番外編.ユダとメル
雨の雫が、木の葉からぽつりと落ちた音まで聞こえる静寂の中。絡む視線。無言の読み合いが続いていた。
「……はぁ」
ため息をついたのは、ユダだった。しかし、その口からは何も発せられない。
ユダは喋るのが得意ではなかった。妹がその代わりに弾丸のように話してくれるので、問題はない。それだけでなく、彼が話すことを滅多にしない1番の理由は、口から何を漏らしてしまうか分からないこと。彼の仕事は専ら、隠れていることだから。静かに、ゆっくり気を伺って、待ち続けるのが仕事だ。その機会が現れるのを待っていることができなければ、成り立たなくなる。ひたすら待ち続ける。
対面するメルがこちらを睨んできた。
「…………」
「………………」
ーーまた、ひたすら沈黙が続く。
見つめている彼女は、何やら文句があるようで、もごもごと口を動かしては、閉じることを繰り返す。余計なことは言うのだが、親しい人にほど変なところで遠慮しがちなのは、嫌われたくないという感情の表れか。それならば他にも直すべきところがあるはずだ。
「……ユダ」
我慢できないと、メルが声を出した。彼女は自らの望みを叶えてほしい一心だと、表情に出す。
「戻っても、良いことはない」
「ユダ〜!!」
メルは、子どものようにゆるゆる首を振る。彼女の感情は小さな子のようでもあり、冷徹な大人のようにもなる。機微に聡いユダにとっても判別が難しく、相手の印象に残るために間延びした言葉遣いや特徴をわざと作っているのではないかと思ったことがあった。『メル』という決められた枠に自分を嵌め込み、姿を変える時にそれをかき消す。無意識なのか、意識的なのか。しかし、それは生きづらいものだ。
「……それが、したいの?」
「したいというか、しなきゃいけないと思ってる」
「…………」
昔、聖国に行きたくないと言っていたメル。散々な目にあって帰ってきたのに、今ではそれでもあの国に行こうとする。何が彼女をそうさせるのか。ぽんぽんと頭を叩いてみる。鈍い音が立って、中身は詰まっていた。死にそうになったのにそんなことをするなんて、頭が空っぽになってしまったのかもしれないと思ったが、違うようだ。彼女は少し、変わったのだろう。
「……関所は通れない」
「お願い、通らせて」
「療養中」
「回復した! 前より元気」
「…………」
瞳の中の強い感情。真剣さが増すほど、手に負えなくなる。
聖国には常に情報線を張っており、現在盛花国側からも関門を閉め切って、許可のないものは通らせないようにしてあった。無理に突破され、情報が管理できないよりはマシだろうか。
ユダは今、過去の大麻の流れを追っている。教会が押収した物には2種類あった。
第1皇子が流していた大麻と、故皇太子妃の流していた大麻は種類が違うことがわかった。そもそも大麻とは、民間療法として痛みをごまかすために使用されていたこともあり、貧民層に広まっていた。弱者の知恵という物だ。第1皇子はそれを利益を得るための手段として使用しており、妃もそれを嗜む1人ーー薬として扱われていたと、過去の側近からその情報を得たーー彼女は第1皇子が潰されたことにより、手に入らなくなった大麻を求め、裏通りから独自に手に入れた。それも、依存作用がより強まり、改悪された代物を。
皇族や貴族に目的を絞った高級嗜好品の名の下に加工され、広がった。厳密に毒ではないため、検閲にも引っかかることはなく、蔓延していったのだ。
流通の流れは、第1皇子(10年以上前)→故皇太子妃(5年前)。故皇太子妃(3〜4年前)→前皇帝(接種期間は定かでない)。使用していた人々たちは多いが、嗜好品が流されていたのは皇城で生活する者に限られていた。
また、大麻の性質はルルが解析を始め、盛花国の麻にない特徴を持っていると断言した。見目はそっくりだが、成長スピードが段違いであり、効果も違う。ルルは依存症状の対策として、大麻への欲望を別のものに置き換え、徐々に効果を弱めたものを処方することを提唱している。
