第十七話『君を守る』
家に着くと、トーマは早速少年たちのカメラの映像を検証する事にした。
フェアリーは夕食を作るとキッチンへ行き、気落ちしているゲイルには「部屋で一人で落ち込んでろ」とトーマは言ったのだが、フェアリーの護衛だけでなく情報屋としても使ってくれ、という条件で居候させてもらっているのだからと、トーマの検証に付き合うという。
「……好きにしろ。ただし何を見ても動揺するなよ。検証を手伝うなら冷静にやってくれ」
「分かっている」
ゲイルの返事に肩をすくめたトーマだが、邪魔だからくるなとは言わない。それに甘えてついて行きつつ思う。
(何を見ても動揺するなとは、どういう事だ?レオンはカメラに何が映っているか分かっているのか?)
そう言えば車の中でも、レティシアが死んだと聞いた時の反応が微妙だった気がする。冷たい性格だからとか、レティシアの事などどうでもいいから、などといった雰囲気ではなく、その報告が心底意外そうに見えたのだ。やはりトーマはレティシアが廃屋事件かフェアリー襲撃、もしくは両方の事件の犯人だと見ていたという事か。トーマの部屋に入り、まずその事について聞いた。
「ガキの話によると、お嬢ちゃん襲撃にガキ共が関わっていたのは車を使ったものだけらしい。無言電話や銃での襲撃は別人ってことだ」
「ガキの証言が嘘って可能性は?」
「こちらからどういう襲撃を受けたかという話はせずに、向こうが何をしたかだけを聞いたからな。恐らく正しいだろ。ま、罪を過少に申告したとも考えられるが、他にやった事が事だし、一個二個ごまかしたところで意味はない上に、俺にバレた時のリスクを考えると嘘はつけないと思うぜ」
「なるほどな。それで第三者ではなくレティシアに当たりをつけていた理由は?」
「お嬢ちゃんに関しては動機があるからな……。とりあえずゴチャゴチャ話すより映像をチェックさせろ。話はそれからだ」
そうして話を打ち切り、トーマは少年達が仕掛けていたカメラの映像を流し始めた。
延々と流れる何の変化もない廃屋内の映像。そこに変化が訪れたのは一昨日だった。トーマが廃屋を出て三十分ほど後、ガリガリに痩せ細った女性が入ってきた。
「あれは……レティシア……なのか?」
ゲイルが訝しげに呟く。見知っている彼女と、まとっている雰囲気が違い過ぎるためだ。映像がそれほど鮮明ではなく、顔がハッキリと見えないのもあるが。
トーマはそこで一時停止し、女性の顔の部分をクローズアップした上で映像を鮮明化した。青白い顔色にゲッソリと痩けた頬。なのに目はギラギラと異様な光を放っており、口元は薄笑みを浮かべている。その、あまりに異様な風貌にトーマも顔をしかめた。面影はあるものの、やはりとてもレティシアとは思えない。が……
「…………レティシアだな」
「いや、だが一昨日ならレティシアは……」
「死んでいたはず、か。じゃ、これは霊だとでも言うのか?それともレティシアに似た別人か?」
「…………」
「続けるぞ」
映像の続きを流すと、バール様の物で床板を剥がして持ち上げ、例の気化器を設置する様子が映っていた。なかなか周到に装置が誤作動しないよう設置するもので、トーマなどはそんな場合ではないと分かりつつも感心してしまった。途中、何度か顔をクローズアップして確認したが、人相は変わっていても見れば見る程にレティシアとしか思えず、それだけに異様さが際立って見えた。
「映像の確認は取れた。あとは薬品の成分分析の結果と、用途の申告が為されているかの確認が出来れば、ほぼ確定するだろう」
「レティシアだとして、何故ガキ共を?あと死亡情報の件が分からねえ」
「あくまでも俺の考えだ。それでいいなら答えてやる」
「ああ。それで構わん」
「ガキ共を殺すトラップの周到さに比べ、他がお粗末過ぎるんだよ。使った薬品は足がつきやすい。カメラの存在は充分に想像がつくだろうに顔を隠さずにトラップを仕掛ける。あいつなら毒物・劇物指定されていないものを使っても、殺傷能力の強い薬品は作れるはずなのにな」
「つまり、バレるのを承知でやった、という事か」
「そういう事になるな」
「何の為に?」
「俺に自分の存在を知らせる為だよ」
それしか考えられない事はゲイルにも分かっている。しかし、その為にあんな過激な方法を取る理由が分からない。どうにも腑に落ちないのだ。
「納得できないって顔してんな。言っていなかったが、俺にはここのところ尾行がついている」
「は?尾行?レオンに?」
「ああ。そいつの依頼者がレティシアだったとしたら、俺が廃屋に出入りしている事を知ったり、俺の留守を確認してお嬢ちゃんを襲撃する事も出来る。それにお嬢ちゃん襲撃犯の体格が、お前から聞いたものとレティシアのそれは合致する。ガキ共を殺った動機は分からん。死亡情報については……ベンジャミンも大概、公的機関が腐っているからな。金さえ積めばリブリーに偽情報くらい流してくれるだろうさ」
