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第六話『読めない人』

 その後すぐゲイルは約束通りトーマの代理として、ウエスト・コースト地区の市長に話を聞きに出かけた。その間トーマは暇なので夕食作りをすることにした。

 キッチンに立ち作業にとりかかろうとした時、フェアリーがやってきて「私も手伝う」と言ってきた。その顔は相変わらずうかない。

「どうしたんだ?ずっと元気がないな」

「今日はごめんなさい」

「何が?」

「トーマさんが倒れて、私動揺しちゃって。この家にはカレンさんがいるんだし、簡単に他人を入れちゃダメだって知っているのに、ゲイルさんに来てもらいたいだなんて」

「そうだな。正直驚いたよ。先日はあんなに嫌っていたみたいだったのに」

「それは‥‥‥」

 フェアリーは明らかに何かを言いあぐねていた。急に態度を変えるキッカケがあったとすれば、自分が倒れた時だろう。そういえば目が覚めた時フェアリーは泣き顔で、それについてゲイルが「泣いたのは心配だという理由だけじゃなさそう」だと言っていた。それに関係があるのか。

「なあ、お嬢ちゃん。俺、倒れた時に何かしたか?カレンの名前を口にしてしまった気が微かにするんだが、それか?」

「え?‥‥‥あの‥‥‥それもあるけど‥‥‥」

「それも?」

「手を握って、『悪ぃ、カレン。三十分経ったら起こしてくれよ』って」

 なるほど。合点がいった。トーマを想っているフェアリーにすれば、さぞショックだっただろう。いくら女心にとことん鈍感でも、それくらいは分かる。我ながら情けなくなる失態だ。トーマは思わず片手で顔を覆い、大きく自己嫌悪の溜息をついた。

「そっか。ごめんな。無意識とはいえ無神経な事を」

「仕方ないよ。だってトーマさん、意識が朦朧としていたんだもん。だからトーマさんのせいじゃない。それで動揺して何も出来なかった自分に腹が立ったの。ゲイルさんに、救急車くらいは呼んでも良かったんじゃないかって言われて、ああ、本当にそうだと思った。実際には病院に行く事は出来ないけど、私自身がこういう事態に対処できるようにならなきゃ。まだ過労だから大丈夫だったけど、もし、もっと重大な事態だったら?とっさの判断で何も出来ない私じゃ役に立たない。こんなんじゃダメだって。でもゲイルさんはすぐにトーマさんの容体と今日の仕事を確認して手を打ったから。今回の仕事はなんだか怖いし、ゲイルさんがいたら少しでも安心かなって。情けないけど頼るしか‥‥‥」

 言いながら、また目に涙がたまってきた。よほど悔しかったのだろう。トーマは優しくフェアリーを抱き寄せ、頭を撫でた。

「無理すんな。人はそんなに強くなれるもんじゃないだろう。俺みたいな人外でも、それは同じだ」

「うそ。トーマさん、そんなに強いのに」

「強かったら倒れた時にカレンの名前なんか呼んでないだろ。ゲイルと再会して、皆の写真や手紙を見て、時間が戻ったような気がした。手紙の内容はキツかった。俺がいなくなった後、家族がどんな思いでいたか、他の皆がどんな人生を送ってきたかを見せ付けられたから。知らなきゃいけなかった事だろうが、現実を知るのは痛いもんだ。倒れたのは、その精神的ダメージがあったからかもな」

「ゲイルさんに似ている人って、昔の仲間なの?」

「ああ。イアンっていう、最期にカレンを幸せにしろと言い残したヤツだ。衝突も多かったが、一番仲も良かったヤツかもしれない。見た目だけじゃなく、中身もゲイルとよく似ていたな」

