選挙狂想曲・後編
ヴェルパス・サーガ第二弾の後編です。
実はこの物語の主人公は別の作品にも出ているのですが、かなり酷いキャラになっています。
その作品もいずれ投稿する予定なので、その時は今回同様よろしくお願いいたします。
因みに例の『頂魔皇』もある作品までは、毎回名前だけは出てきます。
◇
「そんな、バカな事が――?」
スタージャの言葉が何かの比喩にしか思えないソリアは、だから尚も眉を曇らせる。
〝宇宙を消せる〟等と言うありえない話を聴いて、彼女は愕然とした。
「でも……アレは確かに〝そう言った存在〟……?」
あの二人の変化を目撃した時、ソリアの脳にはある情報がダウンロードされる。
かの『頂成帰結』という業に関する情報を、彼女は『歪曲者』から得ていた。
スタージャはその情報を言語化し、改めてソリアにつきつける。
「そう。『頂成帰結』とは――術者が理想的とする容姿と能力を得る業。『全皇化光域』をも超えた『融合型現象媒介』と『皇身』を接続させる『異端者』の最終奥義。なのに二人ともほとんど姿が変わっていない。つまり、あの二人は相当のナルシストという事!」
「え? その情報、いま必要ですか……?」
ソリア的にはそう言った感じなのだが、スタージャは眉を吊り上げる。
「とにかく、ソリアさんはここで退場だよ。これ以上私につき合えば、ソリアさんは、間違いなく死ぬ。彼等が参加していると知っていたら、私はソリアさんの力は借りなかった。だってそうでしょう? ソリアさんにあの二人の相手をさせるなんて、どう考えても無理だもの」
スタージャの見解は、どこまでも正鵠だった。
確かにソリアでは、〝あの二人は〟相手に出来ない。
なら、どうする? 後の事は全て、スタージャに任せるしかない? 彼女が誇る(とされる)カウンター能力を使い、あの二人を打破する?
一方で、ソリアはスタージャがソレを躊躇っている様に見えた。どう考えても、彼女はその手段を歓迎していない。
だからこそ、ソリアは不思議だったのだ。アレだけの想いを抱えたスタージャなら、何も悩む事はないのでは? 例え自分の寿命が二年縮もうが、あの敵を倒す事も厭わないのではないか?
少なくとも、ソリアには、スタージャの言葉からそう言った決意が感じられた。
(それとも、彼女は誰も殺したくない? スタージャは、自分が王になる過程で誰かを殺す事を、タブーとしている?)
実際、彼女はカーニィレル・ロレンもデアン・シアも殺してはいない。
両者共、棄権、ないし気絶させる事で勝利を掴んでいる。
スタージャなら、二人共、殺そうと思えば殺せたと言うのに。
(だとすれば、〝スタージャ〟のユメを叶える為に誰かを殺す事は、そのユメを穢す事だと彼女は考えている? ……ああ、だとしたら、それはなんて彼女らしい)
ソリアはそう納得して、決断した。
「――いえ、棄権はしません。先ずは、あの二人の戦いを見届けましょう。もしかすれば、あの二人が相打ちになる事だってあり得る。そうなれば、それこそ漁夫の利です。私達の勝利は決まったも同然では?」
「……確かに、そうかもね。じゃあ、ソリアさんは私の後ろに隠れていて。絶対に、私の傍を離れないで。その間に、私はあの二人の事を〝看破〟するから」
それで話は決まったとばかりに、スタージャは前衛に立ち、あの両者に目を向ける。ここから三十万キロは離れた場所に居る、あの二人へと。件の男女も、今は五十万キロほど間合いを離しているだろう。
羅冠・ビクトリアという偉丈夫と――エンジェリカ・ライトフィールドという絶世の美女。
どう見ても武将にしか見えぬ彼と、どう見ても天使にしか見えない彼女が相まみえる。
今、二人は、改めて対峙した。
《では、やろう。俺としては間違いなくコレは事実上の決勝戦だと思っているが、これは誤りか?》
《かもしれません。どうやらこの島で真に強者と呼べるのは、あのレクナムテとシア達だけのようです。ならコレを機に私がこの島を頂いてしまうのも悪くはないでしょう。ええ、そう、私としてはただのお遊びのつもりでやってきたのですが》
《だな。帝寧のやつが死んだと聞いて、ひさかたぶりに現へやって来てみれば、この乱痴気騒ぎだ。興がのったので参加してみれば、周りはザコばかり。これなら、鴨鹿町に乗り込んだ方が楽しめると思ってみれば、意外な貌が混じっていたな》
《いえ、それは私の台詞です。奇しくもここには、あなたが居た。百数十年前、私に傷を負わせたあなたが。まあ、幸い山村バソリーはまだ生きているという話です。要するにこの戦いは彼女との戦いの前哨戦といった所でしょう》
《この羅冠・ビクトリアを前座あつかいか? それはそれで、面白い冗談だ》
《さて。はたして冗談になるでしょうか? 私の頭の中で、あなたは既に、千回は敗北しているというのに?》
《くはははははは! それでこそだ! さすがはこの羅冠に一矢報いた女! それでこそ壊しがいがあるという物だ! では――行くぞ無垢を装う阿婆擦れ! その穢れた本性、この俺が再び暴き立ててやろう!》
《それも私の台詞だわ。王になりきれない仙人もどきが私に届かぬ事、今――証明して上げます》
二人は互いに、己を高揚させる言葉を発する。それを起爆剤に両者は臨戦態勢をとる。
羅冠は十の一グーゴルプレックス乗光年×五億規模の『巨人』を纏い、ソレを五十メートルにまで圧縮。エンジェリカは、八十メートルにまで圧縮する。
羅冠は首が無い馬に乗った武者を具現し、エンジェリカは白い巨人を具現する。
この時――またも宇宙は全壊した。
同時に羅冠は吼え――エンジェリカは呼応するように微笑む。
「おおおおおおおおおおおお……!」
「フ――っ!」
彼は手にした矛を構え、ただ棒立ちする彼女に向かって駆けた。
その速度は――実に分速一グーゴルプレックスキロ。
通常は光以上の速度で移動する事は不可能である。だが、今の両者は物理法則さえ捻じ曲げる程の、圧倒的なパワーを誇っていた。
それだけのバカげた速度で走り抜ける彼に対し、エンジェリカは右腕を突きつける。
八枚羽の『大天使長』は二枚羽の天使を一グーゴルプレックス機ほど召喚し、出撃させる。
それを見て、ソリアは息を呑んだ。
「まさか、アレ一機一機が、デアン侯爵令嬢の数百倍ものパワーを持っているッ? それだけの力を持った存在を、あんなに召喚できる、ですってっ……?」
なら、それは既に狂気の域だ。人知を超えるのにも、程がある。
いや、そもそもなぜ彼等は、これほど言語を絶する力を有しているのか?
ソリアは呆然としながらスタージャに問い掛け、彼女は目を細めながら言い切った。
「恐らくあの男性は、ある『皇』と同じ。自分の躰を一グーゴルプレックス分の一ほどに薄めた状態で――全宇宙のエネルギーを操作できるよう修行した。そして、あの女性の方は恐らく『霊力』を極めている」
「……『霊力』、ですって?」
「ええ。『霊力』とは即ち――〝存在する力〟の事。超速で振動する、超極小のヒモにほかならない。それが私達を司っている物の正体。彼女はそのヒモの振動回数を、自在にコントロール出来るんだよ」
それは――超ヒモ理論的思想である。
超ヒモ理論とは、あらゆる物体は超極小なヒモが振動して出来ているという考えだ。重力には重力の、斥力には斥力固有の振動がヒモには起きている。このヒモが存在し、振動しているからこそ、万物は万物足り得る。
その振動回数は、実に一秒間に十の四十二乗回という膨大な回数に及ぶ。
では、仮にこの振動回数を自在にコントロールできるとしたら、どうなるか?
「そう。彼女は自分のヒモを一秒間に、一グーゴルプレックス回振動させているんだよ、きっと」
「なッッッ?」
ならば、その存在レベルはどれほどまで高められるか? それこそ比喩なく、別次元の存在と化してもおかしくはないだろう。
即ち、今ソリア達の目の前に居るのは――そう言った類の怪物達だった。
「あははははははは! あははははははは!」
故に――笑う、笑う、笑う。羅冠・ビクトリアという偉丈夫は、喜々としながら得物である両端に刃がついた槍を駒の様に回転させる。
彼の矛からエネルギーが解放され、十の一グーゴルプレックス光年×五億規模の刃と化し、敵を掃討する。ついでにたった一撃で宇宙を五億個ほど消滅させ次々と空間を破壊した。
その為『再生』の概念さえも破壊された天使達は、再生する事なく両断されていく。
「……バカな。恐らく内包されている総エネルギーで言えば、あの天使達の方が上の筈。なのに、なぜアノ男性は、アレほど容易く彼女達を蹴散らす事ができる……?」
「それは多分、彼の能力が起因している。きっと彼の人生を象徴する様な何かだと思うけど、駄目だ。やっぱり〝看破〟できない」
周囲の空間が破壊される度にソノ事実を〝■ろしながら〟スタージャは物思いに耽る。
この間にも、羅冠はやはり喜々としてエンジェリカに肉薄した。
《成る程。『略歴』ですね。あなたの先祖が成した偉業を、そのまま再現できるというアレですか。では、確かにこれだけの兵力をぶつけても、話にならないでしょう》
ならばとばかりに、エンジェリカを包む白い巨人が、その右腕を突き出す。
瞬間、巨大な四角の立方体が、一グーゴルプレックス個、吐き出された。
《では、これならどうです?》
件の天使達の代りに、それらが羅冠目がけて放出される。
かの現象を、彼は事もなく言語化した。
《『審判』か――! 相変わらず『大天使長』は、自分以外の他者を見下すのが趣味みたいだな! それがおまえの限界だと、おまえのゲスな本性だと、なぜ気付かんッ?》
それさえも、かの騎馬武者は両断する。斬って、斬って、斬りまくり、そのつど宇宙が数億ほど消し飛んでは再生していく。
「『審判』……か。触れる者全ての罪を白日に晒し、それに相当した罰を与える能力。その罪の範囲は、恐らく彼の先祖の業にも及ぶ。だとしたら、そういう事?」
「……って、そこまで見切れているのに、まだ〝看破〟できないんですか、貴女は?」
「ウム――まだ」
だとしたら、アノ立方体に取り込まれた時点で、羅冠の敗北は決定的だろう。
何故なら――彼の先祖とはかの項籍羽。
西楚の覇王を名乗った、中国屈指の偉丈夫である。
かの人の戦いのセンスは、実に凄まじい。七十以上もの戦に臨みながら、敗北したのは最後の一度きりとされている。三万の兵で――五十六万以上の兵を蹴散らしたとさえ言われているのだ。
つまりはそういう事で――かの羅冠・ビクトリアはこの逸話を元にした能力を発動させていた。『略歴』とは即ち、項籍羽の偉業をそのまま具現する事を指す。
故に――羅冠は自身の二十倍もの力をもった敵を蹴散らす事が可能なのだ。
「でもその反面、『審判』はかなり不味い。何故って、かの項籍さんは二十万人以上の降伏してきた兵を生き埋めにしている。それだけの殺戮を為している以上、羅冠さんがアレに取り込まれれば、恐らく終わる。少なくとも間違いなく、相応のダメージを受ける」
二人のテレパシーを傍受し、両者の名前を知ったスタージャが解説する。
この読みも正しい。
羅冠は今、先祖の力を借りて戦っていると言って良い。
それだけ密接した状態である以上、彼は間違いなく項籍羽の業も背負う事になるだろう。
《ならば――これで終わり》
彼が件の『審判』を凌ぎ切れず、ソレを目前にした時エンジェリカは微笑む。
《誰が――》
対して羅冠はやはり喜々とし、ケモノが咆哮する様に謳った。
《――誰がいま使っている能力が二十倍の力と言ったぁあああ―――っ?》
《なっっ?》
直後、力をセーブしていた羅冠の速度とパワーは今度こそ二十倍に跳ね上がり、『審判』を両断する。
彼は常軌を逸した速度でエンジェリカに突撃し、彼女に向かって矛を薙ぎ払う。
けれど、その手応えに彼は眉をひそめた。
《空間の壁か……!》
《――当たり》
彼女は空間が内包するヒモの振動さえ一グーゴルプレックス回に上昇させ、その一撃を防御する。
超次元化した空間を盾に、羅漢の必殺を凌ぎ切る。
いや――その筈だった。
「おおおおおおおおおおおおおおおおお――っ!」
「くッッッ?」
羅冠はソレさえ亀裂を入れ、やがて打ち砕いてエンジェリカの〈被気功〉を破壊する。
彼はそのまま、彼女の首を飛ばしにかかる。
「……なっ!」
ついで、ソリア達は、その化物じみた光景を知覚したのだ―――。
◇
跳ね飛ばされる、エンジェリカの首。
いや……そうなる所だったが、その直前、羅冠とエンジェリカの躰は消失する。
一秒後、再び両者はこの世界に現れるが、異常はそれだけでなかった。
「な、に? ……二人の位置関係が、おかしい? 羅冠が首を薙ぎにいった筈なのにエジェリカは無事で、しかも羅冠が傷を負っている?」
ソリアの疑問に誤りはない。二人の距離は再び二万キロは離れ、羅冠は右肩に打撲の跡が見られた。
この奇怪な現象を、しかし羅冠は冷静に説明する。
《『因果』――か。おまえの頭の中で過去に遡り、自身が不利になる原因をとり除き、有利になるよう現在を改変する能力。故にあの一瞬で戦況は変わり、おまえではなく俺が傷を負った。相変わらず――ふざけた力だ》
《ええ。だって私はそういう存在。この程度の奇跡を起こせずして――何が『大天使長』でしょう?》
《フン。だが、甘い》
と、無傷だと思われたエンジェリカの首からも、血が噴き出る。
それは致命傷とはいかない迄も、エンジェリカの自尊心を傷つけるに値する現象だった。
《……また、私を、傷付けた? この『大天使長』である、私を?》
《ああ。万物は起動する時、必ず何らかのエネルギーを発す。それを全てコントロールできれば、能力自体発動不能となる。だが――誇れ、エンジェリカ。この羅冠を以て尚、能力を全て打ち消す事は叶わなかった》
《それが、今もあなたが生きている理由ですか?》
己の感情を自制する様に微笑みながら、エンジェリカは問う。
逆に、羅冠は心底から笑って告げた。
《いや、違うな。これもただの能力だよ。『楚兵は、一人で十人の敵と相対する』という逸話に基づく》
《成る程。『一人十殺』ですね? 自分と対等レベルの敵を十人殺すまで死ねない、一種の呪いですか。確かに、巨鹿県でそんな戦がありましたね》
この二人の様子を見て、ソリアはただ愕然とする。
彼女は読者を置いてきぼりにしている酷い内容の漫画を読んでいる様な貌で、呟いた。
「……あの。ハッキリ言って良いですか?」
「どうぞ」
「なんなんですか――あの二人はッ? 今までの敵とは、次元そのものが違うじゃないですかっ? なんであんなのが、この世に存在しているんですッ?」
「普段は冷静な、ソリアさんらしくないなー。やっぱこういう時ほど、クールに決めなくちゃね。キラ☆」
「……正直ついていけません。というか貴女だって、冷や汗かいているじゃないですか」
恐らくソレは、万人が万人とも抱く感想だろう。この状況は、確かに余りに酷すぎる。これがゲームなら、間違いなくそれはクソゲーだ。だって、こんなのクリヤー不可能だし。
ソリアがそう感じた時、状況が変わる。
《ですが、このままでは埒が明きませんね。これではあなたとの戦いだけで、全ての時間を使い切りそうです。故に一つ訊きますが、あなたは今どれだけの敵を狩っている?》
《二百五人だが、それが?》
それを聴き、エンジェリカは酷薄な笑みを浮かべる。
《フム。奇しくも、私と同じ数ですか。なら、尚の事よろしくない。このままでは、私達が同数のまま二人とも優勝というつまらない結果になりかねないでしょう。そこで提案ですが――先ずはこの島の王を決めておくというのはどうです? 私達の戦いの決着は、その後というのは?》
「……あ。なんか私、いま凄く厭な予感が」
「奇遇だね。私もだよ。キラ☆」
ギャルピースをしながら、スタージャもソリアに同意する。確かに、それは当っていた。
《成る程。つまり俺達は、先にそこでこの戦いを盗み見ている輩を打破するべきだと?》
《はい。そうして私達のどちらかが彼女達のポイントを奪い、優勝者を決定する。私があなたを打倒する前に、この島の王がどちらかなのかだけは明白にする。その方がお互いスッキリすると思うのですが――どうです?》
《結果としては同じ事だと思うがな。例えどういう過程を辿っても、最後に残るのは俺なのだから。が――その提案は悪くない》
よって――エンジェリカと羅冠はソリア達が居る方角に目を向ける。
それに気付いたソリアの危機管理能力は、今こそ火がつく。
「……えっと。なんか、話が不味い方向に進んでいる様な気が」
「いえ、気のせいじゃないよ。ぶっちゃけ、私達いま大ピンチ」
「………」
だから――ソリアは脇目もふらずこの場から逃げ出した。
◇
「――って、不味い、不味い、不味い! この状況は、間違いなく不味いですよねッ?」
マッハ一万で飛行し、ソリアは思わずスタージャに問い掛ける。
だがソノ答えが返って来る前に――例の二人は当然の様にソリア達に追いつく。
分速一グーゴルプレックスキロで接近し、エンジェリカと羅冠は首を傾げた。
《で、おまえ達は、今どれほどの人数を狩っている? まさか一人もという事はあるまい?》
と、ある意味それは、大チャンス?
