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スノースキン  作者: 管澤捻
雪女マリナ
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雪女マリナ(3)

 四体のビックフットの拳が叩きつけられる、その直前、リディは雪女の肩に担ぎ上げられた。そして下方から大きな圧力が掛かったと感じた次の瞬間、リディの眼下には四体のビックフットがいた。僅かな混乱。だがすぐにリディは状況を理解する。リディを肩に担ぎ上げた雪女が、彼女を抱えたままビックフットの頭上まで跳躍したのだ。

 ビックフットの全長は──個体によって多少の差はあれど──四、五メートル。それを頭上まで跳び上がる──ましてや人一人抱えて──など、人間の膂力では考えられない。目の前で次々に起こる、常軌を逸した出来事に、リディの胸は高鳴りっぱなしだった。

 周囲に生える針葉樹の屋根を跳び出し、一旦、宙で静止する。その後、重力に任せて下方へと落下していく。落下地点には一体のビックフット。こちらの存在に気付いている様子はない。雪女が白銀の刀身を翻し、一閃する。ビックフットの頭部が、胴体からあっさりと斬り離された。

 頭部を失ったビックフットは、大きな雪煙を上げて、前のめりに倒れた。胴体と斬り離され、切断面が黒く染まったビックフットの頭部が、雪の上に転がる。リディを担ぎ上げた雪女は、倒れたビックフットの背中に乗ったまま、腰を屈めて刀を一振りする。

「少しの間、ぼくの肩の上でじっとしていろ! 喋るのも厳禁だ! これから激しく動き回る! 舌を噛むぞ! それから、ぼくの身体に直接触れないように気を付けろよ! 凍傷起こすからな!」

 雪女から矢継ぎ早に告げられる警告。それを無視して、リディは頬を紅潮させて言う。

「リディです!」

「なに!?」

「リディ・コルトーです! あたしの名前です! あなたの名前を教えてください!」

「馬鹿か、君は! そんなの後にしろ!」

「取材対象の正式名を知ることは重要です! 名前を教えてください!」

 雪女に一体殺され、三体となったビックフット。その中で、最もリディと雪女に近かった一体が、拳を振りかぶった。雪女の表情が引き締められ、腰が一段沈む。

「名前を教えてください!」

 リディの声と同時に、ビックフットの拳がリディと雪女に叩きつけられる。雪女はすんでのところで拳を跳躍して躱すと、ビックフットの伸びきった腕に跳び乗って、ビックフットの肩めがけて駆け出した。ビックフットの肩口に到達した雪女は、再び跳躍し、ビックフットの頭部へと接近する。白銀の刀身を身体に巻き付けるように構え、横薙ぎに一閃する。と、当時に雪女が叫んだ。

「マリナだ!」

 ビックフットの頭部が横に切断され、黒い断面が覗く。絶命したビックフットの身体は一度ゆらりと揺れ、そして大きく傾いた。その直後、リディと雪女──マリナの目の前に、大きく開けられたビックフットの口腔と、その中心で蠢く舌が現れた。そしてそれが二人にかぶりついてくる。

 マリナは一瞬早く後方に跳び、周囲に生えた針葉樹の幹の側面に着地する。そして、再び跳躍し針葉樹に着地すると、繰り返し樹々を跳び移りながら、残り二体となったビックフットの背後へと回り込む。

 ビックフットの背後──先程かぶりついてきたビックフットとは別のもう一体──を取ると、そのビックフットの背中に向かって跳躍する。そして刀を翻し胴体を両断した。

 上半身と下半身に分かれたビックフットが、黒い断面をむき出しにして、雪の上に倒れこむ。マリナが雪の上に着地すると、最後の一体となったビックフットが彼女に向かって脚を振り上げる。そして──

 ドズンッ!

