7.
それから、式は無事に教皇によってまとめられ、無事ソレイユは正式に皇太子となった。荘厳な音楽が流れて、メルはやれやれと思う。
心配そうにこちらを見る彼を、席からいち早く離れていた彼の妻が無理やり連れて行き、教皇、その後ろを皇族たちが歩いてついて行く。
会場は叛逆者たちの跡形もなく、教皇を称賛する声と皇太子を祝う声、叛逆者を嘲笑するような言葉だけが、不快な余韻として残っていた。
「同情するわけではないけれど……」
彼らには命を捨ててまで、聖国に反抗しようとする気持ちがあった。それを嘲笑だけで済ますのは、おかしいと思った。
きっと、皇帝の側近たちが関係者を調べ上げて、粛清を行うだろうがその根本を解決しようとまではしないだろう。そして、また同じような人々が現れる。
メルの艶々とした髪が一房垂れた。耳にかける。
「ここは生き方が狭すぎる」
自分たちの幸せを自らで求める力のない人々が多い。何よりも小さな欲望を優先する。それは選択肢を知らない人間の行動だ。
メルは性善説を信じているわけではない。それどころか、人間の本質は元来悪だと思っている性悪説派だ。メル自身も幼い頃から性悪のイタズラ好きだった。他人より頭が回ったのも良くなくて、人を嵌めては笑い、物を奪っては奪われる方が悪いと思っていた。
でも。努力の楽しさと人の苦しむ顔より笑顔が嬉しいって、優しさを教えてくれて。押し付けることのない正しさを知り、どんな時でも彼女自身を認めてくれる人たちがいたから、自由なメルは正しさを信じられたのだ。更生することができた。その優しさがここにはない。もし、優しいひとがここにいても、潰されるような世界。
「…………あぁ、苦しい」
ーークシャと手を握る。
夜の闇に光る小さな名もない星のように、より大きな輝きを崇める皇族にとっては、そんな人々には気を配る価値もないのだろう。太陽の影に隠れて、どれだけのものが無視されてきただろうか。
でも、星の動きだって役目はある。暗闇の中で道に迷うものも星を辿れば、方角が分かるから。たくさんの煌めきは地上を照らすことだってできる。
小さな星の瞬きがメルは好きだった。優しい人々の笑い声が好きで、賑やかで穏やかな街並みが好き。みんなと一緒に笑えればそれだけで幸せで。
照りつける陽の光より、優しい灯りを好んだ。夜の闇の中、姉と2人で星を眺めて微睡むのがすきだった。
そんな世界とは正反対のこの国が、きらい。早く早く帰りたい。
それなのに、どうして自分は陽の光そのものの男が気になるのだ?
頭の中で、ふと疑問が浮かぶ。でも、そんなことわからない。
初めて見た時から、ソレイユはキラキラしていた。見たくなくても、メルの目を引いた。
それを自然と綺麗だと思ってしまった。認めたくなくて、心の中でさえもずっと否定していた。ルルはメルがそう思っていたことも気付いてたようだけれど。
彼はメルの手をよく握る。大きくて、優しい手のひら。
全く彼に配慮を見せないメルの心配をしてくれるところ。
庇ってくれたのも多分、嬉しかったのだ。
「あー、あー」
これは良くない。絶対に良くない。あの狸ジジイのことでも考えてた方が余程マシ。
近づいてくる貴族たちも放って、会場を足早に去った。
ーーどうせ、関わる世界の違う人間だ。彼とはしっかり決別しなければ。
メルは覚悟を決めた。私には姫様たちさえいればいい。
♢
「立太子おめでとうございます」
その日は自分からソレイユのところに向かった。皇太子となってある程度忙しさが落ち着いたのか、彼はすぐに見つかった。
「……メル」
彼が私を見て、不思議そうな顔をしている。また、何か見ているのだろうか。
「お別れを言いにきました。そして、改めて自己紹介に」
ーー私はメル・コピリエ・ターシャリー。盛花国王族の側近です。
エプロンスカートを軽く掴んで、礼をした。
びっくりした瞳でこちらを見つめてくる。なんだ、この人。本気でメイドだと信じてたのか。
「あはは」
