が登録されていた。名前が暗灰色なのはサーバーに現在居ない、という意味だ。おそらくそれらの知人達は、職場や学校などの用事で、〈エルダー・テイル〉世界における数年に一度の大イベント『新パッチの追加の瞬間』にゲーム世界にログインできていなかったのだ。
本人達はずいぶん悔しい思いをしただろう。
けれど、事がこうなってしまうと、この事件に巻き込まれなかったのを幸運だということも出来る。
「(……白く輝く表示は接続中のはず)」
そう考えた直後、ヒルヒメは接続なんて考えた自身に苦笑する。
「(接続っていうのも変な話かも。今のこの状況下だと、この世界にいる、って事なのかな……)」
メニュー画面を見ている限り、自分はゲームに接続しているような気分になれる。しかし一方、香の匂いも床の冷たさも何もかもが、ここが現実世界で唯一無二だと訴え続けている。
当たり前の話だが〈エルダー・テイル〉が優れたゲームであっても、ゲームはゲームであって、頬を撫でる風や聖堂の香の匂いなんて言う部分まで表現されたりはしていなかった。
「(本当にこれが現実なのかな。――もしかしたら、眠ったりこっちの世界で死んだら、元の世界に帰れたりするかも? それ以前に、ただの夢だったりしないかな?)」
とヒルヒメは思うが、寝るのはまだしも死ぬのはまずいかと考え直す。元の世界に帰れる可能性はきっとあるけれど『本当に死んでしまう可能性』だって無い訳じゃない。
むしろ、ここまでリアルな感覚を持っていると、本当に死んでしまう可能性の方が高いような気さえする。
「(とにかく。今はリストのチェックをしなきゃだ)」
ヒルヒメはこれでも〈エルダー・テイル〉ではそれなりにな古株で、知り合いだってそこそこには存在する。それに人付き合いは苦手でもなく苦痛でもない。だからリストは短くはない。短くはないけれど……ならば誰に連絡を取るか? と問われれば、それはそれで困る。
だって、こんな状況で誰だって混乱しているはずだからだ。それに、ヒルヒメは頼りたくて誰かに連絡を取ろうとしているのだ。
頼れるような男性の知り合いなんてものはそう居ないし、申し訳ないが女性の友人達だと心許ない。
出来れば冷静で、話がわかって、情報交換が出来る相手が良い。ヒルヒメは頭の中で相手を思い浮かべてみるが、そんな相手は多くはない。オンラインでの付き合いだから、浅い関係の相手がほとんどだ。
オンラインゲームというのは仮想空間での遊びだ。
ヒルヒメ自身はそう思わないが、中には「その場限りの付き合いだし信頼なんてものは幻想」なんて思っているプレイヤーは少なくない。ヒルヒメのフレンド・リストにはそこまで露骨な人は存在しないはずだが、それにしても深い付き合いではないプレイヤーの方が圧倒的多数だ。
「(こんな時に側にいて欲しい人なんてそうはいないよねぇ)」
――そんな相手は両手で数えるほどもいない。
ヒルヒメはその数字にびっくりしてしまう。
でも両手で数えるほどもいない、というのは、数人ならばいる。という意味でもある。だとすれば、それはきっと恵まれているのだ。
『普通の』プレイヤーにとって、他のプレイヤーは信頼できる相手ではなく、その時たまたま居合わせて都合よく遊べる存在。そういう関係のほうが一般的だからだ。
リストを繰る指先のジェスチャーが止まる。
「そうだ。ツキヨミさんだ」
目の前が明るくなった気がした。
冬月夜見。
それは、ヒルヒメがこのゲームで頼れる人と聞かれて真っ先に思い浮かべる一人だ。ヒルヒメの本名を知っている、それはつまりヒルヒメがリアル世界の連絡先を直接教えて、しかもゲームだけではなく現実にも顔を合わせたことがあるということだ。
ツキヨミはそんな数少ないプレイヤーでもある。
ツキヨミとヒルヒメは共に所属しているギルドでいくつもの昼と夜を、いくつもの辺境のゾーンで、いくつもの冒険の旅を肩を並べて戦った。この〈エルダー・テイル〉においてもっとも親しいプレイヤーの一人だ。
――そして。ヒルヒメが結婚した相手でもある。
どうして、真っ先に思い浮かばなかったのだろう。
確認もしないままに念話機能を立ち上げた。呼び出しを知らせる遠い鈴の音が鳴る。相手が応答するのをじりじりと待ち、繋がった瞬間に確認もせず声をかける。
「夜見……じゃなくて、ツキヨミさん! 居るの?」
『は? ええと。今私に話しかけているその声は……姫ですか』
「そう、わたしだよ。ヒルヒメ」
こんな状況になって初めての、ツキヨミの声。低く落ち着いている。どんなピンチでも動じない、ギルドで一番の暗殺者。
みんながパニックになっているこんな状況なのに、いつもと全く変わらない。そんな様子に、ヒルヒメは心底ほっとしてしまう。
『ヒルヒメ。今、安全な場所にいますか』
「うん、大丈夫。むしろツキヨミさんの方はどう?」
『今の所、問題は何も。……何でしょうかねこの状況』
「突然変異とか大災害とか災厄って言う感じ?」
『そうですね。ゲームどころではないリアル。現実感が凄まじい』
現実でもゲームでも聞き慣れた、この声。
それは巻き込まれた異世界よりも、馴れないこの肉体よりも、遙かに強い現実をヒルヒメに感じさせてくれた。
「何処にいるの、ツキヨミさん」
ツキヨミの声の背後からは、叫び声や騒がしい喧噪の音が聞こえる。
どうやらこの念話機能は、現実の携帯電話と同じように背後の音声まで拾ってしまうらしい。
『ええと。とりあえず外ですね』
大神殿から出たばかりだという。
「とにかく、合流しよう。……今ね、怖くて外に出られないの」
『場所は』
「えっと……街のはずれにある小さな聖堂なんだけど。ちょっと前に一緒にクエスト回ったとこ」
『判った。すぐ行きます』
「待ってる」
ヒルヒメはそう告げると、小さく息を吐いた。
これで、ようやく安心できる。
いまはツキヨミと合流することが大事だと確信して。




