選挙狂想曲・前編
この小説の主人公は、設定だけは十年くらい前から決まっていました。
ただ主人公として出す機会はなく、正にこの小説はこのキャラを世に出す為だけに書かれたと言えます。
構想は十日、執筆期間は二か月。
少年漫画の様に、話が進むにつれ、エスカレートしていく王道もの。
ただし、ベーダーマン同様かなりやりすぎた感は否めません。
せめて少しでも楽しんでいただければ、幸いです。
序章
そして、彼女は、見た。
未だ嘗て、誰も見た事がない世界を。
空前絶後とも言える、醜くも美しいその偉容を。
彼女はこの時――■■■や■■が見続けてきた物すべてを理解した。
「……ああ」
やがて、彼女は納得する。
自分が自分でなくなる瞬間を。
自分が、人でもヒトでもなくなる、その刹那を。
こうして彼女はこの日――ただの天災と化したのだ。
1
それが起きたのは、ある昼下がりの事。
漸くインフラが整い始めたこの島で、強盗事件が起きた。ソレは世界規模で見れば、何処にでもありそうな銀行強盗である。
襲撃者達は八人で、彼等は目的である紙幣を見事に強奪した。だが、撤収に手間取った彼等は、銀行内に籠城を余儀なくされた。
彼等の切り札は、銀行に取り残された十五人の民間人だ。十人に及ぶ銀行職員と、運悪くその場に居合わせてしまった五人の一般人である。
彼等は後ろ手に縛られ、床に座らされて、身動きがとれない状態にあった。
この男女の身柄と引き換えに、強盗犯は自分達を見逃すよう要求している。警官隊との交渉は既に十分に及び未だに解決のめどは立たない。
だが――彼女にとって問題はそこではなかった。
ソレは紫色の長髪を背中に流したツリ目の少女で、黒のスーツを身に着けている。
年齢は十七歳程で、美少女と言える彼女の手には二つのクレープが握られていた。
けれど、彼女は躊躇なくソレを近くのゴミ箱へ投げ捨てる。
それだけ今の状況は、彼女にとって緊急事態といえた。
「……またやってくれましたね、あのアンポンタン」
後で絶対に本人にそう言ってやるつもりで、彼女は思わず愚痴る。出来ればこのまま何も見なかった事にしてこの場を離れたいところだが、そうもいかない。
彼女は地面に唾を吐き出したい衝動を堪え、野次馬を押しのけ件の銀行へ向かう。
途中、当然の様に警官に〝近づかない様に〟と警告を受けたが、彼女は速やかに対処する。
「は! これは失礼しました――ソリア・メビス特別護衛官殿!」
ソリアは携帯している手帳を見せ、自身の身分を公に晒す。彼女はそのまま、現場から三十メートル離れた場所にある対策本部に向かった。
その最中、ソリアは銀行へ視線を送る。
(……やはりそうですか。きっと彼等も驚いたでしょうね。何せ〝ただの人間〟が、自分達を諭そうとしているのだから)
銀行内に白いワンピースを着た金髪の少女が居る事を確認し、ソリアは嘆息する。
件の少女が強盗犯と何やら会話している様を見て、本気で頭痛らしき物を覚えていた。
(はたして彼女が〝看破〟するのが先か? それとも、犯人が彼女に向けて拳銃の引き金を引くのが先か? 正直、嗤えます。誰かこの賭けに乗ってくれるヒトとか居ないでしょうか?)
それから、ソリアは携帯をとり出し、某所に連絡を取る。
「と言う訳で静音にも協力願いたいのですが、アナタいま何をしているのです? は? 今ラーメン 博物館でラーメン食べているので本件は私に一任? ……正気ですか、アナタ?」
躊躇いなく、彼女は白果静音という女性を罵倒する。毎度毎度、役に立たないヒトだと眉間に皺を寄せながらソリアは遠くを眺めた。
仕方なく、彼女は責任者である警部階級の人物に声をかける。
その反応は、実に真っ当な物だった。
「なぜ特別護衛官がこんな所に居る? この件はどう考えても、我々の管轄だと思うが?」
けれど、彼女は無表情ながら頬に汗を滲ませて、首を横に振る。
「いえ、実にお恥ずかしい話ですが、私のマルタイが事件に巻き込まれています。出来れば私も事件解決のため協力したいのですが、よろしいでしょうか?」
「君のマルタイ、が? ……確かにそれは、何ともお粗末な話だな」
件の警部は、呆れ貌で言い切る。その上で、彼はソリアの申し出を受けた。
「了解した。で、そのマルタイとは? まさかと思うが、さっきから強盗達と会話しているあの無謀な少女ではあるまいな?」
「はぁ。……そのまさかです」
やはり無表情のまま、ソリアは頷く。それを見て警部は頭を抱え、ソリアを睥睨した。
「……見たところ歳も君と同じ位だし、それなりに分別がつきそうだが。コレは私の見込み違いか? あの少女は、ドがつく程の世間知らずなのかな?」
多分、警部はこれでも言葉を選んで問うている。
しかし、ソリアは答えない。というか、答えたくない。これ以上の問答は、恥に恥を重ねるだけだと感じたから。
その時――ソリアが恐れていた事態が起きる。
強盗犯が――件の少女に銃を向けたのだ。
しかも、一人ではない。
八人全員が金髪の少女一人目がけて――一斉に銃口を突き付ける。
「……って、何をしているんですか、貴女はっ? 一体なにをどう言えば、こんな状況になるんですッ?」
確かに、一人ならまだわかる。だが八人全員というのは、余りにどうかしている。
八人同時に怒りを買うというこの状況を前に、警部は目を見開きソリアは息を呑む。
「しかたありませんね……」
「は?」
次の瞬間、警部は自分の目を疑った。
気が付けば、ソリア・メビスはこの場から消失する。
「あ――ソリアさん。ナイスタイミング」
窓をブチ破って、その場に現れるソリア。
胡坐をかいた金髪少女は、そんな彼女を心から歓迎する。
同時に強盗犯は呆気にとられながらも、五メートル先に居るソリアに標的を変えた。
「なんだ、てめえ――ッ?」
が、彼等が皆まで言う前に、ソリアはポッケから八本のペンを取り出す。そのまま中空に放り、このとき彼等はその少女が起こした超常現象を見た。
ソリア・メビスは、八本のペン先を指で弾く。
そのペンはマッハ十(※秒速三千四百メートル)で発射され、瞬く間に彼等八人の額に命中する。
その衝撃が――彼等の脳を激しく揺らす。
「つッ、ち……っ!」
だが、ただ一人、意識を保っている強盗犯が何らかの能力を使おうとする。
けれど、彼とソリアでは、その初速が余りに違いすぎた。
ソリアは次の刹那――マッハ二十(※秒速六千八百メートル)にも及ぶ速度を自身に付与。
その場から高速移動し――最後の強盗犯の顎に掌打を入れる。
この一撃を前に、今度こそ強盗犯は意識を失っていた――。
「制圧完了。マルタイの無事確認。怪我はありませんか――このアンポンタン?」
「あー。さすがは、ソリアさんだね。今回も私の方が、一歩遅かったみたい。これぞ正に最速の美少女! 私の頭脳よりも、よほど高速だなー」
「……一応訊いておきますが、私を出し抜けたと言う事は貴女……あ、いえ。ま、いいでしょう。それより――この件は当然、父上君にも報告させていただきますので、悪しからず」
「お父様に? ノーゼ小父様ではなく? だとしたら、ラッキーだね!」
喜々とする少女を前に、ソリアは憮然としながら訂正した。
「……前言撤回します。確かにそうですね。では、シア宰相にしましょう」
と、金髪の少女は、真顔で小首を傾げる。
「えー。でも、ノーゼ小父様だとソリアさんも何らかのペナルティを受けるかもよ? 地方に飛ばされる事だってあるかも。ん? ああ。もしかしてソレが狙い?」
やすやすと、ソリアの意図を見抜く少女。少女は尚も続けた。
「けど、私の警護以上に厳しい現場ってあるのかな? 私を護衛する以上に、過酷な仕事ってほかにある? そう考えると、やっぱりソリアさんはこのまま今の仕事に残留って可能性が高いね。という訳で、これからもよろしく――ソリアさん」
「………」
満面の笑顔で、金髪の少女は言い切る。
この厚顔無恥ぶりに、ソリアは思わず懐から拳銃を取り出しそうになった。
(いえ、それこそ無駄な足掻き、か)
彼女の理解に、間違いはない。ソレは、確かに色んな意味で無駄な足掻きだ。
そう納得してソリアは突入してきた警官隊を横目に、少女の両腕を戒めていたヒモを解く。
徐に立ち上がって、彼女は少女に向け手を差し伸べた。
「わかりました。わかりましたから、参りましょう。――スタージャ・レクナムテ公爵令嬢」
「それも、今更な呼び方だなー。私の事は〝スタージャちゃん〟でいいんだよ?」
ソレって……どんなレベルのギャグ?
思わずそう問い掛けそうになりながら、ソリア・メビスは、スタージャ・レクナムテの手をとった。
◇
では、早速だがぶっちゃけてしまおう。もうお気づきだと思うが、この島は人が住まう島ではない。ヒトが住まう島である。
どこがどう違いかと言えば、答えは一つ。この島に住むニンゲンのほぼ全員が、何らかの異能を持ち合わせているのだ。その異能とは、大きく二つに分類される。
レベル一から二までの力を――〈体概具装〉と呼ぶ。
レベル三から六までの力を――〈精神昇華〉と呼ぶ。
前者の〈体概具装〉は主に、身体強化の力である。脳の処理速度を加速し、それに見合った運動能力の『強化』を為す事が、レベル一の基本だ。
これにより、彼等は常人ではありえない程の認識力や、超人的なパワーとスピードを得る。ほかにも『柔』の概念を躰に纏い、身体を柔らかくする事ができる。夏場は『冷』の概念を纏って涼をとる事も可能だ。
一方、レベル二はその延長線上にある能力だ。概念を集中させ、第三の腕を生やしたり自身の脂肪を飛ばしたりする事が可能となる。
ただし躰の異常操作はレベル三よりも困難で、習得には時間がかかる。その為、このレベルの力を多用するニンゲンは少ない。
そして後者の〈精神昇華〉こそが――彼等が誇る異能の真髄と言って良い。
何故なら〈体概具装〉が自身の躰を歪める力だとすれば、〈精神昇華〉は世界を歪める力だから。
仮に『斬』という概念と契約した場合、術者はただ念じるだけで物を切れる場合がある。
『停止』の概念と契約した場合は、被術者を見ただけでその心臓を止める事が可能かも。
この様に、この島のニンゲンは必ず一つはそう言った特殊能力を有しているのだ。
例えばソリア・メビスが――『音速』という概念を有している様に。
「けどだからと言って、私の能力を衆目に晒す様な事態は避けて下さい。能力とは周知されればされる程、リスクが増していくのだから」
彼女の言い分に、誤りはない。本来〈精神昇華〉とは秘匿の対象である。
逆に危険人物に自分の能力を知られれば、その時点でアウトだ。
彼女自身でさえ認識していない弱点を衝かれ、敗北へと追い込まれるかも。仮にそうなればもう笑い話では済まなくなる。
それが、今のソリアの立場だった。
「って、聴いていますか、スタージャ? それと、車の座席で胡坐をかくのは止めろとアレほど言っているでしょう? ……後、貴女、今オナラしましたね?」
「んん? よく気付いたねー? 私の認識だと、今のはスカシッペの領域なんだけど!」
「………」
駄目だ。やはり……この少女は女としてとしても終わっている。
ソリア・メビスは内心でそう感じながら、小さく溜息をつく。
が――彼女はバックミラーに映る金髪少女の姿を眺め、今度は別の意味で嘆息した。
(……本当に、何だってこんな美人がこうなのか?)
そう――金髪少女の容姿は恐らく誰が見ても並はずれている。
肩より少し長い髪は、正に陽光を梳ったかのよう。
肌は透き通る様に白く、腕や足は華奢だ。
背は百五十センチほどで、割と小柄な方だろう。
瞳は黄金を凝縮した様に美しく、大きな目は何者より愛らしい。
伊達にソッチの趣味は無かった筈のソリアが――一目ぼれした人間ではないのだ。
だと言うのにその容姿や言葉遣いとは裏腹に、彼女の仕草はおっさんその物だった。
公共の面前で堂々と尻を掻き、胡坐をかいて、耳穴をほじる。偶にタンを吐きながら、鼻をほじったりもする。
服も白のワンピースを着たきりで、パジャマに着替えた事さえない。ソリアはこの仕事に就いてから、少女が別の服を着ているところを見た事がなかった。
〝というかこの服のデザイン、もう六年以上愛用しているんだよねー。ナハハハ!〟
とは、彼女本人の弁である。
事ほど左様にスタージャ・レクナムテとは――実に残念な美少女なのだ。
それこそ、実は中身はおっさんなのではないかと疑う程に。
ただその可憐な相貌と楚々とした声だけが、ソレをカバーしているだけで。
「そういえば、ソリアさんっていま幾つだっけ?」
車の助手席から身を乗り出しながら、スタージャが訪ねてくる。
ソリアは表情一つ変えず、事実を語った。
「今年で十七になりますが、それが何か?」
「あー、私より一つ上なだけかー。その割には何というか、背や肉付きに差があると言うか」
いえ……貴女はそのままでいいんです。私みたいに、身長や胸ばかり大きな女である必要はない。ちっちゃ可愛いこそ――この世の正義なのだから!
半ば本気でそう思いつつ、身長百七十センチ、バスト八十八のソリアは目を細める。
「というか、話は変わりますが、さっき最高議長から連絡がありました。何でも、貴女に大事な話があるとか」
「んん? お父様が、私に大事な話? 珍しいね。私に大事な事を話すと、ロクな事がないってわかっている筈なのに」
「……そう自覚しているなら偶には自重して下さい。いい加減、見捨てますよ?」
「あー、ソレは、ちょっとヤダなー。ソリアさんに見捨てられるとか。それってもう、人間として終わっているレベルの話だし」
というより……貴女は既に人としても終わっているでしょう?
そう思いつつもソリアは決して声には出さず、ただ自分の願望のみを口にする。
「後、また静音を減俸する様、レクナムテ最高議長に言っておいてください。ヤツは本当に、全くの役立たずなので」
「えー。静音さん、このままじゃ本当に給料零になっちゃうよ? それに、ソリアさんらしくないなー。あからさまに、ヒトの悪口を言うなんて」
「それだけヤツは、無能だという事です。いいですか? あの非常時に、日本でラーメン食べていたんですよ、あのバカメイド」
「そっかー。あのヒトも相変わらずだね。わかった、言っとく。その代りソリアさんのオッパイ、揉んでも良い?」
「……全力で拒否します」
つーか、そろそろ本当にシメ落すぞ? 世が世なら確実に行動に移っているソリアだった。
◇
ソリアが運転する車が、暫定政府の議事堂に到着する。それを彼が出迎えた。
「おお! 帰って来たか、我が愛しのバカ娘!」
「ええ。ただいま帰りました、我が愛しのお父様」
見れば数人の秘書を連れ――ちょうど件の人物が議事堂に続く階段を上っているところだ。
亜麻色の髭と髪を伸ばし、和服に似た服を着たその男性は、ニパっと笑う。
「で、今度は何をやらかした? お前が外に出かけたのだから、当然、何かかましてきたのだろ?」
「流石お父様。今日は銀行強盗の皆様の説得に失敗し、危うく人質の皆様の命を危険に晒すところでした」
「アハハハハ! ナニソレ? 超ウケるんだけど!」
「はい。喜んでいただけて、幸いです」
親子ともども、笑顔でそうやり取りをする。いや、本気でそう言っている訳ではないと思いたい。
ソリア的にはそうなのだが、彼ことザナスト・レクナムテ最高議長の目は、マジだ。
「それより、私に何か重要なお話があるとか。本当に話してしまって良いんですか? 後悔しません?」
「安心しろ。後悔なら静音に〝実はお前って俺のひ孫なんだよね〟と打ち明けた時、既にし尽くしたから」
「ええ。大分ショックを受けていたと、ご本人から伺っています。何せ静音さんは、お父様の愛人の子孫ですから。その所為で彼女の一族は大分苦労した。そう考えると些か滑稽ではありますね。私より八歳も年上な静音さんが、私の孫という事になるのだから」
「というかお前、本当にキャラ変したよな? 昔は〝やってやりますよー!〟とかいった実に気合が入った子供だったのに」
「それだけ月日が経った、という事ですね。確か私がそのキャラを通していたのは、日本に行った後が最後だと記憶しています」
「ああ、例の見世某達に会いに行った時か。いや、あの時は流石にたまげたよ。〝私、もしかしたらこのまま見世さんと結婚して帰ってこないかもしれませんよ〟とかぬかしていたし」
ああ……そうなんだ? 仮にソレが本当なら、実現していて欲しかったと感じるソリアが其処に居た。そうなっていれば自分はこうも道を踏み外す事もなかったと、彼女は感じるほかないから。
因みに見世字壬とは日本に住む『異端者』で、その中でも傑出した力を持った人物である。
ソリアの認識では――ただの最低野郎でしかないのだが。
そんなこんなを話している間に、気が付けばソリア達は議長室に足を運んでいた。
と、見れば其処には、先客が居るではないか。
「んん? これはノーゼ小父様。ご無沙汰しています」
「ああ。最後に会ったのは、二週間ほど前だからね。息災だったかな、スタージャにメビス特別護衛官?」
そう。かのノーゼ・シア宰相が先んじて議長室を訪れていた。
「ええ。勿論です、ノーゼ小父様」
「……はい。お蔭さまで」
その姿を見て、ソリアは内心息を呑む。彼もまた、スタージャ同様、整いすぎた容姿をしているが為に。
切れ長の目をしたその人物は、長い金髪をヒモで縛り纏めている。反面、頭にはターバンを巻き、服装は中東の部族の物を摸していた。
そんな個性的な見かけであるノーゼは、ソリアやスタージャに席を勧める。
「は。失礼します」
これに応え、小走りでかけていくスタージャを追い、ソリアもソファーに座る。
人払いをしたザナストも、立派な机に隣接された椅子に座していた。
「これで役者は揃ったね。では、早速だが本題に入ろうか」
「だな。俺としてもこんなつまんねえ話は、さっさと終わらせちまった方が、気が楽だ」
珍しく、どこか投げやりな感じでザナストは告げる。これを受け、ノーゼは一瞬眉をひそめるが、彼はそれ以上言及しない。
ノーゼはただ、本題とやらを口にする。
「実は――この度レクナムテ最高議長が、国家元首を辞めるとか言いはじめてね。その後任を定める事になったのだよ」
「は……?」
思わず驚愕の声をあげるソリアだったが、彼女は直ぐに口を手で押さえる。
それもその筈だ。公爵令嬢の警護を任されているとはいえ自分は一介の護衛官に過ぎない。その自分がこの様な大事に、口を挟む権利など無いのだから。
けれど、そうは思いつつも、ソリアとしては驚かざるを得ない。先のスタージャとのやり取りから人格が破綻していると思われがちだが、彼の能力は高い。
伊達に百年もの間〝あの怪物〟と戦い続け、遂にこの島の平和を勝ち取った訳ではない。ザナストの指導力やカリスマ性は、ソリアの目から見てもほかとは段違いである。それこそノーゼの存在さえ霞ませる程に。
……その彼が、国家元首を辞める? まだこの島が平定されてから、六年ほどしか経っていないと言うのに?
