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夏目綺譚  作者: 夢梅
7/7

真っ赤な言の葉

日常短編


 僕はポスト。橋の近くに立っている。


 今日も口を平たく開けて、たくさんの想いを飲み込んでいた。

 真っ赤な僕はいつもの景色を見据える。その隣で腕を広げるのはもみじ。橙の葉は秋風を浴びて、これからもっと色の影を落とすだろう。それこそ、ここに突っ立つ僕みたいに、真っ赤な色になるだろう。


 「やいポスト。今日も飽きずに仕事かい」


 昼下がり、そう言った声の主が垣根を越える。

 猫が僕をからかいに来たのだ。ぶち模様の尻尾をくねらせ、首元の鈴を鳴らしてみせた。そして、アスファルトに引かれた白線の上を自慢げに歩く。ここに立つことしかできない僕を、猫は面白がっているのだ。


 「吾輩には考えられん。足が痛くなっちまう」


 小さな八重歯を覗かせて、憎まれ口をたたく猫。だけど本当は優しい猫だってこと、僕は知っている。いつだってそばにいてくれるから。

 今日も案の定、猫は僕の上に飛び乗った。大きく伸びをした後、丸くなって昼寝を始める。硬くて冷たい僕の体に、猫の体温が宿ってゆく。フサフサとした毛並みを少しくすぐったく感じた。


 僕の前を、人々は足早に通り過ぎる。

 街は相も変わらずせわしなく、季節が動いてゆくのは明白だった。ついこの間までは向日葵が笑っていたそこの花壇も、知らないうちにコスモスが揺らぐ。細っこい茎や薄く開いた花びらが、ほのかに香りを放っていた。


 暇だなあ。


 例えるならばあくびをしたいくらいで、立っているしかできないのはとても退屈だった。目も瞑れない、口もきけない、ただただ一本足で街を見ることしか。僕は体中を真っ赤に染めて、誰かの便りを待っている。


 「まーったく、年柄年中立ち仕事とはな」


 猫は呆れ顔で言った。

 日が傾く。ポストは黄色の斜陽に照らされる。風が吹き、頭上のもみじが散ってゆく。暖色のグラデーションは裏と表をちらつかせ、儚くも美しく見えた。小さな手形が猫の背中に、僕の頭に。


 「ふん、秋も悪くない」


 猫がそう呟いたとき、ふと、僕の方へ駆けてくる足音が聞こえた。

 女の子だ。

 中学生だろうか、セーラー服に身を包み、チェックのマフラーをぐるぐると巻いている。長い髪の毛がいっしょになってそこへ納められ、ときどき見つかる癖がぴょこんとはねていた。


 僕はどきっとする。

 女の子がこっちを見つめたまま動かないからだ。

 

 まるで一本足の誰かの真似をしているように、立ちすくんでからかっているようだった。かと思えば、片方のローファーを地面に打ち付けては爪先をいじめ、首を傾げては溜め息を逃がす。その表情はなんだか暗く、浮かない様子でいた。心配になる僕と裏腹に、猫は呑気にあくびをしている。しかも連続で、だ。

 女の子は何かにためらいつつも鞄を開けた。中から取り出したのは一枚のはがき。真っ白く細い指先でつまむも、まるで汚いものを触るかのように顔はしかめられていた。どうやら、はがきを出すか悩んでいるらしい。


 「なにやってんだか」


 猫はひげをピクピクさせる。

 しばらく突っ立っていた女の子は、少ししてようやく僕の前まで歩いてきた。しかし、顔はゆがんだまま。はがきを僕の口にあてがい、カシャンと音を立てた、刹那。

 太陽の光が銀色の口元に反射する。

 まばゆく自分の顔が映し出された女の子は、ハッとしてはがきを引っこ抜いた。怯んだように躊躇し、ふりだしに戻った彼女は力なく笑う。


 「……馬鹿みたい」


 僕と猫は驚いた。消えかけた独り言でも、ここまでちゃんと届いていた。

 女の子は寂しそうな瞳ではがきを見つめていたが、次第に唇に力が入ってゆく。


 「こんなもの!」


 そして声を荒がせた。

 橋にかけより、柵から半身を乗り出して――はがきを川へ投げ込んだ。


 「大変だ!」


 ポストの上から猫が飛び降りた。

 女の子は気付いた頃には走り去っており、はがきは橋のうえからヒラリヒラリと螺旋を描いて落ちてゆく。空気を切ってはもてあそび、川面に浸って泳ぎだした。焦った猫が石垣を下りて河原を走る。


