第一話『ゲイル、来訪』
翌日、約束の時間にトーマは家にいなかった。緊急の仕事が入ったのだ。
8番街から車で二十分ほどの場所にあるマンションでガス爆発があり、現在も燃え続けているらしい。もちろん消火は消防隊の仕事である。トーマに舞い込んだ依頼は、三十五階建てマンションの最上階に取り残されている幼い子供二人の救助だった。その子達の親は昨晩から遊びに出ているらしく、家にはその二人しかいないとの事だ。
レスキュー隊はヘリで救助しようとしているが、階下の火勢があまりにも激しく、二次爆発の危険も高いことから、なかなか手が出せない状態が続いている。そこでトーマにお呼びがかかったのだ。この場合の仕事料は、依頼をした消防局が所属する市から仕払われる。
トーマは不死身で、火傷を負ってもすぐに治ると分かってはいる。だが、だからと言って危険な仕事に変わりはない。すぐに治っても痛みがないわけではないのだと、フェアリーは身をもって知っているから。自ら剣で切った傷。すぐに消えはしたが、しばらく疼くような感覚があった。燃えさかる炎はどれだけ熱いだろう?少しも怖くはないのだろうか?命に関わりはないとしても。そんな事を考えると、フェアリーの胸は張り裂けそうに痛んだ。そして幼い子供を置き去りにして遊びに出かけた親のせいでトーマが危険な目に遭うと思うと、また人間に対する不信感が湧き上がってくるのだった。
昨日の男の連絡先をトーマは知らないという。そこでフェアリーが留守番をする事になった。うさんくさい男ではあるが、どうやらトーマ自身に用があるらしいので、当人が留守だからといってフェアリーに何かするとは思えない。それでも心配が全くないとは言えないが、いかんせん子供達の命がかかっていて、迷っている時間がなかった。そういった事情で、さしあたっての男の対応を任されたわけだ。「面倒だったら殴って気絶させて、柱に縛り付けておけ」などと、トーマは笑いながら過激な提案をしたが、万が一襲いかかってこようものなら本当にそうしてやると、いつもは出窓に置いている花瓶をテーブルに置き、準備万端とばかりに男を待った。
いい加減そうに見えた男だが、意外にも約束の時間の三分前にやってきた。
「よ!今日も美人だねえ、お嬢さん。上がっていいのかな?」
「どうぞ」
ニコリともしないでフェアリーは言った。その後リビングに案内する道すがら、トーマの不在と、その理由を告げようとした。が……
「相変わらず、あいつは危険な仕事ばっかり引き受けるねえ。レスキューも手が出せないような救出依頼なんざ、無視すりゃいいのに」
「!どうして、さっき入ったばかりの仕事を知っているんですか?」
「そりゃあね。ガス爆発火災で子供達が取り残されてるって情報を聞いて、“8番街のトーマ・イガラシに救出を依頼したらどうだ?”と、消防局に連絡したのはオレだから」
「え‥‥‥?」
「本当はレスキューでも、やれない事はない仕事なんだけどな。金さえ出しゃ、どんだけ危険で汚い仕事でもレオンがやってくれるもんだから、すぐに頼る。そのクセ普段はならず者扱いで誰も寄り付かねぇ。まったく勝手な奴らだよ」
「白々しい事を言わないで下さい」
「白々しい?何で?」
「本当にそう思ってるなら、わざわざ消防局に電話なんかしないでしょ。嫌がらせですか」
「まさか。単なるジョークさ。そんな怖い顔すんなよ。ま、怒っても美人だけど」
話す言葉、肩をすくめる仕草、何もかもがわざとらしい。よくもこんな芝居じみた態度がとれるものだ。
「とにかく、おかけ下さい。すぐにお茶を持ってきますから」
「TEA?レオンが好きな日本茶か?あれは苦すぎて俺はちょっと」
「トーマさん日本茶が好きなんですか?飲んでるの見た事ありませんけど」
「あいつは地球の日本出身だろ。日本茶が好きなのは当たり前だと思うぜ」
