10.
改めて、聖国について詳しく説明する。
聖国とは内陸部有数の大国であり、その首位には光の血筋を引く皇族がいる。容姿端麗で、享楽を好むが、その一方で身分差には厳しく、数多の独自の法と神への信奉に生きている。その下には最高峰の学問を収めた者たちが集まっており、彼らが国を管理していた。皇族を優遇し、その地位を保つことに尽力するのだ。それゆえに皇族は自らの権威に疑いを持つことがない。
そして、世界中に信徒を持つ聖国教会がある。神の下に平等と秩序を訴え、魔物撃退、浄化、人々の守護、治癒を行っており、魔物に対する対抗力を持つ唯一の機関である。教会の人間は、皇族を嫌う者が多い。皇族は血に塗れた一族であり、欲に絡むものだからだ。血筋は繋がっているが、神官たちは幼い時から引き離されているため、情があるとは言い難かった。
皇室と教会は聖国内の権力を二部し、時に争い、時に協力することで、互いに影響を与え合っている。その経緯には、聖国以前に存在した神聖ドゥトゥールの厄災があるが、そこは割愛。
皇族は、教会機関を支える正統なる血筋を産むためにありーー聖属性は彼らの血統から教会の儀式を持って、広がるのだーー彼らの優位性は、教会の権力が無くならない限り続く。教会も彼らを否定することは、自らの血筋を否定するため、行えない。どれほど残虐なことが行われようと、皇城の中は皇族の権力下にあると理解して欲しい。権力構図は複雑化している。
皇城の敷地面積の広さは、ごく小さな国の大きさほどある。メルが呆れるほど大きいと言った通り、その白亜の城は迷惑なほどにデカい。中央に本宮、北に後宮、南に離宮、東に連宮、西に光の塔。上空から眺めれば、十字架のような形をしていた。その周囲を、街や山が囲んでいる。その敷地に面して、教会本部も存在するが、距離は遠い。
皇城に主に暮らしている皇族の数は、目算400〜500人いる。そして、仕える者たちを入れると、皇城には30000人ほどの人間が存在していた。
日々、人が行き交う皇城はその数ゆえに騒がしい。
しかし、その日は皇城に溢れる光さえ消え、沈黙が支配していた。鐘の音が鳴り響く。悼むように、天すら表情を曇らせて、暗く灰の色が地に投影される。
「神に身を捧げた、先代皇帝に女神の栄光を」
エルデシーナ教皇が、先代皇帝と身を投じた者たちに死後の冥福を捧げた。黒い喪服を皆纏い、黒いベールが風に舞う。納棺、聖書朗読、献花が行われて、死を痛む涙の中、列になり棺が運ばれていく。
その一列の中には、ソレイユの妃であった女性の肉体もあった。もう、魂は見えない。
「……大国の闇ですよねー、ほんと。語らずとも終わらせられるなんて」
「そうだな」
ルルがマリー女王に扮装し、葬儀に参加していた。黒く分厚いベールに包まれて、表情は一切見えなかった。ルルとソレイユが2人になることは滅多に無かったので、会話が続かない。
「姫様たちはルーファがなんとかしてくれました」
「それは、良かった……」
その報告につい、ホッとした。
「無駄な吐息を漏らすのはやめてくれますか。私は慰めたりはしません。それはメルにしてもらってください」
「…………」
ソレイユもため息をつきたくはなかったが、つい口から出てしまうのだ。髪を上げた。
短期間で多くのことがあり、気持ちが全く追い付いていない。
皇帝たちが亡くなったあと、妃が自ら湖に飛び込んだという。その知らせを聞いた時、ソレイユには何が起きているのか理解できなかったが、罪悪感を覚えなかったと言ったら嘘になる。
皇太子妃という名は、やはり彼女には重すぎたのだと思った。なにより、権力を手にしたい者たちが彼女を持ち上げすぎたのも理由だろう。
妃は皇族の現実を知らぬ、伯爵の次女であった。貴族の娘らしいと言えばいいのか。無知に、貪欲に生きていた。名誉欲と、謙信さを併せ持つ不安定さがあった。
貴族は侯爵から子爵まで存在しており、健康と選り分けられた、という接頭語が付くが、彼らは純粋な人々である。皇族の結婚相手として、最適と言える。
ソレイユはあてがわれた相手を、皇族の義務として妻にした。しかし違和感があって、彼女と芯から分かりあうことはなかった。昔から、政略結婚の相手として見てきたため、愛情の対象ではなかったのもあった。もっと話しをしておけば良かったと思った。