 僕はやっぱり立つしかできず、動けないので猫の帰りを待つだけだった。

 流れにのって加速してゆくはがき。愉快だなあと言わんばかりに渦を巻き、川はうねりながら黒光る。水が弾け、踊り、腕を伸ばしているようでこわかった。

 はがきはどんどん溺れてしまい、波にのまれてときどき見えなくなる。


 「ああ、もう!」


 猫は石ころにつまずかないよう、跳ねるように追いかけた。夕方の青い雲が水の表面に映り、鏡になって挑発している。雁がその中を泳ぐ。大きな影は翼を広げ、はがきと一緒に流れ、流れ。


 僕は不安な気持ちでいっぱいだった。

 猫は、はがきは大丈夫なのだろうか。


 街にはひんやりとした温度が漂う。帰り道の小学生が僕に小石を投げ付けた。カンと鈍い音がして、なんだかすごく泣きたくなった。こんなところに突っ立ったまま、何をしているのだろう。

 手紙を出すのをためらう人はたまにいた。

 綺麗な便箋、ラブレターや年賀状、種類は皆それぞれだけど、自信なさげにその手を止める姿は、なんていうか……とっても悲しくなる。誰かの為に綴った言葉を、ないことにしてしまうのは嫌だった。勇気に満ちた言の葉が、道端や野原に、簡単に落ちていればいいのに。



 しばらくして、猫がびしょ濡れになって帰ってきた。口には女の子の捨てたはがきがくわえられている。


 「なんだって、吾輩がこんな目に」


 あれからはがきは小川の隅に茂るススキ畑に捕まえられた。それに気付いた猫は急いで前足を伸ばす。しかしどうしたことか、走りつかれていた猫はバランスを崩して浅瀬に転倒。大嫌いな水を浴びながらも必死の思いではがきを救出し、戻ってきたというわけらしい。

 僕はなんだか申し訳ない気分になった。猫は身震いをした。水を吸って重くなったはがきは猫と同じように、否、それ以上にびしょ濡れだった。


 「仕方ない。ここで乾かすぞ、ポスト」


 了承を得たつもりか、ねこは僕の上にはがきを寝かす。そして自分も隣に座った。



 .


 空が美しい桃色に染まり、まばゆいほどに光る。重なったもみじの隙間から、赤い木漏れ日が柱になって降り注ぐ。はがきはそれに照らされ、水気をとばそうとしていた。しかしまだ十分な湿り気に浸り、乾ききる気配は感じられない。


 「頑張れ。もみじ狩りに行きたい。楽しみ。負けるな。大丈夫」


 すると唐突に、猫がそう唱えだした。僕は何が起こったものかとハテナマークを浮かべる。


 「吾輩は字が読めるんだぞ」


 どうやらはがきの内容を読み上げたらしい。きっと飼い家の誰かにでも学んだのだろう。ただし、字は読めても猫の小さな脳みそでは文章の意味を理解できない様子。猫は首をかしげ、再びはがきを覗きこむ。

 そこには丸い文字が小さく書かれていた。水に濡れたせいで多少滲んではいるものの、それは誰かへ向けた励ましのメッセージだということがわかる。

 そのとき、余計に女の子の気持ちがわからなくなった。誰かのために書いた応援を、どうして……。

 しょんぼりする僕の上で、猫は変わらずはがきを眺めていた。


 「もみじ狩りってなんだ?」


 そして一層首を傾け。長い首を捻るたび、転がるような鈴の音が辺りに響く。


 「もみじを食うのか? 旨そうには見えないな、理解できん」


 猫はしらけた風にそうこぼした。ぶどう狩りや梨狩りみたいに、人はもみじまで取って食べるのだと、僕はこのとき初めて知った。

 生で食べるのかな。それとも煮詰めるのかな。よくわからないけど、女の子はもみじ狩りに行きたいんだ。このはがきを宛てた誰かを励ますために。そんなことを考えていると、僕も女の子と一緒にもみじを食べてみたくなった。目の前をひらと落ちるもみじを見て、甘かったらいいなと思う。


 「まあ、紙ばっかり食ってるお前には一生わからんだろうがな」


 猫の言葉を聞いて、僕はムッとした。自分だって、にぼしばっかり食べてるじゃないか。



 .


