【シャロアンス誕生日】道を違えても、今も尚
古い小説に手直しを入れた物です。
シャロアンス誕生日記念短編。
椅子に腰掛けて考え事をしていた。
僕にしては珍しく深く過去を回想していたのだ。
そうしたら、幼い王女が僕の膝元へやってきたのにも気付かなかった。
彼女が僕の膝に縋るように肘を突いて、漸く存在に気付く。
「フィローリ、今日はシャロが来る日ね」
「そうだよ、ラゼリード。いつもの検診の日だよ。今日は午後からだって」
「先月も来たのに、また?」
幼い王女は頬を膨らませる。
黒髪を頭の左右で結び、こてでくるくると巻いた愛らしい少女。
今は小さくとも、いずれ僕は彼女に仕える事になるだろう。
何せ彼女は僕が守護する国の王女なのだから。
「先月はラゼリードが風邪をひいていたからね。シャロは君の様子をみたくて仕方ないみたいだ」
僕がそう言うと、ラゼリードは頭を左右に振った。
「そうじゃないの。シャロはカテュリアに来てもすぐに帰ってしまうでしょう? わたし、それがさびしいの。ずっとシャロといられないかしら。毎月来るなら、いっそシャロもお城に住めばいいのに。シャロはわたしとフィローリのお友達なんだから」
びっくり。僕と同じ事を考えていたんだ、この子は。
そう思うと少し笑いが込み上げてきて、自然と笑顔になってしまう。
「昔、シャロはこのお城に住んでたよ」
僕がそういうと彼女は興味を持ったらしく、すみれ色の目をきらきらと輝かせて僕の顔を覗き込むように身を乗り出してきた。
「うそ。いつ?」
「340年ぐらい前」
「わたし、うまれてないじゃない」
ふくれるラゼリードを見て、僕は久し振りに声を出して笑った。
「ねえ、どうしてシャロはルクラァンに行ってしまったの?」
「それはね───」
◆◆◆
───遡るは1490年。
5年前の水晶月(四月)にルクラァンの王が代替わりした。
新しい王の名はエルダナと言うらしい。
先王はどうしようもない屑だった。
僕達が学びたいものを規制し、文化を退廃させた愚かな王の統べる国。
そんなものに嫌気がさして僕とシャロアンスは二人で海を渡って、このカテュリアにやって来た。
二人でカティの花を守り育て、シャロアンスは医師免許を取り、様々な薬を作ったりして、ずっと一緒だったのに──。
ルクラァンでは今、疫病が流行している。
そして新しい王までも病に倒れたと噂に聞いた時。
シャロアンスは迷うこと無く故郷へ帰ると言った。
「お願いが御座います、陛下」
その時代の王に跪き、シャロアンスは申し出た。
「私の持つ財産全てと引き替えにカティの花を譲って頂きたいのです。そしてルクラァンに帰り、病に苦しむ王と民を救います。お願いで御座います。どうか許可を」
王は二つ返事で許可を出した。
“花が欲しいならばフィローリに許可を得るといい。この地を護り、その魔力で花を育てているのは彼だ“
王の側に居た『守護』の僕に断る理由などどこにもなく、僕はシャロアンスにカティの花を売った。
出来る限り安くし、生花、乾燥花、どちらも出来る限り多めに持たせた。
薬の調合の為に使う薬草の類も厳選して持たせた。
無一文になった彼に、僕は金貨がたっぷり詰まった袋も渡した。
「こんなに……いいのか?」
シャロアンスは金貨の袋にも花の量にも驚いて、目を白黒させていた。
「僕に出来る事はそれぐらいしか無いもの。お金は返さなくていいから……だから……」
「だから……なに? どうした?」
僕より少し背の低いシャロアンスが僕を仰ぎ見る。
眼鏡越しに向けられる視線。
瞳孔に向かって深みを増す彼の青い瞳。
42年前に二人で渡った大海の色。
ああ、そんな純粋な目で見ないで。僕は今きっと──泣きそうな顔をしている。
「僕はもうルクラァンには帰れないから……たまにはカテュリアに来て」
「うん、向こうが片付いて落ち着いたらな。と言ってもどうやって王様に近付こうか、それが悩みのタネなんだけどさー」
「僕を、僕を忘れないで」
