3話 飛距離を求めて
「あーやる気でねぇわ」
大きなあくびをして、ため息をつく人物が一人。
高井川政也。龍山学院高校の制服に袖を通して間もない彼だが、新入生らしからぬ高身長とがっしりとした体格は目を見張るものがある。
勉強は下から数えた方が早い。補修にはならないように気をつけてはいるが、そろそろ勉強をしておかないと危ない気がする。
とはいえ、毎日の授業は退屈で最近はろくにノートをとっていないような気がする。
……まあいいか。
航大や中村に頭を下げて、勉強は教えてもらうとしよう。
高井川は背伸びをする。
最近の野球部について振り返ってみるとしよう。
一年対二年の紅白戦に勝った一年はレギュラーとして一桁の背番号を渡された。それに対して不満を漏らすものもいたが、大抵は試合に出る機会を与えられなかったほかの二年生や紅白戦メンバーに選ばれなかった者たち。彼らの声など何の効力もないわけで、一年がレギュラーとして練習試合や公式戦に出場していく。二年生でも途中出場や守備固め、ここぞの場面の代打など全く出番がないわけではない。
高井川自体も出番がないわけではなく、むしろレギュラーとして一塁を陣取っている。陣取っているだけなのが悲しい。
守備は悪くない。最低限のことはこなせている。打撃もフルスイング。絶好球ならその気になれば場外まで飛ばす自信がある。
だが、今一つ注目されない。中学の時はそれなりに居たんだけどな。声援をくれる人たちが。
龍山学院野球部の一年生はレベルが高い。投手で言えば大村航大。伸びのある直球と手元で曲がる変化球が打者を手玉に取る。
捕手と打撃なら中村。リードそのものの評価は悪くなく、盗塁を刺す強肩と練習による技術が相当詰め込まれたであろう打撃。何度も潰れた両手のマメがその努力の質と量を物語っている。龍山学院の四番は彼にこそふさわしい。
守備で言えば今西。守備範囲が広く、本職の二塁から一二塁間、二遊間、さらには外野まで張り巡らされた鉄壁センサーが打球を抜けさせない。
走塁なら鍵谷。将来を期待された元陸上選手の実力は本物だ。二盗、三盗は朝飯前。守備自体はそれほど上手いというわけではないが、足の速さで難しい打球に追いつくことができる。
走攻守三拍子揃った青木。もう言うまでもない完璧超人。彼には敵わないだろう。
他にもカット打ちの曲者、強肩外野手、何でもこなせる伏兵スーパーサブだったり、一芸に長ける役者が勢ぞろいである。
高井川はというと彼らの活躍に押され、いまいち活躍できていない。守備や走塁は仕方ない。だが、打撃で上には上がいるということを認めきれないところがあった。
「打撃だけなら負けてないはずなんだけどな」
今日の練習メニューを見てにやりと笑う。フリー打撃の文字がそこにはあった。
「おかしいなぁ。俺は中村より遠くに打球を飛ばせるはずなのにな」
フリー打撃中の高井川は独り言を吐いた。
打球を遠くに飛ばすこと、それが高井川の打撃に対する考え方である。そのためなら三振も恐れてはいないのだとか。
彼がフリー打撃の練習中であるときは用心しなければならない。無論、一年生といって侮ってはいけないのだ。
当たっただけ、でも凄まじい打球スピード。一瞬にして内野を抜け、外野まで勢いが衰えないほど強い打球である。
残念なのは当たれば、なのである。たられば、はあくまで仮定の話。高井川がスナイパー並みの凄腕スラッガーだったならおそらく龍山学院のユニフォームは着ていなかっただろう。
「馬鹿言うな、高井川。当たらなきゃ意味ないぞ」
高井川の隣でボールを見極め、時には粘り、甘い球を逃さずスタンドに持っていく中村。彼の言葉には説得力がある。実際に結果は出ているわけだ。少なくとも高井川よりは。
「何を言うか。フルスイング命! 飛距離命! 豪快な打撃は世界を変えるんだぞ!」
「この前の試合で四タコ、二併殺のおまけ付きだったお前が何を言うか。結果出せ、結果を」
周囲が笑いに包まれる。龍山学院の今、そして今後を支えるであろう四番と五番。その結果は残念ながら対照的だ。
「そうだ、十球勝負だ中村! 俺が勝ったら四番をいただく!」
なぜか自信満々の高井川にため息をつく中村。
「四番五番も一緒だ。お前が四番に座ってもどうせタコるから俺が決める。あんまり変わらない。なんなら下位打線が分相応だな」
「な……! なんで凡退する前提なんだよ……俺悲しい……。というかタコるってなんだよ!」
とにかく勝負だ、と高井川は意気込む。
できれば試合で頑張ってほしい、と中村は思った。
「ふうん、中村くんと高井川くんがホームラン競争。面白いじゃない」
ネット裏で水原監督と航大、京子が二人の様子を見ながら会話をしている。
「ま、中村くんの勝ちだね。やる前から決まってるし」
「ま、十中八九そうなるだろうね」
航大と京子は中村が勝つことを予想する。監督はふうん、と返事し、言った。
「ホームランの数なら中村くんでしょうけど、飛距離なら……まだわからないかもよ?」
お互いあと一球を残すのみとなった十球勝負。ここまで中村が七球柵越え、高井川は六球といい勝負。
と、思いきや高井川の方は相当なハンデを与えられていたようで……。
中村の打撃投手は変化球を多彩なコースに投げ分けていたのに対し、高井川の打撃投手は真っすぐど真ん中を続けていた。
ここで中村が打てば勝ちが決まる。
「あー惜しい!」
中村の内角高めの速球に詰まらされ、内野フライ。
高井川のラスト一球。ここで打てば同点で終了だ。
「よっしゃ来い!」
高井川は狙っていた。高めの真っすぐを。
投じられた絶好球を目いっぱいフルスイングする。
凄まじい打球は柵越えだけでは飽き足らず、場外へと消えていく。
皆、その打球が消えた方向を見つめている。感嘆の声を上げる者もいた。
「ほええ」
思わず中村が声を漏らした。高井川はそれを聞き逃さない。
「見たか中村! これが俺の実力ってヤツよ!」
同点にして、なおかつインパクトを残した高井川は勝ち誇っている。
「……まあ、ハンデやったんだからこれくらいやってもらわないとな」
「なっ……」
中村は知っていたようだ。打撃投手と事前に打ち合わせをしていたのを観ていたらしい。それを承知で中村の方は、変化球練り混ぜを指示して勝負をしたという。四番の方が一枚も二枚も上手だった。
「今度は試合で場外弾打ってくれよ」
中村は言った。必ずこの迫力ある打撃が必要になるときが必ず来る。
「任せろ!」
もっともっと遠くに飛ばしたい。それだけを願い、今日も彼はかっ飛ばす。
高井川政也 (たかいがわ まさや)
龍山学院野球部一年。背番号三
ポジション 一塁手
経歴
中学軟式→龍山学院
飛距離だけならチーム一番。凄まじいパワーの持ち主。
だが、守備走塁は平凡で二年の同じポジションの因島には及ばない。
ミート力は極端に低く、当たれば飛ぶとしか打撃は評価されない。
中村の後ろを打つことが多く、彼が試合を決める一打を打った後に凡退するケースが目立つのは仕方ないところ。