第四話『トーマ、倒れる』
ゲイルがトーマの元を訪れて三日後に例の依頼が電子メールで届いた。詳細は追って伝えるので連絡が欲しい、という事だ。この三日間、仕事の合間にはゲイルが置いていった手紙を読み、ロクに休んでいない。お陰で少々疲れ気味だ。そんな状態の中でのこの依頼である。フェアリーは無言で電子メールを削除しようとしたが、間一髪でトーマが止めた。
「待てよ、お嬢ちゃん。俺に来た仕事を勝手にフイにされちゃ困るな」
「だって!トーマさん疲れているのに、こんな怪しい依頼、受けることないよ!」
「怪しい依頼が舞い込むことなんざ日常茶飯事だろ。それに、お嬢ちゃんが俺に持ってきた依頼だって、かなり怪しいものだったと思うんだけどな」
「そ、それは、そうかもしれないけど。でも呪いだよ。もっと胡散臭いじゃん!」
「なんだ?お嬢ちゃん、もしかして怖いのか?」
「やだなあ。怖いわけないよ。トーマさんと一緒に暮らしていて、呪いとか幽霊とか化物なんかを怖がっていたら、胃が穴だらけになっちゃうじゃん」
「ほー。そういう事を言うか。じゃあ、そこにいるヤツが見えても平気なんだな?」
「そんな手には引っかからないよ!子供じゃないんだから」
「‥‥‥そっか。やっぱお嬢ちゃんには見えていないんだな。だったらいいか」
「な、何?ウソだよね?何もいないでしょ?」
トーマは無言でニヤッと不気味に笑った。それを見たフェアリーは半泣きで、何故か両耳を塞いでしゃがみこんでしまった。当然トーマは大笑いである。
「ははは。んなワケないだろ。霊魂が見えるものなら、ぜひ俺が見てみたいよ」
「も、もう!やっぱりからかっていたんだ!」
「そんなに怒るなよ。あんまり意地を張るからさ。つい」
笑いを治めることなく、フェアリーの頭をポンポンと叩いたりする。やはりどこまでも子供扱いだ。フェアリーは完全にむくれて「知らない!」と、足音も荒々しくリビングを去っていった。
その後トーマは改めてメールを見てみた。呪いだ何だというのはバカバカしいが、とりあえず面倒そうではある。事件そのものは新聞にも取り上げられていたので知っている。しかし怪死体で発見された、とだけ書かれてあったので、ことごとく内臓が抜かれていたとは知らなかった。
そう言えばカレン達と平和に暮らせていた頃、テレビでそういった映画が放送されると、カレンともう一人の女性仲間だったシンディーが、二人で身を寄せ合いながら見て、手を取り合って悲鳴をあげていた。普通の人間からすれば自分達も化け物なのに、幽霊を見て怖がっているのがおかしくて、よくからかったものだ。そんな風に感傷に浸っているところへ、電話の音が鳴り響いた。出てみると、向こうから聞こえてきたのはゲイルの声。
『よお、レオン。あからさまに怪しい依頼は届いたか?』
「つい、さっきな。で、何だ?」
『どうせ受けるんだろ?だったら、どのみち情報が必要だと思ってさ。ネタ仕入れてあるぜ。どうだ?』
「言っただろ。情報屋なんかやめてしまえ、と。お前からネタを買う気はない」
『俺も言ったはずだぜ。やめる気はねえってな。どうせお前が買わなくても情報収集を続けるんだ。だったら俺から仕入れた方がいいんじゃないか。お前の仕事のやり方はよく知っているしな』
不本意だがその通りである。ゲイルの情報は質も価格も文句のつけようがないし、慣れた情報屋の方が使いやすいに決まっている。イアンやレティシアとの繋がりがなければ、すすんで利用していたはずだ。あまり関わるのは避けたいが……迷った挙句、トーマは午後から会う約束をした。どれだけ避けようとも結局はつきまとってくるだろうし、それなら使わなければ損、というわけだ。
午前中の仕事を終え、帰宅後すぐに昼食。新規の依頼と情報に目を通していたところで、トーマの目の前が暗転した。隣の部屋で資格取得のための勉強をしていたフェアリーは、ドサッという物音を聞き、何事かとトーマの部屋に向かった。そこで見たのは倒れているトーマの姿。
「トーマさん!」
慌てて駆け寄り体を揺すると、うっすらと目を開けたので、無事を確認したフェアリーはホッとした。と、トーマはフェアリーの手を握り、軽く笑顔を作った。
