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⑨「好きだからこそ」



 よく痩せの大食いとか言うが、八雲の食べるペースは正にその通りだ。


 大きく口を広げるような品の無い食べ方はしない。だが、噛んで飲み込み口を開ける、みたいなペースが続き、気付けば皿に盛られた肉の山が半分程まで無くなっていく。


 それにしても、八雲は美味しそうに食べるものだ。


 俺は決して食は細い方ではない。寧ろ平均からやや上、とは自負していたにも関わらず、八雲の皿に自分の取り分けた物を譲っていた。何と言うか、彼女に食事を楽しんで貰いたくなりそうしてしまう。


 「……ショージさん、私、食べ過ぎ……?」


 八雲がフォークを止め、少し首を傾げながら困ったように呟いた。


 「いや、いいんだよ。八雲のそういう所が俺は気に入ってるんだから」


 「……ちょっと、恥ずかしい……」


 俺がそう言って(なだ)めると、ほんの少し俯いてからポツリと言うものの、八雲は手に持ったフォークを離しはしない。


 「八雲、これも美味しいぞ? パンと一緒に食べてみなよ」


 そんな八雲に、テーブル中央のカルパッチョ風サラダとスライスしたパンを勧めてみると、


 「……うん、ローテーションも、必要……!」


 と言いながら笑みを浮かべると、パンの上にサラダを載せてからゆっくりと口に運んだ。


 サクッ、と噛み締める音と共に口の中に即席オープンサンドの一片が消えると、八雲は嬉しそうに頷いてから暫く口を動かしていたが、やがて次の一口、また一口とエビや白身魚の載った部分を食べ進み、掌より大きかったパンの最後の一口を食べ切ると、


 「……おいしい……!」


 そう言って満足げに笑った。




 俺はコーヒーを飲みながら八雲の顔を眺める。


 透けるような色の白い肌と、口紅を塗らない自然な色合いの唇。綺麗に切り揃えられた黒い前髪と相まって、二十歳そこそこには到底見えないが、かと言って幼い印象は無い。丁寧に編み込まれた長い髪と共に物静かな雰囲気も持ち合わせ、とても心の病いを患っているようには思えない。


 しかし……一度壊れてしまった彼女の心は、無理をすれば簡単に砕けてしまう。その脆さを量る方法なんてある訳も無いし、俺がどこまで踏み込めるのかも判らないが……


 と、そんな事を考えていた時、向かい側に座っていた八雲が立ち上がると、そのままテーブルを回り込み、俺の横の椅子を引いて腰を降ろした。


 「どうした、八雲……?」


 俺が話しかけても答えず、椅子を並べたまま寄り添うように座っていたが、


 「……ショージさん……すきぃ……」


 そう呟きながら、八雲は俺の肩の上に頭を預けて眼を(つぶ)る。それが彼女の精一杯の愛情表現なんだと直ぐに判る……が、俺は深呼吸して気分を落ち着けようとしながら……



 (……逆効果だっ!!)



 直ぐに、間違いに気付く。


 肩に載っている八雲の頭……その髪から果物と花の甘い匂いを合わせたような香りが漂い、自制心が消えゆく煙のように薄らいでいく。それはまるで八雲が持つ魅力の全てを形に変えたように、俺の心の中へと染み込んでくるのだ。


 もう、理性的に振る舞うのは止めて、さっさとこの場で八雲を押し倒したい。椅子から床に引き倒し、彼女の事を隅から隅まで知り尽くし味わい尽くしたい。ああ、我慢なんて互いの為に……




 狂おしい程の想いが駆け巡る中、俺は八雲の顔を見ながら一つづつ確認する。



 俺は八雲が好きだ。だから、今すぐ抱きたい……でも、それで抱いた後はどうする? 自分の性欲を満たせればそれで満足か?


 (いや、ずっと一緒に居たいから、その場しのぎの理由を振りかざして抱いたりしない)


 ……お互いに好きなんだから、気にせず抱いてしまえば良いだろ? その方が八雲も喜ぶに決まってる。


 (今この時はそれで構わないだろう。でも、精神疾患を抱えた八雲が、俺の存在に依存するようになったら、俺が転勤になって離れ離れになった時、また心が壊れてしまう)




 ……肩に頭を預けていた八雲が、ふと顔を上げて俺と視線を交わす。綺麗な瞳が呼吸と心音のリズムで揺れていくうち、目蓋がゆっくりと閉じる。


 ああ、ここまでは許される。きっと……



 軽く互いの唇と唇を触れ合わせるだけ、そんな挨拶程度のキス。


 その瞬間、八雲が俺の首に手を回し、熱く湿った吐息を吐きながら呟いた。



 「……ショージさん、私……」

 「八雲……良く、聞いて欲しい」


 きっと、彼女はありったけの勇気を振り絞って、自分の身体を俺に捧げようとしたのだろう。でも、そんな言葉を遮って俺は八雲の身体を両手で掴み、距離を保たせる。


 「……いやぁ……っ!! 離れたくない!!」


 思った通り、八雲は子供のように顔を横に振りながら抵抗し、俺にしがみついてくる。


 「八雲、心配するな……俺はお前が好きだ」


 彼女と眼を合わせながら安心させる為、そう告げると八雲は瞬きしながら、答えてくれる。


 「……うん、私も……好きぃ……」

 「……ああ、嬉しいよ。でも、だから聞いてくれ」


 俺は彼女を落ち着かせる為に再び抱き締めてやる。頭一つ分背の低い八雲は、そうされて安心したのか、小さく頷く。


 「なぁ、八雲。俺は君に早く病気を治して欲しい。治して、色々な場所に、一緒に行きたいんだ」


 「……だから、八雲……薬と通院を止めず、治療を続けて欲しいんだ。もっと良くなったら……」




 「……一緒に住もう」


 そう伝えると、八雲は無言のまま頷き、俺の身体を抱き返す。


 ……悪い奴だと、心の中で自分を責めながら口では八雲を安心させる為、そう告げる。




 俺は、八雲に治療を続けて欲しいから、目の前に俺自身をニンジン替わりにぶら下げて……依存させた。早く治って欲しいからと言い訳し、彼女の好意を依存へとすり替えた。



 

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