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第十四話『レティシアの気配』

「……報いだな。しかし、何だありゃ」

ゲイルが呟いたが、トーマは返事をせずにフェアリーをしっかり抱きしめていた。フェアリーがあまりにも怯えているためだ。

「大丈夫か?ゴメンな。異常に気づいた時点で言うべきだった」

「……―マさんも……」

「え?」

「トーマさんもあんな風になっちゃうの?!何で!トーマさんは何もしていないのに!」

「お嬢ちゃん、落ち着け……」

「トーマさん呪いじゃないって言ったじゃない!やだよ……もう二度とトーマさんが私の目の前で……」

言葉の途中でフェアリーは気を失った。ショックが大き過ぎたらしい。

 トーマの腕の中で力なく崩れ落ちたフェアリーを自分のベッドに寝かせ、大きな溜息をつくと、モニターの前に戻った。少年たちは全員すでに原形をとどめていない。警察もそろそろ到着するかもしれないので、再び電話をして現場であった事を伝え、念の為に防護服着用を勧めた。

「防護服なんかが役に立つのか?」

「なんだ。ゲイルもまた呪い説の方に戻ったのか」

「じゃなかったら何なんだ、あれは?そもそもレオンは何を見つけたんだ?」

「床板が不自然な剥がれ方をしていた。俺が行った時には剥がれていなかった場所だ」

「じゃあレオンが帰った後に剥がれたって事か。ヤバいというのは?」

「ああいう不自然な形になっている所にはトラップがあったりするんだ。そこを踏んだから何かあるだろうと思った」

「溶けたのは?どう説明する」

「知るかよ。ただ、あの溶け方は……」

そこまで言った所で、軽く意識を失っていただけのフェアリーが大きな悲鳴をあげて目を覚ました。完全にパニックになっているらしく、「トーマさん!」「殺さないで!」と頭を横に振りながら叫ぶ。

「お嬢ちゃん!俺は大丈夫だ!落ち着け!」

フェアリーの所へ行き抱きしめながら言うが、フェアリーの耳に届いていないのか、トーマの服を強く掴んでうわ言のように「いやだ」「殺さないで」と言い続けている。

 ホラー映画さながらに人が溶けていく様を見るのは、感性的には普通の女の子でしかないフェアリーには恐怖でしかなかっただろう。ましてや自分の事件の時に、目の前でトーマが頭部に銃弾を撃ち込まれる様を見たのだ。トーマが死んだと思った時の絶望感はフェアリーの記憶に消えずに残っていて、故に彼女は想像してしまっている。少年たちのようにトーマが溶けてしまう様を。その心情を理解しているトーマは不意にフェアリーの顔を持ち上げ、唇を重ねた。

「?!」

 トーマの声も耳に届かないほどパニックに陥っていたフェアリーが、一瞬のうちに心を現実に戻した。が、自分がトーマにキスをされているのだと把握するまでには少々の時間を要し、把握した頃には唇を離され、再び抱きしめられていた。

「何度でも言うぞ。あれは呪いなんかじゃない。俺は死なない。俺の言う事は信じられないか?」

 まだ混乱のさなかにいるフェアリーは、それでも首を横に振った。その顔は真っ赤である。

「怖い思いをした後で悪いが、ここで今後の話を進めるから、お嬢ちゃんもここにいて話を聞いていてくれ。その方が不安は除けると思う」

 今度は無言のままに頷く。それを確認したトーマは「よし、いい子だ」と頭を撫でた後、もう一度、今度は額に軽くキスをしてゲイルの所へ戻った。

「悪い。話を続けるぞ」

 目の前で展開されたラブシーン(?)にポカンとしていたゲイルは、苦笑しながら軽く溜息をついて、トーマだけに聞こえるよう小さな声でこう言った。

「ま、大昔からの定番だよな。女の子を落ち着かせる為にキスをするのは。まさかレオンがそういう事が出来るタイプとは思っていなかったがな」

「うるせえ」

 元が日本人であるトーマは、軽くであろうと人前でキスをするのは抵抗がある。やむを得なかったとはいえ、それをしてしまった照れ臭さは隠しきれず、結果ゲイルのツッコミに少々ふてくされたような態度になった。

