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第十五話『ありがとう』

 廃屋に行くと当然警察が先に到着していて、入り口辺りで中を窺うようにしてウロウロしている。

「トーマ・イガラシだ。あんたら何をしている?中は確認したのか?」

「あ、丁度いいところに。先に入った数人が気化した薬品で負傷しまして」

「防護服は?」

「着用しました」

「ちっ!予想以上にエゲツない代物だな。分かった。ひとまず俺が行ってカメラやセンサー類、薬品を噴出させた装置のような物があるならそれの回収、内部の撮影等してくる。遺体には触らないから安心しろ。防護服とライトを借りるぞ」

「しかし、まだ危険じゃ」

「そもそもが俺に来た依頼だ。それなりの用意もしてきているから大丈夫だ」

 犬が気になるトーマは一分一秒でも惜しいと、防護服を着用してすぐに中に入った。もはや溶けた肉体もほとんど蒸発し、少々の骨が残るだけの現場に行き、床板の下を調べると、トーマの予想通り気化器があった。薬品が強力過ぎたせいか、装置そのものが融解しかけている。慎重にそれを回収、危険物質を扱う際に使うケースに入れて、カメラ、センサーも気化した薬品が付着している可能性がある事から別のケースへ。それら必要な作業を終わらせてから犬を探すと、二階の奥の方でグッタリと横たわっている姿を見つけた。トーマが駆け寄ると弱々しく「くーん」と鳴く。前よりやせ細っている……犬の仕業だと思わせるのを諦めてエサも置かなくなっていたのか。かなりの衰弱ぶりで、凶暴化させる薬の効果も切れているようだ。

 ひとまず栄養剤を注射し、犬を優しく撫でてから抱え上げた。

「もう少しだけ頑張ってくれよ。病院の手配はもうしているからな」

 トーマが自分を助けようとしていると理解したのか、犬は安心したようにトーマに体をすり寄せてきた。

 わざわざ薬品が残っている入り口を通る必要もないと、トーマは二階の窓から飛び降りた。複数のケースと犬を抱えつつ軽々と飛び降りたもので、話に伝え聞くトーマ・イガラシの異常っぷりを目の当たりにした警察官たちは驚き呆れた。

「こっちが気化器の入ったケース、こっちがカメラ・センサー類、内部写真のデータはこの場でコピーを取ってそちらは持ち帰らせてもらう。ケース類を扱う際も素手は避けろよ」

「あの、その犬は?」

「俺が個人的に保護したいだけだ。気にしなくていい。それよりガキ共の生き残りは身柄確保できたのか?」

「それが……」

 警察官の話によると、生き残りの少年は現在大量殺人の容疑者であり、今回の被害者でもあると思われる一人の少年の家に、泊まりで勉強をしに行っているはずだと家族は答えたらしい。そこでその少年の家に連絡したところ、今日はずっと家にいるし、部屋から話し声もしている。そんな事件に関わっているはずがないと捜査協力を拒否しているとの事だった。

「息子が死んでいるかもしれないのに、そんなはずがないなどと言ってる場合か。生き残りは偽装の為の留守番役だろう。という事はその家に犯行の証拠が残っている可能性が高い。早く確保しないと隠滅される恐れがあるぞ。多少強引にでも家宅捜査して生き残りのガキと証拠を押さえろと現場に伝えろ。生き残りには俺も聞きたい事があるから、話せるようなら連絡をくれ」

 そう伝えおいて、トーマは急ぎ犬を病院へ連れて行った。栄養失調と凶暴化の薬の影響でかなり衰弱しているが、すぐ処置をすれば助かるとの事だった。その治療費と後の保護施設で必要な費用を病院へ渡し、しっかり領収書ももらって、ウエスト・コーストを離れた。