さりげなく放たれた言葉に含まれた意味に、フェアリーは敏感に気付いた。自分はトーマが日本生まれだという事を知っているが、外見年齢で見ればトーマは宇宙都市生まれで国籍など関係がない。それに地球のアジア系の人は、髪も瞳も黒くて肌は黄味がかっているはずだ。トーマは見た目からして日本人とは違う。それとも彼には地球生まれだと言ってあるのだろうか?とにかく下手な事は言えない。
「へえ。トーマさんって日本出身なんですか。初めて聞きました」
「ふ~ん。一緒に住んでいるのに?」
「トーマさんは自分の事をペラペラ話す人じゃありませんから」
「本当に冷たいヤツだな。そういうとこ、一生変わらないんだろうな」
「あなたには関係のない事です」
いちいち相手にしていられない。フェアリーは無視してキッチンに向かった。男は「お~、怖っ!」と肩をすくめ、彼女の姿が見えなくなると、隠すように飾られている写真に目を向けた。トーマとカレン、そして仲間達が映っている写真だ。
「写真ねえ。あいつのガラじゃないと思うんだけどね」
写真立てを手に取り、そこに写っているトーマを見た。みんな仲が良さそうに笑っている。が、本心はどうだったのだろう?ここに写っている全員がお互いを信頼し、心から友情を感じていたのか?
「信頼・友情……くっ、それこそあいつらしくない」
「‥‥‥そうだな」
「っと、いきなり背後に立つなよ。驚くだろ」
いつの間にかトーマが帰ってきて、男の背後に立っていた。気配などまったくなかったのだが、突然声をかけられても実際には驚くことなく、笑いながら両手をあげて振り向いた。
見るとトーマはススだらけで、両腕が腫れている。色々な現場を見慣れている男は、すぐにその腫れが骨の異状によるものだと見抜いた。
「また強引な方法でやっただろ。病院に行かなくていいのかよ。なんなら付き添うぜ」
「いらねえよ。こんなものすぐに治る。シャワーだけ浴びれば充分だ」
「骨やられてんのに温めてどうするんだよ」
「俺は医師免許も持ってるんだぜ。そんな事、言われなくても分かってる。が、俺にはいらん心配だ」
トーマは男を無視して、とりあえずシャワーを浴びようと動き出した。と、そこへフェアリーがコーヒーを持ってリビングに戻ってきた。
彼女はトーマの姿を見るなりコーヒーを乗せたトレイを脇の台に置き、すぐさま駆け寄った。
「トーマさん、お帰りなさい!手、どうしたの?すごく腫れてる。まさか折れたの?」
「ああ。最上階まで助けにいくのが面倒だったから、飛び降りさせて受け止めたはずみにちょっとな。折れてはいないから心配しなくてもいい。分かっているだろ?」
トーマの体は、異状をきたすと自己修復を始める機能があるらしく、普通の人間であれば命に関わる病気や怪我でも自然に治る。それはカレンや他の仲間達、恐らくはフェアリーも同様で、老化した細胞も修復する事から不老不死になったと思われる。とはいえ修復機能が働きやすい場合とそうでない場合はあるようで、外傷には強いが骨まで損傷した時、毒や異物が体内に入っても分解、体に害のないものにして吸収するが、風邪などの病気にかかった時などは、少々修復に時間がかかる。トーマ達がこのような体になったのは研究者達にとっても偶然でしかなかったようなので、その理屈は誰にも知りようがない。
トーマは「折れてはいない」と言ったが、現在は骨に異状があるというレベルまで治っただけで、実際に現場では酷い骨折をしていたのだろう。修復はしているので、もう少しすれば完治すると分かってはいる。だが。
「分かっているけど……心配するなっていうのは無理だよ」
「ははは。慣れろよ、いい加減。でも、ありがとな。とにかく客を待たせている事だし、シャワー浴びてくるから、もうしばらく待っていてくれ」
