旧狐付村にあった駅
毎度バカバカしい噺をひとつ。
立秋も過ぎ、暦の上では夏が終わったと申しましても、まだまだ暑い日が続いております。
密を避けろと言われずとも、あまり他人と近付きたくない季節でございますな。
ただ、日傘、色眼鏡、長手袋に加えてマスクまで着用しておられると、誰が誰だか怪しいものですよ。中には、人間に化けた怪物が紛れているかもしれません。ねぇ、奥さん。
さて。
こんな盛夏の折には、スッと背筋に冷たいモノが走るようなお話をいたしましょうかね。
こうして噺家をしておりますと、時々、お寺さんから公演依頼を受けることがございます。
都市部であれば電車やバスで移動しますが、公共交通機関の手薄な地方への移動となりますと、タクシーを利用することが多くなります。
相手が噺家だからなのか、それとも東京から来た人間だからなのか存じませんが、中には積極的に話しかけて来られる運転手さんがおられます。
その昔、某著名人を乗せたんだという自慢話から、その町で美味しい物がいただける名店の紹介まで、お話の内容は様々です。
私見ですが、ベテランの運転手さんほど、込み入った濃いお話をされる傾向があるように見受けられますな。
場所は伏せますが、今からお話しする怪談も、何年も前に、ある個人タクシーのベテラン運転手さんから伺ったものでございます。
運転手さんが若い頃、その村にはローカル線が走っておりました。
あたりは水田が広がり、耳をすませば山鳩や青蛙の鳴き声が聞こえてくる、長閑な場所でございます。
鉄路が唯一の交通手段だった時代には、多くの利用者を輸送していたらしいのですが、運転手さんが中学を出る頃には、通勤通学以外で乗降客数がゼロに等しかったそうです。
道路整備が進み、自家用車やトラック輸送が普及するにつれ、旅客も貨物も年を追うごとに収益が減っていき、最終的にヨンサントオで廃線が決まる直前には、利潤の八倍近い経費がかかっていたそうでございます。
少し話を戻しますが、運転手さんのお父さんは、その路線で車掌さんをされておられたそうです。
ローカル線には人員が少ないものですから、車掌といえども、出札や改札、貨車の切り離し、ポイントの切り替え、タブレットの受け取りなど、半分は駅員の仕事も兼任しなければならず、日々それなりに忙しく働いていたそうでございます。
中でも厄介なのが、忘れ物の預かり業務だったそうです。
忘れ物の定番と言えば傘でございまして、持ち手や留め紐に名前が記されていればまだしも、どこにも所有者を示すものが無いとなると、もうお手上げですな。
が、そんな傘を処分するのは、それほど心が痛むものではございません。
しばらく終着駅に置いておいたあと、麻紐か何かで縛って捨ててしまえばおしまいです。
置き忘れた持ち主も、その頃には新しい傘を買って使っていることでしょう。
悩ましいのは、持ち主の思い入れが強くこもっていそうな品が忘れられていた場合でございます。
それは、決まって夜の九時台に走る最終列車だったといいます。
単線を二両編成で走るその列車に乗るお客さんは、ほぼほぼ決まっておりました。
お酒好きな農家のおじさん仲間、隣町の工場で働くお姉さんたちと、定時制高校の夜間部に通う学生さんが数名です。
運転手のお父さんである車掌さんも、切符を拝見したり、雑談を交わしたりしておりましたので、一人一人よくよく顔を覚えていたそうです。
奇妙な出来事が起こり始めたのは、前村長が老衰で亡くなり、新村長が代替わりしてからでした。
理系の大学を出たあと、エンジニアとして働いていた村長は、村を過疎から救うためと称して、急速な近代化政策を推し進め始めました。
その際、住職が居なくなって久しいお寺を周囲の山林ごと買い叩き、そこを更地にしてハコモノを建てようとしたのですが、これがマズかった。
車掌さんも、沿線や終着駅から遠目に工事の様子を窺いながら、なんとなく不穏な気配を感じていたそうでございます。
そんなある夜のこと。
いつものように車掌業務に勤しみ、終着駅のひと駅手前で最後の乗客である学生さんを見送ったあと、車内に忘れ物が無いかと二両目を見渡し、続いて貫通扉を開けて幌を渡り、一両目を検めていると、網棚の上にぬいぐるみが一つ置かれたままになっているのに気付きました。
ぬいぐるみは白い狐のような見た目で、胴には僧侶のような緋の袈裟を提げておりました。
はて、いったい誰が忘れたのだろう。車掌さんは首を傾げつつ、その夜はそのぬいぐるみを終着駅に持って降り、駅員室で置き去りにされていた場所や日時を記録した後、黒板横にある棚の上に安置して帰りました。
そして、あくる日の早朝のこと。
車掌さんが終着駅へと出勤すると、始発列車の準備をしているはずの運転手さんが、慌てた様子で駆け寄ってきました。
「文字が、狐の、黒板を、昨夜に」
「落ち着きたまえ。何があったのだね?」