仮にここで〝その通り〟と答えれば、見逃してくれる事もあり得る……?
《いえ、例えどう答えようが、あなた達を見逃すつもりとか、無いのですが》
いや……そんなことある訳ないか。彼等のどちらかが自分達を倒せば、彼等の狙い通りその時点で両者の優劣はつくのだから。
そう諦観し、ソリアは破れかぶれで『媒介化』した右腕の銃を羅冠に向ける。
(そう、だ! こうなったら例え一人でも――何とかする!)
だが、ソリアがそう考えた時、スタージャが口を開く。
《その戦略は、余りおすすめできませんね。何しろ私を傷付けようとした瞬間、死亡するのはあなた方の方ですから》
《ほう?》
この大言を前に羅冠は歓喜し、エジェリカは眉をひそめる。
《そなた、見たところ普通の人間の様だが、それで尚そうぬかすか?》
《はい。事実なので、そう言うほかありません》
と、羅冠が無言で自身を被う巨人の拳をスタージャ達に振り下ろす。
彼の一撃が、秒速十グーゴルプレックスキロで二人に迫る。
「つッ!」
ソレを避け切るだけの運動能力は、今のソリアには無い。
ならば、結果は一目瞭然だ。
スタージャとソリアの躰は、かの一撃によって粉々に砕かれる。
《ほ、う?》
いや――次の瞬間、羅冠はスタージャ達の姿を見失っていた。
が、羅冠は直ぐ背後にいるスタージャ達の気配を察知する。
このとき初めて、羅冠・ビクトリアはスタージャ・レクナムテという少女に興味を持った。
《今――何をした?》
《いえ。単に、距離と言う概念を〝■ろした〟だけです》
「は……?」
意味不明と言った感じで、ソリアは唖然とする。
同時に、スタージャ達の姿はまたも消失した。
《そうか。まんざらただの法螺吹きでない、という事か》
ならば、羅冠は喜々とするほかない。
彼はすぐさまスタージャ達の『気』を察知し、彼女達を追撃した。
エンジェリカも、怪訝な表情でそれを追う。
「――って、いま何をッ? なんで私達に、彼の攻撃が躱せるんですっ?」
「んん? だから〝距離と言う概念を殺して瞬間移動した〟だけ。でもアレなんだよね。私まだあの二人の事〝看破〟し切れていないから回数制限があるんだ。出来たとしても、後二回が限度。その間になんとしてもあの二人の事を〝看破〟しないと色々不味い」
「要するに、私に出来る事は、何も無いと……?」
「まだね。ソリアさんは、まだ待機。私が、ゴーサインを出すまで」
言いつつ、件の二人から五十光年は離れたスタージャは頭を悩ませる。
何とかあの二人を〝看破〟する為、眉をひそませた。
エジェリカと羅冠が二人に追いついた後も、それは変わらない。
「……流石に速い。これで残り、一回」
やはりスタージャは、距離と言う概念を〝殺し〟また五十光年ほど距離をとる。
彼女はやがて結論した。
「あー、やっぱ駄目だ。項籍さんやモルガさんの印象が強すぎて、彼等の事がよく思いだせない。最低でも――あと七分は必要かも」
「……じゃ、じゃあもう打つ手はなしッ? 例のカウンター攻撃に――全てをかけるしかないっ?」
いや、言うまでもなく、そういう事になるだろう。
ここまで追い詰められた以上、残された手段は一つだけだ。
だが……スタージャは煩悶する。
本当にそれでいいのかと、彼女は自問する。
自分は今正しい事をしているのかと彼女は己に、いや、〝スタージャ〟に問い掛けた。
しかし、彼女が悩んでいる間にも、事態は動く。
《いえ――追いかけっこはもうお終いです》
エンジェリカが放ったソレは、超絶的な重力の奔流だ。
地球の重力の、十那由多倍に及ぶ圧力がソリア達の躰を襲おうとする。
それを前にしてソリアは奥歯を噛み締め、スタージャは目を見開く。
その時、彼等は見た。
《いえ――悪いのだけど、それだけは勘弁という感じなのよね》
《な、に?》
あろう事か、バカげた事に、その常軌を逸した力場が一瞬で砕かれたのだ。
それを成した腕を組む女性を前に、エジェリカは目を細めながら問い掛けた。
《あなた……何者です?》
彼女の答えは、決まっている。
《フ。見てわからないの? 私は――白果静音。どっから見ても――ただのメイドよ!》
《………》
この余りにそのままな言動を前にして――エジェリカはただ沈黙した。
◇
その後ろ姿は、確かに見慣れた彼女の物だ。
何時だって、ソリアが役立たずだと罵倒してきた女性の背中にほかならない。
「まさか――静音っ?」
だから、ソリアは大きく息を呑む。
突如現れた彼女に対し、ソリアは思わず叫ぶ。
《……って、何をしているんですか、アナタはッ? さっさと逃げなさい! このままではアナタまで殺されますっ!》
が、静音は目前に敵がいるというのに、後ろを振り向いてソリア達に視線を送る。
彼女の言動は、ここでも意味不明だった。
《そう言えば、素の状態でアナタと会話をするのは初めてね、ソリア。でも、大丈夫。私の持論だと、ラーメン大好きなヒトは皆、拳法の達人だから》
《相変わらず言っている事がわかりませんッ? 大体素の状態ってどういう意味ですっ?》
その返答は、明後日の方角からもたらされた。
「いえ。普段の静音さんは、脳の処理速度を遅くして生活しているんだよ。凡そ――常人の一グーゴルプレックス分の一の状態なんだ。その状態で、真っ当な生活を送れる様になるまで修行したのが、彼女」
「の、脳を、一グーゴルプレックス分の一? じゃあ、普段の静音の言動がアレなのは、その為?」
「うん。その副作用。尤も、彼女のラーメン好きは元からだけど」
だとしたら……どうなる? この状況は今の自分達にとって、有利か不利か?
ソリアは自問し、その答えはやはりスタージャが為す。
「ま、今の所は――私達の味方だと見ていいと思うよ。彼女も、私が害を受けるのは望む所じゃない筈だからー」
キシシと笑いながら、スタージャは静音に目を向ける。
彼女は嘆息しながら答えた。
《そうね。ソリアは忘れていると思うけど――私も一応スタージャ・レクナムテの護衛官なのよ。故にここは一先ず――私に任せてもらいましょうか》
メイド姿をした女性が、吼える。
けれど、やはりソリアには、それが愚かしい事にしか思えない。
自分でさえ足元に及ばない、あのエンジェリカや羅冠と戦う? しかもたった一人で?
それは既に自殺行為を超越した、自滅行為以外の何物でもないのでは?
現に――あの二人の『オーラ』は余りにも強大だ。
《また一人、新手が増えたか。一応訊いておくが、そなた、今まで何人狩った?》
《いえ、実はまだ一人も。さっきまで、そこいらで昼寝していたんで》
《ほう? そなたといい、あの金髪の娘といい、愉快な事をほざく。きさま等は皆、そういった芸風なのか?》
《だとしたら?》
《……つッ! 不味いっっ!》
が、ソリアがそう叫ぶより先に、静音の躰は三時の方角に吹き飛ばされる。
羅冠の矛に薙ぎ払わられ――彼女の躰はカッ飛んだ。
《と、まだ死なないで下さいね。あなたを殺して、ポイントを加算するのはこの私ですから》
更にエジェリカが、五億機もの天使達を召喚する。
ソレ等に静音を串刺しにするよう命じ、確かに彼女の躰には無数の剣が突立てられる。
《――静音ッッ?》
やはりこうなったかとソリアは呼吸を乱す。同僚が無残に殺される所を、彼女は目撃する。
そんな時――或る種の喜劇が幕を開けた。
《あー、あー。動きが見えても、躰がついてきやしない。やっぱり、この状態じゃ、無理か》
はたしてその言葉を、羅冠とエジェリカはどう感じたか? 既に死んでいる筈のメイドを前にして、彼等は息を止める。
《じゃあ――行ってみましょうか! 六年ぶりに――本気とか出させてもらうわよ!》
《まさかっ》
《――『頂成帰結』――ッ?》
エジェリカと羅冠が、同時に結論に至る。
事実、静音の服は黒いノースリーブのタートルネックに変わる。
ズボンも軍服めいた物に変化し、両腕には黒いグローブがはめられる。
紅蓮に染まった髪はかかとまで伸び、この瞬間――彼女は完全にヒトではなくなった。
白果静音は――十の一グーゴルプレックス乗光年×五億に及ぶ巨人を纏い、それを五十メートにまで圧縮する。
《きさま――一体何者っ?》
故に口角を上げながら、羅冠が問う。返事はやはり、平凡な物だ。
《だから、白果静音。あなた達二人を――完膚なきまでに打倒する者よ?》
彼女の宣言を前に、両者は咄嗟に動く。
エンジェリカが、周囲の重力を地球の一グーゴルプレックス倍に高める。
ならば、詰みだ。
例え白果静音が何者であろうとも、この超常じみた攻撃を防げる訳がない。
現に、彼女にこの攻撃は防がない。
《まさかっ……?》
《ええ。防げるかわからないんで――書き変えさせてもらった》
《――物理法則さえ書き変えるこの力は、よもや?》
けれど、エジェリカが皆まで言う前に、羅冠が静音に肉薄する。
彼を被う巨人は、その矛を彼女に向かって振り下ろす。
それで、終わった。またも宇宙は――五億個ほど消滅する。
《ほう!》
《それが?》
だというのに、あろう事か、白果静音は、片手でソレを受け止める。
宇宙を五億は消せるだけの力を誇る羅冠の一撃を、彼女は平気でしのぎ切る。
《フ!》
逆に、彼女は羅冠に蹴りを入れ、彼はソレを何とか受け止める。今の一発で、羅冠は五万キロほど吹き飛ばされた。
だが、その隙にエジェリカは『審判』を放出する。それ等を、静音に向かって打ち放つ。
この一グーゴルプレックス個に及ぶ攻撃を前に――静音は右腕を突き出す。
《だから、無駄》
あろう事かその全てを、彼女はやはり書き変え消滅させる。
完全に無になるよう、変えていく。
《ええ。特にあなたでは、私に勝てない。だってあなたは、どう足掻いても『大天使長』なのだから》
《――冗談》
八十メートルにも及ぶ巨人が右腕の圧縮を解放させ、静音に向け拳を撃ち出す。それを静音の巨人はやはりあっさり受け止めた。けれど――エンジェリカの笑みは崩れない。
《私に勝る者など――この世には存在しません》
途端――彼女の攻撃を受け止めた静音の巨人の腕は消失しかける。
このカラクリを静音は眉をひそめながら、解説した。
《ああ。『霊力』のコントロール、か。標的のヒモの振動を零にする事で、存在その物を消去する力ね。でも、仮に私も『霊力』のコントロールが出来るとしたら?》
《……なっ?》
実際――静音の右腕は即座に再生する。
逆に静音は巨人の右腕を突き出し、圧縮を解放。
エジェリカを被う巨人の腹部に突き立てた。だが、それでも静音は彼女を称賛する。
《さすが。衝撃と言う概念さえ、その存在を弱めてみせたか》
《くっ!》
以上の力を以て静音の一撃を防いで見せたエジェリカは、しかし間合いを離す。
だが、ソレは静音を脅威と見なしたからではない。
《そうだ。退いていろ、エジェリカ。今度の一撃は――少し重い》
静音の背後から――羅冠が迫る。
自身の力を五倍に高めた騎馬武者が――迷う事なく静音に突撃する。
それを前に、静音を被う巨人は両手をクロスして、防御を図る。
《おおおおおおおおお……っ!》
《フっ!》
この羅冠の万夫不当な一撃さえ、静音は防いでみせる。
が、彼の猛攻はとどまる所を知らない。
(六倍、七倍、十倍! 攻撃力が徐々に上がっていく! しかもこのヒトってば、私の力さえ吸収しているじゃない!)
〈外気功〉の対象を静音にまで及ばせ、羅冠は彼女の力を殺ぎ、その躰を砕こうする。
かの必殺を前に、静音は大きく息を吐き、徐に告げた。
《――〝ハイ・ブースト〟――》
《なッ?》
直後――静音の力は不条理にも爆発的に跳ね上がる。
羅冠はあっさり蹴り飛ばされ、彼の躰は天高く舞い上がっていた。
《そうか! やはりきさまは――そういう存在か!》
と、羅冠は納得するが、ソリアは狼狽するばかりだ。
「……って、何なんですか、彼女はっ? なんであの二人と、しかも二対一なのに、こうまで戦えるんですッ?」
「いえ。正確には向こうも一人が攻撃している時は、手を出していないからね。実質的には、一対一みたいな感じなんだけど」
「それでも、です! ……あの力は、常軌を逸している。静音って、あんなに強かったんですか――?」
「うん。それは強いだろうね。何しろ彼女は――〝第五種極限種〟――つまり〝神〟クラスの能力者だから」
「……〝第五種極限種〟? か、〝神〟クラス……?」
ソリアは戦場のただ中に居るにもかかわらず、今度こそ忘我する。
彼女は意味不明と言わんばかりに、眼を広げた。
「そう。白果静音とは〈頂外気功〉の体得に加え――その身に数億もの宇宙を内包する存在なんだ。〝宇宙炉〟と呼ばれる力をその躰に包摂する彼女は、比喩なく宇宙そのものと言って良い。宇宙にある全ての星が周回する力や、超新星爆発に、ブラックホールのパワーも自分の物に転化できるんだから。しかも、彼女はそれら全てを〝書き変え〟――〝引き出し〟――〝消去〟する方法を知っている。ああ、ついでに言えば――キロ・クレアブルを倒したのも彼女だから」
「――まさか、六年前レクナムテ議長達と共に戦った英雄の一人が、静音っ……?」
というか、ソレ、絶対ついでに言う事じゃない。
ソリアはそう思いながら、言葉を失う。
「んん? あの二人もいよいよ彼女の正体に気付いたかな? ついに〝スタージャ・メルト〟まで使い始めた」
〝スタージャ・メルト〟――。
それは『強制力』と『気』と『霊力』と『魂魄』の力を融合させた力。全十二次元からヒモに流れてくる振動情報を消去する事により、万物を消し去る能力だ。
これに触れた物は、その為、不死者でさえ消滅する事になる。
《けど、悪いけどそれは私の十八番》
《やはり、そう来るか!》
静音も〝スタージャ・メルト〟を張り巡らせ、攻防力を極限まで高める。
この偉容を前に――それでも羅冠は尚も喜悦した。
エンジェリカもまた――喜々として戦意を失わない。
《〝神〟! 〝神〟ですか! では、あなたさえ倒せば、私は〝神〟をも超えた『大天使長』という事ですね――?》
その両者に挟まれた静音は、けれど不敵に口角を上げた。
《あー、悪い。やっぱ、もう少し時間がかかりそう。なので二人は、その間にどっか遠くに行っていて》
《ですね。確かにその方が良いかも。では彼等の事を〝看破〟したら戻って来るので、それまで頑張って》
というか……ノリが軽い。緊迫感がなさすぎる。
一体この二人は何者だと思っている内に、スタージャは距離を〝殺して〟この宙域から離脱する。
五十光年ほど離れ、彼女は大きく息を吐いた。
「じゃあ、張り切って〝看破〟してみようかー。静音さんの為にもー」
「あの、その割にはなんというか、やる気という物が感じられないのですが……?」
「いや、そんな事はないよ? 私は何時だって、全力投球で生きているよ? 現に静音さんが来てくれなかったら、危なかったし」
スタージャが、腰を下ろして一息つく。ソレは脱力とも言える仕草だ。
実はそれほどまでに、彼女は追い詰められていた?