 空の色は深く紅が沁みて、まるで恥ずかしがっているようだ。吸い込む温度はすっかり冷たく、猫の喉はひんやりとした。その中をたくさんの赤とんぼが飛び交う。羽を震わせ、僕の周りをくるくるくるりと滑るように。

 明るいオレンジを浴びて、はがきはなんとか乾ききったらしい。微かに水の足跡を残しつつ、僕の頭に横になっていた。


 「お、おい!」


 ところが猫が声を上げる。

 大変焦った様子でボクを小突き、「はがきがとれない!」と、そう言った。とても驚いたのと同時に、わけがわからなくなった。

 猫は鼻の頭で必死にはがきをめくろうとするが、はがきは一ミリたりとも動かない。僕にぴったり貼り付いて、風にもなびいていなかった。きっと、濡れた状態で密着したまま乾かしたからだろう。水は接着剤代わりに吸いつき、そこから離れようとしなかった。

 猫は自らの肩や背でもはがきをめくろうと試みたが、身がよじれるだけでどうも上手くいかない。前足で挑戦しても、鋭利な爪が邪魔になり、恐る恐る手前に出したり引っこめたりするだけだった。


 僕はやっぱり何もできずに立っていた。

 日の沈む街の影を見つめ、一本足で、無力な心を赤く染めた。知らん顔して通り過ぎる人はせわしなく、めまぐるしく進んでゆく。

 たくさんの人が孤独だった。

 自分の中に巡る様々な言葉を、口の中に含ませるだけ。胃の中に飲み込んで、その想いはもう腕には伝わない。脈を感じる、生きている、真っ赤な血の通う肌に、なぜ。

 なぜあなたは告げようとしない。

 言えないこと、言いたいこと。唇にのせて、あるいは綴ってしまえばいい。気付いてもらうことを、固唾をのんで待っているだなんてあんまりだ。なのに怖がるんだ。勇気に満ちた言の葉は、道端や野原に、簡単に落ちていないから。


 「あっ、ママさんだ!」


 猫の声で我にかえる。

 物思いにふけっているうちに、猫の飼い家の奥さんがやってきたのだ。奥さんはショートカットがよく似合う、化粧なんてしなくても凄く綺麗な女の人だった。使い古したエプロンを腰に巻き、これから買い物に行くらしい。


 「ママさん! はがきをとってくれ。くっついて離れないんだ」


 猫は助けがきたと思って立ち上がった。ポストの上からしなりと飛び降り、奥さんの足元にすりよってゆく。

 猫は彼女の足首に頬をなするのが大好きだった。薄いストッキングのざらけた感じと、微かに漂う洗剤の香りがたまらない。ので、本来の呼びとめた目的を忘れてしまいそうになったが、猫は「危ない危ない」と顔を振り、青く大きな瞳を光らせた。僕に目配せをしたようだった。


 「頼む、ポストの上の――」


 再び言いかけたときだった。にわかに視界が高くなり、猫は驚き焦る。


 「もう、可愛いねアンタは」


 抱きあげられたのだ。奥さんは細い両腕で猫を包み込むと、愛おしそうに三角の耳を撫で、しっとりと毛並みを整えた。しかし残念ながらそんな余裕のない猫は、四肢をばたつかせて抵抗する。


 「ち、違う! 早くはがきを」


 事態を伝えようと懸命に訴えかけるが、その声は人間の彼女にとってニャーニャーとしか聞こえない。


 「えっ、ちょっとなあに?」


 困った奥さんは暴れる猫を仕方なく地面へやった。そして「イイコにしてるのよ」と踵を返す。

 何度呼びとめても振り返ってくれないまま、奥さんの背中は次第に小さくなりついに見えなくなってしまった。



 .