そんな――バカな。
「だな。数年やってみて痛感した。ぶっちゃけ、政治とかめんどい。これならキロ・クレアブル達相手に暴れまわっていた時の方が、遥かにマシだ。と言う訳で、俺は身を退く事にする。俺としては以上だが、なんぞ文句があるか、スタージャにソリア?」
「……いえ。私の立場で、どうこう言える話ではないので」
「ですね。お父様がそうお決めになったのなら、私はその本分を貫くべきだと思います」
素知らぬ顔で、スタージャは告げる。
この意見を前にして、ソリアは思わず顔をしかめそうになった。
「だそうだ。この二人はお前の様に駄々はこねねえってさ、ノーゼ。てか、繰り返しになるが――俺としてはお前の方がよっぽど向いた職種だと思うぜ、国家元首は」
だが、ノーゼ・シアは首を横に振る。
「いや、私は裏方の方が性に合っている。影で悪だくみをするのが、私の趣味なんだ。が、それには陽となる存在が不可欠だろう。日の光を失った時点で闇に塗りつぶされ、影も消えるしかない。これはそういう事だよ」
「つ、つまり、シア宰相も表舞台から降りる、と?」
自分の立場を逸脱していると承知しながら、ソリアは訊ねる。
ノーゼは気を悪くした風もなく、首肯した。
「ああ。私も十分楽しんだ。これからは家督を譲って、楽隠居でも決め込むさ」
冗談ではない。この島を平和に導いた英雄二人が、揃って引退する? 彼等の権威があるからこそ、ギリギリの所でこの島の治安は守られているというのに……?
「で、お父様としては――後任はどなたになさるおつもりですか?」
しかし、ソリアが受けた衝撃とは裏腹に、スタージャは事もなく質問する。
まるでこの二人が積み上げてきた功績を、全て無視する様に。
「だな。実は、それが一番の悩みでよ。今、頭を抱えているところなんだ」
でしょうねと、ソリアは胸裏で頷く。というか、この時点で彼女は何だか、厭な予感しかしない。
実際――彼女は告げる。
「そう言えば、今更なのですが私ってお父様の娘、なのですよね? 血は繋がってはいないとはいえ、レクナムテの姓を名乗る事を許された身です。という事は、お父様が世襲をお認めになれば、私がこの島の新たな主というのもありでは?」
「は――っ?」
この暴言を遮る様に、ソリアは立ち上がり、大きな声を上げる。
普段の冷静沈着な彼女ではありえない狼狽ぶりを見て、ザナストはニヤつく。
「かもな。実は俺も――それが一番手っ取り早いと思っている」
「……って、ちょっとッ?」
ソリアはもう黙っていられないといった体で、身を乗り出す。
逆にザナストは、椅子に深く身を預けた。
「が、それもどうなんだろうな? 確かにお前が国家元首になれば、色々面白そうではある。だが、果たして只の人間であるお前を、この島の連中が主と認めるか? 俺は別に構わねえがほかの奴等はどう感じるかね? これって無駄なヒト死にが出る前振りにしか思えねえだがお前はどう思う、ソリア?」
「私、ですか?」
そんなの、既に答えは決まっている。スタージャ・レクナムテに今以上の権力を与える等、暴挙だ。暴挙に暴挙を重ねるだけだと、思う。
この考えが表情に出たのか、スタージャはクスリと笑った。
「あら。これは驚きだなー。私って意外と信用がないんだね、ソリアさん?」
「いえ……これはそういう問題ではないと思います」
片やソリアは挑む様な眼差しで、スタージャを見た。ここで彼女と刺し違えるだけの覚悟を以て。
それに気付いたノーゼは嘆息し、目を細める。
「ザナスト。余りメビス護衛官を虐めるな。ま、確かにコノ先の話も、彼女にとってはただの嫌がらせに過ぎないのだが」
「……嫌がらせに、過ぎない?」
それは、どういう意味だ? これ以上、自分にどんな厄災が降りかかるというのか?
ソリアは普通にそう感じ、ノーゼは些か心苦しそうに口を開く。
「ああ。メビス護衛官も、我々の性質はよくわかっているだろ? 基本、私達『異端者』は強者しか主と定めない。例えどれほど知恵者だとしても、それが弱者なら我々はその人物を長とは認めない。だが――幸い私とザナストは、強者であり政務にも長けていた。お蔭でこの島の治安はそれなりに安定していた訳だが、そこでザナストは思いついた訳だ。〝どうせ強者にしかついてこないのだから、そこら辺をわかりやすくする場を設ける事にする〟と」
「そこら辺を、わかりやすくする場? ……それは、もしや?」
「そう。簡単に言えば、腕に覚えがある者達を募集してね。ソノ上で、彼等にはバトルロイヤルを行ってもらう事にした。無論、ソレで国家元首を決めるつもりはないが、その後で選挙でも行うつもりだ。なら――そのバトルロイヤルの優勝者は、それなりに有利な立場につける事になる。そうは思わないかな、メビス護衛官?」
なんだ、ソレは……? ソレでは中世期の、王の定め方ではないか?
古代のブリテンの逸話でも選定の剣さえ無ければ、騎馬戦で王を定めていたというし。この現代においても、そんな前近代的な方法で、国のトップを定める気だと?
故に――ソリアは躊躇なく言い切る。
「有り体に申し上げて構いませんか?」
「どうぞ」
「とても――正気とは思えません」
「アハハハハ! だろうな! 喜べ、ノーゼ! やっぱソリアは、お前の味方だ!」
嬉々とする、ザナスト。ソレを鼻で笑って、ノーゼはソリアに視線を向ける。
「だな。私もそう思う。だが、それが我々にとっての現実だ。力無き物には従わないという、我々の。故に、私達としてはこういった場を設ける以外、方法は無いのだよ」
「成る程。それで、仮にその選挙に勝ち残った者が、悪政を敷く者だとすれば、するべき事は一つ。お二人が責任をもって、その人物を粛清するという訳ですね?」
「なっ?」
やはり当然の様に、スタージャは語る。いい加減、驚きつかれているソリアを尻目に。
「フ。やはり、君は面白いな。その辺りの話を、私達に明言させようとするとは」
「これは失礼しました。配慮が足りなかったと自身の浅慮を恥じ入るばかりです。ですがそろそろ結論を出してもいい頃です。なので、要点を纏めさせていただいても構いませんか?」
「あー、いいぜ。言ってみ? 要するに、これはお前達にとってどういう状況なのかを」
スタージャ・レクナムテの答えは、些か難解だった。
「ええ。つまり私が国家元首を目指すなら、その大会で優勝する事が必須。ですが、私が件の大会で勝利を目指せば〝あのデメリット〟がついて回る。それを可能な限り回避するには――私には頼りになる相棒が必要、という訳ですね?」
「……ああ」
お蔭でソリアはようやく理解する。ノーゼが言わんとしていた、その悪辣な構造を。
「要するに、私はお嬢様の相方としてその大会に出るしかない? 私はお嬢様をこの島の国家元首になど、したくないのに……?」
「ええ。そうなるかなー。ソリアさんが〝例のデメリット〟を許容できるなら、私一人で出場するつもりだけど」
「………」
最悪だ。何て悪魔じみた状況。逃げ場が無いとは、正にこの事を指す。その事実を前にし、ソリアは比喩なく眩暈を覚えた。
その上で、彼女はスタージャに問い掛ける。
「もう一度、確認します。……お嬢様は、例え一人でもその大会に出場なさると?」
「うん。言わずもがなだね。だって、私みたいに最下層を彷徨っていた普通の人間が、この島のトップになれるんだよ? それって――すっごく面白そうじゃない?」
「あー」
だとすれば、仮にこのユメが叶うとすれば、自分は国家元首の護衛官に出世する訳か?
そう現実逃避をしながら、ソリアは一度だけ項垂れる。
ソノ体のまま、彼女はスタージャに問うた。
「一生のお願いです」
「はい?」
「どうか一日だけ……私に心の整理をつける時間を下さい」
このソリアの申し出を――スタージャはやはり満面の笑顔で了承したのだ。
◇
そして、これはこの島の歴史について。
この島の歴史は、実に血塗られた物である。
少なくとも数万年ものあいだ統一される事はなく、戦乱の世が続いてきたのだから。
が、今から百数十年ほど前、一人の『異端者』がこの地を訪れた。それはほかの『異端者』達とは前提が異なる生物で、或る種の天才と言って良い。
現に、そのエルカリス・クレアブルという青年は、今まで争いの渦中にあったこの島を征服した。
島にある多くの国々を統一し、更には善政を敷く事になる。今まで平和という物を知らなかったかの島の民は、この時、初めて安らぎを得る事になった。
だが、問題は、そのエルカリス・クレアブルが没した後の事である。ある実験で命を落としたとされる彼は、事前に己の後継者を定めていた。
それが――キロ・クレアブルと言う名の少女だ。
エルカリスの娘の如き存在だった彼女は、自分の目的を果たす為ある政策を打ち出す。
いや、ソレは暴挙を超えた凶行と言って良い。
なぜなら、彼女はこの島のニンゲンに――共食いをするよう強要したのだから。
余りにも、馬鹿げた話。どこまでも、滑稽な愚行。
けれど――彼女は本気だった。
その為にキロはこの島の土を腐らせ、農作物が実らない様にした。家畜を消去し、獣肉による供給を断った。島に結界を張り、誰もこの島から逃げられない様にした。
結果、この島の住人達は、キロの思惑通りに動くしかなくなったのだ。
彼等は昨日まで隣人だった人々を殺し、生を繋ぐ事になる。一人を食べれば一月は何も食べずに済むという、ニンゲンという生き物を食して。
果たして彼女はそこまでして、何をしたかったのか?
彼女の目的は――エルカリス・クレアブルの宿願を果たす事だった。
彼女は、エルカリスが追い求めた――〝実存する神〟を欲したのだ。
元々エルカリス・クレアブルがこの島に根を下ろしたのも、その為。
中世期から生き続けてきた彼は、神の名を以て人を殺す当時の情勢に嫌気がさしていた。ならばとばかりに彼は世界を放浪し、本物の〝神〟を探し出す事にした。その超越者に、この世を治めてもらうよう彼は願ったのだ。
それは、自身の天敵を探し出す行為そのもの。食物連鎖という因果に縛られたこの世なら、自分を超える存在もまたいる筈。
エルカリスはそう考え世界を探索したが、やがてそれも徒労に終わる事になる。彼は結局、自分を超えた存在など居ないと結論し、その過程でかの島を統一した。存在しないならつくりだせばいいと発想を変え、今の世にはいない生物を生みだそうと図った。
あろう事か彼は――〝神〟をその手でつくりだそうとしたのだ。
しかし、そのエルカリスも、件の実験の途中で命を落とす事になる。
その遺志を継いだのが――キロ・クレアブルという名の少女だ。
彼女は、例の政策を実に百年余りも実行した。共食いを強いる事で島の生態系に圧力をかけ自分をも超えた存在を生みだそうとした。
事実、彼女の暴挙に反発を覚えた人々は結集し、何度となく反乱を起こす事になる。
だが、二十万にも及ぶ兵をたった一人で葬り去るその少女は、次元そのものが違っていた。
レジスタンスを名乗る組織は幾度となくキロに立ち向かったが、その度に敗走した。ズタボロになりながら血反吐を吐き、かの少女がつくり出した地獄に身を置く事になる。
この情勢が変わったのが、今から数年ほど前。
それは、天の配剤か? 或いは、運命の悪戯か?
とにかく、この島には数名の救世主が現れた。
その内の一人が、かのザナスト・レクナムテ。百年にも及びキロと戦い続け、尚も生存し続けてきた、生きた伝説。
二人目は、ノーゼ・シア。ザナストの片腕としてレジスタンスを指揮し、徐々に勢力を増していった、稀代の知恵者である。
更に、本人の希望でその詳細は語られていない、謎の人物。
彼等はその日キロ・クレアブルに決戦を挑み、遂に勝利を収めた。比喩なく■■が数百億個消し飛ぶ程の戦いだったが、少なくともこの地からキロは消滅した。
その戦果に人々は誰もが感極まって涙し、互いに抱き合って、歓声を上げた。皆がザナスト達を称え、その声援は一日中絶える事がなかったと言われている。
が、一寸した問題が起きたのは、その後だった。
ザナストとしてはその時点で身を退くつもりだったが、島民はソレを許さなかった。彼等はザナストを担ぎ上げ、この島の新たなる為政者になるよう求めたのだ。
ノーゼとしても彼以外の者が指導者になった所で、何れ空中分解する事はわかっていた。故にノーゼも、ザナストを説得する事になる。
その要求に応じ、ザナストもまた渋々この島の新たな領主となったのだ。
「なのに……今更これですか?」
額に指を当てつつ、ソリアは呟く。
この――〝楔島〟の歴史に思いを馳せながら、彼女は露骨に嘆息した。
彼女の愚痴に、スタージャもウムと頷く。
「かもしれないね。お父様は、些か性急に事を進めすぎているのかも」
けれど、その表情に危機感などない。
寧ろ清々しい程の微笑みを、彼女は浮かべている。
「……というかシア宰相がついていて、この状況とか絶対ありえません」
長い廊下を歩きながら、ソリアは尚も憤る。
普段は表情一つ変えない彼女にしては、実に珍しい事だ。
しかし、スタージャはソリアのその態度を、怪訝に感じた。
「あれ? もしかしてソリアさん気付いてない? それとも私が居るから惚けているだけ?」
「は、い? それは一体どういう、意味?」
立ち止まり、背後に居るスタージャに目を向ける。彼女は真顔で、普通に言い切った。
「あれ、全部ウソだよ? お父様が国家元首を辞めるって言いだすよう仕向けたのは、ノーゼ小父様だから」
「は……?」
というより自分はこのリアクションを、今日何回した?
そうは感じながらも、彼女は眉をひそめるしかない。
「……つまりシア宰相がレクナムテ議長を失脚させた、とでも言うんですか貴女は?」
訝しげに訊ねるソリアとは裏腹に、スタージャは快活に答える。
「うん。ノーゼ小父様はさも自分も被害者だって貌をしていたけど、主犯はあのヒト。恐らく件の大会を開くようお父様を誘導したのも、彼だね」
「……何の為に?」
が、そこまで言い掛けたところで、ソリアはある可能性に気づく。
ソレはここまで聴けば、関係者なら自然と思いつく考えだ。
「そういう事。多分、お父様もその事には気付いている。ソノ上でこういう場を設けたと言うのは、色々面白いと思わない?」
「相変わらず、腹は立てないですね、貴女は?」
「ええ。私はお父様を――愛しているから」
「………」
それで、この件の会話は終わった。
第三者が聞けば、意味不明と断言するであろう、この会話は。
「それより、ソリアさんは、私の何が気に食わないのかな?」
(つッ……?)
後ろから肩に手を回され、抱きつかれる。スタージャは、ソリアの耳元で囁いた。
「私は、きっと良い王様になるよ? この私が言っているんだから、間違いない。寧ろソリアさん的には、どこの馬の骨ともわからないヒトに楔島を任せる方が不味くない?」
「……相変わらず自信過剰ですね。その〝良い王様〟とやらが、今日どんなヘマをやらかしたんです?」
「あははは! ソレを言われると、返す言葉がないなー」
言いつつ、スタージャはソリアの両ムネを揉む。
「くっ?」
故に彼女は躊躇なく、スタージャの額に裏拳を入れる。
それだけでスタージャは頭を押さえて、蹲った。
「……痛い! ……酷いなー、ソリアさんは。同じ女なんだからオッパイを揉む位、スキンシップの範疇でしょ?」
「言っていませんでしたっけ? 私、貴女の事はただのおっさんだと思っているって。ええ、ええ、貴女を女だと思った事は一度もありませんから」
「つまり――異性だと思っている? なら、脈ありと考えていいのかな?」
まさかこの娘……コッチの気持ちがわかっていてこんな事を言っている? それとも、ただからかっているだけか?
そこまで考え、ソリアはいい加減、面倒になった。
「うん、うん。やっと、何時ものソリアさんらしくなってきたね。相棒があんな精神不安定状態だと、私が困るし」
「その話ですが……私ではなく静音ではいけませんか?」
スタージャに手を差し伸べながら、深刻な表情でソリアが問う。
金髪の少女は珍しく苦笑いしながら、彼女の手をとった。
「ええ。静音さんは駄目だね。彼女は手加減が出来ないし、だから護衛向きじゃない。それだと、きっとヒト死にがでる。なにより私の考えが正しければ――彼女はきっとこう動く」
スタージャが、自分の推理をソリアに話す。ソレを聴いて、彼女はもう一度眉をひそめた。
「成る程。それも道理、か」
納得したソリアはスタージャを立ち上がらせる。
その彼女の貌を見ながら、金髪の少女は言い切った。
「それとも――ソリアさんは自分以外の誰かに私の事を任せる気? それで絶対に後悔しないと言える――?」
「………」
果たしてこれを殺し文句と言わず、何をそう称せよう?
少なくとも、ソリア・メビスはそう痛感する。
彼女はこう言った挑発じみた発言に弱い事を、自覚しているから。
「でした、ね。貴女の子守が出来そうなのは――きっと世界で私くらいです」
「だね!」
ソレで、またも話は終わった。
一日の猶予を貰った筈のソリアは、たった十分程で事もなく陥落する。
この日、彼女はこの世界一の厄介者と共に戦う事を決めたのだ―――。
◇
で、これはそう決意した数十分後の事。
「……って、本当にそれで良いですか、私っ?」
自分は今、完全にあの少女にのせられている事に気付く。今更ながら、これは完膚なきまでにスタージャ・レクナムテのペースだ。
いや、それ以前に、アレほど厭がっていた自分が何でこうも簡単に彼女の誘いを受けた? なんかもう〝どうせ二人で戦う事になるんだから、余計な話はカットして構わないだろ〟と言った感じだ。
そうは思いつつも、今更あの宣言を撤回するのは不可能だろう。ソリアとしても、ああ言い切った以上、前言を翻すのは本意ではない。
だが、不思議でもあるのだ。
なぜ、自分はこうも彼女の言葉に弱い? どうしてスタージャは自分が欲している言葉を、こうも投げかけてくるのか?
