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スノースキン  作者: 管澤捻
死霊都市モース
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死霊都市モース(2)

 旅立ちの準備は、それほど時間が掛からなかった。リディはリュックサックを開け、中身を確認する。二日前にビックフットに襲われた際、雪の上にぶちまけたリュックサックの中身は、マリナが可能な範囲で回収してくれたらしい。取材用に持ってきた機材や携帯食料の幾つかが紛失、または欠損していたが、大きな支障はなさそうだった。リディとマリナの窮地を救ってくれた小型時限爆弾も、まだ幾つか残っている。それを確認すると、リディはリュックサックのチャックを閉め、背中に背負った。

 二日間寝泊まりした部屋に別れを告げたリディは、リビングでくつろいでいたテッサに近づき、彼女にお礼を言う。リディは治療費と宿泊費として僅かばかりのお金をテッサに差し出すも、彼女は「困った時はお互い様」と笑うだけで、頑なにそれを受け取ろうとはしなかった。

 家の外に出ると、マリナが、今朝と同じように、木にもたれ掛かってリディを待っていた。ただし、今は彼女の右手に黒い棒状のものが握られている。よく目を凝らして見ると、それは刀の鞘だった。リディはマリナに駆け寄ると、鞘を興味深くまじまじと見つめた。すると、その視線に気付いたマリナが、刀を持ち上げて笑顔で言う。

「ぼくの相棒だよ。森に行くならビックフットを警戒しなきゃいけないからな」

「確か……灼熱の刀でしたっけ?」

「ああ。とはいえ、それは包帯男が勝手に言っていたことで、それが正式名なのかはぼくも知らないんだが……」

 と、ここでマリナが何かに気付き、リディから視線を逸らした。彼女の視線の先を追うと、そこには大柄な禿頭の男が立っていた。リディは記憶を探り、その男が昨晩、酒場でマリナと喧嘩をしていた男だと気が付く。

「この村を出るってのは本当かよ。マリナ」

 禿頭の男が仏頂面で、マリナにそう聞いた。マリナは肩をすくめると、呆れた声で男の問いに答える。

「フランク。何をどう聞いたのか知らないが、少し留守にするだけだ。すぐ戻ってくるつもりだよ」

「そう言って、村を出て行った連中を、俺は何人も知っている」

「ぼくがこの村を出る理由があるか? 何をそんなこだわって……ははあん。なるほど。お前の魂胆はよめたぞ」

 マリナがニヤリと笑うと、睨め上げるように禿頭の男を見つめた。彼女の黄金の瞳に見つめられ、禿頭の男は顔を滑稽なほど真っ赤にした。手をわたわたと振りながら、禿頭の男がしどろもどろに言う。

「ななな……なにがだよ?」

 マリナが指をチッチッチと左右に振り、名探偵よろしく話す。

「フランク。お前、ぼくがこの村からいなくなれば、大酒飲みと猟師のナンバーワンの座が取れるって、そう思っているんだろ。だから、ぼくがこの村に戻ってこないことを期待している。違うか?」

「は?」

 禿頭の男は、マリナの言葉に、惚けた返事をする。そして、あからさまにがっくりと肩を落とすと、すぐさま顔面を怒りで染め上げ、マリナに唾を飛ばして怒鳴った。

「ざけんな! いつテメエがナンバーワンになったってんだ! あまつさえ、俺がそんな棚からぼた餅を期待しているだと!?  みくびってんじゃねえぞ!」

「うお、びっくりした。図星だからっていきなり怒鳴りつけることないだろ? お前まだ昨日の酒が抜けてないんじゃないか?」

「黙れ! いいか! 絶対に俺はテメエに勝つ! 俺が誰よりも強い男だとテメエに認めさせてやる! だから勝ち逃げなんぞ許さねえからな!」

「はいはい。逃げない逃げない。だから少し静かにしろよ。今は酒の場じゃないんだぞ」

 禿頭の男の怒りを、マリナが軽く受け流す。肩を上下し、荒い息を繰り返す禿頭の男。その肩がポンと叩かれた。

「抜け駆けはいかんな。フランク」

「げ! テメエらいつの間に! 何しにきやがった」

 禿頭の男の後ろから、ぞろぞろと村人たちが集まってきた。禿頭の男の肩を叩いた青年──昨晩、酒場で見た気がする──が、ニヤニヤと笑いながら、禿頭の男に話し掛ける。

「それはもちろんマリナの見送りだよ。なんせ、俺たちにとって禁断の地、モースに行くってんだからよ。みんな心配になって、マリナに会いに来たってわけだ。なあ、みんな」

 青年が集まった村人に呼び掛けると、「そうだそうだ」と青年に同意する声や「マリナちゃん。気をつけるんだよ」とマリナを激励する声などが飛び通った。村人の中には小さな子供の姿も見られる。男の子は「冒険かよ。いいなマリナ姐」と羨ましそうに呟き、対して女の子は、母親と思しき女性のスカートに顔を埋め、肩を震わせ泣いていた。