「とにかく、静音さんのお蔭で助かった。この借りを返す為にも、さっさとあの二人の事を〝看破〟しないと。……んん? そういえば、大会終了まであと何分くらい?」
基本的な事を、スタージャが訊ねる。
ソリアは、左手にはめた腕時計に目をやった。
「……うわ。もうとっくに二時間は経っていると思ったのに、まだ三分しか経っていません。残り時間は、後十五分程もあります」
「残り十五分……か。ホラー映画とかだと、いよいよ主人公と怪物が河原で殴り合う時間帯だね。なにも起こらなければ良いけど、そういう訳にもいかないか。少なくともあの二人の内のどちらかを倒しておかないと、私達は優勝できない。彼等の見立てが確かなら、今トップなのは羅冠さん達だから」
「……でしたね。正直、頭が痛いです。あの二人と……また対峙しなければならないなんて」
心が折れた訳ではないが、あの二人と戦うとなると躰が震える。背筋に悪寒の様な物が駈け巡り、吐き気さえ催す。
しかし、スタージャの言う通りだ。静音にだけ、あの二人を任せる訳にはいかない。彼女があの二人を倒してしまえば、今度は静音を相手に自分達は戦わなければならないから。
それは最悪を通り越して、最低の状況と言えるだろう。
ソリア的にはそうなのだが、スタージャの意見は少し違っていた。
「んん? ちょっと待った。ならいっそ義理人情は捨てて、静音さんがあの二人を倒すのを待った方が良い? ……その方が、手っ取り早いかな?」
「は、い?」
「いや、でも静音さんの事だから、そういう事も計算に入れている? 制限時間ギリギリまで粘ってから、あの二人を倒すつもり? 彼女は初めから、そのつもりだった? もしそうなら流石というか、やっぱり不味いか」
……ブツブツと、意味不明な事をスタージャは語る。
ソレにソリアが合いの手を入れようとした時――またも事態は動く。
《計算か。ならその計算とやらは、この時点で破綻した。私としてはそう思うのだが、一体どうなんだろうな――スタージャ・レクナムテ?》
見れば其処には――十歳位の少年が居る。
見覚えのないその彼を前に、ソリアは素直に眉をひそめる。
《まさか、あなたまで――っ?》
一方スタージャ・レクナムテは――いま再び驚愕の表情を浮かべたのだ。
6
目前には、謎の少年が佇んでいる。
いや、宇宙空間のただ中に居る時点で、彼が常人でない事はわかる。
問題はこの彼が何者か、という事。
それこそ自分が推し量るべき事だとソリアは思うのだが――彼女の反応は少し違っていた。
《……驚きました。よもやあなたまで、この大会に参加していたなんて。これはただの偶然? それとも、どなたかの策略ですか?》
「――って、まさかアレは貴女の知り合い? 彼が誰なのか知っているんですか、貴女は?」
スタージャが、珍しくも気難しい表情を見せる。
恐らくソレは、ソリアが初めて見る彼女だ。
「一応。もう二度と会う事はないと、思っていたけど」
「ソノ反応からすると、彼はやっぱり、私達の敵……?」
どう考えても、ソリアとしてはそうとしか思えない。
その彼が、再び声を上げる。
《私も同じだよ。まさかおまえと、再びまみえる日が来るとは思っていなかった。なんて言ったら、信じるかな?》
《やはりそう。狙いは……私の首ですか? この大会の優勝なんてあなたの眼中にはない?》
《さて、どうだろう? だが、見た所、おまえは随分とあの島にご執心の様だ。正直言えば、そのユメを叶えて欲しいとさえ思っている。けど、私も契約があってね》
《……契約》
《ああ。おまえが察している通りだよ。この出会いは偶然ではなく、人為によって得られた物だ。ある者から〝この大会におまえは間違いなく参加する〟と聞いてね。これほどおあつらえ向きな舞台もないと思い、私も参加させてもらった。狙いはおまえが言う通り――スタージャ・レクナムテの首だ》
そう言い切る彼に、スタージャは顔を曇らせる。
《無駄だと思いますが、訊いておきます。それはまさか、頭にターバンを巻いた金髪の男性ではないですよね?》
《ああ、違うな》
《なら、スタージャ・クレアブルですか? あの彼女の計略?》
「スタージャ・クレアブル……?」
スタージャという自分の警護対象と同じ名を聴き、ソリアは眉をひそませる。
尤も、スタージャという名前自体はそれほど珍しくない。楔島では一般的で、某国々の〝マリア〟の様な感じである。
だが――問題はそのセカンドネームだ。
〝クレアブル〟とは紛れもなくエルカリスやキロの姓であり〝皇〟という意味でもある。加えて〝スタージャ〟とは彼等の言葉で――〝神〟を指す名前だ。
「……つまり神皇? まさか神皇の名を冠した〝神〟クラスの能力者が、この世には居る……?」
《ほう。中々、飲み込みがはやい娘だ。その通りだよ。更に言えば――スタージャ・レクナムテとは、スタージャ・クレアブルのクローンらしい》
《な、に……?》
〝神〟レベル能力者の……クローン?
ソレがスタージャ・レクナムテの正体――?
《ああ。かの大戦以前にキロ・クレアブルは既に〝神〟レベルの能力者をつくり出していた。ある実験に用いる為に彼女を用意した訳だが、そこでキロは一つの疑問に至った訳だ。〝神〟の量産は可能か否かという》
《なん、ですって?》
《だが、話によれば、結果は無残な物だったらしい。どう複製しようと、誕生するのは普通の人間だった。『異端者』ですらない、只の人間ばかりが生まれてきたとか。結果、キロは数年程その少女達を育て、データをとった後、自分の城から放逐したらしい。その一人が――その娘という訳だ》
「じゃあ、〝スタージャ〟と貴女の容姿が同じだったのは、その為……?」
「……うん。私と彼女が、スタージャ・クレアブルのクローンだったから。私と彼女はそういう存在なんだ。キロ・クレアブルにしてみれば、全く無価値な存在だったんだよ、私達は」
依然、無表情で彼女は語る。
胸中が読めないスタージャに対し、ソリアは奥歯を強く噛んだ。
「でも私にとっては違う。仮にこの世に神がいるとしたら、それは紛れもなく〝スタージャ〟だった。彼女は人の身でありながら、『異端者』を相手に、私を救ってみせた。その身を犠牲にして、本当に憎らしくも鮮やかに。これはただそれだけの事だから――ソリアさんはそんな貌をしなくていい」
「………」
今漸く、スタージャはニッコリと微笑む。何時もの彼女の様に、満面の笑みを作る。
けど……それでもソリアの気分が晴れないのは、それが彼女自身の笑顔でないと知っているから。〝スタージャ〟ならここで笑うだろうという、計算された笑顔だからだろう。
もしかしたら……自分はまだ彼女が本当に笑った所さえ見た事がないのでは? 彼女の笑顔は何時だって、作り物なのではあるまいか?
そう考えた時、ソリアの躰には悪寒が走り、思わず呼吸も止まる。
《そういえば、まだ答えを聴いていませんでしたね? あなたの雇主は、誰? その目的は、何です?》
無駄と知りつつも、スタージャは訊いてみる。
しかし、彼は笑って提案した。
《そうだな。では、チャンスをやろう。仮におまえが私に勝てたなら、おまえが知りたがっている事全てを教えてやる。そういう事で、どうかな?》
《……気前が良いのですね? それほどまでに、私を殺す自信がある?》
《語るまでもない。只の人間を殺すなど造作もない事だ。ああ。本当におまえが、只の人間ならばな。いや、私も訊いておきたいのだが、果たしてそこの娘は全てを知っているのかな?》
思わせぶりな問いかけを前に、ソリアは見るからに憤慨する。
《……何です、ソレは? あなたが彼女の、何を知っていると言うんですか?》
《その反応から察するに、何も知り得てはいないか。ま、良い。知らなくてもいい事も、この世にはある。これはそういう事なのだろ――スタージャ・レクナムテ?》
《やはり変わりましたね、あなたは。三年前のあなたなら喜々として話していたでしょうに》
《お蔭様でね。これでも、多少の気遣いは出来る様になったんだよ。その反面、私は自分の可能性を試してみたくなった。どこまで行けるのか、知りたくなったんだ。いや、おまえにしてみれば皮肉な話か。慢心を捨てた途端、努力を惜しまぬ私が完成したのだから》
《つっ……!》
この時、スタージャはもう一度、亜然とした表情を見せる。
彼がどう変わったか理解したが故に、彼女はただ決意するしかなかったから。
《……わかりました。では、お相手しましょう》
「って、本気ですか、スタージャっ? 貴女は何時だって、誰かを殺す事を躊躇っていたじゃないですかッ? なのに、例のカウンター能力を使ってまで彼を殺すつもりっ?」
いや、違う。これは恐らく、そういう事ではない。
「……もしや、貴女は彼の事を〝看破〟している? 〝彼を倒す手法を知っている〟という事ですか?」
だとしても、只の人間である彼女に、件の手法を実行できるとはソリアには思えない。
その手段を遂行できるニンゲンが居るとしたら、それは紛れもなくこの自分である。
だからこそソリア・メビスは、嫌々ながらこの大会に参加したのだ。
ソノ役目があるからこその、自分である。
ソリアとしてはそう確信しているのだが、スタージャは首を横に振る。
「悪い、ソリアさん。彼とはちょっと、因縁があってね。どうしても、私一人で決着をつけなくちゃいけないんだ。だからソリアさんは――ただ私を信じてくれるだけでいい」
「冗談でしょう……?」
けれど、スタージャの歩みはとまらない。彼女は事もなくソリアの〈被気功〉を通り抜け、あろう事か、宇宙空間に身を晒す。
その時点で彼女は間違いなく死んでいる筈だったが、ソリアは見た。
「まさ、か」
平然と生存している――スタージャの姿を。生身の人間が何の補助もなく、宇宙空間で生き長らえている。
この現実を前に、ソリアはただ眼を広げた。
《ではやりましょうか、ダンダリヤ・レイドヘルム。外銀河の――〝神〟レベル能力者》
「なぁぁぁ――っ?」
その言葉を聴いた時――ソリアは確かにスタージャ・レクナムテの死を確信した。
◇
《〝神〟レベルの能力者ッッ? つまり――静音と同等の力を持つ者っっ?》
愕然とする、ソリア。
彼は、ダンダリヤと呼ばれた少年は、嬉々として告げる。
彼の――死刑判決にも似た宣告をソリアはこのとき耳にした。
《ま、そんな所だ。我が体内には――四億に及ぶ〝宇宙炉〟が内包されている》
最中――彼の姿が変わる。
中肉ながら、二メートル二十センチにも及ぶ巨躯へと変貌する。
両足はヤギの後ろ足の様に変化し、頭に巨大な角が二本生える。
この一帯には、強大なナニカが充満し、ソレだけで宇宙が一つ消滅する。
更に彼は――全長十の一グーゴルプレックス乗光年×五億規模の巨人を纏い、それを五十メートルにまで圧縮した。
ダンダリヤ・レイドヘルムは――歓喜する様に吼える。
《ああ。この時を待っていたぞ――スタージャ・レクナムテ!》
《……不味いっ!! 逃げて、スタージャぁあああ―――ッ!》
しかし、両者はただ棒立ちしたままだ。両者共に動かず、ただ互いの姿を見つめ合うのみ。
だというのに、何かがおかしい。
(……なに? これは何のプレッシャー? なぜ私はこれほどの圧力を感じている――?)
ソリアの躰には、目に見えぬ衝撃が突き抜ける。まるで宇宙を壊さんばかりの重圧が、彼女の躰を襲う。
ソレは数秒ほど続き、やがてスタージャは納得した。
《……成る程。確かにこれは――常軌を逸している》
彼女はこの時、ソリアに優しく語りかけたのだ。
《……ソリアさん。これから私に何があっても、絶対に手を出さないで。ソリアさんが今するべき仕事は、私を見守る事だけ。わかった?》
返事は無い。ただ、ソリアは息を呑む。
《フ、ハッ!》
次の瞬間――遂に両者の間に変化が起こる。
気が付けば、スタージャの体が九時の方角に吹き飛んでいた。
《スタージャ――っ?》
瞬く間に、それに追いついたダンダリヤはスタージャに向け、何かをする。
いや、ソレは単にソリアには知覚できないだけ。彼は確かに、スタージャの体へ一グーゴルプレックスプレックス発もの拳を叩きこんでいた。
それは即ち、十の一グーゴルプレックス乗もの数の暴力だ。既に超次元とも言える、拳と蹴りの弾幕である。
ソレ等全てをスタージャは当然の様に、避ける事も、防ぐ事も出来ぬまま被弾する。
彼女の様を見て、ソリアは悟った。
(……やはり、例のカウンター能力は、嘘ッ? スタージャには、そんな能力は無いっ? でもあの時、デアン・シアの不意打ちを防いだのは、確かにその力だった!)
それ以前に、彼女は既に死んでいるのでは? いや、そう考えること自体が――愚考と言えるだろう。普通の人間が、アレほどの異次元めいた数の殴打を受け、生きている訳がないのだから。
(……そうだ。私は、何をしている? 私が今しなくてはならない事は……一つなのでは?)
例えこの身を盾にしてでも、スタージャの身を守る。たった一発だろうと、あの暴力の嵐から彼女を庇うのが、自分の仕事だろう。
だというのに、自分はなぜ今も立ちつくしている? なにを呆けているのか?
そうだ。思い出せ。自分はただの一度だって、己の命が一番大切だなんて思わなかった筈。なら、自分がするべき事は決まっている。
……いや、本当にその筈だった。
〝ただ私を信じてくれるだけでいい〟
「……ああ」
〝私に何があっても、絶対に手を出さないで〟
「ああ……」
あの二つの言葉が、今もソリアを縛り付ける。
まるで言霊の様に、彼女の魂に絡みつく。
けれど、現実は余りにも残酷だった。ダンダリヤの攻勢は、尚もとどまる所を知らない。
《どうしたッ? おまえの力はそんな物か――スタージャ・レクナムテっ?》
全長五十メートルに及ぶ巨人が、二メートルにも満たない少女の頭頂部を殴りつける。そのまま彼は彼女を、高々と蹴り上げた。
《私はおまえのお蔭で、得も言えぬ気分を味わったというのにな! そのおまえが――その元凶がこの様とは一体どういう事だッ? おまえの器量は所詮その程度という事か――っ?》
一秒間に二グーゴルプレックスプレックス発もの拳を叩きつけながら、彼は問う。彼は彼女の脆弱さを蔑視し、呪いさえする。
ついで、彼は思い出す。今、この場に達するまでの過程を。
それはまだ、宇宙が統一される前の話。もともと、彼は生まれこそ平凡な物だった。
或る中流家庭で生まれ、ヒト並みに育ち、ヒト並みに友人をつくって――或る日戦争に巻き込まれた。
何の前触れもなく、大量破破壊兵器によって多くの友人を失った。自分達と敵対する大人達に自分や家族を連行され、幼い彼はただ彼等に従うしかなかった。
それでも、まだ小さな彼は信じて疑わなかったのだ。自分の家族がピンチになったら、きっと正義の味方が現れ、自分達を守ってくれる、と。
事実、彼女は告げた。
〝大丈夫。神様が、きっとダンダリヤを守ってくれる。私達は絶対に助かるから、何も心配いらないわ〟
彼の母親はそう言って、彼を励まし続けた。あろう事か、あの極限状態で笑顔さえ浮かべ、彼女は彼の身だけを案じたのだ。
だが、ソノ祈りとは裏腹に、虐殺はとまらなかった。
彼の家族は彼の目の前で、次々■され、彼は漸く悟る。
〝あああああぁぁぁッッ、あああああぁあぁッッッ………!〟
大好きだったヒト達が、物言わぬナニカに変わった途端、彼は初めて現実を知った。自分達はただ殺される為だけに生まれてきたのだと、理解しかけた。
〝ちが、う〟
いや、それでも、彼は、最後まで信じつづけたのだ。
あの母の言葉を、あの彼女の祈りを、額に銃口を突き付けられる瞬間までただ信じ抜いた。
〝ちがう! ちがう! ちがう! ちがう! こんなのぉちがうぅ!〟
そして銃弾が彼の頭を打ち抜いた瞬間、あろう事か、バカげた事に、ソレは現実となった。
あの母の言葉は事実だったと――彼は知る事になる。
『歪曲者』が、気まぐれで生みだした者。
それが自分だと気付いた時には、既に全てが終わっていた。
あの母が告げた通り、確かにその時、その場所に――〝神〟は降臨したから。
その〝宇宙炉〟と呼ばれる力を以て、彼は悪い大人達を逆に虐殺した。
正義の味方とは程遠い形相で、彼は彼等を皆殺しにしたのだ。
〝ああぁあああぁッッ、あああああああぁぁ………!〟
それでも全て手遅れだった事を、彼は目の前に広がる光景を前にして思い知る。
彼の周囲にはただ遺体の山だけが積み上げられ、その日、彼は最後に一度だけ泣いたのだ。
そこから、彼の世界は一変した。
彼の立場は何時の間にか、〝殺される側〟から〝殺す側〟に変わった。
超常的な力を誇っていた彼は、けれど武力によって争いを鎮圧した。自分の価値観に合わない者は、残らず皆殺しにするようになった。
そうするだけの憎悪が、世界への嫌悪が、彼の中にはあったから。
こうして、彼という〝神〟による圧政は始まったのだ―――。
〝ああああぁ、ああああああぁぁ………!〟
だが、ある日、彼は思い知る事になる。
今の己こそが、自分の家族を■ろした、あの悪い大人達その物だったと。
自分こそが〝神〟の力を持った悪魔である事に、彼は漸く気が付いた。
ただ、その時には彼の手は既に真っ赤に濡れていて、もう取り返しがつかなかった。
彼はただ、忘我しながら悲嘆にくれる。
〝そうか。俺は何時も、大事な事に気付くのが――致命的に遅い〟
それこそ――彼の人生を象徴するような言葉だったのかもしれない。
その所為で、彼は大好きな家族を、失った。その所為で、彼は殺さなくてもいい人々をたくさん殺した。その所為で、彼は自分の様なニンゲンを、ただ増やし続けた。
けど、そう後悔した所で、全ては手遅れだった。
ならば、どうすれば良い? 自分がするべき事は、何だ?