 秋が澄んだ闇に沈む。街は青く陰り、西の空がわずかに朱を放っている。しかしそれも黄色味かかった山々に隠れてゆき、辺りは次第に暗さを覚える。家庭に灯る温かな光が、薄い黒によく映えた。


 僕は落胆していた。


 もうすっかり夜だった。こうごうしく、満月がぽつんと浮かぶ。

 はがきは未だ僕の上。猫は瞳孔を広げてコオロギを狙っていた。ピョンピョン逃げ回るコオロギを夢中になって追いかける。猫は不自然なくらい楽しそうで、だけど何度もはがきに目をやり、そのたびに溜め息を吐いていた。僕と同じ、彼も気にしているのだろう。


 しばらくして、猫はコオロギを捕まえるのを諦めて僕の上に飛び乗った。肉球を舐め毛繕いを始める。そのときだった。


 「ご主人」


 猫が首元の鈴を鳴らして言った。


 僕の前にいたのは、猫のご主人だった。

 ご主人は川向かいの幼稚園に通うきりん組さんだ。毎朝、奥さんと手を繋いで橋を渡っているのを知っていた。とても優しい男の子で、雨が降った次の日には僕の体を拭きに来てくれる。


 「ご主人、こんな時間に外へ出ちゃあ……」

 「今日はまだ帰らないの?」


 言いかけた猫に、ご主人はきょとんとして尋ねた。

 いつもより帰宅が遅い猫を、心配して探しに来たのだろう。猫は顔をしかめた。そして横目ではがきを見る。ご主人はもっときょとんとして首を傾げた。


 「ここにあるはがきを、コイツの口へやりたいんだ」


 猫はニャーと語ってはがきを撫でる。

 しかし、ご主人の背丈は僕と同じ。小さな彼は僕の頭の上を確認することができない。それでも、猫は一生懸命しゃべりながら自分の話を伝えようとしていた。ご主人もそれに応えたがっているようだった。海の砂に埋もれるほどの貝のような可愛い耳を、傾け、両手を添えて。


 「わかった」


 するとご主人が頷く。長袖を肘まで捲り、白いハイソックスを伸ばした。

 僕と猫の心臓は大きく跳ねて、それからドクンと高鳴った。ご主人が一歩下がる。二歩下がる。三歩下がる。そして運動会の「よーい」のポーズをとった。僕らが息をのんだとき、ご主人は自らの「ドン」で走り出す。スニーカーはアスファルトを蹴り、夜の空気を切っていた。


 そしてジャンプ!


 「……」


 ――――けれど、届かない。

 僕らの興奮はそこで途切れた。俯くご主人。猫はご主人のそばへ寄ってゆき、ざらざらの舌で彼の肌を優しく舐める。

 夜はなんだか幻想的で、秋になればそれはもっとだった。センチメンタルな月明かりを見ているとやるせなくなる。

 しかし、ご主人はまだ諦めていなかった。センチメンタルを吹き飛ばし、猫に笑いかける。


 「だいじょうぶ」


 ご主人はそう言った。力強い目つきでそう言った。僕は心の奥がぎゅっとした。


 背伸びをしたご主人は腕を高くあげ、体の筋の端から端までを精一杯伸ばす。それでもわずかに届かない。指先がほんの少し、僕の頭にあたるくらいだ。


 「ごめんね、ちょっと痛いかもしれないけど」


 と、次にご主人は僕の口の中に片手を突っ込んだ。ぐいと押し上げ、自分の身長の限界を越える。

 僕は、謝られたように確かにちょっと口が痛かったけど、そんなのまったく気にしなかった。ご主人の表情がよく見えたからだ。丸い顔には赤く血が昇り、黒髪には汗が滲んでいた。眉をひそめ、歯を噛んで背伸びをする姿はとてもかっこよかった。


 「ご主人、頑張れ……!」


 たまらず猫が大声を張る。

 瞬間、ご主人の踵が更に地面から離れた。

 足裏、指先、そしてとうとう爪のてっぺんで立ったとき、彼の手のひらが僕の頭を叩いた。


 「あ!」


 ご主人はさぐりさぐり手を這わせ、ついにはがきに触れる。


 「これだ」


 そして、破れないように丁寧に爪ではがし、みるみるそれをめくっていった。ご主人の踵が地面につくころ、ようやくはがきは僕の前に戻ってきたのだった。


 「やったあ!」


 ご主人と猫が笑顔を咲かせて喜ぶ。僕も飛び跳ねたい気分だったけど、立つしかできないから立ったままとても喜んだ。

 ご主人がはがきを見つめる。にっこり歯を見せ、「はい」と僕に差し出した。銀色の口元に月光が反射し、ご主人の顔を映し込む。カシャンと音を立て、今度こそ、今度こそ僕ははがきを食べた。たくさんの想いが溜まった僕の中は、また少し重くなった。


