2話 1軍を目指して
練習しない天才や秀才は居ないと思っている。
誰だって努力している。
限界を越えた努力が、いつか必ず道を開く。
一人、ユニフォーム姿の少年が、坂を駆け下りていく。
その名は中村剛志。
今日、関西の名門チーム、北近畿シニアの入団テストを受けに行く。
家庭の事情でこれまで野球ができなかった彼にとって、これほど待ちわびたことはない。
プロの世界に憧れた中村。これはその第一歩なのだ。
だが、忘れてはならないことがある。このチームには入団テストが存在するということだ。
成績があまりに悪ければ、チームに所属できない。また、結果によって1軍から3軍のいずれかに振り分けられるというもの。
1軍はおろか、2軍の門すら非常に狭き門だという話を何人にも聞いた。
1軍や2軍になるメンバーに素人はほとんどいないらしい。小学校でのリトルもしくは少年野球チーム所属の経験者がほぼ全員なのだとか。そう考えると、厳しいところに身を置くことになるだろう。
また、3軍についてもいい噂を聞かない。練習環境が劣悪で、ろくな指導者がいないらしく、対外試合のような実戦の機会もほとんどない。3軍配属になった人は1年足らずで消えていくそうだ。
そんな話を耳にして不安になった中村だが、夢のため、やるべきことは一つ。
テストに合格して、あくまでも2軍以上を目指す。
この日までずっと練習をしてきた。それを全てぶつける。
それにテストを受けるのは中村一人ではない。
共にこのテストを受ける「仲間」もいる。ライバルでもあるが。
「なんだ、寝坊でもしたのか?」
息が切れている中村を見て、背の低い少年が声をかける。
「待ちきれなくて。つい走ってきちまった」
「1次テストは短距離なんだぞ。大丈夫か?」
「問題ないぜ、航大。俺は受かる。そしてお前も」
「……どこにそんな自信があるんだか。まあお互い頑張ろうや」
大村航大。中学入学前に東京から親の都合で京都に引っ越してきた。聞けば北近畿シニアの入団テストを受ける予定だというのだから、一緒に自主トレをやってきた。
リトルで投手の経験があるという航大。150cmと背はあまり高くない。だが、彼の球を受けてみると、ノビがよく、コントロールに狂いがない。さすがは経験者といったところだ。
中村が捕手としてテストを受けようと思ったのは、航大の球を捕っていくうちに捕手というポジションに興味を持ったからである。
二人は、入団テストの受付で名前と希望ポジションを記入し終える。
案内役のスタッフと思わしき人に案内され、一次テスト短距離走が行われるグラウンドに移動する。基準タイムを見る限り、運動し慣れていない人にとってはきついだろう。
「8秒台前半、ね。まあ、やってやろうやん」
「そうだな」
スタート位置に立つ二人。笛が吹かれたーー。
結果を言うと、無事二人は一次テストを通過した。
走ることは野球をやる上で避けては通れない。この程度でつまづいているようではこの先は厳しいだろう。
何人かは荷物をまとめ、グラウンドを後にしている。誰も悔しそうな素振りを見せることはなく、どちらかといえばやっぱりな、というような記念受験に近いような納得の表情。
1次テストが終了し、残っている入団希望者は実力を見る2次テストに進む。
それぞれのポジションの守備や打撃をチェックされる。投手はここに投球テストが追加される。
名前が呼ばれるまでキャッチボールをする二人。
「18番、大村くん。これより投球テストを行う」
航大はキャッチボールを止め、はい、と返事をする。
「頑張れよ」
中村の激励に、ああ、と返し二次テストに向かう。
「25番、中村くん。これより捕手のテストを行う。」
中村はテスト会場に向かう。
「こ、こんなはずでは……」
航大という野球経験者の球を難なく受けられる。その自信が過信に変わっていた。
中村の結果は散々だった。守備では何度もパスボール。打撃では、同世代のテスト生が投じる何でもない直球にかすりもしない。初心者としてはよくやったという見方もできるだろう。経験者と素人。レベルの違いを見せつけられてしまった。
冷静に考えてみれば、素人同然の中村。1軍は愚か、2軍にすら行くことはできない。素人のうち、たった数ヶ月の練習で上手くなれるのは、本当に飲み込みが早い人だけだろう。
結果は火を見るより明らかで、中村は3軍行きを告げられた。
時刻はあっという間に夕暮れ時。カラスの鳴き声が響くグラウンドで一人の野球少年が落胆の表情を見せている。