「カレンさんを幸せにしろって‥‥‥」

「そういう事だ。イアンはずっとカレンを好きだった。研究所にいた頃から」

 トーマはゲイルにイアンの姿を重ねているのだろう。だから、金を渡すから情報屋をやめて幸せに暮らせとまで言ったのだ。それにしても‥‥‥

「トーマさん、そんなに辛かったなら、私に甘えてくれれば良かったのに」

「甘える?俺がお嬢ちゃんに?残念ながらそれは無理だな」

「どうして?私が子供だから?でも私、もう二十二歳だよ。年齢的には大人なんだから」

「だから、年齢の問題じゃなくて性格の問題だよ」

「性格?」

「そう。大人の甘えるっていうのはな、泣いてよしよしじゃ済まなかったりするんだよ。分かるか?この意味」

 フェアリーは一瞬キョトンとしたが、すぐにトーマの言わんとするところを理解すると、たちまち耳まで真っ赤にして俯いてしまった。

「ははは。ほらな?考えただけで赤くなるような子相手に、手なんか出せたもんじゃない。まあ分かっただけでも大人と言えば大人か」

「もう!すぐそうやって!キスしたの、忘れたの?」

「え?ああ」

 これはフェアリーの事件の時、二人でスポーツ・パークへデートに行った時の事を指している。依頼の件が片付けばもう接点がなくなると思い、不意打ちに一瞬、唇が触れるだけのキスをした上で、助手をするから側に置いて欲しいと訴えたのである。あの時は思いもしなかった事で驚いたが、フェアリーの気持ちを知っている今となっては、好意を示され続けるのに慣れてしまい、今言われるまでそんな事は忘れてしまっていた。

 トーマの服をぎゅっと掴み、赤くなったまま見上げている。そんな彼女を改めて見てみる。自分たちは人ではなくなった時から年を取らなくなり、故に外見年齢もその時点で止まったのだが、フェアリーはまだ不確定要素が強いのだろうか?確かに出逢ったばかりの頃と比べると、大人っぽくなった気がする。このままいくと外見年齢ではフェアリーが年上になってしまうのでは?そう考えると何だかおかしいような、淋しいような気持ちになった。それはそれとして。

「そうだな。分かりやすい例えをしてやろう。さっき俺がお嬢ちゃんの手を握って、カレンに話しかけている様子だったのがショックだったと言っていたよな?」

「‥‥‥うん」

「つまりはそういう事だ。俺がお嬢ちゃんに甘えるというのは、カレンがいないから、その代役を務めさせるという意味になる。気持ちが自分にないのに彼女の代役と割り切って、俺に抱かれる事が出来るか?大人なら誰でもそんな風に割り切れるって、そんなワケはないだろう。だから性格の問題だと言った」

「出来るわ!それくらい。トーマさんが癒されるならガマンできる」

「俺がイヤなんだよ。お嬢ちゃんをそんな風に扱えるか」

「どうして?私が前のカジノの女の人みたいに、豊満で色っぽくないから?」

「色気はまあ、うん。いや、むしろ俺はあまり色気を強調したような女は苦手だし」

「そうなの?」

「ああ。そういう見方で言うなら、お嬢ちゃんくらいの方が好みだ」

 からかうような笑みを浮かべながら言う。悔しい。この余裕を崩せるくらいにならなければ、まともに相手をしてもらえない。そうは思いつつも、「好みだ」の言葉が嬉しいのも事実で。だから思わず、とんでもない事を口走ってしまった。

「じゃあ私がこれから変わって、代役でもいいって思えるようになったら、その時は抱いてくれる?」

「はあ?おいおい、そんな爆弾発言を簡単にするなよ」

「だって、もし私が他の誰かを好きになったとしても、その人とずっと一緒にはいられないんでしょ?もう人間じゃないんだし。だとしたら私は永遠に、その、そういう経験がないまま生きなきゃいけなくなるじゃない。それは淋しすぎるもん。だったら代役だっていいから、好きな人に抱かれたいって思うようになるかも」