彼は自問し、やがて答えに辿り着く。いや、あの来訪者が、その答えをもたらしてくれたと言うべきか?
《そうだ! だから私は――俺は今ここに居る! 俺を正気に戻した、きさまを討ち滅ぼす為に! そんな余計な真似をしたきさまを、打ち砕く為だけにッ!》
故に、彼の拳は止まらない。
ダンダリヤの拳は、確かにスタージャ・レクナムテの体を抉る。
その時、彼女は確かに彼を見た。
《そ、う。そうしていると、まるで泣きながら母親に何かを訴える、幼子の様ですね、ダンダリヤ?》
《な――?》
まるであの日の母の様に――少女は微笑みながらそう告げていた。
◇
ならば、彼はただ歓喜するしかない。
《ククククク! ハハハハハハハ! 止めろ! その顔で、俺になにかを語りかけるのは止めろ! おまえは、断じて違う!》
《ええ。私は断じて、貴方の母親ではありません。私はただ、覚えているだけ。あの日の彼女を。貴方に対して向けた、彼女の笑顔を。貴方が決して忘れないから、私も覚えているだけです》
《そうだ! だからこそきさまはッ――死ななければならない!》
彼は尚も喜悦し、その少女を殴打する。
彼女の笑顔を見る度に手が止まりそうになる己を、必死に鼓舞して。
胸裏にはしる哀しみを、怒りに変えて。
この冷酷さを、ソリアはただ茫然と眺める。
《ダンダリヤ・レイドヘルム――っ!》
遂に堰を切った様に、彼女は彼に銃口を突き付けた。
ソレが何を意味するのか理解できないまま、ソリアは彼の殺害を図る。
けれど、あの彼女は首を横に振ったのだ。
《いえ》
決着の時は――早くも訪れていたから。
《よく耐えてくれた、ソリアさん。もう終わるから、大丈夫》
《そうだな。確かに――これで終わりだっ!》
その宣言通り、彼は止めの一撃を放つ。
『隔離』という名の〝アード・ワード〟を――彼女に向け炸裂させる。
それは時間軸を切り離し、未来を極限まで限定させ、空間を破壊する能力。これにより〝それ以外の未来〟がなくなる為、被術者は彼に殺されるしかなくなる。
つまり、あの時間軸に隔離された時点で、彼女の死は決定的という事だ。
そしてソリアが気付いた時には、既にスタージャの姿はその空間に取り込まれていた。
《あああぁぁあぁッッ、あああああぁぁッッ!》
ならば、その絶望は如何ばかりか?
ソリア・メビスはこうして、警護対象を、初恋の相手を、完膚なきまでに失ったのだ。
いや、本当にその筈だった。
だが――彼は見た。
《……やはり》
《ええ、その通りです》
《ああぁ、ああぁぁ……》
砕け散った筈の空間から、あろう事か――金色に輝く少女が現れる。
黄金に包まれた少女は――ただ彼に目を向けた。
《スタージャ・レクナムテぇえええっ………!》
あらん限りの呪詛を以て、彼は吼える。
右腕を引き、彼は再び止めの一撃を放とうとする。
《そうだ! きまさに――この『結合』が躱せるかっ? これは紛れもなく三年前、きさまが俺に向け放った拳以上の威力を持った一撃! ならばきさまにコレを躱せる道理はあるまいスタージャ・レクナムテ!》
『結合』とは彼が受けた事がある最強の一撃に、自分の攻撃力をプラスする能力。
彼が言う通りその『結合』はスタージャ自身が放った一撃に、今の彼の力が加わる。
この瞬間――彼の攻撃は秒速三グーゴルプレックスプレックスキロにも及ぶ。
《な、はぁ――?》
続けて、彼は、見た。
その自分の一撃でさえ――〝殺してみせる〟彼女の偉容を。
《ええ、そう。ごめん、ソリアさん。私、嘘をついていた。私はねソリアさん、〝看破した相手にだけ自分の能力が使える様になる〟んだ》
《自分の能力を……使える様になる?》
彼女の言葉の意味を、彼は独白する様に吐露する。
《……そう。あの娘は、〝万物を殺す者〟だ。あらゆる概念を、彼女は〝殺す〟事が出来る。窒息死という概念を〝殺し〟――撲殺という概念を〝殺し〟――術という概念を〝殺し〟――限界という概念を〝殺し〟――肉体疲労という概念さえ〝殺す〟のがあの娘。何故なら――それがおまえの能力だから》
《ええ。私の力の源泉とは――即ち〝ビッグバン〟です。この世界を――〝殺した力〟に違いありません》
《……〝ビッグ、バン〟?》
然り。あの来訪者曰く、この宇宙とは本来一つの知性体だったとか。『第二種知性体』と呼ばれたソレは、ある戦いに巻き込まれ、敗北した。結果、ソレは死にかけ、知性という物を失った。
だが、完全に死に絶えなかったソレは、自らの蘇生を図る事になる。散り散りになった概念を再構築する為、ソレは人類を生みだした。人類に分散した知識と知性を再生させ、本来の自分を取り戻そうとしたのだ。
ただ、自然発生する中では最高の知性体である人類でさえ、決して絶対的な存在ではない。人類の存在理由は〝自然発生では生まれない、自分達をも超えた知性体を誕生させる事〟だ。そうしてこの星をその彼に譲渡し、〝最良の滅び〟を迎える事こそ人類の宿命である。
星を譲渡された彼はやがて『死界』の宇宙を内包する様になり、この宇宙と融合する資格を得る。
仮にこの試みが成功すれば、宇宙は本来の自分を取り戻す事だろう。
ソレこそが、この宇宙の正体だ。
ならば、宇宙を滅ぼしかけた力とは何なのか? この世界を今の死に溢れた形にしたのは、何者だろう?
その死にかけた要因こそ――〝ビッグバン〟と呼ばれる物。
『第二種知性体』という上位空間知性種が放った――常軌を逸した攻撃にほかならない。
故に――この世界はその攻撃だけは防ぎ切れない。
その攻撃が、強力だからではない。その攻撃でこの世界は滅びたという記憶が、この世界にはあるから。
ならば、この世界に住む者もまた、その記憶が刷り込まれているという事。その一撃でこの世界が敗北したという事実がある限りソノ業はどう足掻いても一撃必殺となる。その記憶を、今を生きる我々も再現してしまう。この世界に住む者では残念ながら防ぎようがない―――。
ソレこそが――摂理の火。
〝ビッグバン〟という名の――史上最悪の凶器だ。
ならば、ソレを自在に操るこの少女は、何者か―――?
いま言える事があるとすれば、クレアブル語には彼女を表現する言葉は無いという事。
何故なら、エルカリスもキロも、〝神〟を超える存在など想定していなかったから。
だから彼等は外の世界の言葉で、彼女を表現するほかない。
例えば――〝極限搾取〟と。
例えば――〝ゴッドイーター〟と。
比喩なくソレは――〝神殺し〟の能力者という事。
現に、彼女を前に彼は呆ける。
《おおおおおおおおお、ああああああああぁぁ………!》
スタージャ・レクナムテは十の一グーゴルプレックス乗光年×五十兆にも及ぶ巨人を、二千億光年にまで圧縮する。
ソノ次元違いの巨躯が、〝神〟であるダンダリヤに立ちふさがる。
この光景を、その異常性を、彼は五感全てで感じ取り、ただ祈る様に問うた。
《なんなのだッ? きさまは一体なんなのだっ、スタージャ・レクナムテぇえええっ?》
既にその答えがわかっている筈の彼は、それでも疑問符を並び立てる。
その答えとばかりに彼女を被った巨人の腕は、彼に向かって振り下ろされる。
秒速六グーゴルプレックスプレックスキロで、その拳は落下してくる。
「がぁはぁあああ―――っ?」
そうして避ける間もなく繰り出された彼女の拳は――呆気なく彼の躰を打ち砕いた。
◇
決着は、実に呆気ない物だった。
たった一撃。三年前とは違い、たった一撃で、ダンダリヤ・レイドヘルムの意識は刈り取られる。
ソレを確認した後、スタージャは自分を被う巨人を消去し、笑顔でソリアの前に降り立つ。
ソリアは、ただ愕然とした。
「ごめん、ソリアさん。限界という概念を今まで以上に〝殺す〟のに時間がかかった。こう、パソコンがデータをコピーするのに、時間がかかるみたいに。でも、よく手出ししないでいてくれたね。ありがとう」
「……バ、バカですか、貴女は?」
「んん?」
「……護衛官が、マルタイの警護を怠ったというのに。ソレを褒める貴女は、バカだと言っているんです。……私を、こんな気持ちにさせて。それなのに、何時もの様に笑顔を浮かべている貴女は、本当にバカです……」
「そっか。そうだよね。ごめん、ソリアさん。私はまた間違えた。本当、〝スタージャ〟ならきっとこんなミスは犯さない筈なのに」
「〝また、間違えた〟?」
ソリアの問いに対し、スタージャは彼に目を向け、語り始める。
「そう。今から三年前、日本に行った時――私は一度ダンダリヤさんと戦った事があるんだ。その時、私は彼の悪性を〝殺した〟の。彼に少しでも良い〝神様〟になってもらいたかったから。けど、どうもそれは失敗だったみたい。ね? そうでしょう、ダンダリヤさん?」
《そう、だな》
スタージャの促しに応じ、彼は声を上げる。
ただボウとした目で中空を見つめる彼を前にして、スタージャは続けた。
《多分、彼は善性を得て初めて気付いたんだと思う。自分は、無駄な血を流しすぎていたという事に。それこそ、自責に押しつぶされんばかりに彼は煩悶した。だから彼は――死に場所を求めたんだよ。善人になった事で彼は自分の所業に苦しみ、その所為で私と刺し違えようとしたんだ》
《そうか。やはりなにもかも、お見通しか。そうだ。おまえは、おまえという娘は、殺さなければならぬ者。決して、生かしておくことは出来ない存在だ。故に、刺し違えても殺すつもりだったが――俺にはそんな責任のとり方さえ、できなかった》
呟く様に告げ、彼はやはり天を仰いだ。
《いや、違うな。俺はおまえに、母親の面影を見た時点で、敗北していたのかもしれん。あの笑顔を見た時点で、俺は負けを認めるべきだった。……俺は、自分の家族の様な最期を迎える人々を二度と生まない為殺し続けていたというのにな。気が付けば、俺自身がアノ〝殺した側の存在〟になっていた。その真理を悟った時点で、俺に生きている資格はなかったんだろう。故に復讐がてら、その事に気付かせたおまえを殺しに来たが、それさえも失敗した。そうだ。俺はいつも大事な事に気付くのが……余りに遅すぎる。今少しおまえと出逢うのが早ければ、こんな事にはならなかったのかもしれないのに》
まるで死に行く者の様に、彼は吐露する。
だからこそ、彼女は告げずにはいられない。
《なら、今度は手遅れになる前に言っておきます。これは川奈尾美という殺戮者の言葉なのですが、〝死を望む者に死を与えても、それは罰にはならない〟とか。〝それなら生きぬいて、何かを成し遂げた方がよほど罪の精算になる〟そうです。きっと、万人はこの理屈を戯言だと言うでしょう。罪人の言い逃れだと、断じる筈です。でも、だからこそ、そう生きる事こそが本当の罰だと思いませんか? 少なくとも、私はそう思って今を生きています。贖い切れない罪を、なにかを成し遂げるまでは背負い続けるつもりでいる。貴方に、そう生きろとは決して言いません。……でも、そうですね。試にたった一人の女の子を、心から笑わせてから死んでみるのも一興ではありませんか?》
《……つまり、俺におまえを笑わせろ、と? あの時の様な笑顔を、もう一度つくってみせろと、そうほざいているのか?》
けれど、彼女は直ぐに答えない。彼女は、今は決して微笑まず彼の姿を見据えた。
《ええ。ついでにウチのソリアさんも、笑わせてあげて欲しいものです》
《……その仏頂面の娘を? ああ――ソレはおまえより、数千倍は難しそうだ》
そしてあろう事か、彼の方が、ダンダリヤ・レイドヘルムの方が、腹の底から笑っていた。
彼女から受けたダメージをそのままにして、彼はこの時本心から彼女との会話を楽しんだ。
彼は今、本当の意味で自身の敗北を認めたのだ―――。
《……わかった。もう良い。今の戯れ言だけで、十分だ。本題に入ろう。俺に訊きたい事があるのだろう?》
《ええ、そうですね。では、お聞きしますが、なぜ貴方にアレほどの力が? 失礼ながら例え貴方でも、私の見解ではたった三年でアレほどの力は得られません。その力はやはり貴方の雇主が何かしたから?》
ソリアには気付かせない様にしながら、スタージャはある種の危機感を以て訊ねる。
だが、彼の答えは直接的な物ではなかった。
《いや、どうやらその答えは、本人に訊く方が手っ取り早そうだ。感じないか? 俺の中からそのあたりの力が消失したのを? その行き先が、あの三人が争う場である事に?》
《これは――まさか?》
《そういう事だ。なら、俺に構っている暇などあるまい。さっさと行って、さっさと片付けてこい。俺との約束を、本気で守るつもりならな》
《わかりました。じゃあ行こう、ソリアさん。多分――これが私達の最後の戦いだよ》
《最後の……戦い? ソレは、一体どういう?》
しかしスタージャは何も告げぬまま――五十光年離れたその場所目指しソラを駆けていた。
7
其処で、唐突ながら三者は見た。
《ん?》
《んん?》
《ほう?》
尚も攻防を続ける、静音にエンジェリカ、羅冠はその疑問に行き当たる。
中空を見れば、そこには貌を隠した見知らぬ誰かが佇んでいたのだ。
《まだ生き残りが居たとは。まさかと思うが、きさまもこの戦いに参加するつもりか?》
なら、この場に居るだけで、そのナニカは消滅する事になるだろう。ソレだけの圧倒的な力を、この三人は有している。比喩なく一度に宇宙を数億消し飛ばせる彼等は、だからその影を心底から見くびった。
だが、彼女は思い直した様に直感する。
《――二人とも、今から本気を出しなさい! 全力を以てソレを迎撃して! でなければ――負けるのはこっち!》
《なに?》
《は?》
何か得体のしれない物を、影から感じ取った静音が叫ぶ。
静音はこの時、初めて心からナニカを侮蔑する様に眉を吊り上げた。
《フン。我等の中で一番若輩であるきさまが仕切るか? が、まぁ――いい。丁度、小手調べにも飽きてきた所だ。俺自身もまだ知り得ぬ己の本気――ここで出しつくそう》
《仕方ありませんね。〝神〟がそう直感したのならあながち戯言とも言えないでしょう。あなた方と共闘する気等ありませんでしたが、今回のみあなたの指示に従って上げます》
《そう? なら私も一応感謝しておいて上げる。今だけ頼りにしているわよ、二人とも》
何時かのスタージャの様に――ウインクしながら静音が微笑む。
その様子を凝視する様に、件の影は棒立ちした。
《おおおおおおおおおおおおおお―――!》
途端――羅冠が雄叫びを上げる。
《つ――っ!》
エジェリカは――奥歯を噛み締める。
《フ……ッ!》
静音はただ双眸に力を込め――ソレは起動した。
羅冠がレベル六の力を、解放する。『死界』から未来の自分の力を引き出し、現在の己に投影する。
その瞬間、彼の能力は『二十倍上の力を持つ敵を殲滅する』から、『五十倍上の力を持つ敵を殲滅する』に変わる。
彼は分速五十グーゴルプレックスキロで、かの影へと突撃を開始。振りかぶった矛を以て、件の敵を空間ごと両断しようとする。
エンジェリカは、この宇宙にある全ての星々の『霊力』を向上する。そのバックアップを受けながら、彼女は『最終審判』を放つ。『死界』の過去、現在、未来を含め、被術者が犯した全ての罪を裁く能力を発動する。
更に、静音は〝この中で最も『強制力』を持ったニンゲンの躰が爆発する〟よう、物理法則を書き変える。その体のまま、彼女は叫んだ。
《〝ザ・ブースト〟――!》
ソレは――彼女にとっての奥の手。〝フル・ブースト〟を行った状態で自分の限界を消去し無限にも近しいパワーを得る業。
静音達三人は正に最大最強の奥義を以て――ソノ影に肉薄したのだ。
その時――ソレは笑う。
《フフフ、ハハハハハハハハ。素晴らしい》
この万夫不当の三者が、初めてその影の声を聞く。
ソレが起こったのも、その時だった。
まず羅冠の矛がいなされ、彼の躰のバランスが崩される。
同時にエンジェリカの『最終審判』が影へと迫るが、ソレを影は一瞥しただけで消去する。
ソレにエジェリカが驚愕する中、静音が自身を被う巨人を一メートルにまで圧縮。右腕に集中させ、一気に解放し、全長三百兆光年に及ぶ手刀を撃ち放つ。
特筆すべき点は、そのコンビネーション。
羅冠は自分の攻撃を躱された瞬間、この空域から離脱する。影の視界を遮る形で、彼は三時の方角へと逃れる。
影が不可視の間に――静音の〝スタージャ・メルト〟と化した手刀が影に迫った。
ならば、詰みだ。かの超常を以て、打破できぬ存在などある筈もない。
だが、その瞬間、戦況が動く。
《よくわかりました。これが――〝彼女〟が見ていた世界》
《な……?》
白果静音は、目撃する。己の〝スタージャ・メルト〟さえ――件の影の〈外気功〉の対象に貶められるソノ様を。
故に――彼女の攻撃も一瞬で、消失する。
