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スノースキン  作者: 管澤捻
雪女マリナ
3/27

雪女マリナ(2)

「本当にいたんだ……」

 リディは目の前に立つ美しい女性──雪女を見つめ、思わずそう呟いた。ソーゲ森林地帯に入る前に立ち寄った小さな村──名前は忘れてしまったが──で語られていた、にわかには信じがたい噂話。

 白い髪と黄金の瞳を持つ雪女。

 白銀の刀を振りかざし、ビックフットから冒険者を護る戦乙女。

 正直、リディはこの話を、酔っ払い──その話をしてくれた白髭の男性は、かなり酩酊していた──の戯言だと、半分決めて掛かっていた。女性がたった一人で、ビックフットから冒険者を護っているなど、証拠もなく信用できるはずもない。何より、この寒風吹き荒ぶレルミット大陸において、ワンピース一枚で外出しているなど、ありえないと思っていた。ニット帽にネックフォーマ、何枚も重ね着したインナー、アウターには厚手のダウンとパンツ、ウール素材の手袋や裏地が合成毛皮のブーツ等、全身を防寒着で固めているリディでさえ、凍える冷気が衣服を通り、肌に突き刺さるのを感じるのだ。目の前の女性のように、肩をむき出しにしたワンピースなど着ようものなら、リディはたちまち血液まで凍り付いてしまうことだろう。

 だがリディが見る限り、目の前にいる女性が寒さを感じているようには思えなかった。仮に彼女が何かしらの理由でやせ我慢していたとしても、震え一つ起こさないとは考えにくい。さらに女性の観察を続けたリディは、女性が白い息を吐いていないことに、気が付いた。寒い地域で息が白くなるのは、体内から吐き出される空気と外気の寒暖差により、水蒸気が発生するためだ。その現象が見られないということは──

(彼女自身の体温が、外と同じぐらい低いってことなのかな?)

 やはりこの女性は、文字通り雪女なのだろうか?

 リディが半信半疑でそんなことを考えていると、雪女と思われる女性が、すいっと一歩、リディに近づいた。そして薄い唇を開き、リディに話し掛けてくる。

「君もまた、何とか学者か? とてもそうは見えないけど」

 その言葉に、リディは少しだけムッとした。雪の上で四つん這い──ビックフットから逃げ回った疲労で暫くは立てそうもない──になりながらも、ふんと胸を反り答える。

「学者じゃありません。フリーライターです。まだ十六歳の弱輩ですが、立派なプロとしてやっているつもりです」

 雪女は「ふーん」と、白髪を指で掻きながら興味なさげにこう続けた。

「まあ、学者(スコラー)でも記者(ライター)でもどっちでもいい。この森はこういった怪物が出て危ないから入ってくるなど、ぼくは出会ってきた連中に何度も警告を出している。君はそれを知らずに入ってきたのか?」

 雪女が、自身が斬り裂いたビックフットを、刀の先で指し示した。リディは「あー……」と言葉を濁しながらも、正直に話す。

「危険なのは……噂で聞いていました」

「なら、自己責任だな。ぼくがこのまま君を置き去りにして帰っても、恨まれる筋合いはないということだ」

「ええ!」

 雪女の残酷な発言に、リディは目を見開いて絶叫した。

「そんな! ちょっと待ってください! あたし、必死で逃げ回っていたんで、もう帰り道も分かんないし、今ここで置き去りにされちゃったら、間違いなくアウトなんです!」

「心配するな。こんな地域にだって微生物は存在する。君の屍は彼らに分解され、この樹木たちの養分となる。そして、森とともにこの地に根付き、永遠に生きることになるさ」

「そんな格好良さげなこと言っても絶対に嫌です!」

 リディの抗議を受け、雪女が目を閉じて「冗談だ」と、肩をすくめた。

「ちゃんと森の外には送る。ただ、君はそうされても文句は言えない立場なのだと、それを自覚してもらいたい。ぼくは別に、君のように不注意に森に入った人を護って回るような、そんなことを生業としているわけじゃない。本来なら、ぼくがこんなことする義理はないのだと、肝に銘じてくれ」

「……分かりました。あの……ただ送ってくれる前に、一ついいですか?」

 リディは右手を挙手する。雪女が不満げに眉根を寄せ、口を尖らせて言う。

「何だよ。君はぼくに何か文句言える立場じゃないだろ?」

「文句じゃないです。お願いです」

「それも立場じゃないだろ。まあ、聞くだけ聞くけど。何?」

 リディは雪女を輝く瞳で見つめると、好奇心に満ちた声音で彼女に言う。

「取材させてくれませんか?」

「へ?」

 雪女が目を丸くして、困惑した声を出す。

 そしてその声を合図にしたかのように、突然、四体のビックフットが雪の中から姿を現した。リディと雪女を囲うように現れたビックフットは、彼女たちが振り返る間もなく、その巨大な拳を、二人に向かって一斉に叩きつけた。


 丘の上からソーゲ森林地帯を眺めている男がいた。男の視界に広がる白銀に染まった森林。その一点で、大きな雪煙が舞っている。ビックフットが雪女に拳を叩きつけた、その場所だ。男とその地点との距離は、おおよそ一キロメートル。立ち上がった雪煙から推測しても、ビックフットの拳の威力は、常人ならば骨までミンチになっていることだろう。だがそれに対し、男の求めた成果はひどく謙虚なものだった。

(腕の一本潰れていれば儲けものか)

 ビックフットが雪女を襲ったのは、男の計画の一部だった。彼には、ビックフットを自在に操るすべを持っている。その能力を使い、今まで真正面から雪女に挑んできた彼だが、今回は少しだけ搦め手を使った。

 森に入り込んだ人間を、ビックフットで追い立てながら上手く誘導し、人間を助けに来た雪女を罠に嵌める。

 そしてそれは成功した。だが、仕留められることはないだろう。それは初めから分かっていることだ。雪女を仕留めるには、ビックフットだけでは()()()()()

(私も行くことにしよう。そして今日こそ、悲願を達成する時だ)

 男は一歩、脚を前に出す。だが、その脚の先に地面はない。十メートル以上の高さがある丘の端から、頓着なく脚を踏み出した男は、そのままソーゲ森林地帯へと落下していった。


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