迂闊だ。噛んだ上に声が震えてしまった。
シャロアンスが呆気に取られた表情をし、それから悲しそうに微笑むと僕の肩を抱いて背中をバシバシと叩く。
「ばーか。親友を忘れる訳ないだろ」
その言葉に、僕は生まれて初めて人を抱き締めた。
初めての別れの抱擁。
シャロ、僕の親友。
さようなら。
僕達は道を違えた。
◆◆◆
「それで? ルクラァンに帰ってしまったシャロはどうなったの?」
僕の膝に顎を乗せた小さな王女は続きをねだる。
「ここから先が傑作でね……」
僕は思い返して笑顔になった。
「ケッサクってなぁに?」
「面白いって意味だよ、ラゼリード」
◆◆◆
「陛下、エルダナ陛下」
伏せる王の元に従者がそっと忍び寄った。足音ですら主の苦にならないかとの配慮だ。
「……なんだ」
5人は並んで眠れそうな大きな寝台の中、長い長い黒髪を白いシーツに広げ独り横たわるその人は薄く目を開けた。
長い睫の下にちらりと覗く、真紅。
乾いて割れた唇が紡いだ音は酷く億劫そうで、従者はまた心を痛める。
「正門に医師が来ております。国王陛下にお目通りを願っておりますが」
王は気だるげに目を閉じた。
「……またか。今度はどこの医師だ? この王宮に居る医師団ですら治せない病だというのに……。もう、私は半ば諦めかけている……。これも父を己が手で殺した報いか」
「カテュリアから来た精霊の医師です。名はシャロアンス・シアリー。カテュリアの秘薬を献上したいとの事です」
王がハッと目を開けた。
「シャロアンス…? まさか、まさか彼なのか? 彼なら大丈夫だ。私は動けない、急いでこの寝室まで入れてくれ」
「陛下! なりません! 刺客である可能性も十二分に」
「大丈夫だと言っている! 早くしろ!」
暫くして王の寝所を訪れたシャロアンスは医師団に取り囲まれ、口論をしていた。
「大丈夫だっつってんだろ! そんなに疑うなら一束くれてやるよ。 ただし慎重に扱えよな! 幻の薬草カティ! 一輪で金貨10枚の値打ち物だかんな!」
「カティといえば毒草ではないか!」
「やはり暗殺者か!?」
「毒抜きしてあるんだよ! 残ってるのは薬効だけだ。疑うなら王に飲ませるものと同じ薬を飲んでやるよ!」
「……騒がしいな……」
国王が掠れた声で発した言葉にハッと場が静まり返る。
その隙をついてシャロアンスは王の枕元にまで詰め寄った。紗幕を払いのけ寝台の側で跪く。
「ご無礼をお許し下さい。お初にお目に掛かります。私の名は」
「シャロ……、だろう? シャロアンス・シアリー。……フィローリは元気にしているか? 彼は…まだ小さいままか?」
「へっ?」
シャロアンスは顔を上げて寝台の主を見た。
寝台の主は土気色の顔色をしながら、けれどもゆっくりと起き上がり、長い髪を束ねて編みながらシャロアンスに話し掛ける。
「……こうして幼い頃のように髪を編んだら……思い出してくれるかい……? 学院の庭に紛れ込んだ私を球技に誘ってくれたのは19歳の頃……。滅茶苦茶なルールだったね。見えない障害物を潜りながら各陣地のゴールを目指す遊び。君の仕掛けた障害物はいつも凍った地面だった。私には無害だったがあれは楽しかった」
シャロアンスの顔から眼鏡がずり落ちる。
「……まさか。エルディ?」
◆◆◆
「ええっ!? フィローリとシャロはルクラァンの王様と知り合いだったの?」
「そうだよ。僕がシャロと仲良くなった年に知り合ったんだ。当時はエルダナ王子とは知らずにエルディと名乗った男の子と遊んでいた……ふふ、懐かしいな」
◆◆◆
シャロアンスがエルダナの元に身を寄せて一週間が過ぎた。
王は確実に死の淵から生還していた。
「陛下。お薬湯の時間です」
シャロアンスが薬を運んで来ると王は嫌そうな顔をする。
「またゲロ苦い薬だろ」
「エルディ、私も一緒に飲みますから」
そうして二人は二人分の薬湯を半分こにして飲み下す。
その時の二人の顔は同じ表情。
言葉に表すとまさにゲロ苦。