影が僅かに力を込めた瞬間、宇宙は粉々に砕かれる。
三者とも五万キロは吹き飛ばされ、体勢を大きく崩される。
なのに――羅冠は喜悦した。
《くくく! はははははははっ! なんだアレはっ? 我等三人の全力を、凌いでみせただとッ? これほど愉快な事がほかにあるか、エジェリカに白果静音っ?》
《……その余裕。あなた、まだ何か隠し玉が?》
静かに問うエンジェリカに、羅冠は笑って答える。
《無い。今ので全て出し尽くした。だが、我はまだ限界を超えてみせた訳ではないぞ、素顔も見せぬ不埒者が》
《……成る程。さすが西楚の覇王――項籍羽の子孫。正に不屈の精神だわ》
半ば失笑しながら、静音が評する。それから彼女は、例の影を睥睨した。
《そう。そうなの。行方不明って話だったけど、まさか生きていたとはね。一体なにが目的なのよ、あなた?》
《よくわかりましたね? 以前のわたくしとは、〝オーラ〟やキャラを少し変えてみたのに》
直後、影は己の〝オーラ〟を静音がよく知る物に変化させる。
それが切っ掛けになったのか、静音は何かを察し、前言を翻す。
《と、やっぱ答えなくていい。で、本当に彼女を殺す気? 殺せるつもりでいる?》
《イエスだとしたら?》
《いいわ。なら――お手並み拝見といこうじゃない》
その証拠とばかりに、静音は『頂成帰結』を解く。
彼女の様を見て、羅冠は眉をひそめた。
《何のつもりだ、白果静音? よもや、あの様な正体もわからぬ不埒者に屈するつもりではあるまいな?》
《まさか。でも、私達の出番が一区切りついたのは事実なのよ。後の事はそう――あの子達に全て委ねるしかない》
実際、彼女達の到来を――白果静音は笑顔で出迎えた。
◇
スタージャとソリアが、この宙域までやってくる。
同時に金髪の少女は件の影を見て、全てを悟る。
《な、に? アレ、は?》
逆に、ソリアは見知らぬナニカを見て――悪寒を覚えるほど動揺した。
それだけの違和感を、件の黒い影は発していたから。
《漸くご登場ですか。待ちかねましたよ。スタージャ・レクナムテにソリア・メビス》
《……〝待ちかねた〟? ダンダリヤさんを使って私の力を殺ぎ、自分の優位性を確立しようとしていたあなたが? よく言いますね》
ソレは初めてソリアが見た、スタージャの敵意だ。
彼女は明らかに軽蔑の眼差しを、あの影に向けている。
《ええ、そう。わたくしの力の一部を彼に授けたのは、その為。少しでも貴女に無駄な力を使わせる為だったのですが、余り効果はなかった様ですね。……残念です。彼にしてみれば、自分の罪から逃れる好機だった筈なのに。まさか――貴女と刺し違える事さえ出来ないとは》
明らにスタージャを煽り立てている、黒い影。
が、スタージャは大きく嘆息し、それだけで彼女は何時もの彼女に戻っていた。
《いえ、無駄話はここまでです。その手の挑発も、もう結構。本題に入りましょう。それにしてもまさか――ノーゼ小父様があなたと手を組むとは》
《はい。わたくしも、彼がこちらの申し出を受けたのは、少し意外でした。どうやらわたくしは、彼の器量を見誤っていた様です。彼は昨日の敵より、今日の大敵を討つ道を選んだ。実に正しい判断だと思いませんか――?》
《でしょうね。私が小父様の立場でも恐らくそうする。でも、その反面愚かしくもあります。私があなたの事を〝看破〟していないとでも?》
微笑しながら、スタージャが問い掛ける。黒い影は、恐らく初めて笑みを消した。
《まさか。貴女がわたくしの事を、忘れる訳がない。それだけは確かでしょう。でも、その反面、愚かしくもあります。わたくしが何の用意もせず、この場に立っていると考えるのは》
《つまり、私を殺せるだけの自信がある、と?》
《ええ。わたくしの生は、きっとその為にあったのです――スタージャ・レクナムテ。それとも、あの頃の様に――ナーシェと呼んだ方がよろしい?》
《……あなた、は》
いや、彼女は、何時もの彼女に立ち戻ってなどいない。
彼女はどう見ても、怒気を孕ませている。今にも、あの影目がけて突撃しかねない程に。
ソレを、ソリア・メビスが手で制した。
《待って――スタージャ。アレは……何かおかしい。いくら貴女でも、無策でしかけるのはリスクが高すぎます。今は何時もの冷静さを取り戻す事だけに気を配ってください》
《そ、う。そうだね。そうだった。……ありがとう、ソリアさん。私はやっぱり、〝スタージャ〟に成り切れていない》
もう一度息を吐き出し、彼女はソリアの忠告に従う。
その様を見て、黒い影は一笑した。
《ほう? まさか今のスタージャ相手に、意見するとは。わたくしなど近寄るだけでも躊躇っていたと言うのに中々の胆力ですね、ソリア。それとも、スタージャは自分を傷付けないという確信でもあった?》
だが、ソリアは答えない。彼女はただスタージャと共に、ソレを見つめる。
《ま、いいでしょう。では、わたくしの方も、そろそろ本題に入らせてもらいます》
黒い影が、この空間から現実世界に転移する。
スタージャ達も訝しがりながら――〝見失う〟という概念を〝殺して〟ソレを追う。
「な、に? 嘘、でしょう?」
続けてソリア達は――黒い影がホログラムを使って自分の姿を拡大する様を見た。
全長二十キロにも及ぶ影をつくり出し、ソレは高らかに宣言する。
「おひさしぶりです、我が愛しの島民達。わたくしは――〝キロ・クレアブル〟――。恥ずかしながら、この島を再び征服するため帰ってまいりました」
「なっ?」
途端――確かに楔島はこの宣告に見合うだけのドス黒い〝オーラ〟に包まれたのだ。
◇
影の宣言を受け、楔島の住人達が騒ぎ出す。
いや、彼等の呼吸は既に荒く、怖気さえ覚え、腰を抜かしている者さえ居る。それほどまでに影の、いや、〝キロ・クレアブル〟の宣言は悪夢の再来といえた。
彼の声が島中に響いたのは――その時だ。
『皆、速やかに、国会議事堂へ避難を。後の事は、我々が責任を以て対処する』
この、ノーゼの『通達』を使った勧告が引き金になった。住民達は悲鳴を上げ、駆けだしながら議事堂へと次々逃げ出していく。
〝キロ〟が発している〝オーラ〟は――それだけ凶悪で強大だったから。
キロ・クレアブルの、再興。
あの地獄の様な日々の、復活。
全ての島民がこの世で一番恐れていた事態こそ――紛れもなくソレだった。
恐慌状態となった楔島を一瞥した後、スタージャは〝キロ〟に視線を向ける。
「……成る程。そう宣言しておいて後になり、ノーゼ小父様達があなたを倒して再びこの島を平和にする。その功績を武器に、彼等はまた島の実権を握るというシナリオですね? つまりこのバトルロイヤル自体――やはりただの出来レース」
「ええ。全ては貴女の言う通り。貴女を倒し次第、わたくしはノーゼ・シア達に、〝退治される〟予定なの。わたくしの出番は、それで終わりだから。でも、流石ね。瞬時にしてそこまで見切るとは。それも皆、〝スタージャ〟の思考を真似ている恩恵?」
スタージャは、何の躊躇もなく微笑む。例え、真逆の感情に焼かれていても。
「やはり、頭にきますね。キロ・クレアブルの口から、私達の名が出るのは。〝スタージャ〟の不幸は、そもそもあなたが私達を捨てた事が原因なのだから」
「フ」
と、またも〝キロ〟の姿が消失する。
別空間に逃れたその彼女を追い、スタージャ達もこの場を後にする。
かくして今――彼女達の最後の戦いは確かに始まろうとしていた。
◇
現に〝キロ〟はソレ以上動かず、異空間の楔島でスタージャ達の到来を待つ。
彼女達が自分に追いついた頃、〝キロ〟は目を細めた。
「もう鬼ごっこには飽きましたか? それとも逃げる事さえ諦めた?」
開口一番、スタージャが真顔で問う。けれど、それをソリアが遮った。
「……いえ、待って。アレは本当に、キロ・クレアブルなのですか? 彼女は本当に、生きていた? 先ほど貴女自身が〝キロは静音が倒した〟と言っていたのに?」
ソリアの疑問に〝キロ〟は肩をすくめて返答する。
「はい。生きていたといえば、生きていたのでしょう。現に静音もスタージャも、私をキロだと決めつけた。それほどまでに私はキロ・クレアブルらしく見えたのでしょうね」
「……なにを言っている? その〝オーラ〟や声は間違いなく、キロの物です。だというのに今更そんな言い逃れを口にする理由は何?」
「……いえ、違います。私が問題視している所は、そこじゃない。もし仮に彼女がキロだとしたら、なぜ彼女は貌を隠している? そんな事をする意味は、何です?」
しかし、スタージャは首を横に振る。
「いえ、ソリアさん、それは杞憂だよ。何故って、私が会った事があるキロ・クレアブルも貌は隠していた。貌を知られると、仕事がやりにくくなるって理由で。だから彼女の素顔を知るニンゲンは、極限られていたんだ。今、彼女の素顔を知っている者がいるとしたら、それは私と静音さん達ぐらいかな?」
だが、〝キロ〟は何故か惚けた事を言いだす。
「いえ、違います。どう見積もっても私の素顔を知っているニンゲンは私以外の誰も居ない。私の素顔を知るニンゲンはね、スタージャ、もう私いがい誰も居ないの」
「……だから、何を言っているんです?」
が、今度は〝キロ〟がスタージャの言葉を遮る。
彼女は余りにも意味不明で何処までも理解不能な感想を、本当に優しい口調で語っていた。
「そう。貴女は余り、背が伸びなかったのね。……何故かしら?」
「は……?」
けれどたったそれだけの呟きで、スタージャはある答えを連想する。
どこまでもありえない、その荒唐無稽な推理を彼女は思いついてしまう。
現に彼女の脳裏には〝キロ〟が発したあの言葉が過った。
〝貴女がわたくしの事を、忘れる訳がない〟
〝それとも、あの頃の様に――ナーシェと呼んだ方がよろしい?〟
「……まさか。いえ、まさ、か」
「うん。白果静音を騙せたのは当然だけど、すごく残念だわ。気質を変えていたとはいえ貴女にだけは気付いて欲しかったから」
〝キロ〟の声質が、変わる。
〝キロ・クレアブル〟の貌を被う、フードが開かれる。
そしてこの時、スタージャ・レクナムテは、真なる絶望を知った。
その中から出てきたのは、スタージャが知っている彼女とは、違っていたから。
「ま、さ、か――〝スタージャ〟……?」
この少し大人びながらも、自分と同じ容姿をした少女を前に、彼女はそれ以上何も言えなかった―――。
◇
「なん、で……っ?」
ソレも、ソリアが初めて見るスタージャだった。
まるで全ての感情が停止したかの様に、スタージャはただ茫然とする。
思考が停止して、彼女はそれ以上なにも告げられない。
「ええ。ひさしぶりね――ナーシェ。いえ、今はスタージャ・レクナムテと呼ぶべきなのでしょうけど」
「……〝スター、ジャ〟?」
〝キロ〟の気配が変わる。
アレだけ陰鬱としていた彼女の気質はまるで聖人の様に光り輝き、ソリア達を照らす。
この神々しさに、ソリアさえも、呼吸を忘れた。
「――〝スタージャ〟っ? アレは六年前、貴女の身代わりなって死んだあの〝スタージャ〟だと言うのですかっ……? その彼女が、全ての、黒幕―――?」
髪も瞳も〝オーラ〟さえも黄金色に輝く少女は、笑顔で首肯する。
「そう。はじめまして――ソリア・メビス。随分スタージャがお世話になっている様で、恐縮の限りだわ。本来なら、彼女の面倒は私が見る筈だったのに」
「なん……で?」
やはり呆けながら、スタージャが問い掛ける。
どう受け止めていいのかわからないこの現実を前に、彼女はただ質問する事しか出来ない。
「それは、私が生きていた訳が知りたいの? それとも、私が貴女を殺さなければならない理由の方かしら? ああ、勿論そのどちらもよね?」
平然と告げる彼女に対し、スタージャの呼吸は更に乱れていく。
「でもその質問自体、ちょっと滑稽かも。だって貴女、私の死体を確認していないでしょう? 貴女はアレから数日間、自閉してしまい外界からの情報を遮断していたから。ま、どちらにしろ、答えは一緒ね。何を知った所で彼女が記憶を操作して、私は死んだ事になっていたのだから」
「彼、女? まさか……?」
「ええ。キロ・クレアブルの事よ。どうも六年前のやり取りを気まぐれで覗き見していた彼女は、これまた気紛れを起こしてね。私がベランダから身を投げた直前、私を救ってくれたの。それどころか、あの屋敷の主人の記憶を改竄までして〝私を食べた〟事にしてくれた。お蔭で私は一命を取り留めたのだけど、一つだけ気がかりな事があった。それは勿論――貴女の行く末。あの屋敷に留まる限り、貴女は何時か屋敷の主人に食べられてしまう。そこで私は悪魔に魂を売る事にしたのよ。キロ・クレアブルに一生尽くす代わりに、貴女の身の安全を保障するよう彼女に要求したの」
「……待って。あなたは、ただの人間の筈でしょうっ? そのあなたが、これほどの力を持っている理由は何っ? あなたは、一体、何者―――?」
ソリアの詰問を前に、彼女は聖女の様に微笑む。
「いえ、もちろん私もそれなりの代価は支払ったわ。あなたも知っているのではなくて、ソリア? 例え普通の人間でも――『異端者』に転生する事は可能だって」
そうだ。
それは今朝ソリアもスタージャに対する考察をした時、思い至っていた事である。
「……じゃあ、あなたは、人である事を、やめた?」
「ええ。私は私の目的を果たす為に、自分が望むだけの力を手にしたの。さすがにあの激痛はこたえたけど、そこら辺は家族を想う一念でどうにか乗り切ったわ」
「……家、族?」
「うん。私にとって家族と言えるのは、貴女だけ。貴女は紛れもなく私の家族よ、ナーシェ」
「……ああ、あああぁ……!」
ソレは余りにも、感情がこもった温かい声だ。
けど、だからこそ――スタージャはその瞬間、身を震わせる。
その理由は、明白だろう。
〝キロ〟はスタージャが恐怖した訳を、笑顔で言語化する。
「でも、皮肉ね。それでも私は、貴女を殺さなければならない。貴女を殺す為だけに、私は今ここに居る。それこそが――あのキロ・クレアブルの遺言だから」
そう。アレほど自分を愛してくれた彼女は、今、自分を殺そうとしている。
その事実がスタージャを、ただ恐怖させた。
彼女は思考を止めたまま、ただ問いかける。
「キロ、の、遺言……?」
「そう。彼女は最期の瞬間――〝貴女の誕生〟を目の当たりにしたの。一見しただけで、貴女が如何に危険な存在か理解した。故に彼女の側近だった私に、キロは言い残した訳。〝あの少女だけは、この世から排除しろ。アレはあってはならない存在だ〟と彼女は告げた。その意味を知った時、私もそう納得せざるを得なかったわ。いえ、それどころか、それこそ私の使命とさえ感じた。言ったでしょ? 〝私の生はきっとその為にあった〟と」
「で、でもなんで今更? 六年も経った今になって、何故あなたは彼女を殺しにきた……?」
「それは、私も色々準備する必要があったから。いえ、正直、嗤えるわ。あんな方法が、この世にあったなんて」
「あんな方法……?」
けれど、それ以上は彼女も答えない。彼女はただ、別の事を口にした。
「ああ。それと、私の事はもう〝スタージャ〟と呼ばなくて良い。その名はあの日、貴女にあげた名だから。代りに私の事は――〝キロ・クレアブル〟と呼んでくださる?」
「……ス、〝スタージャ〟っ!」
「いえ、もうこれ以上、語る事はないでしょう。では始めましょうか、スタージャ・レクナムテ。私達の、最初で最後の殺し合いを―――」
〝キロ・クレアブル〟は全長十の一グーゴルプレックス乗光年×百兆もの巨人をその身に纏い二十メートルにまで圧縮する。
有言通り――彼女は確かな殺意をスタージャ・レクナムテに向けていた。
◇
だが、〝キロ〟はもう一つだけ彼女に訊ねる。
「いえ、スタージャ、このままだとソリアを巻き込む事になるけど構わなくて?」
「つッ!」
「スタージャっ?」
と、スタージャはソリアの腕を掴んで、二百万キロは自分達から引き離す。
スタージャは限界という概念を〝殺し〟――不可能という概念も〝殺し〟――準備を整える。
「これ、は」
ソレは正に、〝キロ〟に相克するだけの力だった。スタージャも十の一グーゴルプレックス乗光年×百兆に及ぶ巨人を纏い、二十メートルまで圧縮する。
臨戦態勢をとる彼女は大きく息を吐き、ただ強く奥歯を噛み締めた。
〝キロ〟を被う巨人が力を解放し、スタージャに向け拳を放ったのはその直後だ。
ソレをスタージャも、拳を放って迎撃する。
「フ」
「くっ!」
瞬間、この世界の地球は消滅する。
いや、宇宙ごと消え去り、この時ソリアは気付く事になる。
(なのに、私は無傷っ? まさかスタージャが――守ってくれたッ?)
