動物挽歌
気がつくと、僕は夢の中にいた。ある場合には、これは夢なんだと自覚できる時がある。今がそうだった。
いつもは気がついた時には目が覚めるのだけど、今回はその気配がなかった。
僕には実体というものがなく、自身の身体を確認する事ができなかった。ただ宙に浮かぶ一つの思念として存在していた。周囲は白い靄に覆われていた。
僕はただふわふわと宙を彷徨いながら、進むべき道を探していた。どうしたものかと考えていると、遠くの方に丸く大きなシルエットが浮かんでいた。
近づくとトランペットを両手に持った一匹のパンダが椅子に座っていた。
パンダはこちらに気が付くと、高らかにトランペットを響かせてみせた。その音色は美しく、とてもパンダが吹いているとは思えなかった。
「やぁ」と僕は声をかけてみた。
パンダ直立不動のままトランペットを愛おしそうに眺めていた。そしてしばらくしてから
こちら見やり「やぁ」と返事をした。
「素敵な音色だね」と僕はパンダの演奏を褒めた。
「ありがとう」パンダは椅子に座り、そう言って微笑んだ。僕にはそれが分かった。
でもどうしてパンダがトランペットを吹くのだろう?どうしてあの大きな手でピストンを押さえるのだろう?そもそもマウスピースに唇をあてがうことが可能なのか?
でもそんなことは考えても仕方のないことだった。これは夢なのだ。それも僕の夢だ。別にパンダがトランペットを扱い華麗な演奏をしてみせても不思議ではない。
「君はトランペットが好きなんだね」と僕は言った。
「もちろん。でも僕がトランペットを吹く理由はそれだけじゃない。」パンダは噛んで含めるように言った。
「僕がトランペットを吹くのは、君がそれを望んだからでもあるんだ。つまり、君はトナカイがサッカーをしたり、ペンギンがバスケットをしたり、あるいはカモシカがゴルフをすることは望まなかった。そんなものはくだらないことだと考えているんだ。そうだろう?」
そう言うとパンダは椅子から立ち上がり、丸くなった体を後ろに反らせるように伸ばし、また座った。
「そうかもしれない」と僕は言った。確かにそのとおりだった。僕はそんなものは見たくなかったし、興味がなかった。でもどうしてトランペット吹きのパンダは存在してもいいと思えたのだろう?分からない、でもしっくりとくるものがある。違和感がない。
「この世界にはバスケットをするペンギンやサッカーをするトナカイもちゃんと存在するんだよ。でも君は彼らを拒んだ。彼らも君に会いたいとは思っていない。それは仕方のないことなんだ。とても自然なことだ」
パンダは僕をぼんやりと見つめながら丁寧に話した。
「僕は幸いにも君に望まれた存在だ。だからこうして君と話をすることもできるし、自慢の演奏も聴かせてあげられる。でもね、それを当然の事だと受け入れられない者もいるんだ。望まれない事に不満を感じて、理不尽だと思う者が大勢いる。考えてみれば、それは当然の事なのにね。でも彼らにはそれが分からないんだ。だから彼らは君を憎みさえするだろう。それはとても危険なことだし、恐ろしことだ。僕の言っている事は分かるよね?」
パンダはトランペットを擦りながら含みのある話し方をした。
「分かるよ」と僕は言った。
「うん、君なら大丈夫だね」パンダはそう言ってトランペットをひと吹きした。
高らかにその音色は響き渡った。パンダは満足そうにトランペットを眺めていた。
「良ければ一つ、演奏してもらえないかな?」僕はパンダに頼んでみた。
「もちろん、喜んで」パンダはそう言って椅子から立ち上がり、両手に抱えたトランペットを胸の前に固定し、軽くお辞儀をした後、トランペットを口にあてがい演奏し始めた。
気が付くと、パンダはもういなかった。
まどろむ意識の中で、ようやく自分がベッドにいることを知った。
僕はぼんやりとしたまま、しばらく現実と夢の境を彷徨った。
誰かの声が聞こえたような気がした。
僕はパンダの演奏をもう一度聴けたらなと思った。