トーマはフェアリーの頭を撫でると、リビングを出て行った。フェアリーは心配そうに、いつまでもその後姿を見送っていたが、男が近づいてきた気配がしたので素早く身を翻し、その場をとびのいて身構えた。
「おいおい。何だよ、それ。俺は別に何もしやしないぜ」
「単なる条件反射です。気にしないで下さい」
「条件反射ってなあ……ん?お嬢さん、泣いてんのか?」
「同居人がケガして帰ってきたのに、平気でいられるほど腐ってませんから」
「同居人ね。素直じゃないな。ハッキリと『恋人が』と言えばいいのに」
「恋人じゃありません」
「顔には書いてあるぜ。レオンが好きだって」
「好きです。私が一方的に。だから恋人じゃありません」
あまりにもストレートに、なおかつ即答されたので、男は反応の選択に困ったようだった。が、しばらくすると真面目な顔をして頭をポリポリと掻き、はあ~っと息を吐き出した。
「ひとつ忠告しておく。レオンの事は出来るだけ早く諦めた方がいい。あいつは、ずっと一緒にいてくれるヤツじゃない」
「どうしてあなたにそんな事が言えるんですか」
「あいつは死にたがってるからな。今日ぐらいの仕事でいちいち泣いてたんじゃ、いつか体中の水分がなくなって生きながらミイラになっちまうぜ」
「は?何を言ってるんですか?」
「マジで分からないって顔だな。考えてもみろよ。レオンは何故、わざわざ危険な仕事ばかり受けるんだ?」
「それは来る依頼が、そういうものばかりだからに決まってるじゃないですか」
「個人でやってるんだ。命の危険がある仕事なら断ったっていいんだぜ?そうしたからって誰にも責める権利はないんだからな。だけどあいつは、危険だと思える仕事ほど断らない。誰もやらないから自分がやる。俺には出来るからってね。ただし、それなりの金は取ってるようだが、それだって命に換えられる額じゃねえだろう。何故だ?答えは簡単だ。死んでもいいって思っているからさ」
この男は何を言ってるのだろう?トーマが死にたがっているはずがないのに。生きなければいけないから。カレンの、子供の命を預かり、人でないものにされた仲間達の楽園を作って、いつか皆で一緒に暮らすために。それに死ねない体だから、危険な仕事でも大丈夫だと分かっているから……
(ちょっと待って。“死ねない”?それに生きなきゃいけないって……それって義務感ってこと?仲間にカレンさんを幸せにしてくれって頼まれたから、それを果たす責任があるって事だけ?本当は……本心は知らない。聞かされてない。そうしなきゃいけないって、それしか)
考えないようにしてきた事だった。簡単に大金を稼ぐのには、これが一番いいという理由だと、信じ込むようにしていた。だが本当は何度も思っていたのだ。何故こんな危険な事ばかり、と。
(だけど、だからってどうなるものでもないじゃない。私が危険な仕事は避けてって言ったって、やめてくれるはずないもの。本心で死にたがっていても、義務感からだって生きていてくれれば)
動揺しているフェアリーは、男が目の前に立ったと気付くのが遅れた。気付いた時には腰を引き寄せられ、顎を持ち上げられていた。
「おーおー、カワイイねえ。涙を浮かべちゃって。そんなにレオンが好きなんだな」
「は、離して下さい!」
「前にいた所でも、あんたみたいにヤツに惚れていた女がいたよ。いや、正確には今でも忘れていないがな。いい女でさ。なのにレオンは、ある一定の線以上は踏み込ませなかった。依頼とはいえ、ひたすら守って願いを聞いてやって、惚れられる事くらい想定してるはずだろ。でも金を受け取ったら、そのまま姿を消しちまいやがった。あいつ、その後泣き暮らしてたよ」
「だから何なんですか。依頼だったんでしょ?だったらトーマさんに責任なんてありません。それより」