ソリアは、それが不思議でならなかった。
「というか今更ですが、何者なんです、彼女は……?」
裸ワイシャツという寝巻に着替え、ベッドに横になりながら彼女は天井を眺めた。
隣の部屋には、既に就寝中のスタージャが居る。
彼女の警護は、件のメイドがしている筈だ。
「やはり、わからない事だらけですね」
ソリアが感じる限り――スタージャ・レクナムテは只の人間である。自分達とは違う生き物で――それだけは間違いない。
スタージャとソリアが出逢ったのは、今から一年程前。
様々な過程を得て誕生したソリアは、ちょっと特別な存在だった。
だが、この特殊性が発揮される前に、キロ・クレアブルが行方不明になる。お蔭で、彼女には行くアテがなくなった。
そんなソリアを拾ったのがザナストで、彼は自分の娘をソリアに守って欲しいと依頼した。そしてする事もしたい事もなかった彼女は、受動的な心境でその話を受けてしまう。一月ほど警護官としての訓練を受けた後、ソリアはスタージャに引き合わされる事になった。
この時の事を――彼女は今でも忘れていない。
初めに目が行ったのは、スタージャの並はずれた美貌である。齢十五で既に絶世の美女と言える容姿であり、ソリアは思わず息を呑んでいた。
ぶっちゃけてしまえば、彼女はこのとき生まれて初めて恋と言う物をしたのかもしれない。それ程までに、スタージャ・レクナムテという少女は鮮烈だった。
けれど――当の彼女はというと不可解な言葉を漏らす。
〝……ああ。貴女が、ソリア・メビスさん、か。成る程――貴女が〟
〝は、い?〟
ソリアには、今でもわからない。
自分を見た瞬間―――なぜスタージャは涙したのかが。
彼女はただ嬉しそうに笑って、頬濡らす。
〝貴女に会えて、本当に、良かった。これから、どうか宜しく〟
振り返ってみれば、ソレが彼女とした数少ない真っ当な会話だったかもしれない。ソリアにわかるのは、恐らくスタージャは自分の為に泣いてくれた、という事だけ。
それが何を意味しているのか、今の彼女には理解できない。あの時も、それを問う事は出来なかった。
でも、ソリアは思ってしまったのだ。
この涙に酬いたいと。今でも意味がわからない彼女のあの感情の吐露に、何かしらのお返しがしたいと。
思えば、それが初めて自分に芽生えたニンゲンらしい意思だ。あの瞬間から、たぶん自分はニンゲンという物になった。
スタージャ・レクナムテという魔法使いが、自分に感情という物を与えてくれたから。
「……ですね。彼女に対し引け目があるとすれば、そこら辺か」
人形だった自分に、心をくれた少女。
ソリアにしてみれば、ソレはもはや奇跡の領域であった。
「でも、何時か訊いてみたい物です。なんであの時、貴女は泣いたのかと。それだけは、私が死ぬ前にハッキリさせておきたい」
微睡む前、ソリアは思わず口角を上げながら、そう願う。
叶うかどうかわからない願望を胸に彼女は目を閉じ、最後に思い出す。
「ああ。それと、もう一つだけ補足しましょう。そういえば、初めて会った時、確かに言っていました……」
〝うん。そう。私の目的は――この島の王様になる事だね。それが私のユメで、絶対に叶えなくちゃいけない、願いなんだ――〟
その懐かしい残響を胸裏に抱きながら――やがて彼女の意識は眠りについた。
2
ではここで、ソリアが知っているスタージャの情報について纏めてみよう。
第一に――彼女は普通の人間であるにもかかわらず、何らかの能力を持っている。
いや、確かに普通の人間が『異端者』になり得るという例もある。だが、それを成すには超絶的な痛みに耐え、その上、寿命が極端に減るという悪条件が不可欠だ。
この時点で、その人物は人からヒトに新生する事になる。
「けど、やはり納得がいきません。だって、彼女はやはりただの人間なのだから。あ、いえ、〝ただのおっさん〟の間違えでしょうか?」
そういう事だ。ソリア的には、スタージャはただのおっさんにすぎない。少なくとも、仕草や中身の方は。
それはさておき、第二に――彼女は謎の直感を持っている。
必ずという訳ではないが、彼女が外出をすると何らかの事件に遭遇する事が多いのだ。スタージャ本人としては、実にあっけらかんとしたものだが。
〝んん? そうだね。なんというか、ただの超絶美少女の直感ってヤツ? もしくは名探偵が旅先で必ず事件に巻き込まれる、アレみたいな感じ?〟
と、ふざけた事を断言するだけで、それ以上多くは語らない。ソリア的には誰が美少女だと蹴りを入れたい所だが、ソレは事実なので自制するしかない。
第三に――スタージャはクロスカウンター的な力を持っている。
彼女は悪意を帯びた攻撃を受けそうになると、謎の反撃能力が発動するのだ。
だが裏をかえせば、彼女は敵が悪意を以て攻撃をしないと反撃が出来ないという事。
で、ここが重要な所でスタージャはヒト型の生物を殺すと――寿命が一年縮む。彼女の説明では、そういう事になっている。
だというのにその反面、このカウンター攻撃は手加減が出来ない。まず間違いなく、攻撃してきた人物を殺害してしまう。ザナストが言うには、そういった理由があるから、スタージャには護衛官が必須らしい。
成る程、確かにその通りだ。誰かから攻撃を受ける度に、その人物を殺しては彼女の身はもたない。その度に寿命が減っては、スタージャは間違いなく短命で終わる。
ましてや、彼女はよそ様の事件に首を突っ込みたがる性格だ。この相乗効果によって、スタージャの命はミルミル縮んでいくだろう。それこそ、面白い程に。
これを防止する為に、スタージャにはソリア達という護衛官が必要なのだ。
だが第四に――この不具合を解消する様に彼女にはもう一つの〝ルール〟があった。
それが――〝看破〟する事。
彼女は何故か、敵となる人物を倒す方法を知っているらしい。ソレを〝看破〟できればその通りの手順でその敵を倒せるとか。
つまり逆を言うと〝看破〟できなければ、この能力は使えないという事。そういった不具合がある為、こちらの能力はカウンター攻撃の様なデメリットは無いらしい。
「……要するに、どう考えても彼女は普通の人間ではないという事です」
只の人間にしてみれば、ソリア達も十分フザケタ存在だろう。けれど、あの金髪の少女はそんな自分達にして、ありえない存在と言って良い。
この辺りの事情が、余計にソリアの神経を過敏にさせていた。
「ま、いいです。今のところ害はありませんから。少なくとも、私には」
うん。偶にセクハラを受ける位で、致命的な被害は負っていない。ただの裏拳程度では彼女の能力も発動しないので、殴り放題である。
いや、マルタイを虐待する警護官なんて、もうその時点で終わっている気がする。しかしソリア的には、それもザナスト達にさえバレなければオーケーなのだ。
次に――例の大会について。
〝そうだな。大会の概要については、事前に対策を練れないよう当日までルールは秘匿する。無論スタージャ達にも、教える気は無い。つまり君達にいま出来る事といえば、少しでも己を高める事だけだ〟
以上が、ノーゼ・シア宰相の御意見である。
彼は先んじて件の大会の事をソリア達に話した物の、それ以上は語る気がないらしい。彼はそういった、公平性を重んじるニンゲンだった。
少なくともスタージャの見立てだと、表向きは。
「でも困ったねー。だからって私達は連携攻撃とか無理だし。ソリアさんはオッパイ揉むと怒るし。最近は頭撫でただけで蹴るし。ほら、私に出来る事なんて何も無いじゃない!」
「なに逆ギレしているんですか? 女子がおっさんから己の貞操を守って、何が悪いんです? 後、公平性とか保っていませんから。先んじて大会の事を聴いた時点で、少なからず私達が有利です。島の皆が大会の事を知る前に――私達は修練に励む事が出来るのだから」
朝七時には起き、家の庭に集まったスタージャとソリアは、そんなやり取りをする。
けれど、この尤もな意見を、スタージャは否定した。
「あ、それはないねー。だってノーゼ小父様、今日の朝八時には件の大会の事、公表するって言っていたし」
「は、い?」
「要するに私達のアドバンテージは、後一時間修練に時間をさける事だけ。その間に私達が、どうすれば連携攻撃が出来るか試してみる? 私達の友情パワーが炸裂する瞬間を、目の当たりにする? きっとお父様が殴りかかってくる事、うけ合いだよ?」
「なんでレクナムテ議長が殴りかかって来るんです……? どんだけ親バカなんですか、あのヒト? 良いです――わかりました。じゃあ私だけでも特訓しますから、スタージャはそこに大木で、首でも吊っていて下さい」
「――なんでッ? なんで私が首吊らなきゃならないのっ? 最近ソリアさん、私に対する扱い酷くないッ?」
酷いか酷くないかで言えば、明らかに酷いだろう。ある意味、自業自得だが。
しかし、件の朝八時を迎えた時点で、ソリア達はそれどころではなくなった。
たった六十分間の特訓を終えた後、ソリア達はテレビがあるリビングに向かう。それからこの施設のニンゲンが運んできた朝食を食べながら、二人でテレビを観賞した。
「あ、ノーゼ小父様だ。やっぱ今日も、腹黒そうな貌してるなー」
「………」
いや、この偏見はさておき……ソリアもテレビ画面に意識を傾ける。
テレビ画面の中のノーゼ・シアは、淡々とこう告げた。
『という訳で、私達としては今説明した大会を開く事になった訳です。ですが、私共としては可能な限り政治的な混乱は招きたくありません。なので件の大会は――今日の正午に催す事にしましたので、ご了承ください』
「え……?」
今、あのヒトは何と、言った?
まさか、今日の午後十二時に大会を開くと、そう言ったのか?
「あー。成る程、そう来たか。小父様としては、さっさと決着をつけたいみたいだねー。これもアルマテクスさんが、手をこまねいている所為かな?」
……アルマテクス? アルマテクスとは、アルマテクス・クレアブルの事か? なぜ文部大臣の名前が、ここで出てくる?
やはりこの少女は意味不明だと思いながら、ソリアは首を傾げた。
『そういう事なので、腕に自信がある者は、速やかに国会議事堂前に集まって頂きたい。詳しい説明は、その時にする予定なので』
「本気、ですか? ……だとしたら、今日ほどシア宰相の人格が破綻していると思った日はありません」
こうしてスタージャとソリアは大した用意もなせぬまま――戦いに駆り出されたのだ。
◇
ではここで、一度話を整理しておこう。
事の起こりは、ザナスト・レクナムテが国家元首を辞職すると宣言した事。それによって、彼等は自分達の後任を定めざるを得なくなった。
その為、ザナストは島民が認めるだけの強者を発掘するべくバトルロイヤルの開催を決意。その旨を娘であるスタージャに告げ、彼女もこれを了承するに至る。この時点でスタージャもその大会に挑む事になった。
更に、件のリスクを抱えているスタージャの身を案じ、ソリアも大会に参加する事になる。
しかしあろう事か、ノーゼ・シアはその大会を彼女達と話をした翌日に開くと言う。彼の宣言を聴いた人々は、心の準備さえ出来ていないと言い切れるというのに。
こんなのはボクシングのタイトル戦を、選手に何の調整もさせずやらせる様な物だ。
このありえない現実を前に、ソリアは真剣に頭を抱えた。
「というか、私に対しておっさん、おっさん言うのは、おっさんに対して失礼だよ!」
「何の話っ? 何の話をしているんですか、貴女はッ?」
続けて何時もの様に、意味不明なやり取りをする羽目になっていた。
主に、例の金髪の小娘の所為で。
「……でも、確かにそうですね。貴女をおっさん扱いするのは、おっさんに対して失礼です」
「それは私に対して、失礼だけどね。うぅぅっ。ソリアさんが私をバカにするよぅ」
(自分で話をふっておいて、なにイジけてるんですかこの人は……?)
大いなる謎を抱きながらも、ソリアはやはり無表情で目を細める。
「つまり、大会まで後四時間弱? その間に私達に出来る事は、果たして何……?」
ソリアは努めて深刻そうに、考えを巡らせる。
こんな彼女を前に、スタージャは手をヒラヒラさせた。
「いや、違うよ? 大会が始まるのが正午だから、選手登録は今から受けつけるって。受付終了時間は午前十一時だから、私達ももう受付会場に行かないと」
「………」
要するに……自分達に出来る事は、もう何も無い?
訓練を積む時間もなければ、有力な選手をチェックする暇さえないと言うのか?
「ああ、そう。もう、ぶっつけ本番ですか? 成る程。確かに貴女の言う通り、シア宰相は公明正大です」
「だね。容赦がないとも言うけど、そこら辺も――小父様の魅力かな?」
ウインクしながら、とびっきりの笑顔でスタージャは語る。
思わずそれに見蕩れた後、ソリアは目を逸らしながら呟いた。
「……勿論、貴女には勝算があるんですよね、この状況でも?」
「ええ。この先私以上に主人公っぽい設定を持ったキャラさえ出てこなければ、勝つのは私」
「………」
かくしてソリアは、この意味不明な発言を聞きながら、次の行動に移らざるを得なかった。
◇
スタージャとソリアが件の受付会場に辿り着いたのは、それから五分後の事。
自分達の居住地に隣接されたその会場には、既にヒトの姿がちらほら見える。あのノーゼの爆弾発言から数分足らずで、もうヒトは集まり始めていた。
その一人であるソリアは、取り敢えず周囲を見渡す。
(今のところ、それほど大したニンゲンは居ない? それとも、単に私が彼等の力を読み取れていないだけ?)
一体どちらだろうと首をかしげている間に、スタージャはトテトテと歩を進める。
「ええ、はい。スタージャ・レクナムテとソリア・メビスです。この両名の選手登録を、お願いします」
ソリアの了解をとる前に……スタージャは勝手に手続きを済ませてしまう。
こうなってはソリアも後には引けず、今度こそ本当に彼女は腹を決めるしかなかった。
「と、そういえば、一つだけ確認していない事がありましたね」
パタパタと駆けながら戻ってきたスタージャに、ソリアは問い掛ける。
何かといえば、答えは極当然な事だ。
「仮に私と貴女が最後に残った場合、私と貴女が戦うというのはありなんでしょうか? 事と次第によっては――私がこの島の王になっても構わない?」
「ああ」
スタージャが、今初めて気が付いたといった表情を見せる。
この時彼女は、心底から震撼した。
「……そうだった。確かにソリアさんって私並みに主人公っぽい設定の持ち主だったよ。……しまった。真っ先に始末しなければいけなかったのは、このソリアさんか!」
「………」
ブルブルと震えながら、言いだす。
アレは本気で慄いている顔。
そう確信しつつも、ソリアは辛抱強くスタージャの答えを待った。
「わかったよ。そこら辺はもう、ソリアさんの好きにして構わない。仮に私がソリアさんに負けても、それは今日まで私を守ってくれた報酬という事だね」
「了解しました。では、そういう事で」
いや、正直言えば、ソリアにはそんな野心は無い。今の立場でさえ、分不相応だと彼女は思っている。今のはスタージャに対する牽制で、ソレ以上の意味はなかった。
(ですね。私が王とか、静音がラーメンを食べなくなるよりありえません。私に出来る事があるとすれば、一つだけ)
それは、誰かの力になる事。誰かの手助けさえできれば、彼女はそれで満足だった。
例えソノ対象が――件の問題児だとしても。
「しかし、みんな適応力高いね? ついさっきあの爆弾発言を聴いたばかりだって言うのに、もうヤル気になっている。皆、本気で王様の座を狙いにきているよー」
「スタージャはそう感じますか? 私としては、街ですれ違うニンゲンと大差ない表情に見えますが?」
「ソリアさんは、余り他人に感心がないからね。私だけは例外だけど。うん。私、ソリアさんが一日中私の事を考えているって思っただけで、股間がゾクゾクするんだー」
「………」
だからなんでこの娘は可愛らしい声で、変質者以外の何者でもない事を言うのか?
どう育てられればこうなるのか、ソリアは真剣に不思議だった。
「ま、いいです。それより最終確認をしておきましょう。前線に立つのは飽くまで私。スタージャは〝看破〟したとき以外は私の後ろに居て何もしない。そういう事で良いですか?」
「……いえ、それより何で今、私から五歩ほど離れたの?」
「別に大した理由はありません。ただちょっと――貴女から生理的嫌悪感を覚えただけで」
「それって十分大した理由だよっ? 女の子が女の子に嫌われるって、十代の子にしてみれば大変な事なんだよッ? ソリアさんって、そういう事わかって生活しているっ?」
しかし、この御意見をソリアはスルーする。彼女はただ、時が経つのを待った。
「と、そろそろ受付の終了時間だね」
「えっと、待って下さい! 私も参加するんで!」
「で、目下のところ、彼女こそが私達にとって最大の障害かな――?」
それは短い黒髪が似合う、メイド服を着た女性だった。
歳の頃は十八歳程だが、ソリアの目には妙に大人びて見える。二十代半ばと言っても通用しそうな程に。
件の彼女は受付時間ギリギリで手続きを済ませ、振り向いた途端、ソリア達と目が合った。
「あ、やっぱりね。二人も参加していたんだ。この乱痴気騒ぎに」
手にしたどんぶりを片手に、彼女はクスリと笑う。
彼女はどんぶりに入ったラーメンをすすった。
「でも勝つのは私。この――白果静音こそが楔島の王に相応しい。なんて言ったら信じる?」
「相変わらず、やる気があるんだか無いんだかわかりませんね、アナタは。でも一つだけ理解出来た事があります。スタージャの読み通り飽くまで私達の邪魔をする気ですか、静音は?」
「当然じゃない。なにをとち狂ったのか、ソリアはスタージャについたらしいけど。スタージャがこの島の国家元首とかありえないでしょ? なら不本意ながら、私がこの島の領主となった方が皆は幸せ、私は不幸せよ。私としてはその線で行きたいんだけど、そこんところどうなのさ? というか、今こそラーメン愛好家である私の力を見せつけてやるから、覚悟おし」
「……やはり、アナタの言っている事は、よくわかりませんね。静音に比べれば、スタージャの方がよほど論理的です」
「え? 褒められた? 私、今褒められた?」
鼻の穴から二酸化炭素を噴き出しながら、白果静音はドヤ貌をする。こんな彼女を放置しつつ、ソリアは小声でスタージャに問うた。ラーメンを愛好するヒト達が皆、こういう人物ではない事を祈りながら。
「というか、静音って強いんですか? 私、実は彼女の力が読み取れないんです」
「んん? ま、そこら辺は戦ってみればわかるよ。その前に、静音さんが脱落するかもしれないけど」
「………」
出来ればそうなって欲しいと祈りながら……ソリアは目を細めた。
◇
時刻は十一時を回り、登録受付時間が終了する。この五分後に件の元凶が国会議事堂から出てきて、その姿を衆目にさらす。
ノーゼ・シアは目算で千人程に及ぶかの群衆を前にし、高らかに宣言した。
「よくぞ集まってくれました、勇気ある諸君。貴方がたはこの場に居ると言うだけで、この島の未来を憂う開拓者と言って良いでしょう。この島の明日は、皆、貴方がたの肩にかかっていると言っても過言ではない。貴方がたの存在そのものが――この島の希望なのです」
彼の演説を、スタージャは苦笑いしながら批評する。
「やっぱ言う事が大げさだなー、ノーゼ小父様は。そのくせ言葉の端々から腹黒さや打算がにじみ出ている。私も政治家になったら、ああいうこと言わなきゃいけないのかな? 官僚が用意した書類を丸読みしちゃ、駄目なんだろうか?」
「……私に訊かないで下さい。貴女、王様になるのがユメだったクセに、そんな事も考えてなかったんですか?」
「ウム。そんな事は知らん」
「………」
アレ? 自分、もしかして選択を間違えた……? これなら静音に勝ってもらった方が、まだマシ?
