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4話 魔術的な守備

 打って投げて守って走る。

 野球とは簡単に言えばそういうスポーツである。

 すべてを難なくこなせる選手もいれば、代打や代走、守備固め、ワンポイントリリーフなど特化したスペシャリストもいる。

 今西いまにしひろしは諦めていた。自分にはそれすら無理だと。

 彼が野球を始めたのは中学に入ってからである。地元の強豪、北近畿シニア。全国大会出場には一歩届かないが、地域では名の知れた強豪なのだ。野球をするならやっぱり強いところがいい。環境、指導者は申し分ない。

 そう思っていた入団前の今西。今は後悔している。二軍でもベンチを温める日々が続いていたからだ。理由はわかっていた。

 実力がない。でも、そんなことはどうしようもなかった。


 バッティングは苦手。バッティングセンターの球ですら見えない。たまにバットを振り回せば、かすることはある。よく見ろというやつはいるが、見ても打てないのだからしょうがない。バントしか打席ですることがない。

 足の速さは平均的。決してすごい走塁、盗塁技術があるわけではない。いや、むしろ遅いまであるか。

 自分の長所と言えば守備への反応が早いところ。相手が打つ瞬間、どこに打球が飛ぶかが感覚でなんとなくわかる。だが、反応速度に足が追い付かず、捕れない打球が多い。これでは守備が上手いとはいえないだろう。


 とある練習日のこと。悩む今西は、二軍の練習場でぼーっとしていた。

「こんにちは!」

 ジャージ姿で黒縁メガネの女性が声をかけてきた。自分に向けられているのか疑問に思った今西は、あたりを見渡す。

「そうそう、君のこと。迷っても挨拶くらいは返してくれると嬉しいな!」

「ど、どうも……こんにちはです。何か御用ですか? 二軍監督ならあちらにーー」

「……さっきも言ったけど、用があるのは君。実は伸び悩んでるでしょ?」

 この人は何者なのか。ジャージ姿ということはチームの関係者か何かか……? かなり厚底のメガネのようだが、チームにこんな人はいなかったような……?

「なぜ、わかるんですか?」

「そりゃ、君。打球反応だけはいいのよね。肝心の足が追いついてないだけで。かなりセンスあると思うよ」

 なぜ今西の特徴を知っているのかはさておき、そんなことを言われたのは初めてだった。二軍監督に見向きもされてない今西にとっては嬉しかった。

「ランニングメニューはこなしてる? 二軍でもそれなりの練習はあると思うんだけど」

「実はついていけてないんですよね。外周ランのメニューでは周りとかなり遅れちゃってて、周回遅れになることがほとんどです」

 あちゃー、と頭を抱えたジャージ姿の女性は、少し考えるように、顎に手を添えて眉を寄せる。

「たぶん、基礎体力関係の練習が十分じゃないね。持久力とかも。まだ一年生だから仕方ないんだけど」

 体格で判断したんだろうが、なぜ自分が一年だとわかったのか。この人の正体が気になるところだが、彼女は話を進める。

「よし、決めた。君のトレーニングに付き合ってあげる。うまくいけば、一軍に上がれるかも!」

「い、一軍?!」

 いやいやいや。それは流石に無理だ。確か、新入生のテストで大村航大、青木竜二といった天才はいきなり一軍の切符を勝ち取った。だが、自分にそこまでのレベルに相当する実力はたとえ力をつけても無理だ。あり得ない。

「さすがにそれは難しいのでは……」

「とにかく、やってみようよ。私のスペシャル特訓。短期間で一軍切符ゲットコースへ、今西くんをご招待~」

 今、自分の名前を言わなかったか? この人。

 謎だらけのジャージ姿のメガネ女性。かなり強引ではあったが、彼女との猛特訓が始まった。


 

 短期間で一軍切符ゲットコース。夢のようなそれは、はっきり言って地獄だった。

 ペッパー、というらしく、延々と捕って投げてを繰り返す。最初は足を動かさないから楽だと思ってはいたが、だんだんと足を動かす動作が必要になってくる。打球の方向で体が左右に揺れ、その動く幅はだんだんと大きくなってくる。

(あれ、最初はしんどくなかったのに。ぐぬぬ……)

 ついに打球を逸らす今西。ジャージ姿の女性からあー、とため息が漏れる。

「まだ数球じゃない。次々いくわよ!」

 練習時間が終わるころにはへとへとになっていた。足が動かない。


「お疲れ様!」

 疲労感マックスの顔をした今西に練習相手になってくれたジャージ姿の女性が声をかける。

「いや……ほんとに……今まで経験したことない練習でした」

「そりゃ、これ一軍でやってる練習だもの。ほんとはこれの数一〇倍くらいしんどいメニューだけどね」

 それを聞いてぞっとする今西。一軍というのはこことは別次元の世界なのだ、と想像し自身の顔を歪ませる。

「ああ、そんなに気負わなくても大丈夫よ。あなたも確実に力はついてるわ」

 そんなに一日で変わるものではないと思うが……。たしかに二軍の練習とは比べ物にならないほどのしんどさがあった。

 このしんどさが、自分を成長させるならもしくは……と思った今西。甘くない世界だろうが、その道が微かに見えた気がした。


「じゃ、これ。疲労回復メニューと自主練メニュー。渡しとくから来週までできる範囲でこなしといてね」

 練習終わりの帰り際にジャージ姿の女性からそう言われ、メモを渡される。そこにはびっしりと細かく練習メニューが書かれていた。

 ……これを全部やるのか。頭が痛くなる今西。内容は……言うのもつらい。



 練習を始めてから数週間後。最初は消化しきれないメモに書かれた練習メニューも次第にこなせるようになってきた。

 疲労回復のメニューも大したもので、きつい練習をしても次の日にはほぼ問題なく動けるように回復していた。

 そのメニューには体をほぐすストレッチのようなものもあった。体が柔らかいとは言えない彼にとって柔軟性を高めるというのは、疲労を体から逃がすという点で効果的だったのかもしれない。実際のところはよくわからないが。

