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⑳「八雲の過去」



 「それは……お約束します」


 俺の精一杯の言葉を聞いて、お父さんは小さく頷く。そして、そこから俺は八雲が今に至るまで、どんな過去を経てきたかを聞いた。


 八雲が、どうして鬱病になったのか、を。





 三峰 八雲が中学生になった年、お母さんが亡くなった。風邪をひいたけれど気にする事は無いと言って二日程経過した夜、突然高熱を発して救急車で運ばれて、そのまま息を引き取ったらしい。


 その頃の八雲は今とは違い、母親の代わりに自分が三峰家を切り盛りしようと幼いなりに頑張っていたそうだ。昼間は学業に専念し、帰宅すれば妹の面倒を見て、夕食や洗濯も担っていた。


 だが、事業が順調に運び始めていた三峰家では、彼女の奮闘は少し空回り気味だったようで、直ぐに雇われた家政婦が八雲から細々とした家事を引き継ぐと、彼女は次第に自分の部屋に引き籠って勉強に没頭していった。


 元から頭脳明晰のお陰で学年トップの成績を維持していた八雲だったが、二年生の三学期に悲劇が訪れる。成績で常に上位を維持していた彼女をライバル視していた同級生が、渾身で挑んだ学期末テストの結果が僅差で下位になった夜、校舎の屋上から飛び降りて自殺を図ったのだ。


 その時、八雲は教室に居た。彼女は窓辺の席に着いていたが、その場所の真上から真っ直ぐ落ちていく同級生と、八雲の眼が合ったそうだ。その同級生の眼差しは恐怖と絶望、そして怨みを抱いていたのだろう。幸いにも命だけは取り留めた同級生だったが、進学すら覚束無い身体となり、自主退学していった。



 ……その事件を境に、八雲は学校に行けなくなった。


 朝になって目覚めても、手が震えて着替えが出来ず、やっとの思いで身支度を済ませて食卓に着いても食事は喉を通らない。学校に行こうとしても、手に力が入らず玄関のドアが開けられない。まだ若く繊細だった八雲の精神は、同級生の自殺未遂が引き金となり、グシャグシャになってしまう。


 その頃の八雲は、生きているだけでも辛そうな程にやつれてしまっていた。拒食症を併発して骨と皮だけに近い状態で、酷い状態になると洗面台には彼女の頭から抜け落ちた髪の毛が、柳の枝のように散っていたという。


 そんな八雲ではあったが、出席日数は在宅学習の時期が重なったお陰で辛くも維持され、三年生に進級してからも自宅学習と課題提出を経て、何とか卒業は出来た。


 しかし、大学進学は諦めざるを得なかった。彼女が学びたかった課程を履修出来るかはともかく、鬱病と診断された八雲は入学手続きすら困難な状態だったからだ。


 そうして在宅学習のまま高校を卒業した八雲は、一年近い日々を自宅療養に費やし、何とか体力も人並みに近い状況まで回復出来た頃、お父さんを通じ、知り合いの社長から自分の会社で働いてみないか、と誘われたそうだ。


 「……地元が同じ、って事もあったけど、古くから馴染みの間柄な奴でね。たまに会った機会に飲んでた時、何となく八雲の事を話したら【勿体無いからウチで預かりたい】って言い出してね……」


 ……ウチの社長らしいな。でも、経緯(いきさつ)はそんな切っ掛けだったんだ。


 それから後は、俺と一緒に暫く働いていたけれど、薬を止めてしまって一時的に鬱病が悪化。そして今は……あ、そうだ。まだ八雲に伝えていなかったな?


 「……あの、お話の途中ですが……実は社長から八雲さんと小坂さんに伝言が有りまして、まだ会社には籍が残っているから、体調が戻ったら職場に復帰して欲しいそうですよ」

 「……えっ? それ……ほ、ホント?」


 それまで一切口を開かなかった八雲が、今日始めて声を出した。その様子に何か喋ろうとしたお父さんだが、八雲の次の言葉を聞いて態度を変え、聞き役に徹するつもりになったようだ。


 「ショージさん! わ、私……また、一緒に働いて、いいの!?」


 あれ程苦渋に満ちながらやっていた筈の仕事に対し、まさか八雲がここまで嬉しそうに反応するとは思っていなかった俺は、正直言って面食らってしまった。


 「あ、ああ……八雲がちゃんと病気を改善出来れば、また一緒に働けると思うよ」

 「……が、頑張る! 私、頑張って……病気を、治す!!」


 まるで遊園地に連れて行って貰える約束をさせた子供のように、喜びに満ち溢れながら立ち上がると、隣のお父さんに向かって、


 「お、お父さん! 私、また、働く! 仕事、好き! だって……()()()()ショージさんが、一生懸命、教えてくれた、から……また、働きたい!!」


 そう、身振り手振りを交えながら、心の底に沈んでいた思いを声に出して、ハッキリと伝えたのだ。


 「……ああ、判ったよ……全く、仕事が先なのか、長谷部くんが先なのか、判らんがね……」


 半ば呆れながら答えたお父さんの言葉に、やっと八雲は自分の喋った内容を理解したのか、顔を真っ赤にしながら座り込んだ。




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