思わず苦悩しながらも、ソリアはノーゼの言葉に耳を傾ける。
「では前置きはここまでとして、さっそく大会のルールを説明しましょう。第一に――この戦いはバトルロイヤル方式とします。楔島のある一角を解放し、その枠内で自由に戦ってもらう事にしました。第二に、ここが重要な点ですが敵になった相手を殺害する事はありとします。この大会の生殺与奪権は、出場選手に委ねる事にしました。つまり選手の勝利条件は敵を気絶させるか、それとも殺すか、棄権に追い込むかの何れかです」
「殺すのも、あり」
と、ソリアの目は険しくなり、スタージャは真顔でノーゼの貌を見る。
「但し、気絶した者や棄権を宣言した者を殺した場合、その選手は失格とします。我々がソレを知る為の術を、今から貴方がたにかけさせてもらいますが構いませんか?」
異論の声は無い。ただ、彼等は互いの貌を見合わせた。
「ええ。ここまでの説明を聴いて気が変わった方は、遠慮なく申し出て下さい。今ならまだ出場登録の抹消が可能です。今から十分ほど時間をとりますから、熟慮の上、判断していただきたい」
この説明を聴き、半数の五百人程が受付所に列を作る。
どうやら参加者は千人程から、五百人程にまで絞り込まれていた。
「結構。では、大会ルールの説明を続けさせていただきます。第三に――この大会は一番多くの敵を倒した方が優勝となります。ただし敵対選手を倒した場合〝その選手が今まで倒してきた人数〟も倒した選手に加算されるのでご注意を。ソレを当方が知る類の術もかけさせていただくので、ご了承ください」
「んん? 要するにこういう事? 仮に静音さんが五十人の敵を倒していて、私が二十人の敵を倒していたとする。で、その静音さんを私が倒した場合、私は七十人の敵を倒したという事になる訳か」
「ですね」
スタージャの解釈に、ソリアも頷く。ノーゼは最後に、こう付け加えた。
「制限時間は――一時間。即ち午後一時までを大会開催時間とします。その間、貴方がたはどのような戦略を巡らせても構いません。仲間と共に力を合せるのも良し。一人で戦い抜くのも良し。ソレは完全に自由です。無論、見知らぬ者同士が同盟を結ぶのもありです。その旨、しかとご理解いただきたい」
それで、今度こそ説明は終わった。
ノーゼは一度だけスタージャとソリアに視線を送った後、速やかに退場する。
代りに先の説明にあった術をかける為、二人のニンゲンが自分達に手を向けた。この術が成立した時点で、漸く全ての手続きは完了する。
「なら、後は戦うだけか。用意は良い、ソリアさん? いよいよ、この島の地獄を直視する時が来たよ?」
「貴女の言い草も、十分大げさですね。ですが、望む所です。私は私の願いを叶える為、何としてもこの戦いを勝ち抜きましょう」
珍しくソリアが、不敵に笑う。それを横目で見た後、スタージャはこう謳った。
「では、始めようか。今から私達二人は――天下無双だよ」
スタージャ・レクナムテは――肺に溜まった空気を大きく吐き出したのだ。
3
「それにしても、ソリアさんって本当に色気がない格好しているよね? 最近のアニメやゲームは、股間と乳首さえ隠していれば、もう何でもありだって言うのに」
「……は?」
いや、もう本気の〝は?〟だった。それ以上の、何物でもなかった。
「いえ、〝は?〟じゃなくて。最低でも、スーツ姿のヒトでも――胸の谷間とヘソ位は出して当たり前なんだけど?」
「あの……私の基準からすれば、それはもうただの痴女です」
だが、真実である。昨今の二次元業界は、肌色率が半端ない。ほぼ全裸という状態で、上着を羽織っているというキャラさえ居る。
それに比べれば、確かにソリアの格好は、余りにサービス精神が欠けていた。
少なくとも、スタージャ的にはそうなのだ。
「というか相変わらず、どうでもいい話題で盛り上がっているね君達は? 今から命懸けの戦いに身を置こうとしているニンゲンとは思えない会話だよ、本当」
「いえ……静音、アナタにだけは言われたくありません。というか、何時までラーメンを食べているんです?」
それは、徒歩で大会会場に向かうまでの会話だった。
余りにもどうでもいい話題である。
反面スタージャにしろ、静音にしろ、真顔で語っているのだから始末が悪い。
(あ、いえ。そんな事より、私はいま私がするべき事に集中しないと)
思い直して、ソリアは周囲のニンゲン達を探る。彼等の気配を注意深く読み取り、要注意人物を洗い出そうとしていた。
けれど、これは残念ながら不発に終わる。
(やはり、そう上手くはいきませんか。皆、上手く気配を消して、自分の実力を読み取れないよう図っている)
ただそれでも、この状況にあってソリアが気になった人物達が居た。
「あの二人。長い黒髪をした筋肉隆々の男性と、長い金髪の女性。あの二人からは、妙な違和感を覚えます。私としてはそうなのですが、スタージャ的にはどうですか?」
なんか訊ねる相手を致命的に間違えている気がするが、一応訊いてみる。
スタージャさんの御意見は、以下の通り。
「あのヒト、項籍さんに似ている」
「……項籍? 項籍とは、あの?」
「ええ。それとあっちの金髪美人は……んー、駄目だ。思い出せそうで思い出せない」
やはり……意味不明だ。なぜ齢十六の少女がそんな事を知っている? 新手のジョークか?
ソリアとしては、そう判断するしかない。
その間に、話は一気に進んだ。
「えー、皆様、大変お疲れ様でした。ここが本大会の会場となります」
三十分程歩いた後、彼女達はいよいよ決戦の舞台に足を運んでいた。
見た所、大会会場の広さは――大体直径五キロ程だ。大小の岩山に囲まれた其処は、確かにサバイバル戦の会場に相応しい体を成していた。
ガイドの女性は、朗らかに続ける。
「御存じの通り、大会開始は正午からです。なので定時まで後五分程ありますが、それまではご自由にお過ごしください」
「後、五分」
ソリアは呟き、静音に目を向ける。
「という訳で、そろそろどっか行っていてもらえませんか、静音? これから大事な話をする所でして。敵には一切聴かれたくないんです」
「敵ね。私としては本当の所、ソリアもコッチ側のニンゲンだと思っているんだけど。これって間違い?」
ニヤニヤ笑いながら白果静音は問うが、ソリア・メビスは答えない。
「ま、いいわ。ではお互い生き残れたら、また会いましょう。チャオ!」
静音が、群衆に紛れる。
ソレを見送った後、ソリアはスタージャに向き直った。
「で、スタージャはこの中で〝看破〟できたニンゲンは居ますか? もし居るなら、その人物から倒していきたいのですが?」
スタージャさんの答えは、以下の通り。
「ウム――居ない」
「………」
頼もしかった。これ以上頼もしい答えも、ほかになかった。
「……わかりました。なら私の心証を参考にして、大した事がないと感じた敵から倒していきましょう。スタージャはこうなった以上、徹底して何もしないで下さい。息をしてもいけません」
「――死んじゃうよッ? 息をしないと、私、死んじゃうよっ?」
それで、今度こそ無駄口は終わった。
余りにも身のない会話をして残り時間を使い切ったスタージャ達は、いよいよ正午を迎える。
「では――バトルロイヤル本戦、開始といたします!」
そんなアナウンスが、彼方から聞こえた。
同時に、既に臨戦態勢をとっていたソリアは、三時の方角に居る男性に肉薄しようとする。
が、この時――ソレは起こった。
「はっ?」
「んん?」
瞬く間とは、こういう事か。
気が付けば、スタージャとソリアは見知らぬ場所に立っていたのだ――。
「何らかの能力っ……? 試合会場から――どこか遠方に飛ばされたっ?」
ソリアは即座に周囲を警戒する。其処は近代的な町の中。その場には自分達を抜かし、九十九人程の男女の姿が見られる。
「つまり先手を打たれた――? 私達を試合会場から遠ざけ――隔離するのが狙い?」
ソリアはそう判断し、呼吸を止める。
だが、彼女が改めてスタージャの異常性を感じとったのは、その時だ。
「あ、いえ。恐らく、半分は正解。でも、もう半分は――多分もっとタチが悪い」
「どういう事です?」
ソリアは訝しげな様子で訊ね、スタージャは真顔で告げる。
「この景色を見て、ピンと来たって事だね。多分この世界は、何かの物語の中だと思うんだ」
「……何かの物語の、中?」
ますます意味がわからない。
だが、わからないなりに、ソリアはスタージャの説明に関心を寄せる。
「そう。私の勘が正しければ、この空間に取り込まれた者は今から選択を迫られる事になる。二択か、それとも三択かはわからないけど、かなり行動が制限される事になる筈。で――問題はここからなんだけど。恐らくその選択肢を幾つか間違えたら、私達はバッドエンドを迎える事になると思う」
「ああ」
ソリアが何かを納得するのと同時に、スタージャも頷く。
「うん。ソレが――この能力の正体。被術者を強制的に物語の中に放り込み、体験させてバッドエンドに導く。『バッドエンド=実際の死』というのがこの能力の本領だね」
だとしたら、確かにこれほどタチが悪い能力もない。
自分達は今、強制的にこの死のゲームに引きずり込まれたのだから。
ならば、スタージャの護衛役であるソリアがする事は決まっていた。
ソリアはスタージャの手を掴み、彼方に向かって走り出そうとする。その選択肢とやらが出現する前に、この世界の果てを目指す。
いや、その筈だったが、異常事態はまたも起きた。
「能力が……発動しない? まさか、私達をこの物語の登場人物になりきらせ、能力自体も封じた……?」
「多分、正解。けど、それは術者のリスクの高さも物語っている。きっとこの物語をハッピーエンドで迎えた瞬間――この能力者は死亡すると思う」
でなければ、これほどの条件で能力は発揮できまい。参加者も命懸けなら、ゲームマスターもまた命懸け。
これはそう言った類の――至極公平なデスゲームである。
「なら、ここは可能な限り様子を見るのが妥当ですね。この中の誰かがハッピーエンドを迎え、能力を解除してくれるかもしれないのだから」
けれど、この適切な意見を、あろう事かスタージャは否定する。
「いえ、逆だよ、ソリアさん。私達は何があっても誰より先行し、このゲームをクリヤーしなくちゃならない。でなきゃ――余計なヒト死にが絶対に出る」
「………」
ソリアが、思わず唖然とする。その間にも、スタージャは自説を展開した。
「そう。このままではこの世界に取り込まれたヒト達は、必ずクリヤー目指して動き出す。でも恐らくそれは、ほぼ不可能と言って良い。何故って――それは今日までこの能力者が生き残って来た事が物語っているから」
「……ですね。きっとこの術者がこの能力を使ったのは、一度や二度じゃない。大戦以前からこの力を使い、その人物は獲物を狩ってきた筈。即ち――この術者は今までこのゲームで負けた事が無い」
なら、これは正に、最高難度のゲームという事。
スタージャ達は今――無敗の能力者と相対しているのだ。
この現実を前に、ソリアは目を細める。
「それでも貴女は、先行するべきだと? 飽くまで私達がハッピーエンドを目指すべきだと、そう言うんですか?」
スタージャは、素知らぬ顔で断言した。
「どうだろう? ソリアさんは、ここで多くのヒト達を見捨てる様なヒトが王様になっても良いと思う? もしそうなら、私は別に構わないのだけど」
「……言ってくれますね」
本当に、なぜこうも彼女は自分の思惑から外れた事ばかり、口にするのか?
正直、それに苛立ちながら、ソリアは目を怒らせる
「でも、確かにそうだね。ソリアさんが私の我儘につき合う必要はないや。だから、ソリアさんは後からゆっくり来てもらっても、構わないよ?」
「構わない訳ないでしょう! 良いです、わかりました。――何をしているんですか貴女は? さっさと行かないと、おいて行きますよ?」
「ふふふ。やっぱソリアさんは、最高だね!」
これが、本戦のスタージャとソリアの出だし。
彼女達二人は、のっけから先の見えない血塗られたゲームに挑む事になった――。
◇
ではここで、能力レベルについて説明しよう。〈精神昇華〉とは――レベル三から六までの三つの段階にわかれている。
ほぼ無条件で使える様になるのが、レベル三である。
これは術者が決めた〝ルール〟を『歪曲者』と呼ばれる存在が認めれば使用可能だ。その際能力を得た人物は凄まじい激痛を覚えるが、負担があるとすればその位だろう。これらの力は〝ワード〟 ――もしくは『呪』と呼ばれている。
加えて、レベル四。
これはレベル三の力に経験値を注ぎ込み、進化した力を指す。能力自体はレベル三の力を増幅しただけだが、この時点で術者はあるアイテムを得る。
それが――現象媒介という物だ。文字通りこれは術を強化する為の物質で、銃や剣、アクセサリーといった様々な形を持つ。レベル四以上の能力者は、コレを媒介に何らかの術を発動させる事になる。
だがこの現象媒介という物体の最大の利点は、防御力にある。これはある能力を使わない限り、破壊出来ないのだ。それは現象媒介同士をぶつけ合っても同じである。ブラックホールに落ちても傷一つつかないと言うコレは、だから防御力に特化している。但しコレを破壊された場合、術者は二十秒ほど能力を使えなくなる。
それから、レベル五。
これから先は、正に選ばれた者だけが得られる力と言って良い。何故なら――その定員は五十名までだから。今『異端者』は、世界に五百万人以上いる。だがレベル五に至れるのは、その中でも前述の通り五十人だけなのだ。
これが満席だった場合、それ以外の人々は先達の術者が死亡するまでその座には至れない。このレベルの力は、それだけの意味がある能力だった。
なぜなら、レベル五の力とは世界の歴史そのものを使役する力だから。
例えば、過去に何処かで核爆弾の実験を行ったとする。レベル五の能力者は、その過去の情報を現在にあてはめ、再現する事が可能なのだ。
つまり、その術者は好きな時に好きな場所で、核爆発を起こせるという事。故に、その術は〝アード・ワード〟、もしくは『界理呪』と呼ばれ、術者は世界に括られる。不老となり、誰かに殺されでもしない限り、死ぬ事がなくなるのだ。
その為、この術者はほかの人々から畏敬を以て羨望される事になる。超越者として祀り上げられ、信仰の対象とする者さえいた。
で、最後にレベル六だが、ここまで来ると人知という物を超える。何せ、この力の能力対象範囲は――全『死界』に及ぶ。
『死界』とは――今は終わった世界を指す。
世界にはある目的があり、ソレを果たす為に存在している。故に宇宙とは一つではなく数億にも及ぶ平行世界が連なっている。
だが、『死界』の宇宙はその目的を果たす事が出来ずに、終わりを告げた。その過去の残骸は平行世界も合せ、約七十兆個にも及び、今も停止したまま存在している。レベル六の力は、この全ての『死界』の過去、現在、未来を対象にした物なのだ。
仮に捕食したニンゲンの力をプラス出来る能力者が居るとすると、こうなる。その人物は約七十兆個もの『死界』から同時にその力を得る事が出来る。『死界』の過去、現在、未来という全ての時間軸から、力を搾取する事が可能なのだ。
ならば――ソレは既に無限の力と言って良い。
レベル六とは――『死界』を味方にすると言う事は――そう言った一種の奇跡なのだ。
ただこの力を得るには、莫大な経験値と術者が肉体を失う事が条件となる。この力を得た瞬間、術者は脳と臓器以外の部位を失い、普通なら生存不能の状態となる。
その為この力を得たニンゲンは、歴史上稀有とされていた。
「で――問題はいま私達の前に立ちふさがっているこの人物が何者か、という事だね」
件のゲームを進めながら、スタージャが呟く。ソリアは、眉根を寄せた。
「ええ。これほどの能力規模です。恐らく生まれながらにしてレベル五の力を持った、先天性能力者ではないでしょうか?」
然り。『異端者』の中には、誕生した時から既に能力を得ている者が居る。しかも、そう言った類の者ほど秀でた能力を得ている事が多い。
同時にそれに見合った厄介な〝ルール〟を、勝手に決められている事も多々あるが。
「だね。多分、ソリアさんの言う通り。この人物は、そう言った系統の術者だと思う。もっと言うとここまで強制力があるって事はほかの二つの能力ストックも放棄しているよ、きっと」
その読みも、外れではない。
『異端者』が有する〈精神昇華〉のストックは、三つ。彼等は一つの人格で、最大三つの能力しか得られない。
が、その枠を放棄すると、残った術が強化される事になる。一つ放棄するだけでもかなりの飛躍を遂げ、二つ放棄するとソレ以上の向上をみせる。
更に言うとその枠が空ではなく何らかの術を得ている場合――強化の度合いもアップする。放棄した術のレベルが高くなるほど、残った術の力も強まる。
そんな会話を繰り広げている時、事態が動く。遂に一つ目の選択肢が、スタージャ達の前に現れたのだ。
その内容とは、以下の通り。
『俺――君がチョコバナナを頬張っている所が見たいんだ』
目の前に居る二次元イケメンキャラは、何の疑問も抱かずそう告げていた。
故にソリアも迷う事なく、『厭です』の方を選択しようとする。
「まってー! ストープ! ストップだよ、ソリアさん! ここはオーケーする所! オーケーする所だから!」
「え? でも、この人と会ってまだ二分しか経っていませんよ? それでこの要求とか、アホすぎるでしょ?」
ぐうの音もでない正論である。けれど、スタージャは尚も首を横に振る。
「だからこそだよ。このゲームは、常識で測っちゃいけないの。何故って、常識通りに進めたら間違いなく裏をかかれ、ハッピーエンドは迎えられないから」
「……成る程。そういう考え方もありますか。しかし、意味が良くわからないゲームですね。一体これは何なのです?」
「んん? ソリアさんは知らないかな? 所謂一つの――乙女ゲーってヤツ。確かにちょっと歪んだ所もあるけど」
というか、歪みまくっていた。もう乙女ゲーの要素は、欠片もない位に。
「そうか。要するに、ギャルゲーの女子版みたいな物ですね?」
「あー、ギャルゲーは知っているんだ? 未だに――ソリアさんの知識範囲は推し量れないなー」
つまり今二人がプレーしているゲームは、男性キャラと両想いになる事が目的である。
そうなる事で、このゲームは初めてハッピーエンドを迎える。
その為にも正しい行動選択を――二人は選ばなければならなかった。
だから先の男性キャラの申し出を、スタージャは『是』とする。
「んん? 次は、」
『俺――君にボディブローを決めてみたい』
「………」
ソリアが明らかに、ケンカを売られた中学生男子みたいな貌つきになる。
この危険な反応を敏感に察したスタージャは、そのため今回は『否』を選ぶ。
『アハハ! 冗談! もちろん冗談さ! さすが君! ユーモアって物がわかっている!』
「え? 今度は『厭です』で良いんですか? さっきは〝常識にあてはめた行動はしない方が良い〟って言っていたのに?」
「いや、そこは一種の駆け引きってやつだね。何時も何時も、常識はずれな選択をしていたら簡単にクリヤーできちゃう訳だし」
「言われてみれば。という事はこれってまさか、ただの勘で選択肢を選ばなくてはならないのでは?」
「平たく言えば、そう」
マジか……? そんないい加減なゲームなのか、コレ?
ヒトの命が懸っているって言うのに?
ソリアの慄きとは裏腹に、スタージャはゲームを進める。
『俺――君の実家に放火したいんだけど、良いかな?』
「何で私達の家族を巻き込もうとするんですッ? 親は関係ないでしょ、親は!」
「だねー。じゃ、ここは『いいえ』っと」
だが、イケメンキャラは何とも言えない顔で、首を傾げる。
『……え? ナニソレ? 俺、今ちょっとムカついた』
「………」
なんか、いい加減こいつ、ブン殴りたくなってきた。ソリア的にはそういう気分なのだが、スタージャは飽くまでマイペースだ。
「あっちゃー、失敗か。何とか次の選択肢で御機嫌をとらないと、私達の命が不味い」
「思った以上に冷静ですね……貴女は? というか、これって攻略キャラを今から変更できないんですか? 私の方こそこの人の事、ムカついているんですけど……?」
「んー。出来ない事もないけど、その場合また一からやり直しになるなー。その分時間をロスして、大会制限時間である一時間を過ぎるかも」
「……でしたね。私達には、そういう制約もあるんでした」
「うん。ただ、この術者も短時間で多くのニンゲンを狩りたい筈だからね。長時間続くゲームは、チョイスしていない筈だよ」
「ですね。遺憾ながら私もその点については、貴女に同意せざるを得ない」
ならば、さっさとクリヤーしなければなるまい。
改めて決意を固め、ソリアはこのゲームに集中する。スタージャもそれに呼応して、挑む様に眼前の男性キャラを見つめたのだ。
いや――本当に。
◇
そして、これはゲームマスター側の事情。
彼としては、少し計算が狂った。まさか、こうも早く自分の能力を看破するニンゲンがいるとは考えていなかった。
その上でクリヤーを目指す人物が居るとは――彼も思っていなかったのだ。
彼の予定では、皆が心の準備が定まらぬ内のこのゲームを開始する筈だった。
そうやって完全にペースを掴み、主導を握ってゲームを進行する。皆の動揺が収まる前に、この場に居る全てのニンゲンを敗北させる算段だった。
だというのに、この状況は何だ? これは自分にとって、どんな意味を持つ?
