ドロシー、飛ばされる
「今夜は狼が来るから、戸締まりをちゃんとして家の中でおとなしくしててね。」
「大丈夫だよ、ママ。いってらっしゃい。」
この日、少女は出張に出かける母親を見送った。少女の名前はドロシー・マクレガー。大学に通う17歳。そう、飛び級である。大した事ではない。中学から飛び級してくる子もいれば、定年を過ぎてから大学に来る人もいる。中には5年くらい予備校生だった者もいる。だから年齢はバラバラである。それでも、入学してしまえばスタートラインは同じ1年生なので誰も気にはしてない。それからルプスというのはハリケーンの名前である。昔は人の名前がついてたらしいが、同じ名前の人たちからすれば不満だった。その為、自然界に在るものになったようだ。この日も講義が終わるとドロシーは、まっすぐ帰宅した。州法で、まだお酒は呑めないし、アルバイトも親から禁止されている。ちゃんと言いつけは守っている。良いところのお嬢さんではないけれど、親から見たら良い娘なのだ、多分。ただドロシーは、この日、ひとつだけ言いつけを守らなかった。そう、たったひとつだけ。しかし、数の問題ではなかった。人にもよると思うが、嵐にワクワクする人もいる。そしてドロシーはワクワクしていた。だからペットである犬のトトと一緒に庭のウッドハウスに籠っていた。もちろん、家の戸締まりは、ちゃんとしておいた。そうしたらウッドハウスごと飛び去る事になってしまった。家具を据え付けにしておいたのは正解だった、などと言っている場合ではない。現在、上も下も分からなければ、当然地上も見えない。ハリケーンが優しく降ろしてくれるとは思えない。だからといって泣き叫ぶなどというのはドロシーの柄でもなかった。それでも、この高さから落ちたら、まず助からないと覚悟を決めた。
「トト、ゴメンねぇ。私は私の所為だけど、あなたは家の中でおとなしくしてれば、こんな事にならなかったのにね。」
突然の浮遊感にドロシーは危険を感じていた。自由落下が始まった。とりあえずトトを抱きしめた。万に1つくらい、自分がクッションになってトトが助かるかもしれないとドロシーは思った。自己満足なのかもしれないが、何もしないというのも、自分が許せなかった。出来ない事は出来ない。だから出来る事は出来るだけやる。
(んもう、誰よ万有引力なんて見つけたのはっ! それから、ものすごい衝撃が… ? 来ない? あれ? 私、死んだのかな? まぁ、普通は助からないわよね。それにしちゃ辺りがうるさいわね。てか意識があるって事はあの世って実在してたの? )
予測した出来事が起きない事にドロシーは思考を巡らせた。
「ほう、空から小屋ごと降ってきて、まだ息があるとは悪運が強いのか落ちた所が運が無いのか。動けますか? 」
「うぬぬぬぬぬぬ。」
知らない声に起こされたドロシーは、何とか体を動かした。
「動けるようですね? よろしい。それでは… 」
「ちょっと待ったぁっ! 」
(なんなのよ、こいつ。何でも見透かしたみたいな態度。)
声の主にドロシーは立腹していた。
「思ったより、お元気そうではないですか。」
「ここは何処? あんたは誰? 何がどうなってるか状況、教えてっ! 」
ドロシーは目の前の男を怒鳴りつけていた。
「それを今、説明しようとしていたんだけどな。だから、おとなしく聞いて貰えるかな? 」
「えっ… うん。」
ドロシーも取り敢えずは頷いた。最後まで大人しく聞くかは話しの内容次第だとは思っていたが。
「私の名前はヘンリー。このイドムという街の市長といったところだ。」
イドムという都市名は少なくともドロシーの頭の中には無い地名だった。
「何処の国? まさか異世界とか言わないわよね? 」
ドロシーは少し前に読んだ日本の漫画みたいな展開に思わず訊いてみた。
「いや、異世界というよりは異空間と言った方がいいかな。確かに地球上に存在のに地図にも無ければ、簡単に行き来も出来ない。UFOによる人間誘拐と言われている事件の一部は、この世界に迷い込んでいるし、この世界から迷い出るとUMAと呼ばれたりする。」
UMAと言われてドロシーは周囲を見回した。見れば、なんとも見慣れない人外な生物がウロウロとしていた。そしてヘンリーの言っているアブダクションというのが推論法の話ではなく純粋に誘拐の事だと感じていた。
「じゃ、私も誘拐事件の被害者? 」
「いや、君は嵐による事故物件だ。人が落ちてくるのは稀にあるが、小屋ごと降ってきたのは君が初めてだよ。それにしても君にとっては運の悪い場所に落ちたものだけどね。」
事故物件という言われ方に違和感は覚えたが、ここで突っ込んでいては話が進まないだろうとドロシーは我慢した。
「問題は君の落ちた場所なんだ。」
ヘンリーに言われてドロシーは、あらためて小屋が落下した場所を確認した。小屋の下には物語でしか見たことのない巨大生物が息絶えていた。
「な、何? アレ何!? 」
「見てのとおり。ドラゴンだよ。」
思わずドロシーは呆然としていた。