「しかし身元確認はごまかせないだろう」
「死後十日の遺体を、親ならともかく遠い親戚であれ大家であれ、本当に本人かどうかじっくり確認できると思うか?適当な遺留品さえ持たせておきゃ本人だと判断されるだろ。だから適当に背格好の似た女の遺体をレティシアだと言えば、案外それが通っちまうと思うぜ」
そう言われれば返す言葉はない。どれもレティシアが生存しており、廃屋事件とフェアリー襲撃の犯人がレティシアだという前提のもとで立てられた推論なのだが、トーマは最初に「あくまで俺の考えだ」と断っていたし、そこにケチをつけられるものでもない。
「レオンの推論通りだとすると、レティシアは今後どうやって生きていく気なんだ」
「生きていく気はないかもしれないぞ。I・Bが使えなくなるからな」
公的機関に『死亡』と記録されるとI・Bが使えなくなる。I・Bは生まれたと同時に用意される個人証明端末で、その人がその人として生きていく上で必要な全ての証明になるものだ。既往歴、出納(口座管理含む)、ナビゲーションシステム、電話、メール等の管理・運用がこれ一つで出来、宇宙都市の管理コンピュータで統括管理されている。それを失うという事は本人証明が不可能になる為に職にも就けなくなるし、銀行口座も凍結される。金に関しては先に現金化して手元に置いておけば、しばらくは保つだろうが、それもやがて尽きる。尽きたらそれまでだ。
「まあ、あくまでも推論だからな。事実としてあるのは恐らくレティシアが生きている、という事だ。今はとりあえずそれを喜んでおけ」
相も変わらぬ冷たい物言い。が、どうやらゲイルを励ましてくれているらしい。それと気付き、レティシアが死んだとの報を受けてから沈んでいた心が少し落ち着くと同時に、救われた気持ちにもなった。
夕食後、もう少し調べたい事があるからと、トーマは再びすぐに部屋にこもり、ゲイルは冷静になる為にも一度レティシアの事に関して考えるのをやめ、リビングでぼんやりとテレビを見ていた。すると……
「どうぞ」
用事を済ませたフェアリーが、二つ持ったコーヒーのうち一つをゲイルの前に差し出した。
「お、ありがとう。フェアリーもお疲れさん」
「私は付いて行っただけですから、それほど疲れていませんよ。でも、ありがとうございます」
軽く笑ってフェアリーもソファーに腰掛ける。その後はしばらく二人とも無言でコーヒーを飲みつつ、テレビで流れているニュースを、熱心さからは程遠い様子で眺めていたが、フェアリーが不意にこんな事を口にした。
「何だか今日は懐かしい感じがしました」
「懐かしい?」
「はい。二年前、私がトーマさんに依頼を持ってきたんですけど、その流れで母がトーマさんに私の護衛を依頼したんです。それで側を離れない為に、トーマさんが仕事先に私も連れて行ってくださっていたので」
「フェアリーはずっと女子校だったんだろ。いきなり男と二人暮らしで怖くなかったのか?……と、そうか。フェアリーはそういう意味での警戒心がなくて心配されていたんだったな」
それは未だにトーマにも注意される事で、フェアリーは苦笑いを浮かべた。
「でも、別の意味では怖かったんですよ」
「別の意味?」
「トーマさん、あまり人を寄せ付けたがらないじゃないですか。私にも当然、最初はそうで……。冷たい人だと思って一度家出もしちゃったんですよ」
「そうなのか?!いや、まあ考えてみりゃそうか。最初から今みたいに仲が良かったわけはないか」
「はい。今思うと私が勝手に拗ねていただけで、トーマさんは最初から優しかったって分かるんですけど」
「最初から優しかったのか?」
「はい。表面上は冷たいことを言っているようでも、ずっと気遣ってくださっていましたから」
そう聞いて、ゲイルは夕食前のトーマとのやりとりを思い出した。
トーマは世間ではならず者扱いされていて、それ故に第一印象ですでにフィルターがかかっている状態になってしまう。殊更に本人が否定しないもので余計に。ゲイルですら未だに「冷たい」という印象が先に立ってしまうのだが、突き放すような事を言いつつ、何だかんだで面倒見がいいことも知っている。夕食前のやりとりがその例だ。死んだと思って落ち込んでいたのだから、生きていた事をまず喜べと、トーマの言葉はそういう意味だ。
更にフェアリーはこう続けた。