わかる事があるとすれば、一つだけ。
彼女達が先行した所為で、ほかのニンゲン達はみな傍観しているという事。あの二人を使って様子見をし、残ったニンゲンは誰一人動こうとしない。
これでは、これだけの数のニンゲンをこの世界に引き入れた意味が無い。
最大定員のニンゲンをこの世界に引き入れた自分の計画が、狂ってしまう。
ならば、どうする? 彼としては、何をするべきか?
そんな事は決まっている。あの二人がこのゲームをクリヤーできるか、遥か彼方から遠見の術を使い見届けるのみ。ゲームが始まってしまった以上、今の彼にはそれ以上の事は何もできなかった。
だが――それでも彼がこのゲームで負ける事は無い。
何故なら、このゲームの趣旨自体がスタージャの解釈とは異なっているから。
平たく言えば、これは決して彼女が考えている様なゲームではないのだ。
このゲームの本質とは――ただ一つ。
「ああ。だから勝つのは、やっぱり――俺」
故に彼はほくそ笑み――自身の勝利を確信した。
◇
それから時は経過し、二人は佳境を迎える。
『さすが、君! 闇鍋でイカスミ料理を投入するとか、最悪すぎて逆に最高だよ!』
「ふう、良かった。今ので何とか彼との距離を縮められたと思う。勝負はここからだね、多分」
多分……か。今更ながら、この人は頼りになるのかならないのか、よくわからない。
というより、私達がこのゲーム始めてから何分経った? そう思い、ソリアは腕時計に目を向ける。だが、見れば、時間はまだ十五分と経っていない。
もう一時間以上経っている気がしたが、どうもそれは精神的な疲れからくる錯覚みたいだ。
「それ以前に、ハッキリ言って良いですか? このゲームのストーリーを考えた人物は、ただのアホです」
「私でさえ薄々勘付いていた事を、ハッキリと! ……確かにそうだけどさー。それこそがこの能力者の目的だと思うんだ。此方のモチベーションを殺ぐ意味も含めての、チョイスみたいな?」
「だとしたら、その策は効果を上げていますね。少なくとも私は、このゲーム、やる気零ですから」
「自分の命が懸っているこの状況で、そのやる気のなさッ? 逆に神がかりすぎていて、私の方が今にも首を吊りそうだよっ?」
「それは困りますね。貴女には少なくともこのゲームをクリヤーするまで、生きていてもらわねばならないので。その後の事は、どうでもいいですが」
「ソリアさん、私の護衛官だよねッ? そういう自分の立場、わかっていて喋っているっ?」
……しまった。本当にその事を、失念していた。
いや、うっかり、うっかり。
その事を誤魔化す様に、ソリアさんは話を変える。
「で、クリヤーする目処はたちそうですか? スタージャが言っていた事が事実なら、そろそろクリヤーできても良いと思うのですが?」
「だね。一つのゲームをクリヤーするのに何時間もかかっちゃ、これだけの人数は捌き切れない。なら、もうエンディングが見え始める頃だと思うんだけど」
実際、二人の前にはそれらしい選択肢が現れる。
『今日――俺の実家に来てくれないか? 俺――君の事、両親に紹介したいんだ』
『選択肢。①――勿論行きます。②――彼の事をナイフで刺す』
「これは流石に、こっちでしょう」
スタージャが考え込んでいる間に――思わずソリアは①を選択してしまう。
その様を見て、スタージャは眉をひそめる。
「……え? あれ? 私、もしかして何か不味い事をしました?」
「いや、良い。もう何もかも手遅れだから。それよりソリアさん、何か浮かない貌だね? 何か気になる事でもあるの?」
「いえ、私もハッキリとはわからないのですが、何か違和感の様な物が」
「違和感? それは、このゲームに関して?」
「いえ、そうではなく。私、なにか釈然としない物を感じたんです。具体的に言語化は出来ないんですが、何かが引っかかったというか」
「んん? んん?」
お蔭でソリアだけでなく、スタージャも考え込んでしまう。
その時――遂にこのゲームは、クライマックスを迎える。
主人公(※スタージャ達)が攻略対象の実家に赴いた後、話はこの様に進んだ。
『ああ。実は俺――君の生首が欲しいんだ。はく製にして一生大事に保管するから良いだろ?』
「――しまった! やっぱり爽やか系と見せかけ、ヤンデレタイプだったか! これならさっきの選択は『彼をナイフで刺す』だった!」
「……えっ? つまり、それって私の所為ッ? もうやり直しとか出来ないんですかっ? 私この人なら喜んで腹でも首でもナイフで刺しますよッ?」
が、それほどこのゲームは甘くない。
スタージャとソリアの首には、枷が嵌められ、中空には巨大な斧が出現する。
それは大きく横に動き、二人の首に狙いを定めた。
「つ――っ?」
そんな状況にあって、ソリアとスタージャの躰はピクリとも動かない。
後はもう、あの斧が自分達の首を刎ねるのを、待つだけ。
かくして彼が確信した通り――このゲームは彼の勝利で幕を閉じたのだ。
◇
自分の所為で、マルタイが落命する。
それは護衛官にとっては、この世で最悪の事態だ。
「くっ! スタージャ……!」
けれど、ソリアはもうそう叫ぶしかない。
いや、もう一つ手はあるかもしれないが、ソリアはソレを躊躇う。
(……アレを使うしかないっ? これだけの数のニンゲンに見られている中でッ?)
いや、躊躇している暇はない。覚悟を決め、ソリアは切り札の一つを使おうとした。
その時である。
「ええ。お手柄だよ――ソリアさん」
バッドエンドを迎え、両者共に首を刎ねられそうになり、世界は白く染まる。
だが、彼女の声を聞いたソリアは、何故か目を大きく見開く。
かの光景を見た途端――ソリアは全身には何故か鳥肌がたった。
「ああ」
斧が二人の首を断ち切る直前、スタージャ・レクナムテは、普通に告げたのだ。
「ソリアさんが言っていた違和感で――やっと〝看破〟できました。最初にこの世界に引き込まれた時、私達の右端に居た少年。これは、貴方を発見する者が勝者となるゲームでしたね――カーニィレル・ロレン」
「バカ、な……っ!」
選択肢に答える度に前進していたスタージャが、遥か遠方にいる少年に告げる。
そういう事だ。件の乙女ゲーは、ただのダミーである。
このゲームの本質は今スタージャ告げた通り――ゲームマスターを発見する事にある。
その真相に至る為の唯一のヒントが、この世界に引き込まれたヒト達の人数だ。彼女達を合せて百一人という半端な数である。
即ち、その半端な一人は元からこの世界に居た人物という事。
その上で術者は被術者に正体を訊かれた場合、術者は正直に自分の正体を明かさなければならない。そう連想できた者だけが、このゲームの勝利者になれる。
これはただ、ソレだけの事だった。
故に――その瞬間このゲームはクリヤー達成となる。
あの世界に居た全てのニンゲンが、件の大会の会場へと引き戻される。
「これは……元の世界に帰ってきた? 要するに私達は、というかスタージャはこのゲームをクリヤーしたという事? でも、それなら、なぜ?」
なぜ、例の術者らしきニンゲンが、自分達の目の前に居る?
その十五歳位の黒髪をした少年は、呆然としながら問いかけた。
「あ、あんた、一体何者だ……? いや、それより、能力が破られたのに、なぜ俺は生きている――?」
いや、それ以前に、なんでこの少女は自分の名を知っているのか?
「さて、それは。ただ前者の質問の答えは、こう。私は――スタージャ・レクナムテ。この島の――王になる者です」
「バ、バカなっ!」
アレは、只の人間だ。何の能力も持ち得ない、無力な存在に過ぎない。
そんな彼女が、自分のゲームをクリヤーした?
そんな少女が、この島の王になる?
余りにも滑稽すぎて――もう嗤いさえこみ上げてこない。
「ですが、流石でした。普通ならまずあの乙女ゲーさえクリヤーすれば、ハッピーエンドを迎えられると思う物です。普通のヒトの心理としては、それこそ真っ当な考え方でしょう。でも真相は違った。件の乙女ゲーは、あのゲームの本質を惑わす隠れ蓑に過ぎなかった。恐らくあの乙女ゲーはどんな選択をしても、最終的にはバッドエンドを迎える。貴方はその構造を逆手にとってあのゲームに挑んだ人々を欺き――勝利してきたのですね」
「……ああ」
カーニィレルは思い出す。自分の、いや、自分達の人生を。
それは、この島が平和になる九年前以上前の話だ。まだ六歳だった時点で、彼は楔島に放り出された。今日からヒトを食って生きろと、大人達に強制された。
だが、まだ幼かった彼が大人に敵う訳がない。そんな奇跡など起こる筈もなかった。
彼はひ弱で、体術さえままならない様なニンゲンである。こんな自分が、あのヒト食い島で今日まで生き抜いてきた大人達に勝てる訳もない。
それでも、彼が生きる事を諦めなかった理由は一つ。
「そうだ。俺には、仲間が、居た」
それは彼が島に放り出された前から、知り合っていた仲間達だ。
今も彼等はこの島の王になって帰ってくる自分を、待っている。
「ええ、そう。きっと貴方は一人きりだったら、ああまで果断ではなかった。心根が穏やかだった貴方の事です。誰かの命を奪う前に、自分が食される事を選んだかもしれない。でも、現実は違った」
「ああ。俺は、死ねなかった。あの仲間達を養う為にも、アイツ等にひもじい思いをさせない為にも、俺は、死ねなかった。例え、自分達以外の他人を殺してでも生き残って、アイツ等を守らなくちゃいけなかった。だから、俺は、殺した。自分の都合だけで、ニンゲンという物を殺しまくった。……でも、今、確信したよ。そんなニンゲンが、王なんて目指しちゃいけなかったんだ。俺が思い描いていた王様ってのは、もっと奇跡みたいな方法で、皆を助ける様なすげえ奴だから。俺みたいなやつは、この島が平和になった時点でのたれ死んでいるべきだった……」
けど、それでも、試してみたかった。
果たして自分の生き方は、正しかったのかという事を。仮にこんな自分が王になれたとすれば、それは自分の過去が肯定されたという事。彼にとって、ヒトを殺しすぎたこの少年とって――ただそれ だけが唯一の救いだった。
だが、ソノ結果は無残な物だった。
彼は今――自分の夢は決して叶わないと知ったのだ。
現に、彼女は頷く。
「そうですね。確かに貴方は――王にはなれない」
断言してスタージャは、彼に近づく。
「でも、それでも、貴方はあの地獄から自分達の仲間を守り抜いた英雄ではある。例えその方法が、どれほど罪の意識を感じる物だとしても。貴方は貴方が愛し抜いたもの全てを守り切った。その逆を選ぶ事だって出来た筈なのに、貴方は戦う事を選んだんです。なら――誰がその決意を非難できる? 仮に居たとしたらそ、れはあの地獄を知らない方達だけでしょう。殺さなければ、生きていけないあの環境に身をおいた事がない方達だけ。だから貴方は――せめてご自分を誇って上げて下さい。例え万人が貴方を蔑もうと、王である私だけは貴方を許しますから――カーニィレル・ロレン」
「……ああ」
ありえない。バカげている。
ただの人間にそう言われただけでカーニィレル・ロレンは、何故か涙し、吐露した。
「そうだ。俺を許せるのは……きっと俺だけだ。なのに何で俺以外の誰かに許されただけで、俺はこんな風になっている……?」
けれど、彼はそれ以上続けられず、ただ呆けた貌でスタージャを見て、呟く。
「……本当に良いんだな? 何も知らねえおまえみたいなガキが、俺の事を許しちまって?」
「いえ、知っています。貴方がどんな生き方をしてきたかは。貴方が非道な大人達しか狩らなかったかは、良く。だから私は、貴方を許すと言っているんです、カーニィレル」
それで、今度こそ終わった。カーニィレル・ロレンは、その場にへたり込む。
「……わかっ、た。後の事は、全て、貴女、託す。俺の、いや、俺達のユメは、貴女が、叶えてくれ」
「ええ――必ず実現してみせます。だから――貴方はせめて胸を張って下さい」
それだけ言い切った後、スタージャは彼に背を向け、歩き出す。
ソリアもそれに続き、これを以て彼と彼女達の戦いは漸く終焉を迎えていた――。
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それからしばらく歩いた後、スタージャは大きく伸びをする。
「さて、これからどうしようか? 少なくても今のゲームで、私達は二十分程も時間をロスした訳だし。こっからどう立て直すかが、勝負かな?」
けれどソリアは、徐に問い掛ける。
「さっき、貴女にしては厳しい事を言っていましたね? 〝王にはなれない〟と、年下の少年にはっきり断言していた」
「んん? ああ、そうかもね。でも、彼だって、半端な覚悟でこの大会に参加した訳ではないでしょう? なら、私もそれ相応の気持ちをぶつけないと、彼も折り合いがつかないよ、きっと。けど――お蔭で一つ勉強になった。王を目指すという事は、同じ様に王を目指すヒト達のユメを奪うという事。私はそういう彼等の想いを背負って、前に進まないといけない。それがわかっただけでも、アレは意義がある戦いだったよ。だから私は少なくても――カーニィレル・ロレンとの出会いは無駄じゃないと思っている」
だが、そう言い切るスタージャに、ソリアは不満らしき感情を覚えていた。
「成る程。でもその反面、私に対しては何も言わないんですね? アレだけのミスをした私には?」
「何? 言って欲しいの? でも――言わないよ」
「なぜ?」
「世の中には言わない方が、こたえるヒトも居るから。そういう責任のとらせ方も、私的にはありかなと思って」
「………」
お蔭でソリアは、真顔で沈黙する。それを見て、スタージャは失笑する。
「あ、いや、冗談。冗談だって。言ったでしょ? ソリアさんが違和感を覚えたお蔭で、私達は勝てたって。なら、それで話は帳消し。寧ろ私としては、手柄の方が大きいと思っている位だし」
「そ、う」
それで、この話は終わった。ソリアは無言でスタージャを横切り、口角をつり上げる。
「さっき、面白い事を言っていましたね? 〝私達は時間的なロスをした〟と。けど、それは誤りです。そんなモノはただのハンデに過ぎない事を、今から貴女に教えて上げましょう」
(……うわ。ビリビリ来ている。ひさしぶりにビリビリ来ているな、ソリアさん)
思わず慄くスタージャ。だが、ソレは大げさな反応ではない。
実際――それ以後のソリアの追い上げは凄まじかった。
「ぎっ?」
(これで――五十五人目)
僅か五分で、彼女は以上の数の『異端者』の意識を刈り取る。
ソリアは、彼等が視認できない速度で接近する。
彼等がソリアを見たと認識した時には、殴打を受け、気を失う。
それだけの速度を――彼女は練り出していた。
「次」
彼等は、ソリアの警護対象であるスタージャを害す暇さえ無い。
いや、そう発想する前に、勝敗は決する。
明確すぎる力量差が、彼女とほかの大会参加者にはあったから。
「これで――五十六人目」
……強い。知っていたつもりだったがスタージャの目から見ても、今のソリアは強い。
どうやらソリアは、自分の冗談を真に受けたらしい。彼女は本当に、自分なりに責任をとっている。一人でも多くの『異端者』を打破しスタージャを王に近づけようとしていた。
この一騎当千の活躍を、スタージャは感情の読めない表情で見届ける。
「と、些かまどろっこしいですね。私達も〝大会参加者が敵を倒した数〟を知る事が出来たらいいのに。それなら速やかに今一番多くのヒトを仕留めている人物を倒し、その数を横取り出来るのに」
心底から告げるソリア。
が、彼女の思惑とは裏腹に、スタージャは何故か首を横に振る。
「いえ。そろそろ頃合いだよ、ソリアさん。ちょっと身を潜ませ休憩しよう。このままだと、ソリアさんが〝ソッチの立場〟になりかねない」
「ソッチの立場?」
「うん。ちょっと張り切りすぎた。ほかのヒトもきっと同じ思いだよ。まずは誰かに多くのニンゲンを倒させて消耗させ、自分は体力を温存する。で、頃合いを見計らった後、今一番活躍しているヒトを仕留めると言うのが定石だね。つまり――ソリアさんは今〝そういう立場〟になりかけていると言う事」
「要は、漁夫の利ですか? 成る程。確かにそれは、面白くない」
確かにソリアの体力は、いま二割ほど低下している。それに比例し、『強制力』も彼女は消費していた。
『強制力』とは、術を使役するさい消費する拳銃の弾丸の様な物だ。これがなければ、そもそも何の術も使えなくなる。
無論、その絶対量が多いに越した事はないが、多い方が強いとも限らないのも事実だ。
肝心の銃の腕が疎かでは、宝の持ち腐れも良い所なのだから。
「わかりました。何処かに隠れ体力を回復させましょう。その後、有力そうな選手を発見し、その人物を打破して、〝倒したニンゲンの数〟を増やす。それを繰り返すのがベターな戦略だと思いますが、どうです?」
「うん。もしくは、このまま私達以外の誰かが一人になるのを待つか。時間ギリギリまで身を潜ませ、そうなってからそのヒトを倒し、優勝をかすめとるとかだね」
スタージャの企みを、ソリアは一笑を以てこたえる。
「フ。やはり貴女は、どこまでも腹黒い」
「ノーゼ小父様と一緒にされたくないなー。というか、残った大部分のヒト達は皆そう考えていると思うよ?」
「なら、ここからは一種の心理戦ですか? 先に動いた方が勝つとか負けるとか、そういう世界ですね? 護衛官には、実に縁のない駆け引きです。という訳でそこら辺の機微は全て貴女にお任せしますが、構いませんか、スタージャ?」
「了解。私もソリアさんのお蔭で、楽をしまくっているからねー。それ位の事はしないと申し訳がたたないよー」
二人は近くの岩山を背にし、身を隠しながら広場に目を向ける。大会開始から三十分ほど経った今、会場は驚くほど静かだ。
どうやらスタージャの読みは――正しいらしい。
後半分の時間を残し、駆け引きの応酬となっている。
この静寂が打ち破られるのは一体何時かと、ソリアは目を細めた。
「にしても、それほど大した能力者は参加していない様ですね。苦戦したのは、あのカーニィレルという少年位でした。……こんな事で、良いんでしょうか? 彼等の中の誰かがこの島の王になっても、本当に構わない?」
「いや。それはちょっとソリアさん、卑下しすぎ。周りのヒト達が弱いんじゃなくて、ソリアさんが強すぎるんだよ。ソリアさんは自分の強さがわかっている様でわかってない。いい? ソリア・メビスは、このスタージャ・レクナムテの護衛官なんだよ? その貴女が、並みのニンゲンに負ける訳がないじゃない」
「でした……ね。私は――〝あのスタージャ〟の護衛官でした」
ソリアは、思わず普通に笑ってしまう。それを見て、スタージャも頬を緩ませた。
「じゃあ残り時間が五分になったら、私達も動こうか。ソリアさんの運動能力なら、後五分残っていれば十分でしょ?」
「答えるまでもありません。残り時間二分を残して最後の敵を倒し、残り一分で貴女を片づけます」
「あはははは! 面白い冗談だなー」
「いえ。冗談ではなく」
「………」
それで会話は終わった。スタージャは引きつった笑みを浮かべたまま目を泳がせ、ソリアは楽しそうに微笑む。まるでその時こそ、昔年の恨みを晴らす時だと言わんばかりに。
だがその時、ソリアはあの事を思い出す。
「そういえば――静音の姿も見ませんね? もう敗退してしまったのでしょうか?」
「ああ。その事なんだけど。もし彼女が出てきたら、こうしてもらえるかな?」
と、スタージャが言い掛けた時――ソリアがその気配に気づく。
故に――彼女はスタージャを押し倒す。
「つッ?」
「おや?」
いや、そのまま彼女の腕を掴んで、三時の方角へ移動する。
見れば先ほどまで自分達が居た場所には――巨大なランスが刺さっていた。
「ああ、ああ――ようやく見つけましたわ」
「あなた、は」
其処にはフードを被った、一人の少女が佇んでいる。
彼女は岩に刺さったランスを抜き、ソリア達に視線を向けた。
「今まで、どこにいらしたのかしら? 大会開始後、直ぐに片づけるつもりでしたのに」
嘯きながら、正体不明の少女が笑みを形づくる。
ソリアはただ、自分の記憶の中に意識を向けた。
「……この声、聞き覚えが」
「ええ。私も、あなた達の事はよく存じております」
少女が被っていたフードを脱ぎ、容姿を露わにする。
それは身長百六十センチ程の、ウェーブのかかった銀髪の少女だった。
ソリアと同じ様にツリ目をした彼女は、歳も十七歳ほどだ。
この美貌を前に、ソリアは思わず息を呑む。
「やはりあなたでしたか――デアン・シア侯爵令嬢。ノーゼ・シア宰相の――一人娘」
「ええ。故に、これはシア家とレクナムテ家の争い。どちらがこの島の領主に相応しい家柄なのか。今こそ教えてさしあげます――スタージャ・レクナムテ」
同時に、ソリアはスタージャの腕を掴んだまま、大きく後方に飛んでいた。
◇
目前には、フードつきのマントを身につけた少女が居る。
彼女はマントを脱ぎはらい、一歩前進する。
だがその下から現れた服装は、白人の容姿である彼女には馴染の薄い物だった。
何せデアン・シアが纏っているのは――和服だったから。
白の小袖を、彼女は着こなしている。
その癖、彼女が手にしているのは、西洋風の巨大なランスだ。
全長二メートルはありそうな、長い馬上槍。それが――デアン・シアの得物である。
そんな彼女を見つめた後、スタージャは言い切った。
「……って、デアン・シアって誰だっけ? 何かノーゼ小父様の娘さんという話だけど、そんなヒト居た?」
「………」
……ヲイヲイ? マジか? 今この場面でそんな事、言う? どう考えても彼女はスタージャを意識しているのに、そんな挑発としか思えない様な事を?