 自宅に戻った頃には深夜3時を過ぎていた。ゲイルはもちろんフェアリーも起きていて、トーマを見るなり抱きついてきた。

「まだ起きていたのか。寝てなきゃダメだろ」

「だって心配で……」

「心配かけてすまなかったな。でももう安心しただろ?早く寝ろよ。ゲイルも。調査結果報告は明日でいいから」

「……トーマ」

 トーマは驚いてゲイルを凝視した。彼の口から「レオン」ではなく「トーマ」と呼ばれるとは。何の心境の変化かと。

「……なんだ?」

「レティシアの事だが……」

「ああ。気になるのは分かるが、とりあえず寝ろ。俺も少し休みたい。さすがに疲れた」

 そう言われてしまっては引き下がるしかない。無理をさせてまた倒れられたら困るからだ。フェアリーもトーマから離れて頷く。ハッキリ言って今日は寝られる気などしないのだが、トーマは休ませなければならないのだ。


 二人が自室へと下がった後、トーマはカレンの部屋へ行った。いつも通り眠れる妻へケース越しにキスをして、その場に座る。

「疲れた」

 妻へ寄りかかるようにケースにもたれかかると、どこからともなく風が流れてきて、トーマの頭を労わるように撫でた。

「カレン……俺、お嬢ちゃんにキスしちまったよ」

『後悔しているの?』

「していないって言うと嘘になるな。散々女として愛しているのはカレンだけだと宣言しておいて、問答無用でキスするのは卑怯だろ」

『フェアリーさんは分かっているわよ。分かっていて嬉しいのよ』

「そうかもしれないが……」

『そもそも妻に「他の女の子にキスした」って報告するのもどうかと思うわよ』

「言わない方が良かったか?」

『ふふっ。どうかしらね』

 トーマは眠れる妻に懺悔をしに来ているのだから、隠し事をするなど考えられない。が、分かっている。ここに来ると聞こえる気がするカレンの声は、トーマの想像上の答えでしかない。彼女は眠っている。話など出来るはずがない。故に自問自答せざるを得ない。「カレンならこう思うはず」「勝手にそう思って、カレンに対する裏切りの罪の意識から逃れようとしているだけではないのか?」と。

 そうしてカレンが眠る前夜に交わした会話を思い出す。


『私はいつかきっと目覚めて、またあなたに会えるわ。でもそれはすぐじゃないから……だからね、トーマ。ずっと一人ではいないでね。誰かを愛してもいいのよ。あなたが私を思って、気が遠くなるような長い年月を一人で生きていくなんて、考えただけで私が辛いもの』

『何をバカな事を。何でお前以外の奴を』

『私たち、心は人間のままなんだから寂しくならないはずないのよ。あなたは私を愛してくれているから、私が眠ったら……ずっと目を覚まさないんだって分かったら、きっと生きているのも辛くなる。そんな時、誰かに側にいて欲しいって思っても誰も責められないわよ』

『俺が俺を責める』

『バカ!そんな風に自分に枷をつけないの!もし私が目を覚ました時、誰にも心を許さずにいたって言ったら怒るから!その……トーマは男の人だし、体が寂しくなる事もあるでしょう?そんな時誰かを抱いたとしても、それを浮気とは思わないから……』

『そうなのか?』

『……ちょっとヤキモチは焼いちゃうかもしれない。でもトーマが私の為にお坊さんより厳しい禁欲生活を送るくらいなら、何人もの女の子とやっちゃったって聞く方が安心かな』

『やっちゃったって、お前……』

『もう!とにかく!妻から浮気許可が出ているんだと思って好きにやりなさい!言っておきますけど、私はあなたが私を忘れてしまうかもなんて、これっぽっちも不安に思っていませんから、安心して誰かを側に置きなさい!』


 あの時、自分は実感など湧いていなかった。妻が所用で一週間ほど家を空けるくらいの感覚でしかなかったのかもしれない。カレンがどれほどの覚悟をもってあの言葉を残したのか分かっていなかったのだ。一週間経ち、一ヶ月経ち、半年経ち、日増しに喪失感が募っていく中で理解した。カレンの言った通り、心は人間のままなのだと。

 それでも辛くて縋りに来た先は、いつもここだった。眠れる妻に癒されて耐えた。今もこうして癒されているように。

(なあ、カレン。多分俺はお前が思っている以上に、お前に惚れているんだぞ。自分に枷なんかつけちゃいない。だから、な。こんな疲れた日には夢に出てきてくれよ。そして抱かせてくれ)