 「あれっ」


 そのとき、猫が何かに気付いた様子で目を大きくする。


 「今そのはがき赤かっ――――」

 「君は凄いね」


 最後まで言い切れていない猫の発言を遮り、ご主人が僕に向かって言った。猫の言葉も気になるけれど、ご主人の言葉に僕は少し驚いてしまう。

 凄い? 僕が? どうして。


 「ぼくたちが簡単に言えないこと、ぜんぶ届けられるんだもん」


 ご主人がはにかむ。


 そうか、僕は。

 立っているだけでよかったのか。


 鈴虫の音色が星影を震わす。紺碧の闇に、もみじが蝶のごとく舞い落ちる。それは可憐に踊り狂い、知らぬ間に地面を橙に染めた。美しい色彩が夜の涼しさに身を縮めて凍える。秋は深かった。




 .



 私はよわい。


 今日もそんな言葉を焼きつけて、チェックのマフラーを適当に巻いた。靴ずれになるローファーを履き、けだるく玄関のドアを開ける。何も変わらない朝。かたく冷たい道。肌を逆なでするような微風に秋が香り、私の長い髪にまとわりついた。


 「はあ」


 重い足を歩ませ、溜め息をつく。そのためだけに呼吸をする。

 別に話を聞いてくれる人がいないわけじゃなかった。ただ、言えないだけだ。


 「えっ?」


 そんな中、一つだけいつもと違う光景があった。

 塀にかかった郵便受けに、見覚えのあるはがきが届いている。思わず駆けよって手に取った。間違いない。あの日、川に捨ててしまったはがきだ。


 ――――私が、私に宛てた手紙。


 はがきは水に濡れたせいかゴワゴワとした手触りになっていて、少し歪んでいた。そこに滲んだ私の名前。


 「やっぱり、馬鹿みたい」


 自分で自分の背中を押そうとしたこと。ポストの前で立ちすくんだこと。数日前の私に苦笑する。そして、はがきの裏を返しもう片面を見たときだった。私は絶句する。


 自らの励ましの言葉に重なり、そこに貼りついていたのはもみじだった。


 力強い葉脈が可憐に巡り、大きく広がっている。茎の根の黄色から真ん中のオレンジ、そして葉の先へと染まる深く濃い赤は、まるで燃え上がる炎のようだった。


 「……もみじ狩りだ」


 無意識に口が緩む。

 このはがきを見つけ、ポストへ入れてくれた誰かの仕業だろう。私が書いた“もみじ狩り”という言葉に意図的にもみじを貼ってくれたのか、それとも濡れたときにたまたま貼りついたのか――それはわからないけれど、私は心の奥がぎゅっとした。

 こんなことだけで、私は笑えたんだ。そう思うとなんだかおかしくて、胸がいっぱいになる。赤色に涙が出そうになり、慌てて瞼をこすった。


 「変なの」


 いつからだろう、言葉を飲み込むようになったのは。

 伝えたいことも気付いて欲しいことも塗り潰しては押し込めて、口を編んだふりをして。ものを語るのがこわかった。それを悟られるのもこわかった。何も思っていない顔をして笑い、おそらくそれは私だけではないのだ。みんながみんな、伝えることに怯えている。


 「……上手く伝えられるようになりたいなあ」


 肩の力が抜けて、らしくないことをささやいた。もう一度はがきに目を落とすと、もみじが明るく咲いている。


 「大丈夫」


 私はそっと呟いた。

 はがきを鞄の中へ仕舞い、歩幅を大きく踏み込んでゆく。よく晴れた秋空を高く仰げば、少しだけ、昨日の私よりもつよくなれた気がした。



 せせらぐ小川がきらりと光る。猫が鳴く。街が動く。勇気に満ちたもの――――道端でもなく野原でもなく、橋を渡るとそこにはあった。


 一本足の心に募る、それは綺麗な真っ赤な言の葉。



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