項垂れたまま、中村は、航大に言った。
「全然……ダメだったよ。3軍だ。俺は精一杯やったんだがな」
「そうか……」
中村の落ち込みようを見て、航大は一言だけ返す。
テストの監督役と思わしき人物が残っている入団希望者を集合させる。
今回のテストの参加者は100人。うち20人ほどがすでに脱落していた。テスト監督は、確認の意味を込めて全員の名前と振り分けを全員の前で発表する。
「ーー25番、中村剛志。26番ーー」
まず最初に呼ばれたのは3軍。中村の名前が呼ばれる。それはどん底からのスタートであることを意味していた。続けて2軍も呼ばれる。
「44番、今西弘、47番ーー」
長々と名前が呼ばれていく。最後、以上2軍、と告げるテスト監督。2軍配属となるメンバーは10人も居なかった。
航大の名前は呼ばれていない。まさか……という最悪の結果を打ち消すかのように、テスト監督は続ける。
「今年は6年ぶりに1軍配属になる入団希望者がいる。8番、青木竜二。18番、大村航大。以上2名だ」
場がざわめく声に支配される。いきなりの1軍配属者が出たのは6年前。チームが全国優勝した時のエースが入ってきた年だったそうだ。
これで、この場にいる入団希望者全員が振り分けられた。脱落者はなしということになる。
緊張と静寂が場を包む中、テスト監督は告げた。
「全員、ここにいる者は仮入団を認められた者たちだ。結果を踏まえ、入団するかしないかは親御さんと相談して次回の練習までに決めてくれ。次回練習に来る者だけに本入団を許可する」
本日は以上。解散! と言ったテスト監督の締めの言葉を聞き、帰り支度をする入団希望者たち。
すると、航大が中村を半ば強引に引っ張り、テスト監督に言った。
「あの。1軍の練習、見せていただけませんか。こいつも一緒に」
「見学か? 熱心だな。いいだろう」
無駄でミスのない守備の動き。打撃でも自分とはまるで別次元のレベル。1軍の凄さに圧倒される中村。対する航大はそれほど驚いていない様子。テスト監督が説明に入る。
「これが1軍の練習だ。まだこれでも今日は軽いメニューをこなしているだけだが」
テスト監督から色々と話を聞く二人。
練習は間も無く終わるそうだが、このあとレギュラー組のほとんどはナイター設備を使い、自主練に励むらしい。
その様子をしばらく眺め、航大が口を開く。
「中村、1軍で待ってるぜ」
「……え?」
「忘れんなよ。俺が1軍で投げるとき、マスクを被るのはお前だからな」
「ああ……」
航大は、数時間前、3軍配属を言い渡された中村に1軍で待つ、と言ってくれた。消沈していた中村は、ただ肯定するしか返すことができなかったが、気持ちは少しずつ上を向き始めた。
「ウォォォッ!!! やってやるぞ!」
帰り道、雄叫びをあげる一人の少年。カラ元気でも構わない。
どん底ではあるが、夢への第一歩を踏み出した。
次の週。中村が入団してから初めての3軍練習。サブグラウンド10周をコーチに命じられ、ひたすら走る。だが、5周を過ぎたあたりから足が前に進まなくなる。体力の強化。ど素人の中村が1軍にたどり着くには必須項目だろう。
捕手は、ただ投手の球を捕ればいいというものではない。自分だけでなく全体を見通し、指示を出す。投手を助け、チームを支えるのが、捕手の役目。
そのために必要な捕手の守備。走者を刺す送球、そのためのフットワーク。足腰含め基礎体力を鍛えなければ強豪チームのレギュラー捕手は務まらないだろう。
「コラ、そこ! 休むな!」
「ひぃ……」
中村は悲鳴を上げながら、止まっていた重い足をなんとか動かす。これも全て、1軍に昇格して航大とバッテリーを組むため。辛いことを乗り越えていくしかない。
北近畿シニアに新しく入団した3軍のメンバーは、20名ほど。先週の段階ではもっと居たのだが、現実を目の当たりにして去る人が数名。今後の練習次第では、消えるメンバーが増えていくだろう。
現状、1軍と2軍に入れる人数には上限があり、1軍25名、2軍25名、それ以外は3軍。無論、すでに1軍、2軍の枠は埋まっている。昇格するには、2軍の選手よりも実力があることをアピールしなければならない。
だが、アピールしようにも対外試合の機会が与えられないのが3軍の特徴だった。実力が全てのこのチームでは、たとえ3年生になったとしても3軍のままということは普通にありえる。