 

 そして、猛特訓の成果を実感できるときが来た。

 打球が二遊間に抜けようとする難しい打球。以前なら追いつけなかった打球だが、グラブが球に届く。

「捕れた……」

 以前の今西からすれば、絶対捕れない打球。練習の成果は現れ始めていた。

(体が軽い。あの練習よりかは断然楽じゃないか?)



「よし、そろそろ頃合いかな?」

「何がですか?」

 猛特訓に体が慣れ始めた頃。ジャージ姿の女性が今西に言った。

「今度、二軍で対外試合が組まれることになったの。そこで今西くんには一軍昇格を懸けたテストをしてもらうわ」

 その条件は、今西自身の守備機会がある箇所で無失策で一試合を終えること。また、一二塁間、二遊間に打球を抜かせないこと。二塁手と外野間のポテンヒットをゼロにすることなど、かなり厳しい条件だった。

 だが、あの猛練習をようやくこなすことができるようになった今西に不安はない。

「やります、やれます!」

「当日、楽しみにしてるわ」

 そう言って、彼女は笑みを浮かべた。どこかで見たことのあるその笑顔に疑問が浮かんだ。

 だが、おそらくこの人も試合は見に来るだろう。その時に訊けばいい。今西はそう思った。



 試合の日。相手は二軍連中だと気づいてはいない。試合は拮抗していた。

 それもそのはず。一二塁間、二遊間に抜けそうな打球はすべて今西が処理し、アウトカウントを重ねていく。

 その守備はまさに芸術的で、相手から驚愕の声が上がるほど。

 二塁手と外野の中間に落ちそうな打球が飛んで来たときは、今西がいち早く走り込んで飛びつく。ギリギリでグラブに収まった。

「ナイスプレイ!」

 チームメイトからの声にグラブタッチで応える今西。守備は間違いなく上達していた。守備に関しては合格点を貰えるかもしれない。

 その守備はまさしく魔術的な何かを見ているような。まわりをそんな気にさせる不思議なものだった。


 

 試合は両者無得点のまま、最終回。裏の攻撃で得点が入らなければ、練習試合なので引き分けとなる。

 二死ながら三塁。四球からバントと進塁打でなんとかチャンスを作り、打席には今日ノーヒットの今西。打撃練習など、守備練習ばかりでほとんどやっていなかった。ヒットは勿論望めない。

 普通のヒットなら。今西には考えがあった。

(ここでダメでも引き分けだ。なら思い切って、セオリーから外れたことをやってやる)

 相手の守備は上手いとは言えない。内野の隙間に狙いを定め、今西はバットを寝かせた。

「セーフティスクイズ!」

(残念、これはバントヒットさ!)

 転がる球には勢いがあり、処理に行く投手と一塁手の間を抜けていく。

 一塁のベースカバーに入っていた二塁手は逆を突かれ、対応できなかった。

 打球はまさかの外野へ。そのときには今西は一塁に到達していた。

「よっしゃー! サヨナラだ!!」

 味方から歓声が聞こえる。初めて打席でも貢献できたことが、今西はたまらなく嬉しかった。


 

「お疲れ様! 二軍の皆!」

 そこにいたのは一軍監督の水原 涼子りょうこさん。その美麗で整った顔立ちを見るのは入団テスト以来か。

 だが、今西はどこかで最近あった気がしてならない。特に声が練習に付き合ってくれていたあの人とそっくりだった。

「試合後、急で悪いのだけど、今日は発表があって来ました」

 そして、彼女は今西を見る。

「今西くん、おめでとう。今日からあなたは一軍よ!」

 まわりの皆はぽかんと口を開けていた。それもそのはず、このテストを知らされていたのは今西だけなのだから。

 だが、この人はなぜ色々と知っている? まさか……。

「じゃじゃーん! 我ながら、完璧な変装だったでしょ?!」

 かつらを被り、厚底のメガネをかけた彼女は、猛特訓に付き合ってくれていたジャージ姿の女性そのものであった。

 今西は言った。

「監督って意外と暇人なんですね」

「な……いや、違うよ?! 私これでもかなり忙しいよ、うん!! 忙しい忙しい! 忙しいの!!」

 顔を真っ赤にして必死に誤魔化そうとする監督は、なんだか可愛らしかった。

今西弘

龍山学院野球部一年。背番号四

ポジション 二塁手


経歴

北近畿シニア→龍山学院


北近畿シニアの二軍選手だったが、監督に見いだされ一軍の世界に足を踏み入れる。

鉄壁の守備を誇り、一二塁間、二遊間、内外野の間など抜かりなく、好プレーを連発する。

バントの上手さはもはや職人芸。その一方で打撃そのものは不得手。

鍵谷の後、二番を打つことが多い。

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