「その理屈で言うなら、短い期間でも人間の男を好きになって、その間に経験するっていうのもアリになるぞ。大体、普通に付き合ってても2~3年で別れる事なんざザラだし」

「う‥‥‥それはそうだけど。でも!トーマさんがいいんだもん!」

「ふ~ん。分かった」

「えっ!?」

 トーマは先日ゲイルがそうしたように、突然フェアリーの腰を引き寄せ、あごを持ち上げた。

「そんなに言うなら今晩俺と寝るか?いいぜ。やって出来ないことはないし、今日は仕事がないしな。部屋に来いよ」

 今度はからかうようにではなく真顔である。まさか真剣に言っているの?うそ。一気に様々な思いが湧き上がってきた。正直に言って『愛されていないのに抱かれる』心の準備は出来ていない。きっと心が欲しくなる。きっと後で辛くなる。だけど今まで子供扱いされてきたのが、これでちゃんと女扱いしてもらえると思うと、それでもいいとも考えてしまう。どうしよう?思考が混乱して、まともに整理できない。と、不意にトーマが優しく笑い、フェアリーの額を指ではじいた。

「???」

「そんな真剣に悩むなよ。忘れたのか?今日からゲイルが来るんだぞ。お嬢ちゃんが自分で言ったんだろ?」

「あっ!」

 そうだった。どうしようも何も、他の男性が同じ屋根の下にいるのに、そんな事を出来るはずがない。安心したやら残念やら。いや、今は確実に失敗したという思いの方が強い。恐らくトーマは分かっていて言ったのだろう。つまり真剣じゃなかった?どちらなんだろう?本当に、心が全く読めない人だ。

「‥‥‥あんな事、言うんじゃなかったな」

「どっちを指して言っているんだ?」

「ゲイルさんに来てもらいたいって言った事」

「それは仕方ないな。自分で言った事には自分で責任を持つ。それが大人ってもんだろ。さ、晩メシの準備をするぞ。手伝ってくれるんだったよな」

 上手くかわされてしまった。そもそも百五十年以上生きている人に叶うはずがない。何かと複雑な気分だが、ゲイルを同居させて欲しいと願ったことを、トーマは「驚いた」と言ったものの、迷惑だとか本当はイヤだったとは言わなかった。トーマの事だ。最終的に決断したのは自分だから、とでも言うのだろう。それともトーマ自身もゲイルと話したいことがあったのか。『イアン』という大事な仲間に似た人と。そうならいいと思う。いなくなった仲間だけを思い続け、他の誰も信じず、心を許さず、永遠とも言える時間を生きていくのは、あまりにも悲しすぎるから。


 ゲイルが帰ってきたとき、テーブルには見事な料理が並んでいた。ミラノ風カツレツ、生ハムに小エビのカクテルサラダ、ミネストローネにライ麦パン。家庭でも用意できるものばかりではあるが、見映えがちょっとしたレストランのようだ。

「えーっと‥‥‥これは?出張シェフでも来たのか?それともお嬢さんが」

「私も少しは手伝いましたけど、作ったのはほとんどトーマさんですよ」

「レオンがぁ?お前、料理なんか作れたのか」

「あのなぁ。『よろず請負業』を何だと思っている?事件・事故絡みの依頼ばかりじゃないんだぞ。急病の出張料理人の代理なんかは、依頼の中では割とある方だ。そのために調理師免許や栄養士の資格も持っている」

「言われてみればそうか。前の街でも家では作っていたのか?」

「ほとんど作らなかったな。今はお嬢ちゃんがいるから、出来るだけ作るようにしているが。まあ、そんな事はどうでもいいだろう。冷めるから、さっさと食えよ」

「へーへー。んじゃま、頂くとしますか」

 見た目の期待を裏切らず、味も立派なものだった。トーマにこんな特技があったとは、あまりにも意外だが、彼の言う通り二百以上の資格・免許が必要なスペシャルライセンスを持っている以上、ほぼ万能だと思って間違いはないのだろう。まったく、何から何までデタラメな男だ。