 周囲に生える針葉樹が一斉に倒れ、脚を振り上げていたビックフットを押し潰した。マリナが樹々を伝いビックフットの背後に回り込む際、幹に着地すると同時に角度をつけて幹を切断していたのだ。

 大量に舞う雪煙。マリナが刀を一閃してそれを降り払う。風になびく白い髪を手で押さえながら、マリナが黄金の瞳を左右に動かした。始末した四体のビックフットの他に、まだ敵が潜んでいないか探っているのだろう。そして、「ふう」とマリナが息を吐き、肩に担いだリディを尻から地面に落とした。

「痛っ! ちょっと……もう少し優しく降ろしてくださいよ」

 尻をさすりながら、マリナに抗議するリディ。だがその表情は笑っていた。非常に好奇心をそそられる女性──マリナとの出会い。そして彼女がビックフットと繰り広げた、小説のような活劇。それらの興奮に当てられ、リディの頬は緩みっぱなしだった。そんなリディを見て、マリナが呆れ顔で言う。

「死にそうな目にあったというのに、随分と嬉しそうなんだな」

「これでもフリーライターの端くれですから。危険な目に会うのは慣れっこです。何より、マリナさんという興味深い取材対象に出会えたことが嬉しいんですよ」

「取材を受けるつもりは、ぼくにはないぞ」

「えええええええええ!」

 満面の笑みから一転、絶望の表情を浮かべるリディ。リディはガバッと立ち上がると、憮然とした表情をするマリナに、一歩詰め寄った。

「そんな! どうしてですか!?」

「取材されるようなことなど、何もないからだよ。ぼくは平凡な一般人だ」

「謙遜しないでください! マリナさんってかなり特殊ちっくですよ! 異質ですし変人ですし、近くの村じゃビックフットと双璧をなす怪物扱いなんですよ! 自分の変態性に自信を持ってください! って、マリナさん! どうしてうずくまって雪を指で弄り始めるんですか!?」

 突然うずくまるマリナに、リディが驚きの声を上げる。慌ててマリナの顔を覗き込むと、彼女は虚ろな表情で、「フツウダモン。フツウダモン……」と、ブツブツと何かを呟いていた。もしかすると、これは雪女が歓喜に沸いたときに出す、特有の鳴き声なのかも知れない。リディはそう考え、すぐさまメモを取ろうと、雪に散らばった自分の荷物──ビックフットとの戦闘により、ひどい惨状になっているが──から、紙と鉛筆を探す。

 すると視界の隅に、こちらに近づいてくる人影が映った。リディは目を凝らして、その人影を見やる。恐らく、男性だろう。リディがその人物の性別に確証が持てない理由は、その人物の全身が、包帯で包み込まれていたからだ。顔も、胸も、腕も、腹も、脚も、一部の隙き間もなく、白い包帯が巻かれている。目の位置に覗き穴を開けている様子もない。前方が見えているとも思えないのだが、その男性は危うげなく、リディとマリナに近づいてくる。その男性の、白銀の雪に溶け込むような白い姿は、まるで──

(ビックフット……あるいは)

 雪女マリナに酷似している。

 リディが包帯男を見つめていると、ふと視界の端から、白い背中が滑り込んできた。マリナだ。彼女がうずくまるのを止め、リディと男性との間に割って入ったのだ。マリナが刀の切っ先を包帯男に向ける。

「止まれ」

 マリナが静かに放った制止の声に、包帯男は素直に従った。進める歩を止め、足を揃えて制止する。そして沈黙が訪れた。白い息を吐きながら、寒さに身体を震わすリディ。それとは対照的に、マリナと包帯男は、身震い一つすることなく、互いに睨み──とはいえ、包帯男の目は見えないが──合う。マリナの背中から感じる強い緊張感に、リディも思わず息を呑む。マリナが目を尖らせ、包帯男に質問する。

「このビックフットの襲撃。おかしいとは思っていたが、やはりお前の仕業か」

 包帯男は微動だにしないまま、気配だけで肯定の意を示した。そして、ざらついた声で呟くようにこう言った。

「やはり、傷一つ負わすことは叶わないか。まあ当然だな。君がこの程度の襲撃、意に介すわけもない」

「ふざけるな。死ぬところだったぞ」

 マリナの言葉に、包帯男はゆっくりと首を振った。

「そうなれば──私は君に失望していた。君を連れて行くことも躊躇ってしまう」

「またその話か」

「私はこれから君を仕留める」

 世間話の延長のように、包帯男は淡々とそう言った。そこに僅かな感情の揺らぎさえ感じない。聞き逃してしまいそうなほど、単調に放たれた言葉。だがそこに込められた男の意志は、部外者のリディでさえ分かるほどに、強固なものだった。