「で、さっき言いかけた事だが、お嬢ちゃん、前にトカゲの処分をしに行った時の事は覚えているか?」

「え?……う、うん。覚えてる」

まだ動揺から立ち直りきっていないフェアリーが、半ばぼんやりと答えた。

「あの時、お嬢ちゃんは部屋に入れなかったから見ていないが、俺は処分をするのに溶解液を使った。あれはライセンス持ちの俺だから使えた物で、一般人が使うのは違法の薬品だ。作っている所も国指定の一箇所だけで、用途・使用量の報告が義務付けられている。俺はあの時0.01グラム使用して、俺の身長と同程度の体長の大トカゲが溶けて骨まで蒸発した。ガキ共の溶け方が、あの薬品を使用した時の特徴と似ていた」

「しかし、その薬品は液体か?そんな物がガキ共にかかった様子は無かったぞ」

「あの床板の下に薬品を気化させる装置を仕込んでいた、と俺はにらんでいる。使い方を誤れば仕掛ける時に自分が食らってしまう危険なやり方の上、それなりに毒物、劇物の知識がないと使えない。しかも購入者は登録されるから、まずはそこから調べる。あと、俺の仕掛けたカメラは手動の追尾型だから写っていないだろうが、奴らのカメラにはトラップを仕掛けた奴も写っているかもしれない。警察がカメラを回収したら、こちらにも映像をまわすよう手配する」

「分かった。じゃあ俺は購入者を調べるから薬品名を教えてくれ。他に手伝える事はあるか?」

「俺は現場に行ってやる事がある。警察と直接話したい事もあるし、すぐに出なきゃいけない」

「犬か」

「それが一番で、他にもある。で、ゲイルは家で出来る仕事を随時メールで送るから、そちらを頼む。何より俺の留守中お嬢ちゃんの護衛をしっかりやってくれ」

 言い終えるやいなや出かける準備を始めたトーマを見ながら、ようやく我に返ったらしいフェアリーがベッドから飛び降り、トーマの服の裾を引っ張った。

「トーマさん……あそこに行くの?」

「ああ。直接やりとりしなきゃいけない事も多いからな」

「私も……」

「ダメだ。お嬢ちゃんはゲイルと家にいてくれ。まだあいつらがお嬢ちゃんを狙っていた犯人だと確定したわけじゃない。もう少し何か掴めるまで外出は控えた方がいい」

「でも……」

「あまり聞き分けのない事を言うなら、今度はキスだけじゃなく、動けないよう足腰立たなくしてやるぞ」

「え…………」

 フェアリーはまた顔を真っ赤にして考える素ぶりを見せた。するとトーマはフェアリーの頭を軽くコツンと叩き苦笑した。

「それもいいかって顔をするな。じゃ、行ってくる。ゲイル、お嬢ちゃんを頼む」

「おう!任せておけ」

「トーマさん!」

 フェアリーの呼びかけに後ろ手に手を振って、トーマは出て行った。フェアリーは不安そうにその後ろ姿を見送ってから振り返り、ゲイルの姿を視界に入れると

「え?きゃーっ!」

と、かなり大げさに驚いた。

「な、なんだ?どうした?」

「あの……今更なんですけど、見たんですよね」

「何を?」

「その……トーマさんが私に……」

「ああ、キスしたな」

 フェアリーの顔がみるみる内に耳まで赤くなっていく。その様子を可愛いと思いつつ、少々複雑な気分にもなる。が、フェアリーの反応は明後日の方向に向いていた。

「やっぱり夢じゃないよね。本当にトーマさんが……」

 改めてトーマにキスをされたのだと実感したらしく、満面の笑みを浮かべてじんわりと喜びを噛みしめだした。人間が溶ける様を見たショックは完全に払拭されたのだなと、ゲイルは安心した。あんな場面は出来る限り思い出させたくない。それなりに色んな現場を見てきたゲイルですら、まだ胃のあたりがムカムカするような感覚があるのだ。それがあるからトーマも彼らしくない行動をとったのだろう。あれほど大事にしているフェアリー相手に人前でキスをしたり、「足腰立たなくしてやる」と発言するなど、普段のあの男からすると考えられない。お陰で見事にフェアリーのショックは吹っ飛んだわけだ。