ユダはその植物が、外部からやってきたものではないかと思っていた。皇族に悪意を持ち、さらにこの麻が栽培されたルートの特定を急いでいる。
マリーは確実に人外の仕業だと言う。情報が集まれば、妹は自ら解決しようとするだろうが、ユダは許さない。結婚の相手を探すという条件で出て行った妹が、死に体で帰ってきた時は目の前が真っ赤になった。これだから女神の福音に、情報を回してはいけないのだ。国に縛り付けておくのが一番。
猪突猛進に動こうとするのは、1人で何でも解決できるという自信と優しさから。他者を傷つけたくないと思う感情が強すぎて、時に暴走する。妹を守るのは兄の自分の役目だ。そして、メルも自分の妹のようなもの。守りたいと考えるのは当たり前だ。
ルーファはルーファで、聖国に報復するための手段を集めているようで、盛花国内も慌ただしくなっている。敵に回してはいけない相手を聖国は敵に回した。彼女は報復する機会を常に伺っていたのだ。マリーが押さえたとしても、ただでは終わるまい。武力や戦略ではユダはルーファに敵わず、守りよりも相手を殲滅しようとする思考は、理性が理解できなかった。
メルもルルも、ルーファも、マリーもうちの女性陣は物事を荒立たせることが得意だ。正しい情報を押さえておかねば、情報に振り回される。収拾が着かなくなることだけは避けたい。
ーー選択はいつも難しい。縛り付けるのはメル相手には逆効果だ。真っ向から反抗されれば、対処に困る。こう考えると……。
「仕方ない。でもーー」
ーーいくつかの条件付きで、許すしかなかった。
♢
ユダは顔を幾つも持っている。
よく使用するのは、商人の身分。人を雇えば管理がしやすく、自分が不在であってもある程度替えがきいた。馬車に荷を縛り上げ、メルを伴い、従者に馬を走らせるように言う。こだわりの特別製の馬車は速度が早く、盛花国内は経由地で移動が可能なため、聖国までは一瞬だ。
「猶予は、半年」
「はい、それまでには終える」
メルは、奉公に向かう裕福な娘そのもの。茶色の髪を後頭部に編み上げて、少し飾り気のあるベージュのドレスと革靴。対するユダは、年若くやり手の主人というところ。
「メル」
血と血を重ねて、誓約を結んだ。
ーー条件。定期的に連絡を寄越すこと。本格的に行動を起こすときは許可を得ること。無茶をしないこと。期限を守ること。手助けが必要なら、頼ること。
聖国の権力闘争が激化しているその真っ只中に、彼女は向かっていく。最低限の条件だとユダは思っていた。破った時の代償は、強制的な帰還と一時的な身体能力の弱体化。日付が過ぎるごとに、強く縛られる。
「誓いを立てた」
「覚悟は示すよ」
関所で身分証明書を提示し、荷を確認してもらう。普段なら金を握らせれば通らせるような不良役人も、厳しくチェックを怠らない。ユダとメルの顔を睨み、自分は愛想笑いを。メルは気恥ずかしそうに顔を隠した。そうして、確認は無事通過した。
メルの身分は実在する聖国商人の傍系血族の娘で、自分と遠い親戚ということになっている。皇城内の面会も受付済み。合格すれば彼女は登用され、目的を果たそうとするだろう。
聖国に向かうための関門を通り抜ける。聖国に入ると、道が平らではなかったのか、馬車が大きく跳ねた。メルが対面から、倒れこんできた。
「ごめん」
歪んでしまった彼女の髪を整えてやる。眩しいくらいの黄金でなくとも、手入れの行き届いた艶々とした髪は、見ていて美しかった。
無言のまま、しばらくして目的地についた。荷物を下ろし、メルを送る。幼い頃からの友人であり、妹であり、同僚の彼女が、無事にやりたいことを成し遂げられるよう祈った。
ーーこの選択が正しいものでありますように。
馬車から降りて、自らの戦地に向かっていくメルの後ろ姿をしばらく見つめて、馬車を進ませた。
ユダもこれから別の場所に潜入に向かう。争いが起こらぬよう、全てを調整する『守り手』として。