「だが、できれば手荒な真似は避けたい。ゆえに、繰り返しになるが君に尋ねる。私に付いてきてくれないか。決して悪いようにはしない」

 その問いに、マリナが間を置かず答える。

「これも繰り返しになるが、断る。知らない人には付いて行くなと、教わったものでね」

「いや、君は私を知っている。私が君を知っているように。そしてこれから行く場所も、君がよく知る場所だ」

「その話も前に聞いたな。そしてぼくの返答を覚えているか? お前のことも、お前が言うそんな場所も知らないと、そう言った」

「いいや。君は知っているはずだ。少なくとも理解()かっているはずだ。私の存在を。そして君の生まれ故郷──モースのことも」

「え?」

 包帯男の口から出た意外な言葉に、リディの心臓が、ドクンと大きく跳ねた。背筋が粟立ち、指先が震える。寒さからではない。むしろ外気の寒さに反して、身体の芯が燃えるように熱くなるのを、リディは感じた。

「相変わらず訳の分からないことを……お前の御託も聞き飽きたよ。いい加減決着をつけようか。今度こそその身体、焼き斬ってやるよ」

 刀を一閃し、マリナが腰を落として構える。その彼女の態度を見て、包帯男が両手を前に突き出した、奇妙な構えを取る。そして、感情の読めない淡々とした調子で、包帯男が独り言のように呟く。

「やはりこうなるか。仕方がない。当初の予定通り、君を仕留め、拘束し、連れて帰るとしよう」

 男の両手に巻かれた包帯が裂ける。そして、そこから現れた赤黒い触手が、マリナに襲い掛かってきた。その速さは凄まじく、リディにはそれを目で追うことさえできなかった。ゆえに、その触手がマリナの手前でバラバラに分断された時、リディは訳も分からず只々驚愕した。

「わわ!」

 リディは腰を抜かし、雪の上に尻もちをついた。分断された触手の切り端が、リディの前に転がってくる。その切り端の断面が黒く変色している。包帯男が腕から伸びた触手を縮めると、その黒くなった断面を一瞥した。

「灼熱の刀か。相変わらず面倒だな。焼き斬った断面が、一瞬にして炭化してしまうほどの、熱量とは」

 包帯男の口ぶりから、ようやくリディは、バラバラになった男の触手が、マリナの刀によって斬り裂かれたものなのだと認識した。だがリディには、マリナが刀を振るう姿どころか、その残像さえ見えなかった。

 マリナが態勢を低くして駆け出した。雪の上とは思えないほどに、素早い動きで包帯男に接近する。包帯男が射程距離に入ったと同時に、マリナが刀を横薙ぎに一閃する。しかし、すでに包帯男はその場にはいなかった。刀に切断された包帯の切れ端だけを残し、包帯男が宙を舞っていた。その高さは、ビックフットの全長を優に超えている。

 包帯男が再び両手をマリナにかざすと、黒く変色した断面から、再び触手が伸ばされた。何度も枝分かれを繰り返し、十数本となった触手の群れがマリナに襲い掛かる。マリナが樹々の隙間を駆け回り、時には触手を切り裂いて、包帯男の猛攻を捌く。そして一瞬の間隙を縫い、マリナが跳び上がった。空中に静止している包帯男──腕から伸びた触手を樹に巻きつけ、身体を宙に固定していた──に接近すると、上段に構えた刀を振り下ろす。マリナの白刃を、包帯男が身体を捻り躱す。だがタイミングが遅かったのか、包帯男の右腕が肩口からバッサリと切り裂かれた。包帯男が空中でバランスを崩し、雪上に背中から落下した。その衝撃で、雪煙が盛大に舞い上がる。

「ぎゃわわ!」

 吹き荒れる雪と冷気に、リディは身を縮こませた。現実味を欠いた二人の攻防に、能天気なリディ──自覚している──も、さすがに冷や汗を垂らす。だがしかし、マリナを取材するためには、彼女の傍を離れるわけにはいかない。

(ただ……もう少し、離れていた方がよさそうだよね……)