「メルは戻ってこない方がいいのかもしれないな」
「弱音ですか」
「本音だ」
メルとマリー女王は、あの後すぐに治癒士によって治療されたが、ほぼ手遅れだと言われた。殴りつけそうになったのは、初めてだった。しかし、そこにいた盛花国のルーファという女性が手を尽くして、彼女たちの命を繋げ、本格的な治療を行うために盛花国に帰った。見たこともない透明な魂を持った青年がその横にいたが、彼の力もあったのだろう。彼女には蛆虫を見るような、メルでさえしない瞳で見られたのは余談だ。
連絡役として活躍したルルも一度国に帰って、しばらく戻って来なかった。皇帝の葬儀に参加するとなり、久しぶりに顔を合わせた。
そして、ソレイユは皇帝として、正式に即位することになる。結ばれた盟約に基づいて、皇太子という座からどうにか逃れようとしていた彼は消え、一国の主に。皇帝崩御の喪に服すため、しばらく戴冠式は執り行われないが、皇太子になった時とは比べものにならぬほど、ソレイユを取り囲む欲望と執着の渦は増加した。妃の座が空白になったからでもある。
そんなところにメルを戻せば、どうなるだろうか。死んだ妃の顔が浮かんだ。
ソレイユはメルを命をかけられるほど愛している。でも。彼女の命が無くなることなど耐えられなかった。
『女神の春歌』
あの日のメルの歌声を聴いて、人を想う心の尊さを感じた。悲しいほど、彼女の優しさを感じていた。イタズラ好きでわがままに見えるような、メルの本質。今のソレイユは、彼女を皇帝という力で縛り付けてしまう。きっと、自由な魂すら歪める束縛が待っているだろう。
「バカらしい本音。でも、しばらくは帰って来れないでしょうね、私が1人で働くことになります」
「君も帰った方がいいだろう。後任も育っている」
ルルは手を振り、呆れたと言った。
「姫様と言い、あなたと言い、下に考えを話しませんね。話さずに全部を計れというんですか、迷惑な」
「話すことが重みになるなら、聞かせないほうが良い。責任を負うのは、上の役目だ。そして、これからもっと騒がしくなる」
「暗君が死んだくらいで、笑えますね」
「……暗君」
そう。先代皇帝は、空の実権を握っているつもりになっていた暗君だったのだ。周りが全てを与え、その実、本当の権力はない。欲望のまま生き抜いた結果がアレであり、周囲を巻き込んで死んでいった。
しかし、これから教皇との交渉が始まる。皇帝が黒幕でないなら、残すは教皇のみだ。聖国の権力を皇室側に戻さなければいけない。正しい権力を作り出す必要がある。それには途方もない時間がかかるはずだ。
「どうか逃げてくれ」
メルの姉であり、盛花国という聖国から奪われる立場の彼女に、告げた。マリー女王やメルにも伝えるような気持ちで、話した。
「自分で呼んだくせに、いまさら」
ーーしつこく、しつこく、嫌になるくらいしつこく、待ち続けていたあなたなら良いかと思ったのに。
びしりとルルは、ソレイユを指差した。
「メルと私はですね、親を知らないんです。幼い頃、親が亡くなって、野育ち。先代に拾われるまで、愛情がわからなかった。メルはわがままだし、私もわがまま。愛情を与えられても、信頼できるまで疑い続ける」
「…………」
「愛情は、欲望で簡単に移ろうものだと思ってます。メルと私は2人だけで生きてきたところがあるので、猜疑心も多い」
柔らかな清水の魂に、メルと同じ魂のかけらを投影した。
あぁ。全て手を離して。あの夕焼けの鮮やかで、優しい色をずっと隣で見つめる幻想を夢見る。
「でも、飢えてて。だから、姫様のどこまでも優しく包んでくれる全身の愛を求めてた」
何もかも受け入れてくれるので、安心して甘えられるんです。姫様は最強!! 別格ですよ。
姫様とソレイユでは比べ物にならないと忠告するが、本題が逸れたとルルは咳き込んだ。
「んん。私たち、疑い深い人間です。でも、信じてしまったら、どこまでも愛を求め続けますよ。メルはそんなに柔じゃない。この3年以上で、あなたは充分メルを手なずけてしまったので、もう逃れることはできないと思うのですが」
ーーきっかけ次第ってやつですね。
それはメルとソレイユの攻防劇の、攻守交代の予言だった。