それでもシャロアンスはエルダナと薬湯を飲んだ。
王と同じものを飲み、王は確実に回復している。
最早、医師団はシャロアンスを糾弾出来なかった。
「ところでシャロ、君は私の命の恩人だ。君に褒美をあげたいのだが、何がいい?」
エルダナの言葉に、シャロアンスの瞳が眼鏡越しに光る。
「……そうですね。カテュリアからカティを輸入して頂けますか?」
エルダナの瞳がキラリと閃く。知性の輝きであると同時に、悪巧みする時に彼の目は輝くと未だシャロアンスは知らなかった。
「それは君への報酬にならないのではないかい? 第一、話が大きすぎる」
「いえ、報酬になります。カティの薬湯があれば、病に苦しむルクラァンの民が助かります。けれど私が持ってきたカティだけでは足りず、国中の民を助けられません。だからカティを輸入して頂きたいのです。カテュリアにはカティが売る程あるのですから」
「……ふむ。考えてみよう。だが君自身はどうするのだね? 今は客人としての扱いだが……ルクラァンに腰を据えてくれるのかい?」
「そのつもりです。どんな手段を使ってもルクラァンの民を助けます」
「居場所はどうする? どこかツテでもあるのかい?」
「いえ、ありません。どこかの病院に勤務しようかと……」
エルダナがポンとシャロアンスの肩を叩いた。
「ならば王宮に留まりなさい。君の作った薬湯を中央駐屯地を介してアド市中に配る事が出来る。いや、駐屯地や詰め所経由でルクラァン全土でも可能だ。それを為せるのは財力的にも王宮以外有り得ない。今のルクラァン王宮には君が必要だ。ルクラァンに君が必要なんだ。留まってくれるね? シャロアンス」
立て板に水とばかりにまくし立てられ、シャロアンスはたじろいだ。
彼は暫く考えた後、答えを出す。確かに魅力的であり、都合も良かったのだ。それに、そこまで求められて悪い気など微塵もしなかった。
「はい。陛下の仰せのままに」
その言葉にエルダナが満面の笑みを浮かべた。
「じゃあ早速、告知しようか」
「はい?」
数分後、シャロアンスは玉座の間に連れ出され、医師団の前に立たされる事になった。
エルダナは夜着にガウンを羽織った姿で玉座の前に立ち、医師団の先頭に居る男に告げた。
「筆頭御典医ジョン・カルート」
「はっ!」
「君はクビだ」
「はっ?」
「聞こえなかったかね? 筆頭御典医でありながら、この私の命を救えなかった罪で解雇だ。今日からはここに居るシャロアンス・シアリーが筆頭御典医を勤める」
「ひっとう……筆頭!?」
シャロアンスが悲鳴のような声を上げて頭を抱える。
「陛下!! 私には荷が重すぎます!!」
シャロアンスの悲鳴を聞こえない振りをしてエルダナは曰う。
「何を言う。君はルクラァンの民を救いたいのだろう? ならば一人では無理だ。ここに居るカルート以外の医師達を率いてルクラァンを救ってほしい。これは王命だ。それに……『どんな手段を使っても』いいのだろう?」
エルダナは唇の端を吊り上げ、シャロアンスに向かってニィと笑ってみせた。
シャロアンスには最早、頷くしか道が無かった。
◆◆◆
「それでシャロはルクラァンの王宮に仕える事になったのね?」
小さな王女は僕の膝の上でクスクスと笑う。
「そう。王様の主治医という大事なお役目があるからなかなかカテュリアに来れないんだよ。だからこのお城にも住めない。彼の居場所はルクラァン王宮だからね」
その時、入り口から声が掛かった。
「なーに、人の過去をバラしてんだ? フィローリ」
右手に鞄、左手を腰に当てて、白衣を纏ったシャロアンスがそこに居た。
フィローリは笑う。ラゼリードも笑う。
「君が僕と道を違えた後の話だよ。それに、道を違えても今も尚、僕達は親友だ。そうだよね、シャロ?」
フィローリの唇には笑みが。シャロアンスの唇には『へ』の字が。
照れながらシャロアンスは。
「……ああ、そうだよ」
と、まんざらではない言葉をくれるのだった。
END