 青年は村人の声を一通り聞いた後、禿頭の男に顔を近づける。

「と、言うわけよ。フランク。マリナを心配しているのはお前だけじゃないの」

「別に……俺は心配してねえよ」

「まあ、お前の気持ちも分かる。マリナにもしものことがあったら、お前が十年間も独身を貫いた意味がなくなっちまうもんな」

「テメエ! そりゃどういう意味だ!」

 禿頭の男が青年に掴み掛かる。青年はカラカラと笑って、村人の周りを逃げ回り始めた。二人とも雪の上だというのに、信じられないほど速い。その二人の間を縫って、一人の女の子がマリナの下に駆け寄ってきた。そして、小さな掌を上に向ける。

 その手には、何色にも輝いて見える、ヘアゴムが置かれていた。

「あたしの大事なヘアゴム。マリナお姉ちゃんにあげる。お守りだよ」

 マリナは暫く目を丸くして、女の子と、女の子の手にあるヘアゴムを交互に見つめた。そして、マリナは屈み込むと、女の子の手からヘアゴムを受け取り、自分の腰まで伸びた白髪の先に、結わいて止める。

「どうだ? 似合うか?」

 白髪を揺らし、マリナは女の子に優しい声で訊いた。女の子は「うん」と頷くと、恥ずかしそうに後ろを向き、母親の下に駆けて戻っていった。マリナはその女の子の小さな背中を眺めながら、ぽつりと呟く。

「みんな……大袈裟だな。今生の別れって訳でもないだろうに」

「村の人たちにとって、危険な場所っぽいから。マリナが心配なんだよ」

「そうだな……そうだ……」

 母親の下に戻った女の子が、マリナに向けて小さな手を振っている。他の村人たちも、マリナに向けて温かい言葉を投げ掛けてくれている。因みに、禿頭の男はついに青年を捉え、首を絞めて落としに掛かっていた。

 そんな村の人たちを眺めていると、自然とリディの口から言葉が漏れた。

「いい村だね」

「……ああ」

 マリナは、今までで一番の笑顔を見せた。

「ぼくの自慢の家族さ」


 村からモースまでは、それほど距離が離れている訳ではない。平坦な道であれば、一日も掛からない程度の距離だろう。だが、深い積雪と乱立する針葉樹によって、歩く者の体力は急速に奪われてゆく。

 さらにここソーゲ森林地帯では、大きな問題がもう一つある。それは白い怪物、ビックフットの存在だ。運悪く彼らに遭遇することになれば、その四、五メートルの巨体から逃れられるすべはない。殆どの場合、頭から丸呑みされて、殺されてしまうだろう。

 そんなビックフットに対して、人間が取り得る手段はただ一つ、彼らに出会わないよう注意することだけだ。ビックフットの名が示すように、雪の上に付けられた彼らの大きな足跡を見つけたら、即座に回れ右して引き返すか、雪の中に埋まって身を隠す他ない。それは冒険者たちから、さらに多くの体力と時間を奪い去ることになるが、当然、命に代えられるものでもなく、誰もがその選択肢を選ぶこととなる。ただし、それは普通の人間に限った話でのことだ。


「来た来た来た来た来た! 来ているよ! マリナ!」

 深い雪に埋もれた森林地帯を疾走しながら、リディはそう絶叫した。正確に言えば、リディは走っていない。リディはただ、マリナの肩に担がれている──土嚢でも運んでいるかのように──だけだ。森の中を縦横無尽に駆けるマリナ。その速度は、舗装された道を走る馬に匹敵するほど疾く、森に乱立する針葉樹が次々と視界の端を高速に流れていく。リディは進行方向に尻を向け、マリナが走る逆方向、つまり彼女の背後に視線を向けている。リディの視界には、森の樹々を薙ぎ倒しながら、こちらに猛烈な勢いで近づいてくる、白い巨体が写っていた。ソーゲ森林地帯の怪物、ビックフットだ。

 リディとマリナは今、ビックフットに追いかけられ、森の中を逃げ回っていた。リディは目尻に涙を溜めて、白い息を吐き出しながらマリナに疑問の声をぶつける。

「どうしたのマリナ! ビックフットなんかたいしたことないからって、足跡を無視して進んできたんじゃないの!? 早く前みたいに倒しちゃってよ!」

「落ち着けよリディ」

 慌てふためくリディとは対照的に、マリナは至って平静だった。マリナはリディを抱えている方とは逆の手、右手に握られた白銀の刀をかざしながら──既に抜刀済みで鞘はリディが両手で握っている──、淡々と言う。