ただ一人、この両者の戦いを見守るソリアは、何とか生存する。宇宙空間に投げ出されながらも、〈被気功〉を使って命を繋ぐ。
この間にも〝キロ〟とスタージャはただひたすら、殴り合う。
既にソリアでは、いや、静音でさえ知覚できない速度で彼女達は攻防戦を繰り広げた。
「でもなぜっ? なぜ〝キロ〟は、あのスタージャの戦闘力についていけるっ? 〝神〟レベルの能力者であるダンダリヤですら、一撃で沈められたというのにッ?」
いや、ソノ認識は、誤りだろう。
「ぐっ?」
何故なら次の瞬間〝キロ〟の巨人が、スタージャの巨人の顎を拳で突き上げたのだから。
加えて彼女は、スタージャの巨人の顔面を強かに蹴り飛ばす。
「――スタージャが圧されているッ? 例のカウンター能力が発動していない……っ?」
ソリアはあのスタージャが、ここまで一方的に打ちのめされる様を知覚する。
そのまま〝キロ〟はスタージャを圧し切ろうとし、何やら告げた。
《どうやら、まだ迷っている様ね? このまま私と戦うか、それとも素直に殺されるか。それもその筈かしら? 何しろこれは、完全な不死である貴女が、死ぬ事が出来る最初で最後の機会だもの。今までは自分を殺せるヒトが居らず、自殺さえ出来なかったから、貴女は生き続けた。けど、仮に自分を殺せる能力者が居たとしたら、貴女はどう考える? 貴女は、どう判断するかしら? それこそが、自分の死こそが――世界の為だと考えるのではなくて?》
《つ……ッ!》
《そう。少なくても私の知る貴女は、そういうヒトよ――スタージャ》
事実、互角の攻防から一転し、スタージャは防御にのみ専心する事になる。
〝キロ〟の攻撃ばかりがスタージャに届き、だからソリアは息を呑む。
《また――訳の分からない事を!》
故に彼女は木星大の惑星を具現し、ソレを時速三億キロで打ち出す。
瞬く間にそれは〝キロ〟へと届くが、ただそれだけの事だった。
《悪いのだけど、今良い所なの。邪魔しないでくださる、ソリア・メビス?》
《は――っ?》
彼女は指で弾いただけで、その弾丸をソリアに跳ね返す。
それをソリアは必死に回避するしかない。
《……や、やはり、次元が違うっ!》
が――その時、防戦一方だったスタージャが〝キロ〟の巨人の腹部に蹴りを入れた。
ソレはガードされたが、〝キロ〟を三万キロ程も吹き飛ばす。
《……待って。ソリアさんに、手を出さないで。これは、私と貴女の問題でしょう、〝スタージャ〟》
《と、コレは私のミスね。虎児に手を出し、親虎の怒りを買うなんて。けど、安心して、ソリア。今度の理屈は、あなたにも理解できる物だから。だって要するに、こういう事だから》
《……ツっ?》
次の瞬間、未だ〝キロ〟から離れながらも、スタージャの巨人は九時の方角へ吹き飛ばされる。謎の攻撃が――彼女を強襲する。
そのまま彼女は三時の方角へ跳ね飛ばされ、ついで六時の方角へと飛ぶ。続けて五時の方向に吹き飛ばされ、後はほぼその繰り返しだった。
スタージャの体はただ一方的に、何かに弾き飛ばされ続ける――。
《これは、貴女の発想にはない戦術よね、スタージャ? 何故なら、貴女のアイデンティティは〝スタージャ〟あっての物。でも――その根源である私と敵対した時、貴女の全ては破綻した。私以上に私を演じられるニンゲンはほかに居ないから、貴女の摸倣では私の能力には追いつけない。〝スタージャ〟の紛い物でしかない貴女は、私に対してだけはどう足掻いても限界がある。そうではなくて――スタージャ・レクナムテ?》
確かにスタージャの思考パターンは、〝スタージャ〟を模倣する事に特化している。彼女は常に〝スタージャ〟ならどう考え、どう行動するか想像して生きてきた。あの日から彼女にはそう生きる事しか、出来なかった。〝スタージャ〟を失い彼女を神格化したあの日から、彼女はナーシェである事をやめたから。
けれど、それは自身の考え方を放棄するという事。自分自身の人格を、否定する事にほかならない。
いや、それでもこれが〝スタージャ〟以外の他人なら通用しただろう。その思考パターンでも、十分外界に対応できていた。
現に彼女は、今まで〝スタージャ〟を模倣する事でカーニィレルやデアンを打破している。ダンダリヤの思惑を見抜き、彼を生き長らえさせた。
だが、もしここに、彼女以上に〝スタージャ〟に成り切る事が出来る存在が居るとしたら? 彼女その物と言える人物が現れたら、どうなるか?
そう。その時点で、紛い物である彼女のアイディティは崩壊する。神格化までしている〝スタージャ〟本人を敵に回した時点で、彼女の思考は凍結するだろう。
それは正に、天に唾する行為そのものだから。スタージャには〝スタージャ〟の思考を模倣して〝スタージャ〟を倒す事だけは出来ない。絶えず自分には無い発想を更新し続ける彼女にだけは――決してスタージャは勝てないのだ。
《が……っ?》
故に、跳ね飛ばされるスタージャに向け〝キロ〟の拳が再び放たれる。
直系一グーゴルプレックス光年に及ぶ拳が、スタージャの巨人の体を抉る。
《スタージャ……っ!》
その衝撃でついにスタージャは吐血する。内臓を幾つか傷つけ、彼女の脳は激しく揺れる。それでも彼女は何とか〝オーラ〟を九時の方角へ放出し、推進力に乗る。
スタージャは〝キロ〟の包囲網から脱しようとし――このとき彼女は見た。
《なッ?》
この宙域全てに――大剣を持った巨大な腕が無数に存在するのを。
全長五百メートルはあるであろうその腕は、一キロメートルはある大剣を携えていた。
《ぐっっ!》
それが今まで自分を殴打していた物だと理解した時、彼女は再びその腕に薙ぎ払われる。
秒速十グーゴルプレックスプレックスキロで放たれた一撃が、スタージャを吹き飛ばす。
《へえ?》
が――次の瞬間〝キロ〟は知覚する。自身の頭上からも――大剣を携えた巨腕が降ってくる所を。
ソレは、千グーゴルプレックス個にも及び、彼女は素直に感心した。
《もう私の思考を模倣した? でも――やはり二歩遅い》
《くッ?》
その全てを〝キロ〟の巨腕が払い除ける。
払って、払って、払い除け――彼女は尚も続けた。
《だから――貴女にはこれも躱せない》
《な……ッ?》
スタージャの巨人が、その剣に触れた瞬間、〝キロ〟は件の腕を爆破する。宇宙を七十兆個以上は消せるであろうエネルギーを、放出させる。
この爆発にのみ込まれたスタージャを、〝キロ〟はこう評した。
《やはり、自分のダメージさえ〝殺してみせた〟か。けど、それも何時まで続くかしら? わかっているわよ、スタージャ。貴女は私の攻撃による被害を、この世界にのみ留めようとしていると。私の攻撃の衝撃を〝殺す〟事で貴女はこの世界全てを守ろうとしている。でなければとっくにこの世界は終わっているもの。けど――その所為で貴女の心身は消耗し、私に対処する余裕がなくなっている。私より貴女の初動が二歩遅いのも、その為。ええ、そう。この卑劣な戦略も――貴女の中の〝スタージャ〟には無い発想でしょう?》
《……ぐッッッ!》
いや、それだけではない。それだけでは、断じてないのだ。彼女は――スタージャ・レクナムテは知っている。あの〝スタージャ〟が、何者かを。
あの日、彼女は決して、自分の命を平然と投げ出そうとした訳じゃない。
怖がっていた。泣きたかった。逃げ出したかった。二人で幸せに生きると言うささやかなユメを、決して諦めていなかった。
でも、それ以上に――彼女はナーシェという少女を幸せにしたかったのだ。
事実、全ての『死界』で彼女が生き残った未来は――無い。
どこまでも救いがない事に、あの彼女はどの世界でも、あの日ナーシェを守る為に死んでいる。
それを知る度に、スタージャは自分の意思を摩耗させた。あの少女に心から憧れ、自分と言う物を失っていった。その羨望こそが、彼女を死に追い込んだのかもしれないのに。
でも、それでも――あの少女は最期まで彼女のヒーロであり続ける事を選んだのだ。
その尊さを、その小さな勇気を、だから自分は絶対に忘れない。
例え、自分以外に誰も彼女の事を知らなくても、自分だけは永遠に覚え続ける。
仮に、この人生を何度繰り返そうとも、絶対に―――。
《……そ、う。薄々気付いていたけど、まさか本当にそういう事? だから私とはまともに戦えない、と?》
スタージャの悲痛な目を見ただけで、あろう事か〝キロ〟は全てを察する。
自分が『死界』で何をし続けたのか、彼女は理解できてしまう。
その為――僅かに彼女の戦意は薄れた。
それでも〝キロ〟は……いや、〝スタージャ〟は一度だけ瞳を閉じてから決断する。
《いえ、ごめんなさい、スタージャ。それでも私は――貴女を殺さなければならない》
涙している様な声で、彼女は呟く。
《ええ。随分苦しめてしまったわね。でも、それも――これで終わりよ》
《ああ、ああ》
爆風にのってスタージャの巨人が、〝キロ〟の間合いに入る。
その彼女を前に〝キロ〟はナニカを収束させ、一本の剣をつくり出す。
《さようなら――スタージャ。これで貴女も……漸く楽になれるわ》
彼女は自身の巨人から離脱し、スタージャへと突撃する。
スタージャの巨人の防御を破壊し、自らスタージャの心臓に剣を突き立てようとする。
ソリアはソレを知覚する事さえ出来ず、ただ茫然とした。
ついで〝キロ〟が手にした剣は――確かに誰かの心臓を抉ったのだ。
「そう。そう、だな。これで、俺も、漸く楽になれそうだ」
「……あ、ああ、あああ」
このとき自分の前に立つ巨躯を目撃して、スタージャ・レクナムテは呼吸を止める。
彼女に覆い被さりながら――ダンダリヤ・レイドヘルムは、ただ笑った。
◇
「どう、して……?」
目の前には、あの彼が居る。
〝キロ〟に背を向け、自分に視線を向けたダンダリヤは、笑みを浮かべて静かに告げた。
その身に、剣を突き立てられたまま。
「……どうした? 立て、スタージャ・レクナムテ。俺は、こんな腰抜けに、敗北した訳ではない、ぞ。俺は、お前だから、負けたのだ。そのお前が、その様で、どうする? 俺は、どう面子を立てれば、いい……? だから、立て――スタージャ」
「ああ、ああ」
「……いや、違う、な。俺の命に、意味があるとすれば、こうして、お前を守るためだったんだろう。俺は、お前を、貴女を、今、こうして、守るために、きっと生まれてきた。そうだ。俺は、蔑まれ、疎まれて、死んでいくものだとばかりおもっていた。こんなふうに、わらいながらしねるひがくるとは、おもわなかった。だから、あなたも、わらえ、すたーじゃ。おれにあなたとの、やくそくを、まもらせてくれ」
そこでスタージャは、何とかぎこちなく笑って、彼に応える。
「……ええ。ダンダリヤ。貴方の御家族も、貴方の事を、心から愛していましたよ」
その時、彼は本当に救われた様な表情を浮かべ、心底から告げる。
「そう、か。ありが、とう。おれにはそのことばと、そのえがおだけで、じゅうぶんすぎる。すまなかったな。さいごまで、こんなひどいおとこ、で」
それは本当に、子供が母に向けて浮かべる少年の様な笑顔だった。
だが――彼女は冷淡に告げる。
「……そうね。あなたもここで消えるべきなのかもしれない、ダンダリヤ・レイドヘルム」
〝キロ〟がそう告げた瞬間、ダンダリヤの躰は――事もなく消滅する。
その光景を見て――今度こそ、彼女の緊張の糸は切れていた。
「ああああああ、あああああああぁぁ! ごめんなさいっ、ダンダリヤッ! 私は、また間違えた……っ!」
「その通り、ね。貴女は例え殺しかけても、彼を戦闘不能にしておくべきだった。彼が貴女に対して情を抱くような言葉を、投げかけるべきじゃなかった。貴女は、彼に憎まれ続けるべきだったのよ。そうすれば、彼はこんな所で死なずにすんだのに」
〝キロ〟の指摘は、一面的な見方ながら真実を物語っている。
実際、この己の過ちを前に、スタージャは何も反論できない。
ならば、彼女はもうこう結論するしかなかった。
「……わかった。このままじゃ、ソリアさんまで、こうなりかねない。貴女の言う通りにする。この勝負は、もう、ここまで」
だが、彼女がそう言い掛けた時、彼女の懸念は現実の物となる。
気が付けば――其処にはソリア・メビスが立っていたから。
「いえ、それ以上は、言わせません! そんな事を宣言する貴女は、私の知っているスタージャ・レクナムテじゃない! だから、立ちなさい、スタージャ・レクナムテ! ダンダリヤ・レイドヘルムが、言っていた通り――っ!」
彼女は右手に付属した銃を〝キロ〟につきつけながら涙し、心底から吼えていた。
「……そう、です。貴女は、何も間違えていない。貴女は、正しかったんです。あの会話がなければ、あの願いを口にしなければ、彼はあんな笑顔を浮かべて死ねなかった。彼はアレ以上の死を迎える事なんて、きっとできなかった。だから、貴女は、何も間違えてなんか、ない」
だから、彼女はただ一人の少女を守る為、ただ問いかける。
「大体、なんでスタージャが死ななければならないっ? なんでよりにもよって、あなたがスタージャを殺そうとしているんですか、〝キロ・クレアブル〟っ? 理由よっては、私はあなたを心から蔑視する――ッ!」
有言通り、ソリアは嘗てない毅然とした瞳を〝キロ〟に向ける。
この気迫に対し、彼女は頷き、一つの回答を口にした。
「良いでしょう。今日までスタージャを守り続けてきたあなたには、確かにソレを知る権利がある」
そして〝キロ・クレアブル〟は――目を細めながら語りだしたのだ。
◇
全ての始まりは、六年前。
彼女を失い忘我していたスタージャは、ある日ソレを目撃した。
天空にあったあの城が楔島に落下し、発光する様を。
ソレは、キロ・クレアブルがある実験を行おうとした余波に過ぎなかった。
だが――彼女にとっては違っていたのだ。
〝あああ、ああああぁぁ、ああああああああぁぁぁ………!〟
ハッキリ断言してしまおう。ソレは間違いなく――前人未到の世界だったと。
この宇宙の歴史の中でも最悪の地獄だったと――〝キロ〟には言い切る事ができる。
「何故ならそれは――彼女があの島に住んでいた数少ない普通の人間だったから。『異端者』なら抵抗できるソレも、普通の人間である彼女には撥ね退ける事が出来なかった。そう。スタージャはねソリア、あの大戦の日――全ての『死界』の情報を脳内に流し込まれたのよ」
「……は?」
直ぐに意味を理解できず、ソリアは呆けた声を上げる。
彼女のそんな様子を無視して〝キロ〟は続けた。
「ええ。あの七十兆個にも及ぶ、全ての『死界』を彼女は知ってしまった。宇宙の始まりから終わりまでを知りつくし、その凶行を彼女は七十兆回も行い続けた。いえ、無理やり継続させられたというべきね。だから彼女は知っている。宇宙がどう生まれ、どう成長していったのかを。星がどう誕生し、どう滅びて行くのかも。その言語を絶する感覚を、彼女は身を以て知ってしまったの。過去や現在や未来を生きる人々が、何を思いどう生きてきたか、その喜びや幸せ、その痛みや苦しみ全てを――彼女は体験した」
「なん、ですって……?」
まさか、それは、宇宙の始まりから終わりを、全て観測したと言う事? いや、〝キロ〟が言う通り体験したという方が、正しい?