「ああ、分かってるよ。レオンに責任はないさ。しかしズルいよなあ、あいつ。あの雰囲気は反則だろ。元々愛想のいい方じゃないが、だからこそ不意に優しくされたら、女なんか一瞬で惚れちまうんじゃねえの?ま、本人は気付いていないかもしれねえけど」
「何が言いたいんですか?」
「別に。いい女が泣くところは見たくないってことさ」
「放っておいて下さい。泣きたくないなら、最初からトーマさんと一緒に暮らしたりなんてしません。承知の上だもの。トーマさんに私の思いは届かないって」
「口で言うほどに、心は納得してるのかね」
「うるさい!離してってば!」
フェアリーが男を突き飛ばそうとすると、その前にトーマが男の背後から首にナイフをまわした。
「お嬢ちゃんを離せよ。でないと問答無用で切る」
「俺を殺しても金にならないぜ」
「それでも、だ。俺だって損得抜きで殺しをする場合もある。本当かどうか試したいなら、あえて離さずにそのままいればいい」
「いや。遠慮しておくよ。お前は怖いからな」
男はすぐに両手を上げてフェアリーを離した。トーマはフェアリーの肩に手を回して引き寄せ、ナイフで男を威嚇しつつ少し離れて彼女の方を見た。泣いてはいないが、目を真っ赤にして激しく落ち込んだ表情をしている。
「ゴメンな。やっぱりお嬢ちゃんを一人にするんじゃなかった」
「トーマさんは悪くない。私こそごめんなさい。留守番なんて子供でもちゃんと出来るのに」
「大人には大人の危険があるからな。俺がもっと気を遣うべきだった」
フェアリーはトーマに頼りきっているように抱きつき、トーマも優しく抱き返している。その様子は恋人同士と言うより、まるで親子のように男の目に映った。何故そう思えるのかは分からないが。奇妙な光景と言ってもいいかもしれない。
「あのなあ、さっきから聞いていたら、まるで俺が強姦魔の極悪人みたいじゃないか」
「そう言ってる」
「きっぱり言うな!俺は情報屋だ!その俺が、よろず請負業をしている人間を敵にまわすかよ。仕事がなくなっちまうだろうが」
「知るか。現にケンカを売っておきながら何を言う」
「俺はお前とケンカするために来たんじゃねえよ。聞きたい事があって来たんだ」
「聞きたい事だと?秘密がどうとか言ってなかったか?」
「ああ。それに関して聞きたいんだ。もし間違いだったら、とんでもなくバカバカしい話だし、俺も未だに信じられない。と言うか、とにかく聞いてくれ」
トーマとフェアリーは顔を見合わせた。まさかとは思うがSWORDの事を言っているのだろうか?あまり自分の事を話さないトーマだが、SWORDの正体がトーマだと知っていて生きている者はフェアリーと、彼女の母親しかいないというのは聞いている。だから、この男が知っているはずはない。が、情報屋という職業柄、何らかのキッカケで知ってしまったのかもしれない。知っているのだとしたら、無視するというわけにもいかない。
「いいだろう。聞かせてもらう。お嬢ちゃん。悪いけどコーヒーを淹れ直してきてくれ」
「あ、冷めちゃってるよね。うん、分かった」
フェアリーは、トーマが帰ってきてからそのままにしてあったトレイを持って、再びキッチンへ走った。
「お嬢ちゃん、か。お前はまた、優しくしておいて受け入れない事を繰り返すつもりか」
「あの子には最初から言ってある。俺と一緒にいると辛いぞ、と。どれだけ分かっているかは疑問だが、約束したからな。あの子の母親と。面倒をみるってね。で?そんな事を言いに来たわけじゃないだろ。いい加減、話したらどうだ。ゲイル」
「OK。じゃあ座らせてもらうぜ」
ゲイルという名の男は、遠慮なくドカッと音をたててソファーに座った。そして図々しくも家の主であるトーマに対して、どうぞと、向かいの席を手で示した。トーマはこの男がこういう人物だと分かっている。だから今さら怒ったりはせず、ただ呆れた顔をして腰掛けた。