「それで、市長の話はどうだったんだ?」

「あ?ああ。メシを食いながらも仕事の話かよ。まあお前らしいけど。んじゃま、とりあえず仕事料から言うと、経費別で三百万ドル」

「分かった。受けよう」

「ちょっと待て!仕事の内容は聞かないのかよ!」

「今から聞く」

「そうじゃなくて、聞いてから決めろよ」

「一緒だろ。その額ならどっちみち受けるんだし。それにしてもえらく張り込んだな、ウエスト・コーストも。確かにあそこは観光地で財源も豊富だが」

「それだけじゃないんだよ。実はあそこはミラー家所有の土地を貸し出していたものらしくてな。それなりの敷地面積があるっていうんで、あの一帯を使ってショッピングセンターを作りたいと言い出したらしい」

「またそんないわく付きの土地を。言い出したのはオリヴァー伯父様?ライマン伯父様?」

「ライマン氏だそうだ」

 オリヴァーとはミラー家総帥の長男で、ライマンは次男である。両者とも伯父とはいえフェアリーとあまり面識はなく、兄弟同士の交流自体、フェアリーの父を含めてあまりない。

 オリヴァーは良くも悪くも実益主義で、かなりクレバーかつ冷淡な人物として有名である。ただし経営者としての能力も高く、ミラー家の人間だからといって威張り散らしたりはしないし、人の好き嫌いで態度を変えない(基本的に誰に対しても冷淡)ため、そういう意味では誰に非を鳴らされることもない。ライマンは典型的な権威主義者で、権力と金があれば出来ない事はないと思い込んでいる人物である。生活も一番派手で、妻の他に愛人が幾人もおり、隠し子も二十人を越えると言われている。もしライマンが死亡しようものなら、遺産をめぐってイヤ~な争いが起きるのは間違いない。兄とは正反対にあまり勤勉ではなく、そのクセ部下の失敗には厳しいのだが、どこか憎めないところがあり、いつも周りに人がいるタイプである。

「で、要するにミラー家からも金が出るワケだ。そりゃ三百くらいは余裕だろうな」

「話はそれだけで終わらないぜ。お嬢さん、そこの経営者はお嬢さんの親父さんになるらしい」

「えっ!どうして?ライマン伯父様が言い出したんでしょ?」

「そこまでは依頼主の知るところじゃないだろうぜ。今晩にでも調べてやるよ。俺の専門分野だしな」

「あ、ありがとう‥‥‥ございます」

 クセなのか、ゲイルはまたウインクをしながら言った。先日はこの態度が軽薄に見えてイヤだったのだが、トーマが倒れたときの対応から印象が変わったため、今は何となく頼もしく見える。この変わりようを自分でもどうかと思う。

「まあいずれにせよ、この依頼は受けなきゃダメだってことだ。お嬢ちゃんの親父さんが経営するなら真相を究明して、あの建物もしくは土地に、呪いなんかないって証明しねえとな」

「トーマさん、ありがとう!」

「いや。もうすぐここを離れるんだ。その前に心配事は一つでもなくしておきたいだろ」

「もうすぐ?そういう予定なのか」

「本当はもう少し早く離れるつもりだったんだけどな。お嬢ちゃんは初めて両親と離れるわけだし、ちょっとでも長くそばにいさせてやりたかったからさ」

(やばいな。ここにいる間にレティシアに連絡しないと。次の街でも居座らせてもらえるとは限らねえし、下手をするとここで撒かれてしまう可能性すらある。俺としては納得いくまでどこまでも付きまとう気だが、レティシアをあまり長く待たせておくわけにはいかない。まず一度会わせねえと)

 そのためにはトーマの返事を待たず、とにかくレティシアを呼び寄せよう。ゲイルはここでようやく決心した。


 その後も仕事の話は続いた。そもそも市側としては、屋敷に手出しはしたくなかったのだが、ミラー家が金は出すから何とか解決しろと言ってきた事。多額の寄付をミラー家から受けているという事情があり、市側は逆らえない。なので今回の仕事に失敗は許されない。必ず呪いを解いてあの敷地を使えるようにしろと、かなり偉そうな態度で命令してきた事など。