「え?あの ‥‥‥トーマさん?」
突然の事で真っ赤になって動揺するばかりのフェアリーに、トーマは
「悪ぃ、カレン。なんか眠くてさ。三十分経ったら起こして……くれ……よ……」
言いきるかどうかというところで再び目を閉じた。よほど疲れていたのだろう。その身を案じる気持ちは無論あるが、今はショックの方が強かった。今、ここにいるのは自分なのに。握られたままの手が、なんだか恨めしい。だけど振りほどけない。複雑な気持ちのまま身動きがとれずにいると、玄関チャイムの音が聞こえてきた。これを機会にと、そっと手を離し体に毛布をかけてやってから、インターホンを取りに行った。画面に映っているのはフェアリーが最も見たくない顔。こんな時にと、無視したい衝動を抑えつつ、しぶしぶ応対をした。
「はい。今日はどういったご用件でしょう」
『いきなりケンカ腰かよ。言っとくけど、前もってレオンとは約束をとりつけてあったんだぜ。あいつは?』
「トーマさんは、今は出られません」
『なんだ、それ?レオンは約束を破るヤツじゃないと思うがな。仕事か?』
「いえ、あの」
明らかに様子がおかしい。ゲイルはインターホンのモニターに映るフェアリーの表情がくもっている事に気付いた。
『おい。何かあったんだろ。とにかく開けろ』
「でも」
『でもじゃねぇ!だーっ、もう!開けなきゃドアを蹴破るぞ!』
この時代の扉は、そんなに簡単に蹴破れるものではない。が、ゲイルの剣幕に押され、また約束もしていたと言うので、フェアリーはドアを開けた。
「それで、レオンはどこだ?」
「向こうの部屋に。さっき突然倒れて……」
「倒れた?どの部屋だ?案内しろ」
先日なら「偉そうに命令しないでよ」と反発していたところだろうが、今は状況が状況でもあり、黙って部屋に案内した。ゲイルは横たわっているトーマに近寄り、脈を測ったり眼球を確認したりして無事を知るとホッと息をつき、フェアリーを振り返り見た。
「どうやら大丈夫らしいな。今日この後、仕事の予定は?」
「十七時から一つと、夜に二つ」
「緊急性は?」
「夕方の仕事が、今日来た依頼の話を聞きに行かなきゃいけなくて。先方が多忙な方だから、その時間じゃなきゃダメだとか」
「今日来た依頼?で、先方が多忙という事は例の呪いの館の件か。分かった。それは俺が代理で聞いてくる。後で先方に連絡を取って、代理人認証パスワードをくれ。残りの二つは大丈夫なんだな?」
「期限が三日以内というものと、二週間以内というものだから大丈夫です」
「よし!それじゃあお嬢さんは至急、ウエスト・コースト地区の市長に連絡してくれ。それから今日は緊急の仕事も全部断れよ」
「でも、勝手にそんな事をしたら」
「文句は俺が引き受ける。損失分の賠償をしろってんなら払えるだけ払う。とにかく、こいつは今日は休ませろ。いいな?」
言うなりゲイルはトーマを抱えあげ、ベッドに寝かせた。完全に熟睡しているらしく、トーマに起きる様子は見られない。それにしても意外というか……ハッキリ言ってしまえば、自分に対する軽い態度のせいで、フェアリーは完全にゲイルの事を見誤っていた。トーマが優秀だと言っていたのが、さっきの一連の言動でよく分かる。フェアリーは仕事のことまで考えが及ばなかった。ただ自分が無能なだけかもしれないが。トーマの『カレン』の一言に動揺し、その事にばかり気を取られていたのだから。
用事を済ませて部屋に戻ると、ゲイルはエアクリーナーの側でタバコを吸いつつ、ぼんやりとしていた。そしてフェアリーに気付くとタバコの火を消し、お疲れさん、と片手をあげてウインクした。
「あの……ありがとうございます」
「あ?何が?」
「私、今日の予定をどうするかとか全然考えられなくて。朦朧としながらだったけど、三十分経ったら起こしてくれって言われたから、そうしちゃってたと思うんです。トーマさん、こんなに疲れているのに」
「まあ仕方ないさ。日頃のレオンの頑丈さと金に対するこだわりを見ていたらな。仕事のキャンセルなんざ出来ねえって思うだろ。それにしてもまず救急車くらいは呼んでいても良かったと思うけどな」