しかし、デアンは気を悪くした風もない。
「いえ。ご存じないのは当然ですわ。私と貴女は初対面ですから、スタージャ・レクナムテ。父も私の事は、まるで口端に上げてなかったでしょうし」
「ああ。それって、私対策の為? 私があなたの事を〝看破〟しないよう、図っていたという事?」
けれど、デアンは答えない。彼女はただもう一歩、スタージャ達に近づく。
逆に、スタージャを庇うように立つソリアは、一歩後退した。
「ですが、あなたとは一度だけお会いした事がありましたわね、ソリア・メビス。知っていまして? もしスタージャ・レクナムテが居なければ、あなたは私の護衛官になっていたと?」
デアンは、楽しげに語る。彼女は、尚も言葉を発した。
「でもその一方で、あなたはレクナムテの後継者についた。父曰く、ソリア・メビスは若年の中では最も有望な護衛官だというのに。それってつまり、私よりスタージャ・レクナムテの方が、重視されているという事かしら?」
「ああ。要するにあなたは、それが面白くない? 彼女の様な只の人間が、自分より優遇されるのが気に食わないという事ですか?」
周囲を警戒しながら、ソリアが問う。デアンは――クスリと笑った。
「いえ、それは違いますわ。寧ろ逆と言うべきでしょうか? 私はあなたとお会いする日をとても愉しみにしていたのよ、スタージャ。あなたの御高名は常々、父を通して聴いておりましたから。なんでも、〝人とは思えぬほどの判断力と発想力を持った王に相応しい器〟だとか。あの父にそう言い切らせる程の人材ですもの。果たしてどれほどの器量か? 実際にお会いして確かめてみたいと感じるのはヒトとして当然の衝動ではなくて?」
「成る程」
スタージャは何故か納得し、それから真顔で告げた。
「ソリアさん、今のは全部ウソだから真に受けない様にね。彼女の目的は、もっと別の所にある。少なくてもシア家がレクナムテ家より優れている事を証明するなんて事は考えてない。彼女はそんな小さな事にはこだわってないから。このヒトは――ある種の覚悟のもとここに居る。それだけは――忘れないで」
「は、い?」
この時――ソリアは眉をひそめ――デアンの視線は鋭利になる。
その体のまま――スタージャは続けた。
「でも、ノーゼ小父様が実の娘まで投入してくるとは思いませんでした。これは、それだけリスクがある行為なのだから。あなたは勿論、それがわかった上でこの私の前に立っているんですよね、デアン・シア? なら可能な限り時間を稼ぐ事です。私があなたの事を〝看破〟した方が、あなたの生存率は高まりますから。いえ、その時点であなたの目的は達せられた、と言うべきでしょうか?」
スタージャだけでなく、デアンも意味不明な事を呟いたのはその時だ。
「約――十分。それこそあなたが〝看破〟するまでにかかる平均時間だそうですね? いえ、ヒントがあればもっと早く〝看破〟する事もあるそうですが、なかなかどうしてやる物です。それを度外視しても、あなたは危険ですわ――スタージャ・レクナムテ」
更に一歩、デアン・シアは前進する。すると、この辺りの雰囲気は一変した。
その事を敏感に感じ取り――ソリアは鋭い声で彼女に問い掛ける。
「……また別の空間に取り込まれた? それがあなたの術ですが――デアン侯爵令嬢?」
「いえ、違います。これは単に私とあなた達の戦いが世界に悪影響を及ぼすと『歪曲者』が判断しただけ。そういった状況をさける為、私達は『彼女』の手によって別空間に飛ばされた。これがどういう意味か――あなたならお分かりでしょ、スタージャ?」
「ええ。ここなら誰の身も気にする事なく存分に能力を使えるという事ですね、デアンさん」
というか……また自分は話にとり残されている。スタージャと関わってからこっち、そういう事が増えたな。そんな事を思いながら、ソリアは大きく息を吐き出す。
「戦うしかないという事ですが――デアン侯爵令嬢?」
「いえ、まさか。この状況で戦わないなんて選択肢があると思って――メビス護衛官?」
デアンの宣戦布告に対し、ソリアは一瞬沈黙する。
けれど次の瞬間――ソリアはその場から消失した。
いや、並みの『異端者』がこの場に居たら、間違いなくそう思っただろう。
現にデアンも――彼女の姿を見失う。
「つッ……?」
しかし彼女は目をつぶったまま、ソリアの掌底を手にしたランスの柄で受け止める。この異常な状況を前にソリアは更に加速し――その速度はマッハ二十に達する。
その最中、ソリアは見た。
その動きさえデアンは補足し、ランスを自分に突き立ててくる様を。
「なっ?」
回避した。自分は確かに、あのランスを回避した筈だった。
「今の、はッ?」
だが、実際はソリアの脇腹を件のランスが抉っている。浅い傷だったが、彼女はとうぜん驚きを禁じ得ない。
自分より遅く動き始めた彼女が、自分より速く行動した……?
そんな異常など、何らかの能力でしかありえないのだから――。
「では余興は終わりにしましょうか、メビス護衛官? 私の理想としてはこう。スタージャが〝看破〟する前にあなたを打破する。その後、彼女が私を〝看破〟出来なかったと判断し次第、彼女を始末する。それが――私にとってのベストな結末ですから」
「また、訳の分からない事――を」
いい加減、頭にきた。その怒気と共に、ソリアは初めて臨戦態勢をとる。
この時になって漸く、ソリアはデアンに対し敵意をむき出しにした。
「良いでしょう。なら少しだけ遊んで上げます――デアン侯爵令嬢。ええ。こういった戦いの方が、実に私向きです」
そうして、彼女は三度――デアンの視界から消えたのだ。
◇
そう。スタージャの事は、気にしなくて良い。デアンは彼女の能力を知っている。〝悪意をもってスタージャを攻撃した場合、カウンター攻撃が発生する〟というアレを。
これがある以上、デアンはスタージャを放置するだろう。デアン自身が言っていた通り、彼女はこのソリア・メビスを打倒する事に専心する。
ソリアはそう判断し、少しだけ本気を出す。
彼女は――ソリア・メビスは、切り札である――〈外気功〉を使役する。
この力を、自分と自分の〝ワード〟に注ぎ込む。
(更に加速した! これは――マッハ千[※秒速三十四万メートル]を超えている!)
〈外気功〉と呼ばれる業。
それは、星その物の力を味方にする力。
この星が太陽を周回するとき発生する――運動エネルギーさえ搾取する能力。
即ち、この瞬間ソリアの拳は地球その物という事。比喩なく、地球が突っ込んでくるに値する威力を誇る。
正に並みの『異端者』ではその存在すら知らない、秘技中の秘技だ。
今それを、ソリアは惜しげもなく使う――。
「な……っ?」
けれど、その超速の一撃さえ躱すデアンを前にして――ソリアは心底から驚愕した。
「フッ」
「まさかっ!」
あろう事か、デアン・シアはソリアと同等のスピードで地を駆ける。
今まで、速度で自分に勝る人物など居なかった。
だというのに彼女は易々と自分に追いつき、その体のままデアンは告げる。
「なんて――遅い」
未だ嘗て言われた事がない事を……ソリアは耳にする。
デアンの宣告を前に、ソリアは奥歯を強く噛み締めた。
「くっ!」
更に、デアンのランスが、再びソリアの脇腹を抉る。
やはり浅い傷だったが、デアンは確信した。
(ええ。精神的にはどうかしら、メビス護衛官? 躰の傷は浅くても、心の傷は思いの外深いのではなくて?)
(つッ!)
彼女の読みは実に正しく、ソリアは自分の心を立て直すため後退する。自分がなぜ劣勢にあるのか判断するべく、ソリアは全力を以て後方に下がる。
なのに、それさえもデアンは覆した。
「だから遅いと言っているでしょう――メビス護衛官」
ソリアが逃げる事すら、デアンは許さない。彼女が突き出したランスは、超速でソリアに迫り、彼女の貌を掠める。
その余波だけで――この島は半ば消滅した。
(くッ! スタージャっ?)
あろう事か、戦闘中だと言うのに、ソリアはスタージャに目を向ける。
だが、彼女の一帯だけは何の変化も無く、彼女は普通に佇んでいる。
それに安堵を覚えたソリアは後退を続け、自己の考えに埋没した。
(まさか――戦闘中だというのに、デアン嬢がスタージャに何かした……? 私達にはここまで力の差がある? 彼女は、私を上回る能力者だとでも言うんですか……?)
更に続く――追走劇。
ソリアはひたすら後退し――デアンは彼女を猛追する。
ソリアはもう一度、奥歯を噛み締めた。
(なら!)
直後、デアンの上空から――謎の巨大な腕が降ってくる。
それをやはり、デアンは平然と躱す。
「そう。アレを使うの? 少しは〝本気で遊んでくれる〟様ですわね、メビス護衛官?」
この隙に、ソリアはスタージャのもとに辿りつく。
彼女の決断は、早かった。
「一つ、訊きます。本当にここは、異界なのですね? ここなら何をしようが、誰も傷つかない?」
「ええ。私が保証する、ソリアさん。だから貴女は存分に本気を出しちゃって!」
よってソリアは、口角を上げる。
ソリア・メビスは棒立ちし――彼女はその詠唱を口にした。
「――『開人』――」
今――ソリア・メビスがその本性を露わにする。
彼女の右腕は機械的に変形し、一個の銃と化す。
ソレを目撃し、デアン・シアは目を細め、喜悦する。
「やはり――『融合種』」
しかし、あろう事か、ソリアの変化はそれだけに留まらない。
彼女はこの星から可能な限りエネルギーを集め、周囲二万キロにも及ぶ空間さえも圧縮する。馬鹿げた事に、全長五百キロメートルにも達する巨人をスタージャと共に纏う。
彼女はソレを更に、二十メートルにまで圧縮した。
その瞬間、爆風が立ち上がり、大気が霧散する。大地が消し飛び、海も蒸発する。
けれど、この超絶的な環境の中にあってデアンは微笑み――彼女も告げた。
「――『開人』――」
デアンが手にしていたランスは消滅し、別のランスが左腕から吐き出される。
それに加えて、デアンはソリアと同等の業を行使した。
五百キロメートルの巨人を、二十メートルに圧縮する。
その時点で――両者が立つ空間はギチギチと悲鳴を上げた。
「やはり、あなたも『融合種』ですか――デアン・シア」
「そう。私達はほかの『異端者』とは、前提から異なる者。もっと言えば、あなたと私でも前提が異なる。その力の差をいま教えてさしあげるわ――メビス護衛官」
よってこの日、比喩なく地球は終わったのだ―――。
◇
断言するが、これは並みの『異端者』ではなし得ぬ業である。
『異端者』なら誰でも出来る類の術ではない。
いや、ハッキリ言ってしまえばレベル五の能力者でも今の彼女達には及ばないだろう。
それだけの偉容を、デアン達は発露していた。
この超常者足る――両者が動く。
かの巨人達は、二体そろって拳を突き出す。
「はッ!」
「フっ!」
腕の圧縮が解放され、直系五キロにも及ぶ巨大な拳が互いの敵目がけて発射される。一撃で星をも消し飛ばす拳が、容赦なく繰り出される。
しかもそれは一発にとどまらず、数百、数千にも及んだ。
「つ!」
「フ!」
二人の拳がぶつかり合う度に、大地は消し飛び、海水は蒸発して、大気は燃え尽きる。今や地球と呼ばれた星は、ただの岩の塊と化し、空気さえも存在しない。
あろう事か滑稽な事に、たった二人の生命体が競い合うだけでかの星は終わっていた。
その中にあって、ただ二体の巨人だけが、拳と拳を突き合わせる。
死の星と化したその死地で、巨人達は尚も凶行を重ねる。
この膠着状態を打破したのは――当然の様に彼女だった。
「やはり――遅い」
「な……っ?」
電光石火とは、この事か。
瞬く間に八時の方角へ移動したデアンは、右足を突き出しながら、圧縮を解放。ソリアが纏う巨人の脇腹を殴打する。
(いや、違う? 今のは、彼女自身が背後へと飛んだ?)
現に、両者の間は十キロほど離れる。そう気付いた時には、ソリアの反撃が開始された。彼女は手を左右に振り、巨人の指から弾丸を発射する。
その後、圧縮を解放し、全長十キロメートルの弾丸を一度に五百発ほど放つ。
これを前にし、逃げ場を失ったデアンは初めて目を見開く。
「フっ!」
「なッ? だから――あなたは一体何者ですっ?」
ソリアがそう叫ぶのも無理はない。
次の瞬間、空間転移と錯覚するほどの超速を以て、その全てをデアンは躱したのだから。彼女は、ソリアの弾丸を、躱して、躱して、躱しまくる―――。
「ぐっ!」
瞬く間にデアンはソリアの懐へと入って、彼女の巨人の顎を蹴り上げる。
デアンは中空に吹き飛ばされたソリアに追いつき、肘を入れて地面に叩きつけた。
「ち……っ!」
更に気が付けば、ソリアは背後から蹴りを入れられる。
その凄まじいまでの衝撃が、ソリアの脳を揺らす。
「では、そろそろ終わりにしましょうか、メビス護衛官?」
「つっ?」
デアンが纏う巨人の腕から、巨大なランスが射出する。
ソレがソリア目がけて、突き出される。
死に直結したこの光景を、ソリアは息を止めながら見つめた。
「フっ!」
「な?」
だが――彼女は今まで見せなかった超速を以て、その一撃を回避する。
ソリアは――マッハ一万(秒速三百四十万メートル)で移動し、デアンから大きく間合いを離す。
二十キロほども距離を取り、ソリアはテレパシーを使ってデアンに問うた。
《……私と同じ〈被気功〉に加え、『媒介化』ですか。あなた、一体何者です、デアン侯爵令嬢?》
《――ほう。これはわかりやすい時間稼ぎですわね。でも良いでしょう。まだ、スタージャが〝看破〟するまで七分は残っている。その時間稼ぎに乗って上げますわ、メビス護衛官。答えは簡単。実は私もスタージャと同じで、父と血縁関係はない。あなた達同様、あの大戦後、私も父に拾われたのです》
《……まさか、シア家の養女? あなた、が……?》
《そう。そしてソノ実情は、メビス護衛官と同じですわ。この私もあの娘に――キロ・クレアブルにつくられた存在です。かの――〝無能者の私兵〟の一人として》
《〝無能者の……私兵〟!》
この〝無能者の私兵〟という名称を聴いて、ソリアは一瞬眩暈を覚える。
それだけの意味が、デアンの言葉には込められていたから。
《ええ。〝無能者の私兵〟よ。ソレは文字通りキロ・クレアブルが、己が手足として生みだした者達。あなたも知る通りその条件の一つが――『融合種』である事です》
『融合種』――。
それは、文字通り現象媒介と融合した、特殊な『異端者』の事だ。彼等の真価は融合した現象媒介を発現させた時、発揮される。
その瞬間、彼等の能力参考範囲は――宇宙全土に及ぶのだ。
ほかの『異端者』達は、飽くまで地球にある技術しか使役出来ない。だが彼等は地球に無い技術でも、何処か別の星にあればその力を使役できる。
例えば『融合種』ならば――恒星が行う超新星爆発さえ再現する事が可能なのだ。
宇宙規模の現象を操る者達。
それこそが――現象媒介と融合した『異端者』の正体。
『皇』クラスに匹敵する――超常じみた能力者達だ。
《その中でも私とあなたは序列が上位の存在ね。恐らく最低でも序列四位から三位に及ぶだけの力を有している。何故なら――序列四位以上の能力者の条件は〝星をも消滅させる力の持ち主〟だから。この――〈外気功〉と〈被気功〉は正にその為の技術でしょうメビス護衛官?》
〈被気功〉とは搾取した星のエネルギーに加え、空間をも圧縮し、我が物とする能力。これにより圧縮が解放された瞬間、空間その物が津波の様に押し寄せ標的を粉砕する。空間をも歪ませる超絶じみた力が、その本領だ。
しかもソリアとデアンは、星が周回するエネルギーをもプラス出来る。ならば、彼女達が星を砕けるのも、そう不思議な事ではあるまい。
それが〝無能者の私兵〟の序列内で、四位以上である条件だった。
が、ソレを聴きソリアは鋭利な視線をデアンに向ける。
《失敗でした、ね。今のは、あなたも私と同格の存在だと認める言葉。つまりこの差は実力ではなく――何らかの能力に起因しているという事です》
《それさえわかれば勝つのは自分だと? いいえ、無理よ。あなたでは私には勝てない。戦ってみて実感しましたわ。仮に私とあなたが〝間に合っていれば〟二位があなたで一位は私。これはもう――絶対的な力の差と言って良い》
確かに、ソリアは未だにデアンの力の正体がわからない。
他者の力を瞬間的に上回る、『凌駕』? いや、恐らく違う。
自分より高位の業である、『光速』? いや、たぶん違う。
自分の行動を読み切る事が出来る、『予知』? いや、それも何か違う気がする。
逆に戦えば戦う程、謎は深まっていくばかりだ。
なぜデアンは尽く自分の上を行くのか?