「あの態度を見ていたら、マジでこんな仕事はやめればいいのにと思ったぜ。人にものを頼むときの姿勢ってもんを知らないのかね」

「別に。金さえちゃんと払うなら、態度なんかどうだっていい」

「お前なぁ‥‥‥はあ。まあ今に始まったことじゃないか」

「俺としては態度うんぬんより、呪いと決めてかかって、俺に除霊師の真似事をしろと言っていることの方が、よほどおかしいと思うぞ。何でみんな霊が内臓を抜けると思い込むのかね。超能力か何かでやっているとでも言いたいのか?」

「レオンは、霊魂の存在は全否定しているのか?」

「いいや。魂ってやつはあるだろうよ。でなきゃ人の生死の境目の理屈がまるで分からなくなる。心臓が止まって、脳が活動を停止して、そこで終わりだっていうなら、死ぬ直前までその人がその人として動いていた意識は、心は、どう説明するんだ?人は機械じゃない。人の体を構成するものは分析できても、その辺の解明は出来ていないだろう。つまりはそういう事だ」

 ゲイルはポカンとした顔でトーマを見た。その表情があまりにも露骨だったので、トーマも珍しくとぼけた表情になってゲイルを見返した。

「何だよ?」

「いや、レオンの口から出た言葉とは思えなくてな。今回の依頼の件で、散々呪い説を否定していたからさ」

「呪いはバカバカしいさ。それと魂がどうこうとは別の問題だろ。だから俺が言ってるのは、たとえ霊魂の類が原因だとしても、実体の無いものがどうやって遺体を損壊できるかってことだよ。内臓が抜かれていたって言っても、外的損傷がなく、中身だけ抜き取られていたわけじゃないんだろ?」

「そりゃまあ、確かにそうだな」

 えらく矛盾しているな、と感じた。基本は理論派らしいが、魂の存在を信じているあたり、ゲイルと同様にロマンティストとも思える。今まではあまり人間らしさを感じられないヤツだと思っていたが、意外にもカワイイ部分があったんじゃないかと。

(そうか。料理が得意で理論的‥‥‥例の五十嵐刀磨というヤツも、中学に入ってすぐくらいから家の手伝いをして、食事作りをしていたと手紙にあったな。あと理系科目が得意だとも。そうなると、ますますダブッてくるんだよなあ)

「なにニヤニヤしてんだ。気持ち悪い。そんな事より依頼の件だ。期限はいつまでだって?」

「半年以内だとさ」

「充分だ。食事が終わったら部屋で予定をつめていくから、邪魔しに来るなよ」

「今日は仕事は禁止だって言っただろうが」

「部屋でやるくらいはいいだろ。つーか、これ以上寝ていられるか。あ、そうだ。被害者の写真はあるか?」

「それはもちろん。契約書と被害者に関する細かい情報等の書類、それに写真とあわせて後で渡すよ」

「……ねえ、トーマさん。被害者の写真って」

「そういう事だ。好奇心に負けて見たりしないほうがいいぞ。しばらくの間は肉と赤いものが食えなくなる」

 フェアリーはゾッとして、顔をブンブンと横に振った。ガンシューティングゲームで何かと飛び散る映像なら見慣れているが、いくらリアルでも本物とは全く異質のものだろう。興味が無いと言えば嘘になるが。


 こうして結局、食事が終わるとフェアリーに片づけを任せ、写真を受け取って早々にトーマは部屋にこもってしまった。片付けと言っても洗い物は乾燥まで機械任せで、大してやる事はない。なのでコーヒーを淹れてトーマの部屋に持っていった後は、特に何もする事がなくなってしまった。ゲイルを放っておいて勉強をするわけにもいかないし、さて、と困っていると、彼の方からこう言ってきた。