「さっき見つけた足跡の種類は二つあった。近くにもう一体かそれ以上いるかも知れないだろ? だからこうやって奴らを引き付けて、炙り出そうとしているんだ。で、リディ。後ろから追い掛けてくるビックフットは、間違いなく一匹なんだな」

「一匹だよ! あんな大きな体、絶対に見逃したりしないよ!」

「よし。じゃあ仕留めよう」

 マリナは軽くそう言うと、跳躍し、身体を反転させて木の幹に着地した。膝をギリギリと曲げ、針葉樹のしなりからの反発力をも合わせ、走っていた方向とは逆方向に跳ぶ。二人を追い掛けてきたビックフットに急速に接近すると、マリナは宙で身体を回転させ、白刃を横薙ぎに一閃する。ビックフットの頭部が、呆気なく横に両断された。

 マリナが雪の上に着地する。それから少し遅れて、頭部の体積が半分に減ったビックフットが、雪煙を上げて前のめりに倒れた。リディは、マリナに丁寧に雪の上に降ろされると、その場でぺたんと尻餅をついた。

「はあ……怖かった──って、わあ!」

 安心し掛けたリディの傍に、切断されたビックフットの頭部が転がってきた。悲鳴を上げて、リディは尻餅をついた姿勢のまま一歩後ずさる。

「ああ……もう心臓に悪いよ」

「そうか? 何も泣くほどでもないんじゃないか?」

 リディは目尻に溜まった涙を袖でふき取ると、不機嫌に口を尖らせて言う。

「命の危機なんだから泣くほどだよ。マリナだって怖いものとか見た時に、泣くことぐらいあったんじゃない?」

「あいにくと、ぼくは泣けない体質でね」

「でも怖いって思うことぐらいはあるんじゃない?」

「もちろんあるが……多少スリルがあったほうが面白いだろ。冒険って感じがしてさ」

「マリナは随分と余裕があるね」

 少し非難がましく、リディはマリナを見つめた。するとマリナが胸を張って答える。

「ぼくはビックフット専門の猟師だからね。こんなことなんでもないさ」

「そうか。村じゃビックフットを食べるんだもんね」

「ああ。因みに村の連中の話からすると、ビックフットの脳味噌も中々の珍味らしいが、今夜の食料としてその頭部持っていくか?」

「絶対いらない」

 リディは口を手で押さえながら、気分悪そうにマリナの提案に首を振った。リディは一度深呼吸して、冷たい外気を肺に取り込み吐き気を抑えると、ゆっくりと立ち上がる。そして預かっていた鞘をマリナに返そうと、彼女に近づく。とその時、リディの頭に一つの疑問が浮かび上がった。

「そう言えばさ、前から気にはなっていたんだけど、マリナのその刀で斬った物の断面って、真っ黒になっているよね? あれって何でなの?」

 首を傾げ尋ねるリディに、マリナは鞘を受け取りながら笑顔で答える。

「この刀は特殊でね。獲物を圧力で斬るんじゃなくて、熱で焼き斬っているんだ」

「熱?」

 マリナは「ああ」と頷くと、刀を一振りし、その白銀の刀身を雪の中に埋めた。すると、その雪に埋めた刀の刃先から、大量の水蒸気が噴き出してきた。リディはその現象に、目を丸くする。

「わあ。何コレ?」

「雪が刀の熱で溶かされているのさ。この刀に空気以外の物体が触れると、とてつもない高温で対象が熱せられる。簡潔に言えば、物凄く熱い刀ってことだ。結果、斬られた物体の断面は、焦げて黒くなる」

「空気以外に触れると? 随分と変わった素材で作られているんだね」

 マリナは雪から刀を抜き、鞘に収める。そして、リディの言葉に「そうだな」と同意した後、苦笑した。

「実はぼくも仕組みはよく分かっていないんだ。十一年前、ぼくが初めて村に現れた時に、握っていた物らしい。この鞘も含めてね。こいつも特別製で、刀が直接鞘に触れないよう加工されている。刃が鞘に触れてしまえば、鞘まで焼き斬ってしまうからね」

 マリナが刀を納めた鞘を、リディに掲げて見せる。

「十一年前の記憶は曖昧だから、ぼくもどこからこれを拾ってきたのか分からない。ただ、有益だから使用しているだけなんだ。熱に弱いぼくが灼熱の刀なんて、洒落が効いていて面白いしね」

 そうマリナは戯けて見せた。


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