⑲「八雲の家に行く」
《 ……はい、三峰です》
仕事中の休憩時間を利用し、俺は八雲の実家に電話を掛けた。勿論、八雲と交際している事を話す為にお父さんと会う約束をするつもりだ。
「……もしもし、先日お会いした長谷部 (はせべ)庄司ですが、お父さんはご在宅ですか」
電話に出たのは妹の八恵さんだったが、俺が改めて名乗ると彼女も何か気配を悟ったらしく、
「あっ!? は、はい居ますよちょっと待ってくださいっ!!」
と慌てて受話器をそのままに、ドタバタと廊下を走る音を響かせながら暫く間が空いてから、
(……おとーさん! 早く早くっ!!)
(判った、判ったから引っ張るなって……)
受話器越しに二人のやり取りが判る。うーん、こういう時は何て言えばいいんだろうか。
《 はい、お電話代わりました。長谷部さんですね……何か御用でしょうか 》
「はい、お忙しい中申し訳有りませんが、後日ご挨拶に伺いたいので、お宅にお邪魔しても宜しいでしょうか」
咄嗟に口から出た言葉に、自分も苦笑いしてしまう。向こうも八雲からそれなりに話が伝わっていると思うが、だからこそ段階を踏まないといけないけれど……他人行儀にも程があるよなぁ。
「それはどうも……娘から話は伺っております。是非お越しください」
けれどまぁ、お互いに堅苦しい挨拶を繰り出してしまうものだ。さっさと顔を合わせてヨロシク! で済ませられれば楽なんだが。
「ありがとうございます。では、日を改めてご挨拶に伺いますので、宜しくお願いいたします。では、失礼いたします」
そう言って電話を切った。それにしても、八雲は家の何処かで、この会話を聞いていたのだろうか?
と、直ぐにスマホが鳴動し、メール着信を報せる。見るとやはり八雲からだった。
《 お父さん、なにかニヤニヤしてます! 》
うん、そうだろうな……ニヤニヤしてるのはお互い様なんだよ。こっちもニヤけて仕方ないんだから。こんなんじゃ、午後からの仕事に身が入らんって……。
それから数日後。
乗って来た車を駐車場に停め、俺は八雲の家の門を抜けて玄関に着く。
……しかし、《三峰》と書かれた表札も大理石だし、敷地や建物も周りの家の二倍以上は軽くありそうだ。流石は二代に渡って会社経営を続けて来た家柄、って感じだな。
そう思いながらドアホンを押し、小さく聞こえるチャイムの後から聞き覚えの有る足音が響き、その音が止むと僅かの時間を置いてから、玄関のドアが勢い良く開けられた。
「……あ、ショージさん! いらっしゃい!」
予想通り、八恵さんがサンダルを履きながら扉を開けてくれた。しかし、服装はスウェット姿で随分と気楽な格好だ。まあ、お見合いの席に居合わせる訳じゃないし、自宅なんだから当たり前だろう。
「さ、上がって! お父さんも待ってたんだから!」
「はい、それじゃお邪魔します」
出されたスリッパを履き、長い廊下を歩く。それにしても広い家だから当然だが、どこまで行きゃいいんだかサッパリ判らん。先に進む八恵さんが居なかったら、間違いなく迷子になれる自信がある。
どうやら案内された部屋は居間らしく、広々としたソファーに座るよう促され、巨大なテレビや調度品を眺めているうちに、廊下に繋がる扉が開き、お父さんがやって来た。
……MMOゲーム大手開発メーカー会社エレメンタルの取締役、三峰 晴之。俺より年上という事もあるが、遥かに腰の座った存在感がある。まあ、体格は俺の方が有るんだが。こうやって面と向かって話をするのは初めてだな。
「……初めまして、これは皆さんで召し上がって頂きたいと思い、お持ちしました」
そう言ってから持参した包みをソファーテーブルに載せると、お父さんは少し笑いながら、
「いやいや、そんな気を遣って貰って……ああ、やっぱり八雲が口添えしてますね、参ったなぁ……」
そう言って軽く頭を下げた。うーん、流石に効果覿面って所だな。何でも、この【石臼挽き十割蕎麦】ってのが大好物らしいんだけど、人気が上がり過ぎてネット販売は暫く休止しているらしく、直売店がある長野まで行かないと買えないってぼやいていたそうだ。たまたま、知り合いが近所に住んでいたから、お願いして直接買ってもらった甲斐があったな。
お父さんが蕎麦を受け取ったタイミングで、居間に八雲がやって来た。水色のワンピース姿の彼女は家の中なので、見慣れた伊達メガネは掛けていない。そしてお父さんの隣に座ると、こっちをチラッと見てから恥ずかしそうに俯くと、静かに成り行きを見守るつもりのようだ。
「……今日は、八雲さんと自分がお付き合いしている事と、これからの事についてご報告させてもらいたく、お伺い致しました」
俺からそう切り出すと、お父さんが頷きながら手短に質問し、こちらも正直に答えていく。
……同じ職場で働いていた事、彼女が真面目に頑張って働いていた事、それから辞めるまでの事、そして……再会してから距離を縮めていった事。
「……娘が、鬱病の治療中だとご存知の上で、交際しようと思ったのは、何故ですか」
「……八雲さんが鬱病になった理由は知りません。でも、現在は治療に専念していますし、その事自体は彼女の個性の一つに過ぎないと思っています。それを踏まえても尚、一人の女性として魅力ある方だと思っています」
「……そうですか。まあ、八雲も大人ですし、親といえど私がとやかく言う事は何も無いでしょう」
お父さんがそう言うのを聞きながら、俺はやっと一つ肩の荷が降りた気がした。
でも、次に発せられた言葉が俺を貫き、その場で釘付けにされたのだ。
「……それを踏まえた上で、八雲が鬱病を患う原因をお教え致しましょう」
「……それを聞いて尚、それでも好意を寄せて貰えるなら……結婚を許すつもりです」
そう伝えられた瞬間、俺の心臓がドキンと高鳴った。