「さて、お嬢さん。俺も仕事するわ。使っていい部屋ってのはどこだ?」

「あ、はい。こちらです」

 よく考えれば、ゲイルの接待で悩む必要はなかったのだ。彼は情報屋で、何もトーマ専属というわけではない。やる事は多いのだ。


 トーマの家は一人暮らしにしては部屋数が多く、個室は五つある。トーマの部屋とカレンの部屋、そして今フェアリーが使っている部屋と、ゲイルに割り当てられた部屋、それでもまだ一室余っている。これは別に来客を見越して大きな家を借りていたのではなく、この辺で短期で借りられて、一番賃料の安い家がここだっただけの話である。安い理由は‥‥‥何かいわくありげだったが、トーマは気にしないので聞かなかった。実際五年住んでいても、困った事は何一つない。

「パソコンは、部屋にあるのを自由に使っていいそうです。それと情報収集に必要な物があれば、言えば有料で受け付ける、とトーマさんが」

「あー、はいはい。分かってるって。タダで世話になる気はねえよ。それよりお嬢さん、一ついいか?」

「はい?」

「お嬢さん、っていうのも面倒だしさ、名前で呼んでいいか?」

「え?はい。それはご自由に」

「そっか。じゃ、これから俺は同居人兼、ボディーガードってことで、よろしくな、『フェアリー』」

 ゲイルは人の良さそうな笑顔と手を、フェアリーに向けて差し出した。女子校出身で、男と接触した経験などほとんどないフェアリーは、若い男性に呼び捨てにされた事と、握手をするという事に気恥ずかしさを覚えつつ、ゲイルの手を握り返した。ゲイルの手は、その外見に見合った大きさで、ゴツゴツしている。トーマの手は見た目に大きさはあるものの指が長く、芸術家っぽい(あくまでもフェアリーのイメージで)印象があるので、ずいぶん違うな、などと感じた。

 ふと、ゲイルの手の甲に当たっているフェアリーの指が、ある違和感を察知した。思わずその部分に目をやると、それほど古くない、縫った痕のようなものが見えた。

「珍しい所にケガしたんですね」

「え?ああ、鋭いな。これはレオンがいた時、レティシアの事件でちょっとな。ナイフで刺された」

「ゲイルさんもそんな危険な目に?レティシアさんの事件って、そんなに大きなものだったんですか?」

「レオン絡みのはデカい事件が多いだろ。キミの時もそうだったんじゃねえの」

「それは確かに。でも痛そう」

 フェアリーは片手でゲイルの手を持ち上げ、もう一方の手で傷痕を撫でた。完全に無意識の行動。それにゲイルは一瞬あっけにとられ、次いで何故かうろたえてしまった。

「あのな、フェアリー。そういう事をされると、なんかこうムラムラッとくるんだけど」

「ムラムラって。そうなんですか?手で?ごめんなさい!私、そういうの全然わからなくて」

 フェアリーは焦ってゲイルの手を離した。半ば放り出すような形で。その行動と、真っ赤になった顔があまりにも可愛くて、ゲイルは吹き出してしまった。

「ははは。今時珍しい子だな。そりゃレオンも可愛がるよなあ」

「そういうゲイルさんこそ。この前は強引に抱き寄せたり、頬にキスしたりしたクセに、どうして今日はこれくらいの事でムラムラするなんて言うんですか。おかしいです」

「言われてみればそうだな。思春期のガキじゃあるまいし」

 先日は確かに、トーマの反応をうかがう為にフェアリーにちょっかいを出していた部分があった。しかしこうして改めて近くで見てみると、フェアリーは非常にキレイな娘で、均整のとれた肢体と相まって、女性として十分以上に魅力を備えている。なのにこの無防備さである。よく今まで無事に、純なまま育ったなと感心してしまう。そういえばトーマも、「この子はお嬢様育ちで、世間の常識と少しズレた感性を持っていて、中でも男の事に関しては何も知らないに等しい。俺が用心していないと」と言っていた。なるほどと思った。

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