「喜んでいるところ悪いが、フェアリー。俺の部屋に移動しようか。レオンがいないのにこの部屋に居座るわけにはいかないからな」

「私もゲイルさんの部屋に行くんですか?」

「心配しなくても何もしないぞ」

「そんな心配はしていませんけど、いつもトーマさんがいない時には別々の部屋でいたので。私がいてお仕事の邪魔になりませんか?」

「フェアリーが邪魔になるほど賑やかにしているのは、ちょっと想像がつかないねえ。いつも勉強しているイメージだ。ま、レオンがいかに好きかについて延々と語ったりしない限りは邪魔にはならんよ」

 そう言われてまたフェアリーは赤面する。ゲイルとしては、こまめにトーマから連絡が入る自分の所にいた方がフェアリーも安心できていいだろうと、それに一人になったら少年たちが死んでいく様を思い出してしまうかもしれないと思っての事だったのだが、この浮かれようを見ると余計な心配だったかとも思う。

 

 そうしてゲイルの部屋に移動して三十分ほど。トーマから連絡が入った。移動中に少年たちのデータと映像を精査した結果、一人廃屋に行っていない事が分かった。犯人達の貴重な生き残りになる。フェアリーを狙っていたか聞けるかもしれないと。それと……

『暇だったから俺の方でも薬品の購入者について軽く調べてみたんだが、気になる名前があった。ゲイルの方でももう見つけただろう?あいつも化学者だ。悪いが特別視しないであいつもガキ共を殺した犯人の候補として考えておけ』

と。

 『あいつ』が誰を指しているのか、当然ゲイルにもすぐに分かった。この三十分で購入者を調べていたのだが、すぐに引っかかったのだ。出したリストの中にレティシアの名前があった。無事は確認できたが、その薬品を購入した動機が気になる。そして無事なのにゲイルからの連絡を拒否している点も。

「ゲイルさん。レティシアさんって化学者なんですか?」

「ああ。かなり優秀な、な。あいつの生み出した物質絡みで命が狙われて、それでレオンにボディーガードを頼んだのが俺たちが知り合ったキッカケだ」

「何故トーマさんに依頼する事になったんですか?」

「ビジネスライクで金にしか興味がないという評価だったから、逆に信用できると思った。何しろ身近な人間ですら信用できない状況だったからな。で、実際に会った時、俺やレティシアを見るあいつの目を見て思ったね。こいつは俺たちが金に見えているんじゃないかとね。それくらい、物を見るような目に見えた」

 フェアリーは世間知らずだった上に、最初にトーマを見た時は命の恩人だと思っていたSWORDと同じ顔だと、ようやく会えたという喜びが先に立ち、そういう風には感じなかったが、後に「冷たい人」だとは何度も感じた。だからその気持ちは分かる。

「ところでレティシアさんって、どんな人なんですか?」

「おとなしくて気が弱くて、研究以外の事は抜けている所があるヤツだな。論文を読みながらコーヒーに手を伸ばして持ち手を掴み損ねて、カップをひっくり返すなんて事は日常茶飯事だった」


「あっ!」

「またかよ。いい加減にしないと、いつか論文にコーヒーをこぼすぞ」

「ごめんなさい」

 三日に一度はコーヒーカップをひっくり返すレティシアを見て、トーマは呆れたように言った。レティシアはしょんぼりとしつつテーブルを拭く。

「いや、俺に謝る必要はないけどさ。ホントお前って分割的注意の能力に欠けるっていうか、よく無事に大人になれたな」

「自分でもそう思うわ」

「そう思うなら、もうちっと気を付けろ」

 トーマはゲンコツを作ってレティシアの頭を軽くコツンと叩いた。叩かれた頭に手をやり、頰を赤くしてレティシアが恥ずかしそうに微笑む。そんな日常の一コマですら、彼女がトーマを好きだという事が滲み出ていた。

「そんなに心配なら、一生レティシアのそばについていてやったらどうだ?」

 ゲイルのそんな言葉にレティシアは顔を輝かせてトーマを見るが、

「無理な話だな。今は護衛の依頼だから側にいる時間が長いが、通常は仕事で家にいない事がほとんどだ。レティシアのフォローをしようと思ったら、一日中見張りでもしない限りは不可能だろ。そのレベルで危なっかしいからな。つまり現実的じゃない、という事だ」