 そうしてトーマはケースにもたれかかったまま眠ってしまった。

(知っているわよ、トーマ。あなたが私をどれほど愛してくれているかなんて。でもね、多分私もあなたが思っている以上に、あなたを愛しているのよ)

 眠りながらも、カレンのそんな声が聞こえた気がした。そして抱きしめてくれる感触と、そっと重なった唇の感触と。ああ、本当に夢に出てきてくれたのかと思った。

(なんだよ。抱かせてくれって言ったのに、お前が俺を抱きしめてどうするんだよ)


………………

(トーマ)

「ん……カレン?」

 カレンが頭を撫でてくれる感覚で目を覚ました。時間は六時半。三時間程度しか寝ていないが、やけにスッキリとしている。

 立ち上がって伸びをして、カレンの方を振り返る。そしていつも通りケース越しにキスをした。

「おはようカレン。じゃあ行ってくる……ありがとうな」

 何に対しての礼なのか。本人も無意識に口にした言葉なので分かっていなかった。「夢に出てきてくれてありがとう」「起こしてくれてありがとう」「癒してくれてありがとう」。そのどれなのか……きっと全てなのだろう。トーマは愛しげにカレンの頰あたりを撫でてから部屋を出ていった。


 朝食の用意のためにキッチンへ行くと、フェアリーがすでに準備を始めていた。彼女とて寝たのはトーマが帰ってきてからで、やはり三時間半程度しか経っていないのだが。

「お嬢ちゃん、ちゃんと寝たのか?」

「きゃっ!ト、トーマさん!おはようございます」

 飛び上がるように驚いて、フェアリーは振り返り頭を下げた。明らかに態度がぎこちない。

(まあ、こうなるよな)

 苦笑しながらトーマはフェアリーの頭をくしゃっと撫で、彼女の隣に立った。

「パンケーキを焼いているのか。サラダは?」

「スープは作ってあるけど、サラダはまだ」

「分かった。じゃあベーコンエッグとサラダは俺が作る」

「でもトーマさん疲れているんじゃ……」

「寝たらスッキリした。俺の事はいいから、お嬢ちゃんは朝メシ食ったら寝なおせよ」

「私も大丈夫」

「嘘つけ。一睡もしていない顔してるぞ」

 そう。結局フェアリーは朝まで眠れなかった。トーマがパニックに陥っていたフェアリーを落ち着かせる為にキスをしたという事は分かっているのだが、カレンがトーマに言ったように、それでも嬉しいものは嬉しかったのだ。が、落ち着いていくと同時に少々申し訳ない気持ちにもなった。あれほどトーマは呪いなんかじゃないと言っていたのに、その言葉を信じずにパニックになって……。

「トーマさん。昨日はごめんなさい」

「何が?」

「トーマさんも呪いで殺されるんじゃないかと思って怖くなっちゃって。私もママみたいにトーマさんの強さを信じたいのに」

「ああ。あれは俺の事を心配してくれているからだろ。別に謝らなくても」

「だって!トーマさん、私を落ち着ける為にその……キスを。気を遣わせちゃったから」

 トーマは虚をつかれたような表情でフェアリーの方を見た後、少しの間をおいてプッと吹き出し笑った。

「な、何で笑うの?」

「いや、だってお嬢ちゃん、無理やりキスされた側が申し訳なさそうにしてどうすんだよ」

「私にとっては無理やりじゃないんだもん」

「まあ、そう言ってもらえると俺としても助かるよ」

 そう言って笑いながら手際よくドレッシングを作る。

 実は、こうして並んで料理を作る事は多くない。役に立ちたいというフェアリーの気持ちを尊重して、基本的に台所は任せてくれているからだ。その稀な機会にトーマの料理の腕を見ると、いつも自分はまだまだだと思うと同時にやる気も出る。……そして新婚夫婦のようだともコッソリ思ったり。