「以前トーマさん、母子家庭の喘息の子供さんを無償で診てあげていたんです。その子のお母さんが腎臓を売ってお金を作ると言ったそうで、母子家庭なのにそんな事をしたら健康を害して生活が立ちいかなくなると。結局子供さんが健康になって大人になってからの出世払いという事で診てあげていたそうです」
「レオンが?そりゃまた……お人好しすぎるだろ」
「ですよね?嫉妬したそのお母さんに挑発されて腹が立っていたので、私もそこまでしなくていいのに!って思っていました」
「挑発?」
「トーマさんを好きになった経緯を聞かされました。だから何なの?と当時は思いましたよ」
ゲイルは思わず笑ってしまった。トーマといると可愛い女の子だが、基本的にフェアリーは気が強いのでそう思うのも無理はない。
そうして笑っているゲイルを見て、フェアリーはニコッと微笑んだ。
「良かった。少しは元気になったみたいで」
「え?」
「ゲイルさん、車の中にいた時から夕食中もずっと元気がなかったので」
「心配してくれていたのか?」
「それはそうですよ。ゲイルさんっていつも楽しい人じゃないですか。トーマさんとテンポのいいやりとりをしていて。そんな人が無口になると心配しますよ」
「……そっか。ありがとうな」
「あとレティシアさんの事は、私にはよく分からないんですけど、多分生きていらっしゃると思います」
「フェアリーもそう思っているのか。何でだ?」
「だってトーマさんに会わずに亡くなるとは思えませんから。この前言いましたよね。トーマさんに会う為ならきっと手段なんて選ばないって。もし私を殺しにくるなら……聞いてもらえるか分かりませんが話してみようと思います」
「話?自分を殺そうとしている人間とか?」
「はい。私自身はレティシアさんに対して恨みもありませんし、同情もしません。ですがトーマさんはきっと私を殺そうとする人は許しません。情がある相手でもです。私はトーマさんに、情がある相手を殺させたくはありません。それに」
「それに?」
「私だって少しの間とはいえゲイルさんと一緒に暮らしていて、情くらい湧いています。ゲイルさんが悲しむところも見たくはないです」
そう言って微笑むフェアリーを見て、ゲイルは我慢できなくなったようにフェアリーを抱きしめた。最初は驚いて突き飛ばそうとしたが、ゲイルの
「すまん。少しの間だけでいいから、このままいさせてくれ」
という言葉にフェアリーも怒る事が出来なくなり、コーヒーをそっと置いてゲイルの背中を慰めるように軽くぽんぽんと叩いた。
そうだ。一番レティシアをよく知っている自分が動揺していてどうする。生きていると信じて、その上で何をしてくるか考え、フェアリーを殺そうとするなら何よりもこの子を守る事を優先しなければならない。トーマは最初からそう考え、徹底する為なら情実を排する覚悟など出来ているのだ。冷たいのではない。ナンシー夫人が言っていたように『心に何か大切なものを抱えていて、それに従っている』だけだ。
躊躇なくフェアリーを守る為に。
「フェアリー。俺はちゃんと約束を守る。あんたに傷一つつけさせはしない。たとえ相手がレティシアでもだ」
「ゲイルさん、でも……」
「守らせてくれ。トーマ一人にレティシアの事を押し付けて、フェアリーも守れないなんて男として情けなさすぎるだろ」
「大変ですね。男の人って」
トーマも『カレンと腹の子供が幸せに生きられる場所を作るという誓いを守れず、ナンシーさんとの約束まで守れないようじゃ、俺は究極のウソつきになっちまう』と言っていた。男性ばかりがそんな重荷を背負わなくてもいいのにとフェアリーは思うのだが、それが男性なのだろうとも思う。だから「大変」だと。
フェアリーと話した事で腹が決まったゲイルは、スッキリとした顔で部屋へと向かった。が、その途中で後方から頭を強めに叩かれ、驚いて振り返ると、そこには凶悪な笑みを浮かべるトーマがいた。
「うっ……レオ……トーマ」
「言ったよな。お嬢ちゃんに手を出したら病院送りにしてやると」
「見ていたのか!?」
「ああ。覚悟はいいか?」
「え?え?ちょっ、待っ……」
渾身の力を込めた殴打か、はたまたナイフがくるかと思わず身構えると、トーマは伸ばした手をゲイルの肩にぽんと置いた。
「まあ、お嬢ちゃんは嫌がっていなかったようだし、ここで俺が怒るのは違うよな。でも感情が昂ぶったからといって、あまり衝動で無茶はするなよ」
念押しのようにもう一度肩を叩き、トーマはそれ以上何も言わずリビングの方へと去っていった。
「ビビった……」
胸をなでおろしつつゲイルはトーマの言葉を反芻した。『感情が昂ぶったからといって衝動で無茶はするな』とは、フェアリーに対しての振る舞いの事なのか、それともレティシアの事なのか。前者のように思えるが、両方を指しているようにも思える。ともかく許してはくれたようでホッとした。