桃は木になる
その細長い木にはいくつも桃がなっていて、でも、わたしの身長で届きそうな実はほとんどない。まるくて甘々としたそれは、そよかぜくらいでゆらゆらと揺れている。それだけでも果肉から果汁があふれそうで、わたしはちょっと複雑な気持ちで見上げている。複雑というのは、もし果汁や果肉が薄皮を突き破ればそれだけでも食べられるなぁというのと、せっかくの桃がそんな半端な状態になったらいやだなぁというのと、なんだかんだでそんなことは起きないんだろうな、という気持ち。全部頭のなかでぐんにゃりと混ざって、でも混ざり切らずに喉まで押さえつけてる。それから、いつもだったら簡単に、取ってもらえるのに、といういらいらを忘れることにする。
揺れる桃は催眠術みたいだけど、どんなに待っても落ちてこないから、わたしは遠い桃を見上げるのをやめて、近くに実っていないか探す。わたしが背伸びしたら、指の腹がちゃんと触れられるくらいの高さを。
右に二回、左に三回。木の周りを歩いたら見つかった。わたしの桃! 嬉しくて泣きそうになったけど、わたしはちゃんと桃を見つめて手を伸ばして、背伸びする。指が吸いついた。そうっと慎重に、潰さないように、落とさないように捥ぐ。あっさりと桃は枝から離れた。音も立てずに。今まで落ちてこなかったのがうそみたい。きっと、間違いだったんだろう。わたしに食べられないなんて、うそ。だからちゃんと食べてあげる。歯を立てると、産毛が、くちびるをくすぐって歓迎してくれる。果物は、皮に近い果肉が一番おいしくて栄養があることを知っているわたしは、皮ごと口に入れて裏側を舐める。でも、やっぱり皮はちょっとじゃまで、おいしくない。舌にのせて、地面に落とす。少しおくれて、わたしと桃の皮とのつながりがなくなる。土になっていく。
皮がなくなったところに唇を当てる。冷やしてなくても、桃は体温よりはひんやりとしていて、唇の熱で溶け出しそうだった。だからわたしは吸い付く。舌で果汁を受け止めきれず、口から溢れそうになる。上を向いて飲み込んだ。桃の葉は青空に融けないけど、青い。
一度口から離して、表面を撫でてやる。指の腹で、硬さと柔らかさを確かめる。柔らかくて、でもちょっと押さえたくらいで全部は崩れたりはしない。皮の下は、甘くて瑞々しい。あの人とは違う。指で押しても跳ね返って、乾燥した、柔らかくない皮膚。歯を立てたって、瑞々しく溢れ出したりしない。全然、いとしくない。あの肌はどんなに指の腹で押したって、ちょっと凹んで、すぐに戻る。だからわたしは桃を食べる。わたしの桃を。
桃は白くて、赤い。中央に届くと赤味が増して、かわいい。そしてとっても甘くて、わたしの両手はすぐべたべたになった。どんなに吸っても、ちゃんと口を閉じて噛んで飲み込んでも溢れた果汁で、わたしは胸から脚まで濡れそぼってしまう。わたしは桃の酸味を思い出せないまま、最後のひとくちを飲み込んだ。そしてわたしはもう動けない。移動もできないし、座ることもできない。
わたしのからだは、からだじゃなくなって、伸びていく。青い葉が擦れ合って、日影を作る。さっきの木よりも大きな木だ。やがてわたしも桃を実らせる。甘くて瑞々しい、幸せを凝縮した果実を。食べられるために。