そこで、ソリアは漸く自分が誤解していた事に、気付く。
〝看破〟するというのは、どう戦えば敵に勝てるか見抜いている事だと理解していた。
けど、実際は違う? 彼女は、この世界と生物が見てきたもの全てを知っている?
彼女はソレを〝思い出して〟敵に対処していると言うのか……?
宇宙開闢の熱量に晒された後は、酸素がない宇宙空間で数十億年もの年月を過ごした? 星が酸素を生むまで、彼女は死ぬ事も出来ないというのに、呼吸さえできなかったと?
その後は、人が人を殺す度に、殺す側と殺される側の意識を共有した? 拷問をする側と、される側の感情を同時に流し込まれていた?
彼女はそれを七十兆回、続けてきたと言うのか?
なんだ……ソレは?
そんなの、ただの地獄じゃないか―――。
だが、本当だ。
彼女はこの時――人間達や世界が見続けてきた物すべてを理解した。
「ええ。事実、『死界』の彼女はその時点で気が狂い、破綻した。狂気の中で息絶え、その時点で人生を終わらせてきた。私が『詠眠姫』――『死界』の情報を知る少女に訊ねたらそんな答えが返ってきたわ。でも――奇跡は起こってしまった。この世界の彼女はあろう事か正気を維持し、自我さえ保った。そのお蔭で、彼女はキロの術による楔島の消滅を防いだの。キロの術を〝殺す〟事で、彼女はこの島を守ってくれた」
「つまり……彼女が私達を助けてくれた?」
「そう。本来ならこの楔島は、あの大戦のとき消滅する筈だったのよ。それが、ほぼ全ての『死界』で起こる共通項なの。でも、この世界の楔島は、消えなかった。スタージャがその地獄を乗り切り、人を超えたお蔭で、消滅する事を免れたのよ」
「……そんな、バカなっ」
改めてソリアはそう思うしかない。
果たして、その様な事がありえるのか?
宇宙開闢時、世界は一千兆度の熱に包まれていたという話だ。
かの業火に七十兆回も焼かれ、それでも正気を維持した?
そのあと数億年も酸素が無い状態で生き続け、その言語を絶する世界でも自我を保ったと?
更に、彼女は全ての人の業を、知っている?
生き埋めにしながら、生き埋めにされ、心臓を刺されながら、心臓を刺し続けた?
そんなバカげた体験を、人の数だけ行い続け、それを七十兆回も繰り返した―――?
「なんで、そんなバカな事に……」
次元が……違う。……何もかも、違いすぎる。
ソリアの理解力では、彼女の物差しでは、もうそんな事しか言う事が出来なかった。
その為か、彼女は背後に居るスタージャに、振り向く事さえ出来ない。
「スタージャ達がその事を黙っていたのは、あなたに余計なプレッシャーをかけたくなかったからね。現にあなたは今、とても狼狽しているもの」
「でも、じゃあ、何で彼女は死ななきゃならない……? 彼女は、私達を救ってくれた恩人なのに。……いえ、それ以前に、なんであなたはこの人と互角以上に戦える? こんな〝無能者の私兵〟以上の地獄を見てきた人と」
「ああ、その事? そういえばまだ、言っていなかったかしら。私は単に『逆行』しただけ。それが私の能力なの。自分の躰を『死界』の世界に逆行する、というのが」
「は……?」
〝キロ〟が言っている事が直ぐに理解出来ず、ソリアはここでも呆然とする。
「要するに私は一番初めの『死界』に戻り、そこから修行を始めた。その宇宙の始まりから終わりまで過ごし、この間、全ての時間を特訓に割き続けた。で、その宇宙が終わったら次の宇宙に移って、また同じ事を繰り返し続けたの。それこそ現在に至るまで、七十兆回程ね。私にとって都合が良かったのは――『死界』に居る間は歳をとらずにすんだ事。そのお蔭で私は死ぬ事もなく修練を継続した。時間に換算するともう測定不能なほど、私は鍛錬をし続けた訳」
「……まさか、そんな事がっ」
「いえ、事実よ。そして最後に私はこの世界で六年ほど修行し、今あなた達の前にいる。その甲斐があって、私はスタージャと同位の存在になった。私の存在情報はこの宇宙の外の世界に移行され、今の私は『第二種知性体』モドキという訳。スタージャが私を〝殺せない〟のも、その為。確かに私は彼女の様に〝ビッグバン〟は起こせないけど、その防ぎ方は少し知っているの。更に私の〈外気功〉の範囲はこの宇宙の外――即ち高位空間に及ぶ。故にこの三次元世界の物理法則では、何物も私を傷付ける事は叶わない。逆に私は少し力を込めただけで、全ての『死界』や現世の宇宙を消す事が出来てしまう。〝私が今日まで練磨してきた歴史〟という概念を付与して、強制力を向上させる事も可能なの。その状態で、世界やヒトや術を私の空想で〝浸食〟するのも思いのまま。今こうして、私がこの世界を支配している様に。これを破るには私と同じ年数以上、修行するほかない。つまり私とスタージャの戦いは――正に〝史上最強の人類〟対〝史上最悪の人類〟という事ね」
「……なん、ですって?」
だとしたら……ソレが本当だとしたら、いま自分の目の前に居る少女もまた怪物だ。自分の理解や、あの〝神々〟をも遥かに超えた――〝超越者〟だろう。
いや、それよりも、ソリアは別の事を問い掛けた。
「……それは、どっちがどっちなんです? 勿論あなたが〝最悪〟の方なんですよね……?」
けれど、〝キロ〟は真顔で首を横に振る。
「いえ、残念ながら〝最悪〟なのは彼女の方。何故って、スタージャは全ての世界を知る事でその深層に辿り着いてしまったから。〝ビッグバン〟という、この宇宙を殺した力へと。ソレはあらゆる物を殺す力。『彼女が知る物』なら、例え無機物でも生物でも、等しく死を与えられる。いえ、ただの概念さえも、彼女なら〝殺してみせる〟でしょう」
「……『彼女が知る物』なら、全てを〝殺してみせる〟?」
〝その後、彼女が私を看破できなかったと判断し次第、彼女を始末するのがベストですから〟
(……つまり、アレはそう言う意味? デアン嬢は自分がスタージャの『知り得ぬ存在』だと願いつつ、彼女に戦いを挑んだ? 仮にデアン嬢がスタージャの『知り得ぬ存在』なら、スタージャはデアン嬢を殺せないから?)
今初めてその事に気付いたソリアに対し、〝キロ〟は続ける。
「でもその反面、彼女は厄介な〝ルール〟に縛られているのよ。それが例のカウンター能力。彼女は自分に悪意を持ったニンゲンが己に害を為そうとすると、そのヒトを殺してしまうの。何の制御も出来ないまま、呼吸する様に自然に。そのヒトの事を〝思い出しさえすれば〟その威力は制限できるという話だけど。そしてあなたは、ヒトを一人殺すごとに彼女の寿命は一年縮まると聞いているのでしょ?」
そうだ。だから、スタージャを倒すのは簡単だと思っていた。シア宰相は単に、そうならざるを得ない状況をつくり出せばいいだけなんだから。
彼女に刺客を送り続け、スタージャがソレを撃退し続ければ、何れ彼女は寿命を使い切る。
故に、ソリアは思い至らなかったのだ。この大会その物が、スタージャを葬りさろうという計画の一端である事に。
「でも実際は逆なの。彼女がヒトを殺す度に――この世界の寿命は十億年ほど縮むのよ」
「……この世界の寿命が、十億年縮む?」
「ええ。キロ・クレアブルの見立てでは、そう。人の死を見続けてしまった彼女は、宇宙より人の命を重んじる様になったから。その所為で彼女は能力を使って人を殺すと、そう言ったペナルティを支払う様になったの。いえ、これはスタージャ自身もノーゼ達に自己申告している事だから、間違いない。そう。一説によれば宇宙の余命は、後二百億年ほどらしいわ。つまり彼女は人を二十人殺しただけで――世界を消してしまう」
「まさか……そんな事、が?」
だが、仮に〝キロ〟の言う通りだとすれば、筋は通る。彼女がヒトを殺せば、宇宙の寿命が十億年も縮むなら、シア宰相もヘタな事は出来ない。逆に、彼はスタージャを確実に殺す手段を講じるだろう。
それこそが――この大会だ。
「ええ。彼女は何れ――この世界を消滅させる存在。故に全てのニンゲンに疎まれているの。義父も、その盟友も、彼女を護衛しているあのメイドも、そう。彼等は心の何処かでは、彼女に死んで欲しいと願っている。当然よね。だって彼女が居るだけで――この世界は間違いなく終わる。自分の命や、自分以上に大切な何かが、消去される。そんな事態だけは、絶対に避けなければならない。だから万人の願いは――彼女の死なの。ノーゼ達は絶対に、スタージャがこの世界を消滅させる前に、彼女を殺さなければならない」
「……な、にっ?」
この無慈悲な現実に直面し、ソリアはやはり驚愕する。
彼女が救いを求める様に言葉を紡いだのは、数秒も経った頃。
「……待って。待って。なら、その事を世間に公表すればいいのでは? そうすれば、誰も彼女には手を出さないのでは……?」
しかし、〝キロ〟はやはり真顔で首を横に振る。
「いえ、それも無駄なの。世の中というのは面白い物でね。この世の完全な終わりを望んでいるヒト達も居るのよ。そのヒト達にその事を知られたら、果たしてどうなるかしら? いえ、それ以前に――そんな危険な人物を周囲のヒト達は王だと認めると思う?」
「……それ、は」
「いいえ、王どころか人として扱うかさえ怪しい。だったら、私が彼女の為に出来る事は限られている。……ええ。貴女は自分の所為で世界が消えたら、それこそ絶望するでしょう? それどころか、貴女は一生その〝無の世界〟で一人ぼっちになってしまう。なら私が貴女の為にして上げられる事は、一つだけだわ。貴女を殺して――この地獄から解放する。全てのヒトが貴女を疎むであろうこの世界から、解き放って上げる事しか私にはできない。それが――私の目的よ」
「……で、でも、それならあなたは一体何なんですか? あなただって既に、この世界を消滅させられるだけの力を持っている。なのに、彼女だけを悪だと決めつける気?」
「いえ、それは杞憂よ。あなたも知っているのではなくて? 人間から『異端者』に転生した者は――寿命が縮むと。要するに、私の命もあと僅かという事。私は決してスタージャだけを死なせはしない。そうよ。この私が――彼女だけを死なせる訳がないじゃない」
「ああ……」
笑みさえ浮かべて――〝キロ〟は断言する。
自分とスタージャはどこまでも一心同体だと――彼女は微笑みながら語っていた。
……なら、どうなる?
あのヒトが言っている事は、間違っていない。彼女が生きている限り、この世界に安息と言う物は無い。永遠に、彼女の脅威に怯え続ける事になるだろう。
そう。そうだ。その筈なんだ。
そしてその〝キロ〟自身も、スタージャと運命を共にすると言っている。彼女は自分の凶行の責任を、その身を以て贖うと告げている。
なら、もう自分が口を出せる事は無いのでは? それこそ、もうこの二人の問題なのではないか?
そう思いながらソリアは遥か彼方を眺め、やはり決して後ろを振り返らず断言する。
「……そう、ですね。確かに、彼女は世界の敵なのかも。私達は、私達である以上、彼女を排除するべきなのかもしれない」
続けてソリア・メビスは、いま心から微笑み、涙した。
「でも、それでも、例え、世界中の誰もが彼女を疎むとしても、だからこそ私ぐらい味方についても罰は当たらないでしょうがッッッ! ――そうだ。私は、スタージャ・レクナムテの護衛官、ソリア・メビスだッッッ! この誓いだけは、例えこの身が地獄に堕ちようと、変わらないッッッ! だから、私は、私だけは、貴女を許し、守り続けますッッッ! だから、勝ちなさい――スタージャ・レクナムっっっっ!」
この、ソリアの叫びをどうとったのかはわからない。
ただ、彼女の背後に居る金髪の少女は一度だけ、嗚咽にも似た声を漏らしていた。
「……ああ……ああ」
ついで――ソリアは一日に一度しか使えない、五つ目の切り札を使う。自身に埋め込まれたこの宇宙の外の物体を発動させる。
ソレは、キロ・クレアブルが自身の能力を使い手に入れた物質だ。
故にそれを内包するソリアは、その物質があった世界の理を再現できる。
この外の世界の音速は――即ち秒速百グーゴルプレックスキロ。彼女はその速度で、超次元の物質を撃ち出す事が出来る。
ならばそれは、〝キロ〟レベルのニンゲンにさえダメージを与えられる一撃だ。
この規格外の弾丸を――ソリアは〝キロ〟目がけて撃ち放つ。
「これは驚いた。でも――無駄」
けれど、それさえも〝キロ・クレアブル〟は平気で弾いてみせる。
だがその瞬間、もう一度スタージャ・レクナムテは〝思い出し〟た。あの少女の事を。ソリア・メビスの半生を―――。
彼女も、デアンと同じだ。
どの世界でも『現象媒介』を移植され、何千万回と死に続けてきた。そんな中にあって彼女が抱いた思いは、一つだけ。
あろう事か――彼女は、望んでその地獄に身を委ねた。
何故なら自身がこの地獄を一手に引き受けるなら、他者はこの地獄を味わなくて済むから。逆に自分が死ねば、また誰かがこの地獄を引き継ぐ事になるだろう。
なら、自分がするべき事は決まっている。
なんとしても、この地獄は自分が引き受ける。
決して自分以外の誰かに、こんな思いはさせない。
……常人から見れば、ソレは狂気にも似た感情なのかもしれない。彼女は、ヒトとして間違っているのかも。
でも、ソレは、ソノ決意は――紛れもなく〝スタージャ〟と同じ物だ。
「そう。だから、アレだけの地獄にあって尚もヒトの心を忘れなかった貴女に、せめてもの敬意を。私は、私だけは、貴女を心から、敬愛する―――」
「は……?」
それこそが、彼女と初めて会ったあの日、自分が涙した理由。
どこまでも優しく、だから誰より悲しい彼女に対する感情。
なら、その彼女が諦めていないと言うなら――答えはわかりきっていた。
「……ああ。一年ぶりに泣かされたか。でも安心して、ソリアさん。私達が、必ず勝つから」
「スタージャぁああ……っ!」
言いつつ、スタージャはソリアの肩に触れ、彼女の前に身を乗り出す。
その様を見て〝キロ〟は即座に後方へ下がり、自分が生みだした巨人に乗り込む。
こうして彼女達の最後の戦いは――いま始まろうとしていた。
◇
それから、ソリアもこの場を離れ、〈被気功〉を纏って、二万キロは離れる。
この間にスタージャも臨戦態勢を取り――彼女は笑みさえ浮かべ〝キロ〟を見据えた。
その様を〝キロ〟は眉をひそめながら、凝視する。
《まさか私にここまで話させてなお戦うつもり、スタージャ?》
《私こそ、もう一度だけ訊きます。私達は、本当に殺し合うしかない?》
彼女の問いを聴いて、初めて〝キロ〟は口ごもる。
《私は、私と貴女のユメを叶えたいだけ。それでも私達は、わかり合う事ができない?》
《……そう。やはりソリア・メビスは真っ先に殺しておくべきだったわね。だって貴女、今すごく良い顔しているもの。でも――だからこそ私はやっぱり貴女を殺すしかない》
無駄話はここまでだとばかりに、〝キロ〟は周囲にある巨腕を稼働させる。
スタージャ目がけて、秒速十グーゴルプレックスプレックスキロで撃ち放つ。
《な?》
だがその瞬間、ソレをアッサリ迎撃する彼女の姿を〝キロ〟は目撃していた。
スタージャは自身の巨腕を使って――その一撃を撥ね退ける。
《ならば》
〝キロ〟は、千グーゴルプレックス個に及ぶ巨腕全てを、彼女目がけて殺到させる。
だがソレをスタージャは〝キロ〟に向かって突撃しつつ、弾いて弾いて弾きまくる。
(この私のフェイントを織り交ぜた攻撃にも、対応している? 先ほどまでは手も足も出せなかった、彼女が――?)