うわ言のようにと支離滅裂に単語を繰り返すばかりで要領を得ない運転手さんに呆れつつ、車掌さんが駅員室に足を踏み入れると、黒板にはチョークでおびただしい数の「呪」という文字が書かれておりました。
圧倒されて言葉を失ったまま、そこから視線を棚の方へ移すと、昨夜たしかに置いたはずのぬいぐるみの姿がありません。
「ど、ど、どうしよう……。やっぱり、あの寺は取り壊さない方が……」
「悪戯という可能性もある。ひとまず、駐在に連絡するのが先だ。くれぐれも、現場を荒らすなよ」
その日は夕方まで駅員室は封鎖され、駆け付けた駐在や応援に来た近隣の警官によって聞き込み捜査も行われたものの、ぬいぐるみを持ち去った人物も、黒板に文字を羅列した人物の目撃情報も見つかりません。
更に不思議なことに、昨夜の最終列車を利用した乗客の全員が、車内にぬいぐるみを忘れた覚えは無いというのでございます。
昨夜のことは夢だったのかと思いたくとも、記録には「狐型ぬいぐるみ、一両目網棚、午後九時○○分××駅着」と認めてあるため、寝ぼけていた訳ではないのも事実。
車掌さんも、モヤモヤと腑に落ちないことが多すぎると感じながらも、そのうち真相を明らかにしてくれるだろうと期待して、通常業務を続けました。
それから二ヶ月余り。
この事件が発生した当初こそ、ぬいぐるみには付喪神が宿っていただの、姿を消した住職は即身仏として山の何処かに鎮座しているだの、オカルトめいた根も葉もない噂話で村中が持ちきりだったのですが、喉元過ぎれば何とやらと申しましょうか、梅雨が明けてお盆休みに入る頃には、ほとぼりが冷めておりました。
いっこうに進展しないことから、事件の捜査も打ち切られ、事件との因縁関係が疑われたことで凍結されていた工事も、秋口には再開される運びとなりました。
しかし、結果として工事は行われませんでした。その理由は、またしても奇妙な出来事が起こったからでございます。
夜九時過ぎ。学校も工場もお休みということもあり、いつもよりいっそう少ない乗客を降ろしたあとのこと。
終着駅に入線する直前、運転手さんが何かに気付き、急ブレーキを掛けました。二両目の乗務員室へ戻る途中だった車掌さんは、咄嗟に受け身を取って座席に着地したあと、すぐさま立ち上がり、駆け足で一両目の乗務員室へと急行しました。
「何があったんだ。狸でも飛び出してきたのか?」
「あ、あれ、人、ひと、ヒト」
駅の方を指差しながら、しどろもどろになる運転手さんに困惑しつつ、車掌さんは前方を見ますが、車止めの手前に何か大きな物影があるのが仄かに見える程度で、それが何かはハッキリいたしません。
ひとまず、列車をホームの端ギリギリに停車させ、二人は駅へ降りて検分に当たりました。
「この人、その、狐も」
「興奮するんじゃない。駐在と医者を呼ぶから、君はここに誰も立ち入らないように見張ってなさい」
物々しい雰囲気でございますが、いったい何があったのかと申しますと、頭に米袋を被せられ、手足を麻縄できつく縛られた村長が、線路を枕にして横たわるように置かれていたのです。
そして、それを高みから見物するかのように、ホームの上にはいつぞやに忽然と見えなくなっていた狐のぬいぐるみの姿もありました。
後日、村長の体内には多量のアルコール分とともに、主に処方の睡眠薬に用いられる物質が検出され、意識を取り戻した村長の話によると、当日は夕方から地元の建築会社の社員さんたちと宴会を開いていたそうでございます。そして、社長さんが村長さんに多額の現金を渡していたことも判明いたしました。
このあとのことは、長々と語っても仕方ありませんので結論だけ申しますが、村長さんは辞職して建設計画は白紙に帰し、ローカル線はバスの開業と同時に廃線となり、駅舎は老朽化が進んでいたこともあって取り壊され、お寺には新たな住職さんが来られました。
ここで冒頭の話に戻るのですが、このお話を聞かせてくれたタクシー運転手さんが向かった先というのが、その昔、終着駅があった場所に程近い件のお寺でございました。
住職さんにタクシー運転手さんのお話をいたしますと、戦後に縁起が悪い、難読であるとして違う漢字が当てられ、更には平成の大合併で周囲の町村と一つの市となってしまいましたが、駅があった一帯は、戦前まで狐憑村と呼ばれていたそうでございます。
色白で、おまけに糸目で細面だったものですから、ひょっとしたらあの住職さんは、狐が化けた姿だったのかもしれません。もっとも、いただいた公演料が葉っぱになっていたということはございませんでしたけどね。
おや? 先ほどまで夕立の雨音がしていたのに、蜩の鳴き声が聞こえるくらい静かになってきましたね。
そろそろお客さんの方も足が痺れてきたかもしれませんので、今日のお話はこれくらいにいたしましょう。
みなさま、くれぐれも傘などお忘れ物をなさいませんように。
おあとがよろしいようで。