少し笑ってしまった。魂の色で人を見分けているからそうなるのだ。危ないものが近づいてきたらどうする。
「もう少し、慎重になられたらどうですか。皇太子殿下」
服に葉っぱが付いている。
「ソレイユと呼んでくれ」
「ソレイユなんて、呼べませんよ」
皇太子殿下である。名を呼ぶのは不敬。それに、呼べても呼ばない。気持ちが言の葉に乗ったら嫌だから。
「……別れを告げにきたと言ったか?」
「はい、もう皇城から出ます」
ソレイユは表現し難い顔をした。
「行くな」
「あはは……。行くなと言われても行きますよ」
必死な瞳だが、どうして彼はこんな風に見つめてくるんだろうか。理解できるような、理解できないような。
「私がいるべきところはここじゃない。皇太子になったのなら、知ることになるので言っておきますが」
ーーもう、お聞きになったかもしれませんね。
彼が皇帝になる、ならないにしてもこれだけは伝えておきたかった。そのために来た。
「私たちの国は聖国によって利用されています。この国の中枢を支えているのは皇帝で、教皇かもしれませんが、犠牲になっているのは我が国の王族です」
この国の地下には、世界を終焉に陥れる魔物がいる。それを封印しているのは主人たち。聖国の者たちには、彼らを封じることができないと言いながら、主人たちの力を使い、感謝もない。
主人たち一族は不老短命だ。聖国と同じ血を引き、特別な能力を持つ。彼らの持つ特別な力が強いほど成長は遅く、そして体が成長し切ると、その時点で体の時を止める。寿命は20〜30歳半ば。力を使いすぎれば寿命は縮み、使わせなくても、縮むという。その加減も人によって違って、成功すれば少し長生きする程度。
その力を封印に費やして、命を燃やす。主人たちの優しさをこの国は利用する。
メルたち側近に口伝されるお話。
我が国の王族は人のために生きる。そのために、自らが犠牲になることを厭わない。
我らは時にその支えに、時にその足枷となって仕えよ。
主人たちは気が付いたら、自分の命を全部人のために使ってしまうから、側近が苦にならないわがままを言って足枷になりなさいという言葉。
最初聞いた時にはそんなことあり得るのかと思ったけど、実際に一緒に居てみたら、こんな言葉じゃ表現しきれない。
「あなた方のせいで、私の主人たちは苦しんでいる」
主人として仕えているからという気持ちだけでもなかった。マリー姫のことがメルは大好きなのだ。彼女を傷付ける皇族をメルは許さない。許してはならない。
「秘匿されている事実ですので、これ以上は言いませんが、皇族の皆様方はもう少し自分たちの起源について知られた方が良いかと」
それだけを告げて、さっさとその場を離れようとした。
「……それでも行って欲しくない」
「あーあー、聞こえません」
あれだけ言ったのに、なんで。
ここまで言うつもりはなかったが、この様子では盛花国にまで押しかけてくるのではないかと思った。それは絶対嫌だったので、メルは傷付ける言葉選びをした。
いっそ、自分を嫌え。どうせこの国にはずっと痛め付けられてきた。この男に嫌われるくらい、どうだって……。
振り切るように後ろを振り返って、勢いよく声を出した。冷たく聞こえるように。
「私はこの国が嫌いです、大嫌い。そして、この国の人間も嫌い」
ーー欲望の押し付けは、嫌い。邪魔されるのは嫌い。身動きが取れないのは嫌い。
大事な人たちを傷付けるこの国が嫌い。
だから、この国の人間も嫌いだ。彼らの幸せは自分の大事な人たちの犠牲の上に立ってると思うと、本当に嫌だ。
欲望に欲望を押し付ける醜い幸せが、主人たちの命の上に成り立たせられていることを思い出すと耐えられない。
「短い間でしたが、さようなら。もうメルとしては二度と会いません」
ソレイユがメルの手を取ろうとする。それをまた立太子式と同じように、彼女は離した。今度は離別の意味を込めて。
そして、メルはソレイユと無事別れた。……無事と言ってもメル側だけが無事だったのだが。
会話が短いのが2人の特徴。
メル視点終わり。