第十九話『カレンの声』
最初はただ、もう一度会いたいだけだった。が、ゲイルからの連絡を待って一年経ち、二年経ち、会えない日数を積み重ねる毎に何かが狂っていった。「レオンは私を避けたくて連絡をくれないんだ」「新しい女が出来て私の事なんか忘れてしまったんだ」と。ゲイルを待っていられず、トーマについて自分であらゆる手を使って調べた。金ならあった。開発した薬品の特許権収入があるから。
時間はかかったがトーマを見つけた。今は『レオン・ソープ』ではなく『トーマ・イガラシ』という名前で、ミラー家三男の養女と一緒に暮らしているという。しかもゲイルも一緒にいるらしい。この女がいるから私の所に帰ってきてくれないんだ。ゲイルもレオンを見つけているのに連絡をくれないのは、きっとこの女にたぶらかされて私を裏切ったからだ。そう思った。
フェアリーはお嬢様だ。精神的に追い詰めたら実家に逃げ帰るだろうと思っていた。が、無言電話をしても銃で撃っても逃げ帰る様子はない。泣いて逃げ出せば見逃してあげようと思っていたのに可愛げがない。自分とトーマの間を裂いている元凶なのだから、殺されても文句は言えないはずだ。
トーマとゲイルの後を尾けて廃屋へも行った。調べてみると、そこは呪いの噂のある場所で、死者が大勢出ているためにトーマに依頼が行ったのだという。何か彼の役に立てないかと何日か廃屋で張っていたところ、高校生くらいの集団が現れた。慌てて隠れると『銀髪野郎』だの『殺す』といった事を話しているのが耳に入ってきた。何らかの機器を取り付けている様子も見えて、ここで人が死んでいるのは呪いなどではなく、この少年達の仕業なのだろうと、そしてトーマまで殺そうとしていると判断した。許せない……トーマが被害に遭う前に少年達を殺してやる。そう決めて、すぐに溶解液の気化を思いついた。少年達が必ず通る所に当たりをつけ、どの程度の効果範囲が必要か、トーマが次にいつここを訪れるか分からないので、気化した溶解液が効果を失うまでの時間はどれくらいか、計算しなければならない。薬品の購入は頻繁にしているので怪しまれる恐れはないが、用途は虚偽の報告をしてもバレてしまう。成果報告が出来ないからだ。そうなると報告義務違反で捕まる。邪魔な女も殺せなくなるし、トーマと再会して再び一緒にいる事も出来なくなる。ならば死んだ事にして報告が不要な状態にすればいい。そうしてベンジャミン・シティの警察に金を掴ませ、死亡報告書を書かせた。自分の身代わりの遺体は、損傷が激しく似た年頃で似た背格好の女にしてもらって。
死んだ事になれば結局I・Bを持たない不審者として捕まり、トーマと一緒にいるも何もなくなるのだが、もはやこの時のレティシアには、そのように単純な論理的思考すら出来なくなっていた。
トーマに拒絶されたと感じた事で、曇っていた視界が開けるように、リブリーを出てから今までの行動が整理できた。自分は何をしてきたのか。これから生きていく術を失くし、人を殺して……
「あ……あ……いやあああぁぁぁぁぁ!!」
「レティシ……っ!」
パニックに陥ったレティシアは、トーマの足を撃ち抜いた。二発、三発と。
「トーマ!」
「トーマさん!」
フェアリーのトーマを呼ぶ声を聞いて、今度は彼女に向けて撃とうとしたが、それはトーマによって阻止された。
「レオン……ごめんなさい……ごめんなさい……一緒に、リブリーへ…………」
そう言いながらトーマの頭部に狙いをつける。もはや発狂したようにしか見えない。このままだとフェアリーのみならずゲイルも危険だと思い、レティシアの手から銃を取り上げた。
「本当にいい加減にしろ!今ならまだ見逃してやる。I・Bを戻す手配もしてやるし、ガキ共を殺した件も揉み消すよう掛け合ってもいい。だからお前はリブリーに戻って前のように静かに生きていけ!」
「あなたがいないのに……そんなの意味がない」
「意味がないか。分かった。戻る気はないんだな」
トーマの声が一層低く冷たくなったと思ったと同時に、トーマの手にナイフが握られていた。レティシアは間近で見た。トーマのトパーズの瞳がピジョンブラッドのルビーのような真紅に変わっていくのを。
元々色白の人ではあった。が、今は普段より更に白く見える。そして肌の見えている部分にうっすらと浮かんでいるタトゥーのような模様。顔は知っている人のものなのに中身が魔物か何かに乗っ取られたような、そんな非人間的な雰囲気だ。
「レオン……じゃないの?……あなた誰?」
「俺は『化け物』だ」
そう言ってニヤリと笑う顔に、先刻までの狂乱も忘れてレティシアはゾッとした。
背後からその様子を見ていたゲイルにも、顔は見えなくてもトーマの雰囲気が異様なものになったのが分かった。あれほど我を失っている風だったレティシアが、愕然として青ざめトーマを見ている。何か異変が起きている事は確実だ。
「……なあ、フェアリー。あそこにいるのは誰だ?」
「トーマさんです」
「何か様子がおかしい」
「そうですか?私にはそう思えませんが。ただ……」
トーマの『あの姿』を見るのはナンシー誘拐事件の時以来だ。自分は同じ実験体という事情もあって、殺されずに済んだ部分はあると思うのだが、ゲイルが『あの姿』を見たらどうなるのだろう?やはりトーマは殺そうとするのだろうか?