唯一の実戦の機会は月一回行われる2軍対3軍の紅白戦。中村はまず、そこに照準をあわせて練習に取り組んでいく。そのために誰よりも多く練習を積む。居残り練習は当たり前だ。
「監督、居残り練習いいですか?」
「ああ、好きにして構わんが……。あまり無理しすぎるなよ」
「はい!」
たった一人のグラウンドで、中村は素振りを続ける。航大とのバッテリーを夢見て。
中村が入団してから数週間か経過した。あれから、練習終わりに居残りをするのは相変わらず中村のみ。ガラガラのサブグラウンドで素振りをしたり、ときにはコーチに手を貸してもらいマシンを使っての打撃練習をこなす。
3軍メンバーの中には、過酷な練習と試合に出られない不満から練習に来なくなる人も居た。無論、基礎の基礎を投げ出すようなメンバーが昇格など認められるはずもなく、メンバー名簿から名前が消える。
こうして一人、又一人と辞めていく3軍の選手。だが、中村は違った。1軍に上がることだけではなく、その先に目標がある。だから、辛い練習でも乗り越えられる。悲鳴を上げることは多々あるが。
「航大とバッテリーを組む。一緒に、日本一になるんだ!」
必死にバットを振る中村。毎週ある過酷な基礎練習は、3軍メンバーのほとんどが音を上げて、中村以外は誰も残ろうとしない。
「よっ、3軍で残ってるのはお前だけか?」
唐突に現れ、声をかけて来た航大。1軍の練習を終え、これから帰るところらしい。
もう一人、背の高い女性が隣に居た。黒髪で肩にはかからないストレートボブヘアーが印象的で、練習着を着ているということはこのチームのコーチもしくはスタッフだろう。いずれにせよチームの関係者だろうと中村は思った。
「大村くん。彼は?」
「3軍の中村です。ポジションは捕手。俺の直球を難なく捕れる優秀な……ね?」
急に話し始めて話を振られ、何のことやらと思っていると、チームの関係者らしき女性は中村に言った。
「初めまして。私は北近畿シニア1軍監督、水原涼子。よろしくね」
中村には、にこやかに話す彼女が1軍の監督には到底見えなかった。
「で、早速なんだけど航大くん。彼は代役として適任なんじゃない?」
「そこは実践を見てみないと何とも……。俺はただの選手ですし、自分の一存で決めることでは……」
「ま、それもそうか……。よし決めた。来週に2軍対3軍の紅白戦があるわよね? 私、観に行くことにするわ」
「えっ? 観に行くって、監督! 来週は練習試合がーー」
航大の言葉を遮り、水原1軍監督は言った。
「その試合、コーチに任せるわ。それに、大村くんも来るのよ。これは監督命令ね」
「パワハラだ……」
「馬鹿なこと言うんじゃないの。ちゃんと理由はあるわ。貴方の今後の為にも必要なことなのよ」
航大にも、やりとりを聞いている中村にも、その理由とやらはわからない。だが、1軍監督が直々に紅白戦を観に来るということは、中村にとって自分をアピールする大チャンスだ。
「じゃ、楽しみに待ってるわね。中村くん。期待しているわ」
そう言って、水原監督は去っていく。
「今日は用事があるから先に帰るわ。練習、頑張れよ」
そう声をかけて航大もグラウンドを後にする。
「監督……本気ですか?」
「私が冗談を言うとでも? 1軍の状況は貴方もわかっているでしょ?」
「まぁ、それは……そうですけど」
「怪我はするわ、不振だわ、うちの今の弱点は捕手なのよね。中村くんが必要なのよ」
1軍は今、捕手の代役が欲しい。控えの真鍋の長期離脱、スタメンの3年生、足立は不振。2軍に目ぼしい選手はいない。
中村が練習をこなす様子をたまたま見て、監督の心が騒いだらしい。
「確かにキャッチングだけなら上手いでしょうけど、それ以外の部分はまだまだ穴だらけ。入団テストのときよりかは成長してるとは思いますけどね」
「ふふっ、貴方も中村くん本人も気がついてないようね。練習で蓄えられた力というものに」
いずれ来週にわかる、と監督は言った。航大はそれが何なのか、来週の紅白戦を観て確かめることにした。
1週間後、2軍と3軍の紅白戦が行われる日になる。戦力差は明らかで3軍には早くも敗色濃厚の雰囲気が漂っていた。
「ま、気楽にやろうぜ。どうせ勝てやしないんだから」
チームメイトからやる気のない発言が平然と飛び出す。瞳は燃え上がるどころか冷め切っている。対外試合の経験の有無、実力、練習量。全て相手が上だ。
諦めるのも無理はないが、目の輝きが失われていない選手が一人。捕手としてスタメン出場の中村だ。