「あ、そうだ。お嬢ちゃん」

「は、はい!何?」

「……今日は午後から動く。出かける時はお嬢ちゃんも一緒に連れて行くから、午前中はマジでちゃんと寝ておけよ」

「え?私が行って邪魔にならない?」

「緊急の仕事も、お嬢ちゃんを連れて行ける仕事しか受けないから大丈夫だ。しばらくはそうしたいと思っている」

「どうして?もしかして撃たれた事とかで心配して?だったらゲイルさんがいるから大丈夫だよ」

「いや。ゲイルを信用しないわけじゃないが、しばらくは俺の目の届く所にいさせたいんだ。遺伝子のせいか俺には動物的な勘が働く事があるんだよ。お嬢ちゃんは俺の側にいた方が、まだ安全な気がするんだ」

 フェアリーにはトーマが何を懸念しているのか分からなかったが、その言う事に従わない理由はない。トーマの言いつけ通り朝食後は勉強をせずにベッドに入った。トーマと話した事で逆に落ち着いたのか、今度はしっかり眠れた。

 フェアリーが眠っている間、トーマはゲイルから調査結果の報告を受けていた。その間も呼びかける時は『レオン』ではなく『トーマ』だったので、激しい違和感を覚えて、

「で?何で急に呼び名を変える気になったんだ?」

 と、たまらず聞いた。

「……お前はトーマ・イガラシだ。リブリーで一緒にいたレオンなんて奴は、もうどこにもいない。それをレティシアは理解しなくちゃいけない。俺がいつまでも『レオン』と呼び続けていたら、あいつは『今』を見ようとしないだろ」

「そこに気付いてくれて何よりだ。が、ちょっと遅かったかもな」

「遅い?何でだ?」

「……まあ、いい。今更感は無きにしも非ずだが、ゲイルはその方向で徹底してくれ。話を戻すぞ。結局ガキ共は最初の犠牲者になった奴らの同級生で、その他の犠牲者は完全にランダムなんだな?」

「ああ」

「同級生をうっかり殺してしまって、これはヤバいって事で目くらましの為、結果的に大量殺人するに至ったってところか」

「何でそう思う?」

「最初から大量殺人をする気だったなら、わざわざ足がつきやすい同級生から殺さないだろ。で、最初から同級生を殺す気だったなら、廃屋内の色々な仕掛けはあらかじめ用意していたはずだが、購入したのは同級生殺し以降だ。なら、そう結論付けるのが自然だ」

 まあ、そうだろうなとゲイルも思う。犯人グループの全員が死んだなら、それでも原因究明に時間がかかっただろうが、一人生き残りがいるので大量殺人に関しては判明するだろう。しかし犯人グループ殺しに関しては……。

「なあ、レオ……トーマ。あいつらを殺したのはレティシアだと思うか?」

「動機が分からないからな。どうだろうな」

「レティシアだとしたらどうする?」

「あの廃屋の事件が呪いじゃないと証明するのが俺の仕事だ。となれば犯人が誰であれ証拠込みで警察に突き出す以外考えられないだろう。それとも何か?レティシアだったとしたら見逃してくれとでも言うつもりか?」

「言わねえよ。相手が大量殺人犯だろうが殺人は殺人だ」

「それも分かっているんだな。なら、いい」

 恐らくトーマは少年達を殺したのがレティシアかどうかは問題にはしていない。興味すら微塵もないように見える。だがフェアリーを狙っているのだとすれば話は別だろう。間違いなくトーマはレティシアを躊躇なく殺す。それはあまりにも哀れだと思うのだ。惚れた男が自分以外の女の為に自分を冷淡に殺そうとする様を見るのは、どんな思いを抱くものなのか。

 とはいえ、ただの嫉妬でフェアリーを殺そうとまでするのなら、ゲイルもとても庇う気にはなれない。フェアリーもトーマに片思いをしている立場で、しかもレティシアと違い、トーマに愛する女性がいることを承知の上で側にいて思い続けている。それは想像以上に辛く切ないはずだ。その上『今トーマの側にいる』という理由だけで命まで狙われたのでは、あまりにも割に合わないだろう。

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