(レティシアさんは殺すつもり……なんだよね。仕方ないとは思うけど、いいの?トーマさん。後で辛くならないの?)
フェアリーとゲイルが何も言えずに見守る先で、トーマがナイフを持つ手を持ち上げた。そして
「さよならだ、レティシア」
(……トーマ)
「!?」
カレンの声が聞こえた気がしてトーマの手が瞬時に動きを止めた。殺される事を覚悟していたレティシアが、トーマの動きが止まった隙を見て彼の横をすり抜け、ポケットから液体の入った小瓶を取り出してフェアリーに向けて投げようとした。
パンッ!という銃声が響いたと同時に小瓶は割れ、中から零れた液体がレティシアの手にかかった。
「きゃぁぁぁぁぁぁ!!」
液体がかかった部分が瞬時に溶け、瞬く間に骨が見えるまでになったのを見て、トーマは「ちっ!」と舌打ちをし、レティシアの腕を切り落とした。その際、トーマの手に握られていたナイフが伸び、小太刀程度の長さになるのをゲイルは見た。
「謝らないぜ、レティシア。俺はトーマと約束したんだ。フェアリーを守るってな」
そう言いながらも銃を持つゲイルの手は震えている。切り落とされたレティシアの腕は主に液がかかった周辺は骨まで溶け、雫が飛んだらしい所も肉は溶けている。これをレティシアはフェアリーに投げようとしたのだ。トーマの足を撃った事もあり、もう救えないと思ったゲイルは、再び銃を、今度は致命傷を与えられる場所に向けた。
(ゲイルさん!)
「え?」
「ゲイルさん!」
引き金を引く指に力を込めようとした時であった。風に乗って女性の声が聞こえた。一瞬フェアリーかとも思ったが、その声とほぼ同時に彼女の声で呼び止められた事もあり、別人の声と分かった。
レティシアは腕を押さえ、あまりの痛みにうずくまっている。そこへ近付いたトーマは一度天を仰いで大きく息を吐き出し、それからレティシアを見下ろした。
「レティシア。お嬢ちゃんは俺の大切な家族だ。それを殺そうとしたお前を到底許す気にはなれない」
「…………レオ……ン…………」
「だが一時は一緒に暮らした仲だ。死んで欲しいとまでは思わない。だから今度こそ俺を忘れて生きていってもらう」
その言葉を聞き届けられたかどうか。レティシアは出血のため気を失った。トーマはレティシアを抱き上げて家に向かって歩き出し、
「お嬢ちゃん、ゲイル。溶解液は気化器用に調整されたものではないようだが、とりあえずこの場からしばらくは離れておいた方がいい。家に入るぞ」
そう促した。
「お前、足は……」
「言っただろ?俺は痛覚を鈍くする手術を受けているから平気だ。レティシアの腕の処置が終わってからでも自分で手当てする」
トーマの瞳は真紅のままで、肌に模様も浮いている。耳も少し尖っていないか?とゲイルは思った。それに何よりまとっている雰囲気が人間のものではない。しかし、そんな事はどうでも良かった。トーマはレティシアに「一時は一緒に暮らした仲だ。死んで欲しいとまでは思わない」と言った。そんな人間が人を取って食う化け物であるとは思えない。フェアリーやナンシーが言ったように『人は大した理由もなく人を殺す魑魅魍魎』だが、トーマは少なくとも無闇に人を殺す事はしない、極めて理性的な『化け物』なのだ。今回関わった二つの事件でよく分かった。そして、そうと分かっただけでそれ以上望むものはなかった。
家に入ったトーマはレティシアの腕に応急処置を施して、後に警察に連絡をした。
彼女は個人的に恨みもない少年達を残虐に殺した殺人犯だが、死亡の偽装をしてまでの犯行や、栄養不足で瘦せ細っている事から、心身ともに異常を来していると見られるため、『要 人格矯正施設への入所』『要 記憶調整』(犯罪に走る契機となったとして、リブリーにて命を狙われていた事件以降の記憶を消去。平穏な日常の記憶を代わりに植え付ける)という文言と、彼女の犯行である証拠。そしてこういった事情なのでI・Bの再登録と口座凍結の解除、義手の製作および取り付けにかかる費用を《廃屋事件の過程で発生した経費》としてウエスト・コーストに請求する旨も添えて警察に引き渡した。