〝キロ〟が僅かに驚愕する中、スタージャは遂に〝キロ〟へと辿り着く。
加えて彼女は、己を被う巨人に一本の剣を具現させた。
ここまで来て――〝キロ〟は今なにが起きているのか漸く理解する。
《フ。そう。まさか、そういう事?》
《ええ、そういう事です――〝キロ・クレアブル〟!》
同時に〝キロ〟も同様の業を為し、スタージャと斬り結ぶ。
今もなお周囲では巨腕同士が衝突する中、〝キロ〟とスタージャも刃と刃を打ち合う。
一秒間に――十グーゴルプレックスプレクス回ほども斬撃を放つ。
《やはりそうだったのね。私の目に狂いはなかった。私は間違っていなかったでしょう、スタージャ?》
然り。あの引っ込み思案だったナーシェを、〝スタージャ〟はただの一度も見下した事はない。あの少女が自分より劣っていると、〝スタージャ〟が感じた事など皆無だった。
何故なら〝スタージャ〟は、無意識の内に感じていたから。あの少女の、今は目に見えぬ可能性を。
つまり、スタージャ・レクナムテは今あの言葉を体現したのだ。
〝ナーシェはまだ自分の事が良くわかってないだけ〟
《ええ。私はあの言葉を、信じただけ。この〝スタージャ〟の殻の中に、ソレ以上の可能性が眠っていると、信じただけです。あの日の貴女が、私を信じてくれた様に―――》
《……ああ》
即ちスタージャは今あの日以来、初めて自分の頭で物事を考えている。〝スタージャ〟としてではなく、ナーシェとして〝キロ・クレアブル〟の前に立っていた。
彼女はソリアの決意を耳にした瞬間――〝スタージャ〟に対する信仰を一時凍結したのだ。
(なら、私でももう彼女の思考を読む事は無理? もうしばらく戦えば、見切れるかもしれないけど――)
と、スタージャの剣が〝キロ〟のソレを容易に弾き飛ばす。
(――そんな時間は、無い? 〝スタージャ〟の思考を模倣し続けてきた彼女の方が、私の動きを見切るのが早い?)
そうだ。スタージャは常に〝スタージャ〟の思考をなぞってきた。だが〝キロ〟にとって、いま目の前に居る少女は、まるで未知の存在である。
完全に未知数の相手と戦う〝キロ〟と、自分が良く知る相手と戦うスタージャ。
ならば、両者の差は歴然だろう。自分が彼女の動きを見切る頃には、スタージャの刃は自分の心臓を貫く。
咄嗟にそう判断し、〝キロ〟は初めて喜悦した。
《だったら》
途端――自分自身を〝浸食〟した〝キロ〟の思考速度は、爆発的に跳ね上がる。
それに見合った身体強化を、彼女は為していた。
《だったら、それも一興。仲良く潰し合いましょう――スタージャ?》
《く……っ!》
瞬時にしてスタージャは〝キロ〟の思惑を読み取る。
ソレは正に、彼女の限界を超えた思考速度と身体強化である。
何れ死に至らんとする程の、限界を超えた能力行使だ。
だが、そうとわかっていながらスタージャは更に己の限界を〝殺す〟しかない。彼女はその無理なレベルアップにつき合うほかなかった。
いや、一瞬でも判断が遅れていたら――死んでいたのは間違いなく自分だろう。
そう言い切れる程の威力を持った一撃が――〝キロ〟の手より繰り出される。
《ええ、そうですね! 確かに貴女の戦術は正しい! だって、貴女は私に勝つ必要がないのだから!》
そういう事だ。〝キロ〟の目的は――飽くまでスタージャの抹殺である。それ以外の何物でもなく、ソレ以上のナニカを彼女は望んでいない。
故に――彼女はスタージャに勝つ必要はない。
ただの相打ちで、彼女の目的は達せられてしまう。
ならば――あの子の為に限界など幾らでも超えてみせよう。
現にスタージャが自分に追いついたのを見計らって、彼女は更に限界を超える――。
《……フっ》
脳内の何処かが――壊れる。
躰のナニカが――崩壊する。
その音を確かに聞きつつ、それでも〝キロ〟は微笑みながらスタージャに斬りつけた。
この余りに重い一撃にスタージャは奥歯を噛み締めながら、彼女も更に限界を超え続ける。
《おおおおおおおおおおおおおおお―――!》
《あああああああああああああああ―――!》
吼える、吼える、吼える。
同じ容姿をした少女二人が、どちらか片方を葬り去ろうと、剣と剣をぶつけ合う。
まるでそれは永遠に続かと思われたが、実際は一瞬ほどだ。
〝キロ〟とスタージャは、ただ自分の想いを、願いを、剣に乗せぶつかり合った。
その果てに、視界が赤く染まる中――スタージャはただ自己に埋没する。
そう。私は間違っている。きっと、永遠に間違い続ける。
〝だから、おまえも、わらえ、すたーじゃ〟
でも、それでも、たった一人でも、そんな私を受け入れてくれるヒトが居るなら、そんな間違いだらけの人生でも、きっと悪くはない。
〝貴女なら、間違いなくそのユメを叶えてくれるから〟
だから、私は、自分の過ちをずっとずっと貫き通す。
〝だから、勝ちなさい――スタージャ・レクナムテっっっ!〟
私自ら、死による救済は受け入れない。
誰かがこの過ちを正すまで、私はこの間違いを張り通す。
例え全ての人類を敵に回そうと、この自分の価値は生き抜いた末に私が決める―――。
《だから――私は勝ちます、〝キロ・クレアブル〟ッッッ!》
《いえ――だから貴女は負けるべきなのよ、スタージャ・レクナムテっっっ!》
スタージャが微笑みながら、断言する。
〝キロ〟もまた笑みを浮かべながら、言い切る。
更にスタージャは、全ての世界の〝ビッグバン〟を圧縮し、戦斧をつくり出す。
〝キロ〟も、相応の業を以てこれに対抗する。
今まで修練してきた己の歴史そのものを物質化し、巨大な剣に変える。
両者は自分を被う巨人を爆破し――その推進力に乗って突撃した。
ならば――詰みだ。
今、自分達の力量は互角である。
その二人がぶつかり合えば、間違いなく共倒れになるだろう。
ソレこそ〝キロ〟が望んだ結末。彼女が欲してやまない、終焉の形である。
だが、この時、彼女は吼えた。
《ええ、そう――この卑劣な戦略は貴女が知るナーシェの発想には無い物でしょう?》
《な……?》
今その悪魔じみた計略によって、全てが覆される。
ソレは、ソリアが先ほど放った物と同じだけの威力をもった一撃だ。
ソレをあろう事か、ソリアが九時の方角から再び放つ。
(まさか。さっき彼女の肩に触れた時〝能力回数制限〟という概念を〝殺した〟――?)
彼女が正解に至った頃には――ソリアの一撃が〝キロ〟の脇腹を貫通する。
全ての意識をスタージャにのみ注いでいた彼女に――この一撃を躱す余裕はなかった。
そして全てが互角だからこそ、〝キロ・クレアブル〟は自身の不利を悟る。
彼女がソノ傷から鈍い痛みを覚える中――最後の時は訪れた。
《そう! 勝機は、ソリアさんがつくってくれたから!》
《ああ……》
〝私達が、必ず勝つから〟
そうか。
アレはそう言う意味だったのかと、彼女は今初めて理解する。
《あああああああああああああぁ―――っ!》
《おおおおおおおおおおおおおぉ―――っ!》
その瞬間〝キロ・クレアブル〟の大剣が、スタージャ・レクナムテの首に食い込む。
その瞬間スタージャ・レクナムテの戦斧が、〝キロ・クレアブル〟の躰を斬り裂く。
この二人の結末をソリア・メビスは、ただ涙しながら見つめるしかなかった―――。
◇
先に口を開いたのは、スタージャの方だ。
《……そう。今まで私は自分が傷つく事を怖がり、貴女を殺す事を恐れていました。でも今はソリアさんのお蔭で、その気持ちも消えている。この心根の僅かな変化が、私の力を僅かばかり底上げした。貴女の敗因を上げるなら、そんな所です》
《敗、因……?》
つまり、この自分が、負けた?
圧倒的に有利な立場にあった筈の、自分が?
ただ相打ちになればよかった筈の自分、が?
いや、本当はわかっている。
自分の敗因は、彼女が一人だと思っていた事。彼女と共に、自分を傷付けるだけのニンゲンなど、この場に居ないと決めつけた事だろう。
《……そ、う。そういう、事。私はソリア・メビスを見下した時、既に終わっていた? 彼女を戦力外だと認識した時点で、敗北していた、と?》
けれど、スタージャは何も答えない。
彼女はただ凛とした瞳で、自分を見つめる。
この死にゆく自分の姿を魂に焼き付ける様に、しっかりと。
今度はあの幼い日の様に、決して、目を逸らさず。
《そ、う。本当に、強くなったんだね、ナーシェ》
〝じゃあ、約束〟
《なら、私が言うべき事は、一つしかないじゃないか。どうか――良い王様になってね》
〝私達は絶対この島の王様になる〟
《掛け替えのない、もう一人の、私》
〝そういう事で良いね、ナーシェ!〟
《ええ。〝スタージャ〟、今度こそ約束する。私は貴女に誇れる位の、王様になるから。貴女の今日までを絶対に無駄にしないって――貴女にいま誓う》
《うん。じゃあお別れだ、ナーシェ。私も、ダンダリヤに謝りに行かないと。大丈夫。自分の不始末は、自分でつけるよ。そうしないと、この世界の寿命は縮んでしまうからね》
それは彼女が最も恐れていた事態だから、彼女はあの日の様に微笑む。
《信じてもらえないかもしれないけど、本当に、心から愛していたよ――ナーシェ》
《いいえ、〝スタージャ〟、私も生まれた時から、ずっと貴女を愛していたわ。……ああ。やっと、言えた》
《うん――ほんとうに、ありが、とう》
そうして〝スタージャ〟は、自ら自身の躰を消滅させる。
本当に呆気なく、この上なく潔く、彼女の躰は光の中に消えた。
《……あああああぁっ! ああああああああああぁぁ………っ!》
その姿を見て、泣いた。
子供の様に、泣いた。
そんな資格はないとわかっていながら、それでも彼女は泣いた。
こうしてスタージャ・レクナムテとソリア・メビスの最後の戦いは、終止符を打ったのだ。
◇
それから、ソリアはスタージャのもとに辿りつく。
「……すみません、スタージャ。こんな時に何も言えず、ただ貴女と共に泣く事しかできない私を、どうか許して下さい」
「いや、それだけで十分。ソリアさんは、それで良いんだよ。〝スタージャ〟の為に泣いてくれて、本当にありがとう、ソリアさん」
と、彼女は尚も涙しながら遠くを見つめ、呟く。
「でも、今回は王様になるのは諦めるしかないかな。この分じゃ、もう羅冠さん達を倒す時間はなさそうだし。また別のチャンスを待つしかなさそう」
彼女の言葉を受け、ソリアは少しのあいだ沈黙し、それから提案する。
「いえ、一つだけ手があります。……でも、これを使えば、きっと貴女は私を嫌うでしょう。それでも、構いませんか? 貴女は王にする為、この手を使っても構わない?」
たったそれだけ。
それだけ聞いただけで、スタージャはソリアの言わんとしている事に気付く。
だから、彼女は微笑みながら、首を振った。
「いいえ。きっとそれで〝スタージャ〟も本望だと思う。だから私達は――いま彼女の死をこれ以上ないほど利用しよう」
「は、い」
スタージャとソリアが、現実世界に戻る。二人は宙に浮いたまま、楔島を見下ろす。
その体のまま、ソリアは音速を以てこの島中に響き渡る様にこう告げた。
「ご安心ください――島民の皆さん! キロ・クレアブルは、彼女が打ち倒しました! この――スタージャ・レクナムテ公爵令嬢が!」
スタージャが、その宣言に見合うだけの〝オーラ〟を発する。
ソリアの事を〝思い出している〟彼女は、ソリアを仮想敵に見立てて力を放出した。
「……ああああ、ああああああ、おおおおおおおおおお――っ!」
その姿を島民達は呆然と眺め、戸惑いながらも、やがて歓声を上げる。
スタージャが放つ神々しい〝オーラ〟を前に、彼等はもうそんな事しか出来ない。
このたった一つ彼女達に許された逆転劇を見て、ノーゼは眼を広げる。
「こちらの策を、逆手にとった? そうか。これが、彼女達の結末か」
「だな。俺の勝ちだ」
当然の様に、ザナストは言い切る。
なら、ノーゼは苦笑いするしかない。
「ああ。私の負けだな。では、彼女に首でも刎ねられに行くか」
「アホ。彼奴は、俺の娘は、死んでもそんな真似はしねえよ。尤も、今でも彼奴が俺の事を父親と呼んでくれるかは、わからねえが」
「フ。バカか、お前は。それこそ、杞憂だ。彼女達を最後まで信じたお前は、今でもあの子の父親だよ」
それで、今度こそ終わった。ノーゼはもう一度、自嘲する。
「これで私達の時代は――本当に終わったな」
「ああ。これからは――彼奴等が主役だ」
かくして彼の企みは彼女達の手によって――一刀両断されたのだ。
終章
それから一月ほど経った頃、彼女達の姿はある会場にあった。
「んー、やっぱり落ち着かないなー。この格好」
但し、スタージャは何時ものワンピース姿ではない。
マントがついた赤のスーツに、紺のプリーツのミニスカを着て、黒のニーソを穿いている。帽子まで被り、まるでどこぞの公爵令嬢の様な格好をしていた。
この姿を見た瞬間、ソリアは思わず視線を逸らす。
「その。馬子にも衣装というか、似合っていますよ。ちょっと大胆すぎるとは思いますが」
「そう? ソリアさんも、国家元首の護衛官に就任してよかったね」
「何です……その皮肉? というか、貴女まだ当選した訳ではないでしょう。これからまだ、選挙演説する段階じゃないですか」
「いや、いや、キロ・クレアブルを倒した英雄が、落選する訳がないよ。私達の方が某大会の優勝者さんよりよっぽどインパクトがあるよ。だから――やっぱり勝つのは私」
ソレを聴き、この場に居合わせている羅冠は眉をひそめた。
「かもな。今はきさまの方が強いかもしれん。故に俺はおまえの演説を聴いた後、さっさと退散するつもりだ。だが――覚えておけ。後十年もすればきさまを追いこしてみせる。なので、死にたくなったらそれ以後、俺を訪ねろ。その時はこの上なく楽に引導を渡してやる。きさまも当然その意気込みなのだろう――エンジェリカ・ライトフィールド?」
彼に名指しされたエンジェリカは、嘆息しながら肩をすくめる。
「……えっと、そんな大ボラを言い切るあなたの後に、何を言えと? ま、良いです。私は諦めが悪いので、選挙にはしっかり出馬させてもらうので。一応、あの大会の優勝者の一人ですからね、私も」
意味ありげな笑みを、彼女はスタージャ達に向ける。
ソレを正面から受け止めた後、ソリアは静音に目をやった。
「で、静音は何か言わないんですか?」
「うん。無い。以上」
「やっぱり、アナタは相変わらずですね……」
ソリアがそう呆れた頃、選挙スタッフが貌を出す。
「そろそろ出番です、スタージャ・レクナムテ公爵令嬢」
「あ、はい。どうも」
大きく伸びをした後、彼女は笑顔で応じる。
スタージャはソリアと共に歩を進め、静音達から離れた後、断言した。
「因みに、あの大会で私はスパッツを穿いていていたから。だから、パンチラシーンとか一切無いから」
「――今更っ? 貴女、今更、そんなどうでもいいこと言っているんですかッ?」
「うん。更に言うと、今日はスパッツとか穿いてない。スカートを捲ったら、パンツ丸見え。いや、私が言うのもなんだけど、女の子ってよくこんな守備力が低い格好しているよね?」
「……それも私に対する皮肉ですか?」
今日も、相変わらず肌色率一割台のソリアが問う。
だが、スタージャはもう一度遠くを見て、吐露した。
「私は自分にユメを与えてくれた人を、自分の恩人を、一番大切な人を、手にかけた女。自分と言う物を全うする為に、私は彼女さえ手にかけた。ソリアさんはそんな私に――本当についてこられる?」
この愚問に、ソリアは真っ向から答える。
「当然でしょう。私は――ソリア・メビス。誰がなんと言おうと――生涯スタージャ・レクナムテの護衛官ですから」
ソレを聴いて、スタージャは眼を広げる。
「だね。悪かった。今のは、忘れて。なら、私も彼女との約束を守るだけだ」
けれど、スタージャの表情は以前の彼女の物だ。〝スタージャ〟の思考を真似ている、あの彼女の物である。
この偽りの微笑みを前に、ソリアはしれっと言い切った。
「なら、ダンダリヤとの約束は、私が引き継ぎましょう。私は何時か貴女を――ナーシェという本当の貴女を、心から笑わせてみせます」
「……ソリアさんが、私を? ああ、それは何と言うか、本当に楽しみだね」
そう言いながらも、彼女はもう一度だけ涙しそうになって、それでも前を向く。
「じゃあ、行こう。こっから先が――私の本当の戦場だ」
今は決して涙する事なく、ナーシェは、いや、スタージャは演説台に歩を進める。
まるであの頃の、仲良く手を繋ぐ自分達を追い越す様に、彼女は歩み続ける。
……そう。これは――余りに遠い約束を守る為の物語。
宇宙の終わりを七十兆回迎えた末に――果たされたお伽噺。
そしてスタージャ・レクナムテは、いま歴史の表舞台に立とうとしていた―――。
選挙狂想曲・後編・了
という訳で、選挙狂想曲終了です。
ベーダーマン同様アレな話でしたが、少しでも楽しんでいただけたならこれに勝る喜びはありません。
で、ヴェルパス・サーガ第三弾なのですが、今回はアレな話ではありません。
グーゴルプレックスという単位は一切出てこない、普通(?)の歴史ものです。
どうかお楽しみに。