「さて、見せてもらうわよ。中村くんの実力を」
(頑張れよ、中村……)
航大は心の中で祈る。まだ、1軍のレベルに達してはいないと思っている航大だが、アピールするには絶好のチャンス。
いよいよ、試合が始まる。
2軍の攻撃。先頭打者、次の打者に連続して長打を浴び、早くも先制点を許す。
「ああ……」
航大はため息をつく。中村の1軍への道は一歩遠かったと思った航大だったが、水原監督は違う見方をしていたようだ。
「……うむ。リードは悪くない。それよりも、気になるのはあの投手のコントロール。練習に励んでいたのか疑問だわ」
水原監督は少し考えてこう結論を出した。
「配球、コースは文句なし。でも、そのリードに投手がついていけてない。この試合の勝ち負けで昇降を判断するのはナンセンスね」
投手が打たれること。それは投手の勝手な投球でない限り、サインを出している捕手の責任。捕手が評価されるのは、試合に勝ったとき。
確かにその考えには一理ある。だが野球には勝ち負け以上に大切なことがある。
「ダメなときはみんなで補う。投手、チームは捕手という司令塔に支えられているけれど、捕手もチームメイトに支えられているから司令塔の仕事を全うできるのよ」
自然と支え合い、補い合い、ときにはぶつかりながら大きな目標、日本一を目指すために戦う。
そのために全力を出し切ること。自分が持てる最大限の力で強敵に挑むこと。
そうするための努力や基礎の基礎を疎かにしていてはいけない。今の3軍には無いものだろう。
「3軍の監督やコーチ陣も一体何を教えているのやら。捕手以外はレベルが雲泥の差ね」
何点取られても中村だけは諦めなかった。集中力を切らさず、最後まで捕手としての仕事を全うした。
最終回。点差は15点。誰がどう塁に出ようとも3軍の負けは確定。
それでも中村は、何とか結果を残したく、素振りを繰り返し、相手の投球のタイミングを計る。ここまでの打撃は全て、あとひと伸びが足りない外野フライ。
中村は打席に立つ。
「もっと速く、鋭く。球筋はわかっている。俺ならできる」
決して過信ではない。今までの努力。両手にある無数の潰れたマメが、本気で夢を掴もうとしている人であることをはっきりと表していた。
「真ん中高め、ストレート。打ち砕く!」
白球は高々と舞い上がり、凄まじい金属音と共にスタンドに吸い込まれる。
だが、中村に笑顔はない。このホームランが焼け石に水であることを本人は1番理解していた。
15対1。もっとうまくリードできていたら。そう思うと、悔しさが込み上げてくる。
試合は後続が凡退し、あっけなく終わった。
「さて、中村くんと話をしますか」
水原監督と航大は3軍の監督コーチ控室に向かう。
「どうなんでしょう。あいつは」
航大は恐る恐る水原監督に尋ねる。
「……一度、大村くんとバッテリーを組ませてみたくなった、かな」
大量失点は捕手ではなく、コントロールが壊滅的だった投手陣に責任がある。
水原監督はそう考えていたようだが、3軍の監督、コーチ陣はその考えとは真逆だった。
試合後、中村は監督に対して、心ない言葉を浴びせられる。
「何だあの失点の数は! お前は捕手には向いてない!!」
結果を出さなければ1軍どころか2軍にも上がれないとか、結果、結果、結果。過程を全否定される。
中学生になったばかりの少年にとってこれは酷だった。
しまいには、才能がないだの練習が身になってないなど言い出し追い打ちをかける。
「もう辞めるか、中村。これ以上努力してもこの結果では、仕方ないだろう」
色々好き放題言った挙句、出てきたのは退部勧告ともとれる言葉。
3軍の誰よりも練習はこなしている。だが、結果が出ないのでは仕方ないと中村は思ってしまう。事実、試合に勝てなかった。ここは普通のチームではない。全国制覇を目指す関西屈指の強豪チーム。勝てない捕手より、勝てる捕手を採用するのは当然だろう。
「お前には野球の才能はないんだろう。これ以上続けても、2軍昇格すら厳しい。心苦しいが、私は退団を勧める。どうするかはお前の自由だ」
辞めるか残るか。究極の選択を迫られる中村。回答に困っていると、突然ノックの音がした。
「おっと、お取り込み中でしたか」
「な、水原監督?! 今日は練習試合があると聞いてましたが……」
3軍監督の慌てっぷりを見ると、実に滑稽であった。人影が少し前から中村には見えていた。盗み聞きをしていたのだろう。