  一生そばに、というゲイルの発言は「結婚」を指しているのだが、そんな事は分かった上でトーマは物理的な問題として捉えた返答をした。目に見えてレティシアは気落ちしたし、ゲイルはトーマのレティシアに対する気持ちが見えなかった。

そうして先の話をするといつも冷たい反応をしたトーマだが、命を狙われるという、普通に生活している分には遭遇しない異常事態の中にあって、化学者の女性が毎日怯えて暮らさずにいられたのは、トーマが護ってくれるという安心感があったからであるし、それほどに彼はレティシアに心身共に寄り添っていたように見えた。


フェアリーと共にいるトーマを見ていれば、レティシアに対する態度は、それこそビジネスライクだったのだと分かるのだが、その依頼の性質上、彼が依頼に忠実に仕事をすればするほど、二人の距離は近いのだとレティシアが勘違いしてしまったのだと思う。彼女からすれば唐突に突き放されたようなもので、故にその恋心が消化できずに今に至り、彼女は行方をくらました。


「結果的にあいつに依頼したのは正解だったと今でも思っているが……。レティシアは一体何を考えているんだ」

「何を考えているって……ただトーマさんに会いたいんじゃないですか?」

「レオンに会いたいだけなら、俺との連絡を絶ったり薬品を買ったりする必要はないと思わないか?」

「その理由は分かりませんけど、ゲイルさんのお話を伺っていると、レティシアさんは人が変わったようになったんですよね。そこまでトーマさんに会いたいのなら、手段なんて選ばないと思いますよ」

 レティシアをよく知っているがゆえにあり得ないと頭から否定していた事を、フェアリーの言葉によって嫌でも考えてしまった。

 レティシアは既にトーマの居所を突き止めているのではないか?そしてフェアリーと一緒に暮らしていると知って、ゲイルがそうと分かっていてレティシアに知らせなかったので、もう当てにはしないと連絡を絶ったのでは。そして、もしそうなら……

(フェアリーを狙っているのはレティシアか?という事は、まさか薬品はフェアリーを殺す為……)

 まさかそこまでは、との考えの方が優ってはいる。が、可能性としては否定できない以上、想定しておかなければならない。フェアリーを護ると約束したのだから。


 トーマも当然レティシアの名前を見つけた時点で、フェアリーが狙われる可能性は高いと考えている。少年たちを殺した犯人もそうかもしれないと。

 ゲイルと再会してすぐ後くらいから、何者かにたまに後を尾けられている事には気付いていた。顔を覚えていたので調べたところ、新人の探偵らしいと分かって放っておいた。トーマ・イガラシにちょっかいを出す者など、あの廃屋に肝試しに行くような怖いもの知らずを誇示したいだけのバカしかいないからだ。ミラー家の実験に関わった者なら、あるいはトーマを狙ってくる可能性もあるが、それなら探偵を使ってコソコソと動いたりはしないだろう。その探偵を雇っているのがレティシアで、あの廃屋をトーマが調べている事を知って少年たちを殺したのであれば、目的は自分の存在をトーマに気付かせる事か。しかし、あのおとなしいレティシアが、あんな残酷な事件を起こすのだろうか?人を殺してまで存在を主張するくらいなら、直接、接触を図る方が早いし確実だ。それをしないのは……

(俺に拒絶されるのを怖れてか?だからといって廃屋に罠まで仕掛けて人を殺すか?分からないな。お嬢ちゃんが狙われる方はあり得るとしても)

 フェアリーを狙うなら人を雇ってでも出来る。しかし少年たちに関してはどうか?そこまでする理由が、やはり今ひとつしっくり来ない。それはトーマが女心に疎いからか。

 少年たちの事はともかくとして、フェアリーを殺そうとするならレティシアを殺す覚悟がトーマにはある。同情も躊躇もしない。それがトーマが恋しい一心からの事だとしても、いや、それなら尚更許せない。今まで何も主張せず、こんな形で行動を起こして気持ちに気付かせようとするなど。

(とりあえず俺を尾けていた探偵に仕事を依頼した人間を調べるか。金はかかるが。これに関しては経費として請求できないだろうしな)

廃屋事件絡みの経費に、こっそり上乗せしてやろうか、などと小悪党の役人みたいな事を考えていたところでウエスト・コーストに着いた。

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