それら一連の手続きを済ませて、さすがに疲れを感じたトーマが一服しようとコーヒーを入れ、リビングに行くと、フェアリーとゲイルが無言でソファーに座っていた。テーブルにコーヒーサーバーをドンッと置き、カップボードからカップを三つ取り出してコーヒーを注ぐ。
「難しい顔をしていないで飲め」
「……美味しい」
「……ああ。美味いな」
再び沈黙が訪れる。ただ黙ってコーヒーを飲む時間が五分ほどになった頃、ようやくトーマが口を開いた。
「なあ、ゲイル。さっきのどさくさで何か見たか?」
これは当然トーマの変貌を指している。ゲイルもそれと分かったが
「何の事だ?」
と、しらばっくれた。
「そうか……なら、いい」
このやり取りでトーマにゲイルを殺す気がない事が分かり、フェアリーはホッとした。ゲイル自身も、トーマにとって不都合なものを見てしまったと分かっていたので、殺される覚悟もある程度していたのだが。
「お嬢ちゃんを守ってくれてありがとうな」
「それが条件でここに置いてもらったし、そもそも俺もフェアリーを守ると誓っていたからな。当然だ」
「お前がレティシアを撃てるとは思っていなかったよ」
「何が一番大事か考えた時に、フェアリーを守る事だと思ったんだよ。何の罪もないこの娘が言いがかりに過ぎない恨みを抱かれて攻撃を受けるのはおかしいだろうと。レティシアは完全に正気を失っていたし、あのまま撃たずに見過ごしていたら取り返しのつかない事になっていただろ」
「そうだな」
「それに、お前だってレティシアを殺るのはいい気がしないだろう、そうであって欲しいと思ってさ。殺るなら俺の手でと決めていた」
「で、最後の最後に躊躇したのはお嬢ちゃんが止めたからか?それとも、やっぱり殺すのに忍びなかったのか?」
「……いや。そのどちらでもないな」
「?」
ゲイルは何か考え込むような顔をして、しばらく黙り込んでいたが、やがて軽く笑うと首を横に振った。
「いや、いい。俺の聞き間違いだ。忘れてくれ」
「聞き間違い?気になるだろ。教えろよ」
「俺が聞いてもお前は大抵何も教えてくれないくせに。勝手な奴だな」
そうゲイルは苦笑した。そして
「俺が殺す覚悟をもってレティシアに銃を向けた時だ。軽く風が吹いてな。その風と一緒に『ゲイルさん』と、俺を制止する声が聞こえた気がしたんだよ。知らない女の声だったが、何故か知っているような……いや、違うな。優しい、懐かしいような気がする声だったな」
と言った。
トーマの事だ。「バカバカしい」と一笑に付されるものとゲイルは思っていた。しかし予想に反して彼は驚いたような顔をしている。
「なんだ?心当たりがあるのか?」
「さあな」
間を置いてトーマは笑った。少し困ったような、嬉しそうな顔をして。その顔を見てゲイルは何となく悟った。もしかするとあの声は『カレン』なのではないかと。少なくともトーマはそう思ったのだと。
(もう一度あの写真を見たいな。最初はトーマの事ばかりに気を取られて、一緒に写っていた人間の顔は見なかったからな。恐らくあそこにご先祖さんとカレンという人も写っていたはずだ)
あの時は、周りに写っている者達がトーマによって殺された犠牲者であるという可能性も考えていたので、そこにある笑顔も偽りかもしれないと思ったのだ。しかしそうではなかった。最初にカレンの写真を見せた時、あいつを忘れるくらいなら無になる事を選ぶと語った時、『親友』の話を語った時、そして今の表情。他人に心を見せたがらないこの男が、ゲイルにもこんな人間味あふれる表情を見せる相手だ。親愛の情がなかったはずはない。それを知る事が出来て、ここへ来て本当に良かった。心からそう思う。