 リディはそう考え、震える脚を腕で支えながら立ち上がり、一歩後ずさりする。すると、彼女の背中にトンっと何かがぶつかった。リディが恐る恐る背後を振り返ると、そこには右肩を抉られた包帯男が立っていた。

 包帯男の頭部に巻かれた包帯が、マリナとの戦闘により緩んでいる。ゆえに、リディには包帯の隙間から男の瞳が見えた。凍りつくような狂気を湛え、だが宝石のように美しい男の瞳は──

 黄金に輝いていた。

「き──」

 悲鳴を上げる間もなかった。包帯男の左腕から伸びた触手が、リディの首を絞め上げ、宙に持ち上げる。骨の軋む音が耳の奥で聞こえた。リディは呼吸に喘ぎながらも、首を拘束する触手に爪を立てたり、脚をバタつかせたりと必死に抵抗を示した。だがすぐに、リディの全身を触手が這い回り、腕も脚も拘束されてしまう。全身を強靭な力で締め上げられ、リディは痛みと恐怖から絶叫しようとする。だが彼女の口から出るのは、苦痛に満ちた弱々しい声だけだった。

 リディの涙で滲んだ視界に、マリナの姿が映った。彼女は歯がゆそうな表情で、リディと包帯男とを交互に見やっている。そして、マリナの怒りに満ちた声が──頭の中で反響する耳鳴りに混じって──聞こえてきた。

「どういうつもりだ! お前の狙いはぼくのはずだろ! すぐにその子を放せ!」

「君が素直に私の言うことに従うなら放そう。コレは君をあぶり出す以外に、人質としても利用するつもりだった」

「何か勘違いしてないか? ぼくとその子は何の関係もない! ついさっき出会ったばかりの赤の他人だぞ!」

「だが君は見捨てることはできない。さて、刀を捨ててもらおうか」

 マリナが、リディの苦痛に歪んだ顔を一瞥する。そして包帯男に視線を戻すと、彼女は右手に持った刀を放った。刀は空中で回転し、刃先を下にして雪に突き刺さる。すると、突き立てられた刀の刃先から、勢いよく水蒸気が吹き出した。刀はそのままズブズブと雪に沈んでいき、柄と鍔だけを雪の上に残し、その刀身の全てを雪の中に埋めた。

「結構。さて、このまま君が素直に付いてきてくれれば助かるが、そうもいかないだろう。心苦しいが、君の腕と脚を千切らせてもらう。だが心配は不要だ。君はそれでも死なない」

 リディの視界が黒く染まり、酸欠で意識が急速に溶けていく。そんな中、リディは、包帯男がマリナに触手を伸ばしていくのを、気配で察した。

(このままじゃ……ダメ……)

 マリナを助けなければならない。ドロドロに溶けた意識で、リディはそう思う。それは彼女が命の恩人だとか、興味深い取材対象だとか、そういった理に沿った考えなどではなかった。もっと本能に近い、別種の強烈な感情が、彼女をそう責め立てるのだ。

 その感情の正体は、リディにも分からない。だが、彼女はその想いに従って、バラバラになりそうな思考を必死にまとめ上げ、状況を打破する手段を模索する。

 そしてリディは、自身の右手にずっと握られていた()()の存在に気が付いた。

 リディは右手を一度強く握り、力を緩める。彼女の右手から()()が溢れ、彼女を締め上げている包帯男の目の前に落ちた。

 包帯男の僅かな動揺が、触手越しに伝わってきた。そして、消えようとする意識の端で、包帯男の怪訝な声を聞く。

「何だ──」

 包帯男の声は、()()()()()()の爆発音にかき消された。爆発それ自体の威力はたいしたことはない。恐らく、爆発の中心から一メートルは離れていたであろう包帯男に、怪我はなかったはずだ。しかし、脅かす程度のことはできたのだろう。リディを締め上げる触手の力が僅かに弱まった。彼女はその隙を突き、力づくで触手を振りほどいた。

 触手の束縛を抜け、リディの身体が地面に落下していく。彼女の霞みゆく視界の中に、刀を拾い、こちらに接近してくるマリナの姿が写った。

(ああ……良かった)

 リディは気を失った。


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