「‥‥‥ごめん‥‥‥なさ‥‥‥」
フェアリーの両目から大粒の涙がこぼれた。ゲイルが驚いて呆然としている先で、やがて両手で顔を覆って本格的に泣き出した。
「お、おい。俺、そんなキツい言い方したか?なら悪かった」
「違うんです‥‥‥私‥‥‥」
「レオンが心配なのか?だったら大丈夫だって」
また首を横に振る。ますますワケが分からない。困惑しつつ次に取った行動は、再びタバコを取り出すことだった。
「困るだろ。ワケも分からず突然泣かれたら。弱っている女を抱きしめてなぐさめるってのは、おいしい役目だが、そんな事をしたらレオンに殺されそうだし。そもそも、ちょっと卑怯って気もするしな。それとも、そうして欲しいか?」
当然これも首を横に振った。ゲイルは残念とばかりに肩をすくめて苦笑した。
しばらくそのままでフェアリーは泣き止まず、ゲイルは座ってタバコを吸っていたが、そんな重苦しい空気を吹き飛ばすようにトーマが目を開け、勢いよくガバッと起き上がった。
「やべっ!俺、もしかして寝てしまっていたか。今、何時だ?」
「寝ていたんじゃなくて倒れたんだよ、バカ!時間なんかどうでもいいから寝てろ!」
「ゲイル?そうか。今朝、昼から会う約束をしていたな。悪ぃ。時間が大丈夫だったら、例の情報を聞かせてもらえるか」
「だからっ!時間なんかどうでもいいって。今日は仕事はやめにして休んでろ!役所の話は俺が聞いてくるように、お嬢さんが手続きしてくれたし、他の仕事も急を要さないんだろうが」
「なんでお前が。俺が他人より丈夫に出来ているのは知ってるだろ。もう平気だ」
「借金がかさんでいて今日が返済期限とかいうんじゃねえだろうが。一日休んだってどうってこたねえよ。俺だってフリーの情報屋だ。時間なんかいくらでも作れる。明日でも明後日でも、お前の都合のいい時間にまた来るから、今日は休めよ。な」
真面目くさって説得するゲイルを見て観念したように溜息をつき、トーマは再び横になった。そうして落ち着いて、初めてフェアリーもいる事に気が付いた。泣き顔である事にも。
「どうした?お嬢ちゃん。俺が心配かけたからか。ごめんな」
「う、ううん。心配したけど、ゲイルさんが大丈夫だって励ましてくれたし、仕事の方の手配も指示してくれたから」
「そっか。色々面倒をかけてしまったな、ゲイル」
「いいや。俺が勝手にやったことだ。知らない仲じゃあるまいし、気にすんなよ」
「気にする?誰が」
「はいはい。お前が気にするわきゃないわな。ったく、可愛げのないヤツだな」
「男が可愛くてどうする」
「そう言うがな、可愛くない女より可愛い男の方が百万倍いいぞ。お前も顔だけ見ていたら需要がありそうなのに」
「お前はそのままで需要あるだろうよ。体格とか。多分モテモテだぞ。俺につきまとってないで、そっち系のヤツらがいる店にでも行ってこいよ」
「俺はお前の方がいいんだけどなあ」
「本気でやめろ。変な目で見るな。マジで気持ち悪い」
テンポの良い掛け合いに、フェアリーは思わず吹き出してしまった。先日の駆け引きに終始したようなやり取りとは大違いだ。この二人は、本当は気が合うのではないか?こんな普通の青年っぽいトーマを初めて見た。
笑われた方の二人はと言うと、沈んでいたお姫様が少し元気が出たことで安心していた。トーマは本当に回復しているらしく、よろける事もなく立ち上がると、フェアリーの頭にポンッと手を置いた。
「顔、洗って来いよ」
「うん。そうする」
フェアリーは小走りに部屋を出た。落ち込んで、立ち直って、怒って、喜んで‥‥‥二年間こんな事の繰り返しだ。だけどトーマに会うまでは家族も、他人も信じられず(他人に関しては、まだ完全に受け入れられるわけではないが)、無為に毎日を過ごしていたのだから、やはり今は幸せなのだと思う。たとえ気が緩んだ時に彼の口から出る名前が、自分のものでなくても。
(そうよ。最初に覚悟した事なんだから。しっかりしなくちゃ)
切なく苦しいのは当たり前なのだ。妻がいる相手を好きになったのだから。そんな風に自分に活を入れ、洗面所に向かった。