それだけの差が、二位と一位の間にはある……?
《いえ、悪いのですがウチのソリアさんを二位と決めつけるのは早計だと思います、デアンさん》
あろう事かスタージャまでテレパシーを使い、デアンに語りかける。
これを前に、デアンは目を細めた。
《そうね。まだこの先、あなたが居たんだった、スタージャ・レクナムテ。なら、そろそろメビス護衛官には、ご退場願おうかしら》
《その前に、一つだけ質問が。なぜあなたは、こんなリスクを犯しているんです? 一歩間違えば、死ぬのはあなただというのに?》
そこで、デアンはいま初めて心から笑う。
《そんなの、決まっているでしょう。この私にヒトの心を取り戻させたのが――あの父だからに》
《ああ》
そして、スタージャは納得する。
未だに脳裏で疑問符を並べているソリアを尻目に、彼女は謎の得心を見せた。
「彼女の決意は本物だよ、ソリアさん。なら、私達もそれ相応の力を以て応えないとね」
「どういう事です……?」
「うん。簡単に言えば、このままだとソリアさんとデアンさんは二人とも死ぬという事。でもそれは私にとって最悪の展開でしかない。だから――こうする」
スタージャの説明を聞くと、ソリアは当たり前の様に貌を曇らせる。
「……待って。それはつまり、貴女は彼女の事を〝看破〟したという事? だから、そんな無謀な事を言っている?」
「いえ、それはまだ。私はデアンさんについては――何も〝看破〟していない」
スタージャの言い草に、ソリアは眩暈すら覚えた。
「ならそんな事が出来る訳ないでしょうッ? 全ては貴女の憶測なんですよっ? その状況で、そんな真似をさせられる筈がない!」
「大丈夫。上手くいく。後はソリアさんが、私を信用してくれるだけで。つまり、ここが勝負の分かれ目。ソリアさんが、私を信用するか否かで全ては決まる。私はそう思うのだけど――ソリアさんはどうする?」
「………」
笑顔で問われ、ソリアは黙然とする。
彼女が口を開いたのは、五秒程も経った頃だ。
「……貴女は本当にズルい人ですね。私に躰を張らせている様に見せて、その実、いつだって貴女自身が危険な橋を渡るのだから。わかっていますか? その度に――私の護衛官としてのプライドはズタズタになっていると?」
「だね。ソリアさんは何時でも私の力になってくれる様、精一杯ガンバってくれる。でもそれは私も同じなんだ。私は、せめて私の目に届く範囲のヒト達の命だけは守りたい。それが、私自身が決めた王の務めだから。なら、少しばかり危ない橋だって、笑顔で渡るのが私って物だよ」
ならば、ソリアとしてもこう答えるしかない。
彼女はある意味、護衛官としては失格とも言える言葉を告げたのだ。
「良いでしょう。なら、もし失敗したなら、私もその時点で貴女と運命を共にします――スタージャ・レクナムテ」
「またまた。私も知っているよ。『融合種』は決して自殺出来ないって」
「それでも、です」
それが、最後。一分にも及ばない二人の会話は、終わりを告げる。
代りに――未だに正体不明の力を持つ超越者が口を開いた。
《あなた達にとっての最期の会話は、お済になって? では今度こそ、終わりにしてあげますわ、メビス護衛官》
いま絶対の自信と確信を以て――デアン・シアはソリア・メビス目がけて地を蹴った。
◇
その瞬間――両雄最後の激突は始まった。
デアンが動いたのと同時に、ソリアも駆け出す。
「つッ!」
「フっ!」
両者共、マッハ一万で中空を奔る。拳を突き出しては圧縮を解放し、互いに目の前の大敵を打ち砕かんと迫る。
それは正に、超高速での戦い。ここに第三者が居たとしたら、はたして視認できるかさえ怪しい戦闘だ。
だが、各々ソノ表情だけが、違っていた。
ソリアに余裕はなく、デアンには喜悦するだけの余力がある。
現に、彼女は驚愕する。
(速い……っ!)
またも易々とデアンはソリアの速度を追い抜き、彼女を纏う巨人の顔面に肘を入れる。顎を蹴り上げ、デアンは吼えた。
「遅い、遅い、遅い、遅い! だから遅いと言っているでしょう――ソリア・メビス!」
ソリアが体勢を整える前に、デアンは中空に飛ばされた彼女に追いつく。
躰を横に一回転させ、この勢いに乗り、ソリアの巨人の頭部に蹴りを入れる。
正に――圧倒的。正に――絶対的。正に――超常的。
両者の力には、そう言い切れるだけの差が確実にあった――。
(ええ。そんな事は、既にわかり切っていた事)
彼女は、確信する。ソリア・メビスという少女は、あの地獄を味わっていないと。自分が堕ちたあの煉獄を彼女は知らないと、デアンは直感した。
本当に、ソレはバカげた話だ。
『融合種』とは大まかに分け、三種類存在する。
『歪曲者』が生みだした者と、世界が生みだした者と、デアン達の様に人工的に生みだされた者に。
が、『融合種』を人工的に生み出すという事は、ある種の地獄を生みだす事になる。
何故なら普通その身に現象媒介を埋め込むと拒絶反応が起き、被験者の躰を破壊するから。
その圧倒的なまでの存在感に躰が耐えられず、被験者の躰を内側から爆破するのだ。
彼女もその例にもれず、生まれた時から何度となく躰を破壊された。自分の意思など件のキロという少女は意にも介さず、彼女にそうなるよう強要した。あらゆる泣き言や命乞いにも耳を貸さず、彼女は自分を実験動物の様に扱ったのだ。
彼女の不運は、その激烈な痛みに耐えうる精神力があった事。
その為、躰は死んでもその度に脳だけを別の躰に移され、現象媒介を移植され続けた。彼女は死ぬ事さえ許されず、延々とその作業におわれる事になる。
いや……彼女は躰が破壊される度に、確かに死んだのだ。
軽く千五百万回は死に、その想像を絶する痛みの果てに、彼女は今ここに居る。自分の屍を千五百万個乗り越え――彼女は漸く現象媒介に適応した。
だが、あろう事か、彼女の本当の不運はそこからだった。
〝冗談、でしょう? 冗談、でしょう? 冗談、でしょう……?〟
意味が、わからない。理解が、出来ない。キロ・クレアブルの側近として新生した筈の自分はその前にその役割を終えていた。
キロ・クレアブルが■■に敗れ、行方不明になった事で彼女は出る幕を失ったのだ。
ならば、あの地獄は何の為にあった? 自分はなぜ、ああまで死に続けなければならなかったのか?
その唯一の理由であった筈のキロが消え去った時点で、彼女の存在理由も消えていた。
なら、後に残るのは――憎悪だけ。
彼女に残された物は、こんな運命を自分に押し付けた世界そのものを憎む事だけだ。
いや、〝完成〟された時点で、彼女は勿論キロ・クレアブルを殺すつもりだった。
〝……でも、私は、もう、そんなユメさえ、みられないと……?〟
その絶望を、その落胆を、彼女は生涯忘れる事はないだろう。
だから、彼女は世界を憎んだ。だから、彼女は運命を呪った。
そのはけ口を求め、彼女は楔島を彷徨って――遂に彼女は出会ってしまう。
〝そう、か。君も彼女と同じ、か〟
よりにもよって、一番初めに遭遇した他人が、彼だった。
それは、頭にターバンを巻いた金髪の男性だった。彼は彼女を一目見ただけで――何故か涙したのだ。
その意味が、彼女にはどうしてもわからない。
〝なぜ泣きますのッ? なぜ泣きますのっ? 私に同情していいのは私だけ! それなのになぜ泣きますのッ?〟
彼女は、ここでも不可解しか得られなかった。
その怒気を以て彼女は彼を殺そうと迫ったが、彼の態度は変わらない。
〝悪かった。間に合わなくて、本当に、悪かった〟
今でもアレほどの怪物には二度と出逢えないと、彼女は確信する。
それほどまでに彼は強く、そして彼は彼女を心から尊んだ。
一週間ほども彼女達は戦い続けたが、結局彼女は彼に傷一つ付けられず、彼はただ続ける。
〝すまない。本当に、すまなかった〟
ただひたすらに、彼は彼女に謝罪したのだ。
助けられなくて、すまないと。間に合わなくて、すまないと。殺されてやれなくて、すまないと。
その度に、彼女の心は荒れていくというのに、彼はソレを繰り返した。
その果てに、彼女は遂に結論したのだ。
〝……ああ。そう。今、確信しましたわ。あなたもあの女と、キロ・クレアブルと同じです。心のどこかが、壊れている〟
それ故、彼はこんな自分につき合えるのだ。そう確信した頃には、彼女の心はウソの様に軽くなっていて、だから彼女は初めて泣いた。
自分の為に、自分を哀れんで、彼女は初めて頬を濡らした。
〝そう。そういう、事。これで、良かったという事ですか。だって、こうなったお蔭で、私は――誰も殺さずに済んだのだから。自分と同じ不幸を他人に押し付ける事は……なかったのだから〟
そう思い至った時、彼女は初めて運命という物に、世界という物に感謝した。
〝……ええ。だから、私が一番初めに出逢った他人が――貴方で本当に良かった〟
そうだ。並みのニンゲンだったら、彼女は間違いなくその人物を殺していただろう。元々彼女はそれが目的で、この島を彷徨っていたのだから。
それが避けられただけで、今の彼女はもう心から感謝するしかない。他人を殺す事で憂さを晴らそうとしていた筈の彼女は、今、そうならなかった事を心から喜んだ。
以前の彼女ではありえないだろう、穏やかな貌で、彼女はそう言い切ったのだ。
〝……私に会えて良かった? 君は今……そう言ったのか?〟
そして、この時、彼が浮かべた呆然とした貌を、彼女は生涯忘れないだろう。
その表情がおかしくて、嬉しくて、多分彼女は生まれて初めて、笑ったのだ―――。
〝なら私を娶って下さい。それが私と関わった責任を最後までとるという事でしょう?〟
けれど、彼は俯きながらソレを拒絶する。
〝いや。悪いが異性を愛するのは一度だけだと決めているし私はソレを使い切ってしまった。だから、それだけは出来ない。ただ――娘という事なら吝かではないが〟
娘? 娘か。まあ、彼の生涯を間近で見られるなら、それも悪くはないだろう。
そう妥協して、彼女はその日、彼の娘になった。
彼から名前を与えられ、この日から彼女は――〝デアン・シア〟となったのだ。
その過程を脳裏に過ぎらせながら、デアンは喜悦する。
(そう。だから、私は必ず勝つ! 私の為に謝ってくれた、あのヒトの為に! 私の為に戦ってくれた、あのヒトの為に! 私の為に泣いてくれた、あのヒトの為に! 私は、あのヒトの目的を必ず果たす! これだけの想いが果たしてあなたにあって、ソリア・メビス―――?)
彼女は、胸裏の内で問い掛ける。
無論、答えは無いとわかっていながら。
「くっ!」
けれど、ソリアの瞳は、確かに語っていた。
決して勝負を捨ててはいないと。勝つのは自分達だと、彼女はただその眼だけで、雄弁に物語っている。
(そう。なら、今度こそ終わりにしてあげますわ――スタージャ・レクナムテごと)
「ぐ……っ?」
余りにも遅い、ランスの突き。
だが、ソレは何時の間にかソリアの巨人の躰を貫く。
「ソリアさん――『爆破』!」
「つっ! 本当に、人使いが荒いですね、貴女は!」
「ぬ?」
スタージャの指示に従い、ソリアは自身の巨人の躰を二割ほど爆破する。その勢いに乗り彼女達は背後へ吹き飛ばされ、デアンも爆風に巻き込まれる。
この時、両者の間は、五十キロ程も離れた。
「本当にやるんですね……スタージャ?」
「勿論。それだけの価値が、命を懸ける意味が――あのデアン・シアにはあるから」
「わかりました」
それで――ソリアの決意も固まった。
彼女は、自身の巨人の右腕を掲げさせる。
黒い穴が開き、そこから全長五メートルに及ぶ巨大な銃が落ちてくる。
それを、彼女の巨人は掴む。
《では、此方も切り札をお見せしましょう、デアン・シア。果たしてあなたに、これが知覚できますか――?》
「なっ……?」
初めて、デアンが驚愕する。そう言い切れるだけの光景が、ソコにはあった。
《学者曰く。ブラックホールという物は、天体を吸収し続けると同時に天体を食べ残すとか。時としてソレは、木星の数倍にも及ぶ大きさになるという話です。で、ここからが肝心なのですが。ブラックホールとは――それらの天体を遠くに投げ飛ばすそうですね。その速度は――時速三千万キロにも及ぶとか。ではこの力に、今の状態の私が更なる力を加えたらどうなるでしょう?》
「まさ、かっっ!」
黒い穴が消えた途端、彼女が掲げた銃の先端には確かに木星の数倍に及ぶ惑星が具現する。それをソリアは、一瞬で一メートル台にまで圧縮する。
これをデアンへとつきつけ――ソリアは時速三億キロで発射した。
人知を超えたその現象を前に、デアンは初めて己の死を直感する―――。
「ぐッッッッ!」
この超高速と言える弾丸を前にデアンは奥歯を噛み締め――己が能力を全開にする。
「つ――っ!」
そして……バカげた事は起きた。
万物を砕くだろうその弾丸さえ、彼女は避けてみせる。
よって、この時点で自分の勝利だと、デアン・シアは確信する。
「な――ッ?」
だが、彼女は見た。
あろう事か、愚かしい事に、ソリアがスタージャの後ろ襟を掴む様を。
ソリアはそんなスタージャを――自分に投げつけてくる。
ならば、これはただの自殺行為だ。この星は既に大気など無い。酸素など皆無と言った状態だろう。
そんな状態にもかかわらず、生身の人間を、外界へと排出させる? そんなの、気が狂っているとしか思えない。
いや、だからこそ、意味がある事だと彼女は今になって漸く気づく。
(まさかっ! 私の『確率』を、逆手にとってッ? さっきの一撃はその布石っ? 私の能力を最大限まで高めさせ、彼女さえもその能力範囲に取り込ませた――?)
《当たりです――デアン・シア!》
ソレが、彼女の能力。
デアン・シアとは――『確率』を操る存在である。
彼女は――『確率の低い現象を、現実化させる』のだ。
だから、彼女はソリアより速く動いてみせた。
それはデアンにしてみれば、確率の低い事だから。
だから彼女のランスはソリアの動きより遅いのに、彼女の躰を穿った。
それはデアンにしてみれば、確率の低い事だから。
つまり――スタージャの狙いは一つ。
(ただの人間が宇宙空間を突っ切り、私を倒す確率は万に一つも無いぃぃぃッ……!)
故にデアンに向け突撃してきたスタージャの蹴りは――事もなく彼女の腹部にメリ込んだ。
◇
腹部に突き立てられる、蹴り。
それは只の人間に過ぎない者が放った一撃だったが、だからこそ彼女達には意味があった。
「ぎッッッ!」
瞬間――デアンの意識は一瞬、飛ぶ。
実際、彼女が纏っていた〈被気功〉は消失する。
同時に、ソリア達は元の世界へと帰還した。
『媒介化』が解けたデアンは、岩山の一角に背を預けながら、地面に座する。
「……い、何時、気付きましたの? 私の能力が、『確率』だと……?」
複数の内臓を、一度に破壊された少女が、息も絶え絶えで問う。
スタージャは表情を消しながら、ソレに答えた。
「強いて言うなら、あの戦いが始まった直後でしょうか。貴女はソリアさんが攻撃する時、ギリギリまで引きつけていた。まるで――自ら避けられる確率を下げる様に。それで気付いたんです。ああ――このヒトはそういう術者なのだと」
「……た、たったそれだけの事で? それだけの情報だけで、あなたは命を懸けたと?」
「ええ。でなければ、貴女の覚悟に応えられないと思ったので」
だとしたら……バカげている。正に、沙汰の外だ。
断言できるが、スタージャには自分の能力が『確率』だという確証はなかった。ただそう思いこんだだけに、過ぎないだろう。
だというのに、彼女はあんな暴挙に出たと……?