「……今日の試合観させてもらったわ。15対1。投打共に3軍は振るわなかったわね」
「そ、そうなんですよ。何と言ってもうちの中村のリードが今日の大量失点をーー」
「中村くん。よく、15点で抑えられたわね。並の捕手なら軽く30点以上は取られていたかしら。集中力を切らさず最後にホームランを打ったあたりは称賛に値するわ」
「な……何を言って。こいつは2軍に昇格する資格などーー」
「わかってないわね」
やれやれと息を吐き、3軍監督を冷たい目で睨み付ける。
「投手も野手も練習を積んでいるようにはとても見えなかった。3軍の噂は耳に入れていたけれどここまで酷いものだとは思わなかった。貴方も貴方で最低の監督ね」
水原監督は、中村のリードを評価していた。コントロールが皆無の投手陣。15点取られながらも集中力を切らさず、最後の最後で結果を出した彼を褒めたのだ。
「中村くん、突然だけど貴方を1軍に招待します。故障で長期離脱になった真鍋くんと入れ替わりになるんだけど、1軍の戦力として、期待してるわ」
水原監督の言葉に何が何だか理解が追いつかない中村。たくさん点を取られ、捕手の仕事をこなせたとはいえなかったのだが、なぜか認められた。よく考えてみれば、野球で褒められたのは初めてかもしれない。
一方で動揺を隠せない3軍監督。
「選手を動かし、勝利に導くのは監督の役目。勝てば選手の手柄、負ければ監督の責任。心に留めておくことね」
肩を落とす3軍監督。意気消沈したその姿に先ほどまでの怒鳴り散らすほどのエネルギーは感じられなかった。
1軍の練習場に向かう、中村と水原監督。
「中村くん、貴方には一つ覚えていて欲しいことがある」
「な、何でしょう?」
「野球は確かに結果が全て。でもそこに至るまでの過程が大事なのよ」
水原監督が求めている選手。それは、たとえ何十点取られようと、諦めない選手。彼の両手を見て監督は確信したのだという。彼ならチームに良い風を吹かせられる、と。
「忘れないで。貴方のことをちゃんと評価する人、支えてくれる仲間も居るってこと。1軍には最高の環境がある。貴方以上に野球に熱心な選手と切磋琢磨して、勝ち取ってごらんなさい。大村くんとの1年生バッテリー。私は楽しみにしてるから」
1軍のグラウンドに着く。
練習試合を終えて、帰って来たらしい1軍選手たち。2軍の選手とは比べものにならないくらいの迫力がある。
「12対ゼロか。終始退屈だったよなー」
「あ〜不完全燃焼って感じ」
それぞれが異質で凄まじいオーラを放っており、付け入る隙は微塵にも感じられない。
1軍選手の様子に驚いている中村に、主将の東が声をかける。
「ようこそ、北近畿シニア1軍へ。今日からお前は、本当の意味で北近畿シニアの一員だ。共に日本一を目指そうや」
ここがゴールではない。始まりなのだ。
「コラ、中村! 寝るな!!」
3軍時代の練習の3倍以上の量。初日にもかかわらず、倒れ込む中村。
正捕手の足立を追い越す。これまでも、これからも、無理だと言われても諦めない。
限界を越えた努力で技術を磨く。全ては、最高の捕手になるために。航大とバッテリーを組むために。
あれからおよそ3年。
墓前に手を合わせる一人の青年がいた。
「諦めないこと、支え合うこと、過程を大事にすること。貴方からは、たくさんのことを教わった」
北近畿シニアを引っ張り、キャプテンも経験し、頼もしくなった彼は、龍山学院高校を引っ張る正捕手として夏の大会を勝ち進んでいた。
「航大と俺で掴んだ公式戦初勝利のボールです。あいつほんとにすごいんですよ。久々の公式戦でノーノーとか。努力する天才の右出るもんはなかなか居ないですわ」
笑いながら、墓石に向かって話す青年は最後に、と一言告げる。
「あの時は果たせなかった日本一。今度こそ実現させます。だから……見守っていてくださいね、監督」
監督の数々の教えは今も、中村の胸に刻まれている。
中村剛志
龍山学院野球部一年。背番号二
ポジション 捕手
経歴
北近畿シニア→龍山学院
元は北近畿シニアの崖っぷち三軍選手。様々な人の助けがあり、技術面を必死に磨き一軍を勝ち取り正捕手の座を手にするほど急成長を遂げた。
航大とのコンビで「負けないエース」を体現し、攻守ともにチームを支えた。
北近畿シニアでの度重なる悲劇を乗り越え、高校に進学。
紆余曲折あって航大と再びバッテリーを組むことになる。
司令塔としてチームの勝利に貢献する姿勢は変わらない。