その反面、デアンは痛感する。
確かにソリアが自分に勝つ方法は、あれしかなかったと。
自分の『確率』を最大限まで高めさせ、スタージャさえその能力範囲に組み込む。只の人間である彼女が『融合種』である自分を倒す確率はゼロに等しい。ならば、確率が低い現象を現実化する彼女にとって、あの攻撃は正にこの上ない一手だ。
スタージャはデアンの能力を逆手にとる事で――見事に彼女を打ち破った。
この現実を前に、デアンは一つの確信を覚える。
「……そう。そうなの、ね。貴女もやはり、父と同じ人種という訳? なら、私が勝てる筈ないじゃない」
が、そう言い切った時――デアンは己の右腕をスタージャに突き出す。
それは――これ以上ない不意打ち。
最早――死ぬしかないタイミングで放たれた凶行だ。
ソリアさえ声も上げられず、かの一撃を見送るしかない。
「な、はっ?」
なのに、デアンの一撃は何かに弾かれる。
彼女は初めて、自分が置かれた状況を思い知った。
「これはっ? まさか、貴女、私の事をッ?」
「はい。今、〝看破〟しました。デアン・シア。貴女も私と同じですね。義父となるヒトに、散々泣きながら謝られた」
「……そう。そっか。やはり、父が言っていたのは、貴女の事だったのね?」
心底から納得し、デアンは嗤う。
彼女はもう、自分自身を嗤う事しか出来なかった。
「いえ、それ以前に貴女はさっきの余波で私が消滅しなかった時、敗北を認めるべきでした。仮に貴女が〝私が看破できない存在〟だとしたら、その時点で私は消滅していたのだから」
「……ああ。アレは、メビス護衛官が何かした訳ではなかったの?」
「……という事は、アレはデアン嬢の業じゃない? スタージャが何かをした?」
「うん。そういう事だね。デアンさんに悪意が無かったから反動はなく、私も防御だけで済んだ、というのが事の真相」
ならば、デアンはもう愕然とするほかない。
「……成る程。つまり私は初めから貴女を殺す事は出来なかったという事ですか。残念です。万が一という事もあると思って、懸けてみたのに」
スタージャが惚けた事を言いだしたのは、その時だ。
「やはり、これは貴女の独断専行ですか? ノーゼ小父様は、関与していない?」
「ええ。私は、私の意思で行動した。ただそれだけです。ですから父は関係ありません。だから、咎があるのは、私だけ」
ついで、スタージャは微笑する。
「ですね。この件にノーゼ小父様は関わっていない。私もとんだ勘違いをしたものです。しかも命を狙われたとはいえ、その主犯はシア家の令嬢。その令嬢をこれ以上傷つけてはレクナムテ家とシア家の間に不和が生じる。なら貴女の事は何も見聞きしなかった事にして、このまま退散するしかなさそうです」
故に――デアンはまるであの時の彼を見る様に、微笑みながら告げていた。
「そう。そう言って、下さるのね。やはり、貴女は父に、似ている。ありがとう。心優しき公爵令嬢。貴女とメビスなら、もしかして本当に……目的を達するのかも」
しかし、そこまでだった。
デアン・シアの意識はそこで途切れ、それ以上言葉は発せられない。
彼女のその姿を見届けた後、スタージャは慈愛を帯びた微笑みと共に首肯する。
「ええ。デアン・シア。私は本当に――この島の王になりますよ」
それが、最後。
今度こそスタージャ達と、ある『確率使い』の戦いは終わりを告げていた―――。
5
だがその余韻が覚めやらぬ間に――事態は思わぬ方向へと一変する。
「……んん? え? それは一体なんの真似……?」
格好よくキメ、この場を去ろうとしていたスタージャに、ソリアは拳銃を突き付ける。
確かな殺気を込め、彼女はスタージャを問い詰めた。
「今のはどういう事です? なぜデアン侯爵令嬢が、貴女の命を狙わなければならない? 貴女は一体、なにを隠しているんですか?」
「あの、そういう事は普通、デアンさん本人に訊かない……?」
両手を上げながら、スタージャは正論を述べる。しかし、ソリアの見解は違っていた。
「いえ。彼女は例え拷問されようが、口を割らないでしょう。それだけの覚悟が、彼女にはあった。先にそう口にしていたのは、ほからならぬ貴女でしたよね、スタージャ? でも果たして貴女には、それだけの覚悟があるでしょうか?」
「……あー」
尚も引き金に指をかけながら、彼女は手にした拳銃に力を込める。
ソリアの突然の謀反に、スタージャは苦笑いするほかない。
「わからないなー。ソリアさんてば、何で突然そんな気に? なぜ私を戦闘不能にしてまで、この戦いから下ろさせようとしているの?」
「そんなの、状況が変わったからに決まっているでしょう? 恐らくですが、私と貴女の認識には大きなズレがある。私は当初、この大会はシア宰相が貴女に王の座を諦めさせる為に開いたと思った。私と貴女がペアを組もうが、到底この島の王にはなりえないと教え込むつもりだと感じた。レクナムテ議長も同じ思いだと、そう考えていました。あのお二人は常日頃から、貴女にそう諭す様な振る舞いをしていたから。でも、貴女は何時だってそんなお二人を気にしなかった。逆に貴女は、そんなレクナムテ議長を愛しているとまで言っている。……けどだとしたら、先刻のデアン侯爵令嬢の振る舞いは何です? 彼女は明らかに、貴女を殺そうとしていた。貴女を、ボロボロに打ちのめすのならわかります。ですが実際の所、彼女は自身の命を懸けてまで貴女の殺害を図っている。これでは、そもそも話の前提がおかしいと思いませんか? 貴女とシア宰相は、一体なにを隠しているんです?」
まるで明日の天気を訪ねる様な気軽さで、ソリアは問い掛ける。いや、その貌つきさえも常の彼女と同じで無表情だ。
逆に、だからこそスタージャは彼女が本気なのだと、痛感した。
彼女はもう、ぎこちなく笑うしかない。
「えっと。言っても怒らない?」
「約束は出来ませんが、努力はします」
「……うーん」
スタージャは数秒ほど逡巡し、それから溜息をついた後、漸く口を開く。
「えーと――実はこの大会はノーゼ小父様が私を殺す為だけに開かれた、みたいな?」
「は……?」
なに? 今この少女は、何と言った――?
「……シア宰相が貴女を殺す為だけに、この大会は開かれた、ですって?」
いや、これはそれほど不思議がる事ではない。
彼の養女であるデアンは――確かにスタージャを抹殺しようとしたのだから。
「……つまり、貴女は初めからそう知った上で、この大会に参加した? シア宰相の思惑を理解しながら、その策にのったと言うんですか?」
「うん。まあ」
「……………」
ちょっと待て。だとすると、そういう事?
「まさか……レクナムテ議長も、この件に絡んでいる? 彼も貴女を殺したがっていると?」
昨日の会話を、思い出す。スタージャは、確かに言っていた。〝多分、お父様もその事には気付いている〟と。
なら――答えは決まっている。
「だね。率先して殺す気はないかもしれないけど、黙認はしていると思う。いや、お父様の立場としては当然のことかなー」
「な……?」
ソリアは完全に忘我し、思わず拳銃を下ろしてしまう。それでもスタージャは、両手を上げ続けた。どうせ、また上げる事になるからと言わんばかりに。
そうだ。問題はそんな事ではない。
いま疑問視しなければならないのは、別の事である。
「なぜ?」
「んん?」
「なぜあのお二人が、貴女を殺そうとするんです? 意味がわかりません。私の目には、あのお二人と貴女の関係は、良好に見えたのに」
自分が真に知らなければならないのは――その動機。
レクナムテ議長とシア宰相というこの島のツートップが――揃って彼女を殺したがる理由である。
だが、ソリアの真摯な思いとは裏腹に、スタージャは意味不明な事を言い始めた。
「そうだね。ノーゼ小父様の真の目的は、私を倒せる『異端者』を見つけ出す事。本来の時間軸には無いであろう、この大会を開けば私を倒せるニンゲンが現れるかも。そう期待し、この大会は始まったの」
「……は、い?」
「そして、父は実のところ涙もろく繊細で、誰より優しいヒト。その彼が選んだ道なら、私は喜んでそれを慈しむ。でも、それでも、私にも譲れないユメがあるんだ。だから、私は例えどんな条件でもこの大会に出る必要があった。これは――それだけの事だね」
「意味が……わかりません」
ソリアが、もう一度、拳銃をスタージャに突きつける。
やはりこうなったかと思いつつ、スタージャは肩を竦めた。
「……そうです。そもそも何にも執着も持たない貴女が、なぜ王なんて物を目指すんですか? 貴女がそこまでこの島の王に固執する理由は、何? 少しでも私を信じる心があるなら、どうか話してください。その理由によっては、私は本当に貴女の両足を撃ち抜き、貴女を止めなければならない」
「あー、それは無理かも。ソリアさんだって知っているでしょう? 私のカウンター能力の事は」
「そんな事は、知った事ではありません。第一ソレは貴女がそう主張しているだけで、実際はあるかどうかも怪しい能力です。確かにデアン嬢の攻撃は防ぎましたが、ソレを攻撃に転化出来るかは不明瞭です」
話がそこまで進んだ時、スタージャは初めて気付く。
あろう事か、バカげた事に――ソリア・メビスが涙している事に。
この不可解さに、スタージャは眉根を寄せる。
「何で、泣くの? ソリアさんこそソノ涙の理由は、何?」
「……は? 私が、泣いている?」
いや、そんな事、考えるまでもない。
「……もしかして、私がお父様に捨てられたと思ったの? 私に対し、あんなに愛情を注いでくれていた様に見えたお父様の本心を知ったから? だから、ソリアさんは泣いている?」
「そんな事――今は関係ないでしょう」
左手で頬を伝う物を拭いながら、ソリアはありったけの気迫を込める。
彼女の姿を見て、スタージャは心底から呆れる様に、溜息をついた。
「……本当に、ソリアさんは優しいな。そんなんだから、私みたいのに付け込まれるんだよ」
それから、彼女は本心から困った様な表情を浮かべる。
一方で、スタージャの決断は早かった。
「わかった……私の敗け。今まで誰にも話した事はないのだけど、話すよ。ソリアさんにとっては、間違いなくつまらない話だろうけど」
そしてスタージャ・レクナムテは――遠くを見つめながら語り始めた。
◇
それは、大戦以前の話。
とある所に、二人の幼い少女が居た。
名をスタージャと、ナーシェといい、彼女達は何時でも二人で過ごしていた。
空に浮かぶ巨大な城で二人は生活し、多分、人並みに幸福な時間を送っていたと思う。
スタージャという少女は、快活で頭の回転もはやく、何より前向きだった。
対してナーシェという少女は、引っ込み思案で自分の意見が中々口に出来ない性格だ。もっと言えば、ナーシェはかなり後ろ向きな性分と言って良い。
それでも根柢の部分で気が合ったこの二人は、多くの時間を共に過ごした。生まれてから十年間、この二人は離れ離れになっていた時間の方が少ない位に。
だがある日、スタージャとナーシェは、唐突にその城から追い出された。〝もう十分データはとったから〟という訳がわからない理由で、件の城から追放された。
その時のナーシェの絶望した様子は、目を被う程と言って良い。元々悲観的な彼女の事である。きっと自分達は惨たらしい死を迎えると、率先して直感したのだろう。
なぜって、あの空に浮かぶ城の下にある島は――ヒト食い島と呼ばれる場所だから。自分達とは違う異能を持ったヒトばかり居るそんな場所で自分達が生きていける筈がない。
ナーシェはそう嘆き、悲嘆にくれた。けど、そんな彼女に、スタージャは言い切る。
〝大丈夫。だってこの私がついているんだもの。私達はきっとあの島でも、幸せに過ごす事が出来るよ!〟
島に捨てられた後も、事あるごとにスタージャはナーシェにそう断言し、勇気づけた。城から隠し持ってきた僅かな食料を分け合いながら、彼女達はやっぱり共に過ごした。
〝とにかく、先ず住処を見つける事だね。どこか余裕がありそうな大人を見つけて、そこでお手伝いとして雇ってもらおう。全てはそこからだよ。私達の第二の人生は、バラ色の生活は、そこから始まるんだ!〟
やはりスタージャは何処までも前向きで、決して後ろを振り向かない。何時でも前を向いたままナーシェの手を掴んで、彼女を良き方向に導き続けた。
事実、彼女の思惑は成功に至る。
城に居た頃、下界を見下ろした時、スタージャは大きな屋敷を五つほど見つけていた。
その一つに辿り着いた彼女達は、その屋敷で雇ってもらえる事になったのだ。
〝ほら、私の言う通りだったでしょ? なら次の目標は、この島を変える事かな。私がこの島の王様になって、この島を根本的に変える。こんな陰気な所じゃなく、もっとハッピーな場所に変えるんだ。それが私の、いえ――私とナーシェの目標だね!〟
この島の……王になる? それはナーシェがスタージャの口から聞いた中でも、最も大きな大風呂敷だ。只の人間に過ぎない自分達が、この島の王になどなれる筈がないと、普通なら思う筈だから。
でも、それでも――ナーシェの目から見てもスタージャの様子は本気だった。
〝んん? スタージャなら出来るかもしれないけど、私は無理? そんな事ないよー。ナーシェはまだ自分の事が良くわかってないだけ。私とナーシェが揃えば、もう無敵だね〟
そう。何時だって、スタージャはナーシェにとって英雄だった。
彼女が居なければ自分はとうの昔に、のたれ死んでいただろう。本当にとことんから、自分はスタージャが居ないと何もできないなと、彼女は痛感する。
〝じゃあ、約束。私達は絶対この島の王になる。そういう事で良いね、ナーシェ!〟
そう誓い合い、この日、二人は屈託なく笑い合っていた。
二人はこうして、幸福な日々を送った。空の城で暮らしていた時と、同じ位。
いや、スタージャはナーシェが居れば、ナーシェはスタージャが居れが、それだけでもう幸せだったのだ。
だが、その数ヶ月後の事。
〝んん? は、い?〟
ユメの終わりは、殊の外、早く訪れた。
ある日、二人はその屋敷の主人に呼ばれ、クジを引く様に言われる事になる。何の為のクジかと問うスタージャに、屋敷の主人は断言した。
今日、おまえ達のどちらかを食べる事にしたが、どちらを食べるかは決めかねている。だから、公平にクジで決める事にした、と。その引かれたクジに書かれている名前の方を今日自分は食べると、彼は言い切った。
冗談としか思えない、言動。余りにもバカげた、現実。
だが、ソノ主人は何処までも本気だった。飽くまで屋敷の主人は二人のどちらかに、クジを引くよう迫った。
この極限状態の中、ついにスタージャは決断する。
〝わかった、引こう、ナーシェ。こうなったら、恨みっこなしだよ。このままじゃ、きっと二人とも食べられるもん。生き残った者勝ちって言葉もあるし、後は運任せだ〟
けれど、この時、ナーシェはまだ知らない。
彼女がどんなつもりで、そんな事を言ったのか。
だから彼女は、ただ絶望しながら、スタージャに促されるままクジを引く。
〝……ああ〟
そして引いたクジには――〝ナーシェ〟と書かれていた。なら、後の展開は既に決まり切っている。自分はあの主人に食されて、人生を終える。
なにも成せないまま、たった十歳で生涯を終える事になるだろう。
そう思い知った途端、ナーシェは涙さえ流せず、ただ絶望した。
だから、彼女は告げたのだ。
〝そっか。食べられるのは――私かー〟
〝は……?〟
意味が、わからなかった。理解が、出来なかった。けれど、ナーシェと書かれたクジが引かれた筈なのに――何故かスタージャはそう言い張る。
〝そういう事で良いでしょ? だって――どうせ同じ顔なんだもの。味だって、大差ないよ〟
自分と同じ顔をした――金髪と黄金の瞳をしたその少女はそう断言していた。
そう。バカげた事に、愚かしい事に、スタージャはどちらのクジを引いても、そのつもりだったのだ。
この時、初めてナーシェはその事に気付く。
〝駄目だよ。君は生きるんだ、スタージャ。私はナーシェで君がスタージャなんだから。大丈夫、必ず助けは来るよ。だから、スタージャは、何としても生き続けて。私達のユメをどうか果たして。あの頃の私達みたいに、この島を誰もが笑える場所に変えてみせて。そう、そうだよ。だって、スタージャなら、貴女なら、間違いなくそのユメを叶えられるから〟
淡く笑って、彼女は駆け出し、ベランダから身をのり出して、そこから身を投げる。
それが、彼女が見た、あの少女の最期の姿だった。
〝ああああぁぁぁ、あああああああぁぁぁぁ―――ッ!〟
この日ナーシェは、いや、スタージャは、自分が死ぬより辛い事がある事を初めて知ったのだ。
その後の事は、良く覚えていない。ただ、彼女はその日から決してナーシェという名で呼ばれなくなったのは確かだ。
その日、確かにナーシェという少女は死に、ただスタージャという名の自分が生き残った。
なら、自分に出来る事は、何だ? 遺された自分が、するべき事は、一体なに?
彼女はただひたすら自分に問い掛け――やがて結論した。
「うん、そう。だから私はスタージャの人生を引き継ぐ事にした。私と同じ容姿をした、でも私とは全く違う、あの勇気ある彼女の人生を受け継いだ。あの日から――私は何時かこの島の王になると誓ったんだ」
「……じゃ、じゃあ、貴女は?」
ソリアは、ただ呆然とする。
「そう。私は、ただ演じているだけ。〝スタージャ〟という少女の、人生を。何時だって私は彼女ならどうするか、どう考えるか想像して行動している。だって――ナーシェはもうあの日死んだのだから。彼女は死んでしまったのだから。スタージャである私が、彼女のユメを果たすのは、当然の事でしょ?」
「まさ、か」
〝私は、きっと良い王様になるよ。この私が言うんだから、間違いない〟
(……まさかアレは彼女自身の事ではなく、〝スタージャ〟の事? このヒトは、『〝スタージャ〟なら、良い王様になる』と確信していたから、そう言い切った……?)
この時ソリアは、戦意を失くした様に手にした拳銃を下げる。
「……そ、う」
それから、彼女はもう一度だけ涙した。
「……私は、勘違い、していました」
「勘違い?」
「ええ。私には誰より貴女は幸福に見えていたのに実際の貴女は既に空っぽだったんですね。自分の意思など既に無く、ただ他人の人生を演じるだけ。……でも、本当にそれで良いんですか? 貴女は、永遠に〝自分の人生〟を放棄するつもり……?」
「うん。私は、もう十分満たされた。誰かが彼女の為に、ナーシェの為に、泣いてくれる日が来るなんて思っていなかったから。ソリアさんが泣いてくれただけで、私はもういいや」
あの時の彼女の様に、金髪の少女も、淡く笑う。
それを見て、ソリアは何も言えなかった。
目の前に居るのは、自分の人生を止めてしまった少女だ。
自分以外の他人の人生を受け継ぎ、そのユメを果たす事だけを目的とした少女が居る。
けれど、そうと知って尚、ソリアはその歪さを正す事が出来ない。それをしてしまえば、きっと彼女は何者でもなくなってしまうから。ソリアはこれ以上、何も言えずにいる。
今の自分に出来る事があるとすれば、一つしかない。
「……待って。それとシア宰相の企みは、どう繋がっているんです? その話を聴く限りでは貴女が命を狙われる様な事など、何一つないのに」
「ああ、その事? それは、こういう事」
が、そこまで言い掛けた時――スタージャは唐突に眉をひそめる。
「おかしい。ヒトの気配が、殆ど消えている」
「え……?」
スタージャに促される様に、ソリアも周囲の気配を探ってみる。
結果、ソリアも同じ結論に至っていた。
「そういえば、静かすぎる。これは、いえ、この感覚は何?」
二人が、同じ方角へ目を向ける。
見ればそこには――一組の男女が居た。
「やはり、残ったのはおまえと俺か。いや、ほかにもまだ数人ばかり居そうだが」
「そうですね。さしあたっては、目についたニンゲンから退場願うのが先でしょうか?」
ソレは大会会場に向かう途中――ソリアが気にした男女だった。
長い黒髪の偉丈夫と――金色の長髪を背中に流した絶世の美女はただ向かい合う。
ただそれだけの事なのに、スタージャは何かを直感した。
「――不味い! ソリアさんははやく棄権して! 一刻もはやくここから逃げて!」
「は?」
瞬間、世界が一変する。
あの二人が気迫を高め、ソレを一気に爆発させた途端、この辺りの景色は崩壊した。
「では、再会の宴と行きましょうか――羅冠・ビクトリア。この百数十年であなたがどう変わったのか、責任を以て私が見届けてあげます」
「ほざけ。空を飛ぶしか能がない、雑兵共の長が。せめて俺を興じさせるのが、おまえの務めだろうに。その余りにタチが悪い冗談では、笑える物も笑えぬわ――エンジェリカ・ライトフィールド」
女性は飽くまで冷静に、男性は飽くまで喜悦して、己が力を解放する。
途端――姿が変わった二人は別空間へと転移した。スタージャとソリアも――それに巻き込まれる。
直後、地球所か――比喩なくこの宇宙は消滅する。
ただ気合を込めただけで、四人が居る世界は、ガラスの様に砕け散る。
バラバラに霧散し、余りに儚く塵芥と化す。
それを上書きする様に、別の空間が直ぐに現れた――。
「………なにッッッ?」
咄嗟に〈被気功〉を使い、宇宙に投げ出される事を回避したソリア達は、思わず息を呑む。
スタージャは唖然とした表情で――あり得る筈のない事を断言した。
「――『頂成帰結』! 『大仙人』と『大天使長』ッ? まさか――宇宙を消せる能力者まで紛れ込んでいたなんて!」
「う、宇宙を、消せる……?」
スタージャのバカげた発言を聴いて――ソリアはただ茫然とするしかなかった。
選挙狂想曲・前編・了
という訳で、前編終了です。
ここまではギリギリ許容範囲かもしれませんが、後編はのっけからやりすぎています。
という訳で、それでもよろしければ後編もお楽しみください。