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スノースキン  作者: 管澤捻
二人の母親
21/27

二人の母親(3)

 マリナは黒塗りの鞘から白銀の刀身を抜き取ると、一度二度、素振りをして自身の調子を確かめた。その結論は──最悪だった。

 身体の反応が目に見えて悪い。動きは鈍重で、水中の中にでもいるように空気が重かった。視界も、いつもならば相手の毛穴まで鮮明に見えるのだが、今は薄く霧掛かったように、ぼやけている。それら以外にも、身体の不調は幾らでも上げられた。マリナの人生において最低な状態であると言える。

 何より、マリナの精神状態は、数ある不調の中でも突出して劣悪だった。

「マリナ……?」

 自分を呼ぶ声に、マリナは視線だけを横に向けた。そこには小柄な少女──リディがおり、こちらを心配そうに見つめていた。マリナはすぐに彼女から視線をそらし、前方に立つ白いドレスを着た幼い子供を睨みつける。

『左腕』に身体を支配されていた時、彼女の意識は『左腕』に抑え付けられ、表に出てくることはなかった。だが意識がない間も、その記憶だけはあった。だから、目の前にいる幼い子供が、自身にとってどういう存在なのか、彼女は理解している。

 寄生型人工生命体スノーの意識体。自身の部位を切り分け『四肢』を作り出した怪物。そして──

右腕(じぶん)』の生みの親。

 マリナはゆっくり呼吸を整えると、腰を落として構えを取った。丁寧に研磨し、凶器のように尖らせた殺意を、目の前の子供──母上にぶつける。自身の生み出した『右腕(こども)』から放たれる凶暴な気配。だがそれに母上は、心地好さそうに笑うだけだ。マリナはギリギリと目尻を上げ、一歩、母上に近づいた。

「マリナ……マリナ、大丈夫なの?」

 また彼女を呼ぶ声。だが今度は、マリナはその呼びかけに視線を寄越すことさえしなかった。彼女は、ただまっすぐに母上を見据え、飛び掛かるタイミングを図る。呼びかけに一切答えないマリナに対し、リディが困惑した表情で、マリナの腕を掴んだ。

「マリナ! どうして何も言ってくれないの? あたし──」

「触るな!」

 リディを見ずに、マリナは彼女を怒鳴りつけた。腕を乱暴に振って、リディの手を振り払う。リディが、何が起こったのか分からないといったように、呆然とマリナを見つめる。マリナはリディから離れるように、また一歩、母上に近づいた。

「ぼくに……近寄るな……」

 マリナは深く腰を落とし、膝を(たわ)ませる。そして背後にいる友人に振り返らず言う。

「……君はもうモースを出て行くんだ。これはぼくたち……化け物の問題だ」

「マリナ!」

 三度目の呼びかけ。マリナはそれを無視して、駆け出した。刀を水平に構え、母上に急速に接近する。肉薄。

 刀を横薙ぎに一閃。母上が屈んで刀身を躱した。マリナはさらに一歩踏み込み、刀を返して下から振り上げる。息つく間もない連撃。人間の反射速度を凌駕するその攻撃を、母上はステップを踏むように後ろに跳び、軽やかに躱す。母上の表情は絶えず笑顔を浮かべている。それに、マリナの神経は逆撫でされた。

「本調子じゃなさそうね。無理もないわ。あなたの殆どは、私が食べちゃったんだもの。今のあなたは、その残りカスにすぎない。以前のような戦闘能力は、あなたにはもうないのよ」

「黙れ!」

 吠え猛り、母上に向かっていく。上段から刀を振り下ろす。母上が横に飛んで躱す。それを追い掛けるように、刀を横に振る。だが、一瞬早く、母上が背後に回りこんでいた。母上が身体を捻り、右腕を振るう。その右腕は肉厚の剣に変化していた。身体を低くして、前方に転がる。両断は避けたものの、背中が浅く斬られる。痛みを無視して振り返り、刀を突き出す。母上はそれを、首を傾けるだけで躱す。気付いた時には懐に入られていた。母上の剣に変化した右腕が上段に構えられる。剣の切っ先を見つめ、左右どちらにも躱せる準備を整える。が、突然腹部に衝撃が走った。舞台上から吹き飛ばされ、観客席に飛び込む。

「かはっ……はっ!」

 席をなぎ倒し、床に這いつくばって咳き込む。喉まで上がってきた胃酸をグッと飲み込む。喉が焼ける感覚。ヨダレで汚れた口元を指で拭って、母上を見据えて立ち上がる。

 母上は上げていた右足を下げ、マリナを嘲笑するように言う。

「この右腕だけに注意を払いすぎね。剣が身体に埋め込まれれば、あたしに食べられる。そう思っているんでしょ? 無理もないけど、でもそれだけに、それ以外の攻撃の対処が疎かになっているわ」

 母上が舞台上から跳躍し接近してくる。タイミングを図り、刀を横薙ぎに振る。だが一瞬早く、母上が左腕を床に伸ばして自身の身体を引き倒した。床を滑るように接近した母上が、こちらの足首を狙って右腕の剣を振るう。それを危うげに跳んで躱すと、刀を立て、足元にいる母上に突き立てるようとする。だがそれよりも早く、跳んだ足首を母上に掴まれ、力任せに投げ飛ばされる。床に固定された座席に再び身体を叩きつけられ、息が詰まる。痛みに喘ぐ暇もなく、母上が接近してきた。狙いもろくに付けず、遮二無二刀を振るう。母上が跳躍して、二階席へと着地した。

「無様なものね『右腕』。刃物を闇雲に振り回すだけだなんて。まるで赤ん坊みたい」

「くそ!」

 母上を追いかけ、跳び上がる。が、身体が重い。何とか二階席まで届いたものの、自身の膂力が大幅に削られていることを実感した。だが泣き言など言っている時ではない。

 母上だけは自分の手で殺す。

 自分の手で殺さなければならない。

 二階席に着地すると同時に、母上に跳び掛かった。母上が固定された座席を引き抜き、投げ付けてくる。それが恐ろしいほど速い。胸部に座席が当たり、二階席床に倒れこんだ。すぐさま立ち上がろうと顔を上げると、目の前に右腕の剣を振りかざす母上が見えた。横に転がって刃を躱す。だがすぐに腹部を蹴り上げられ、壁まで吹き飛ばされた。壁に背中を強かに打ちつけ、崩れ落ちる。

「大分弱ってきたわね。そろそろ食べ頃かしら?」

 そう言うと母上は、ゆっくりとマリナに近づいてくる。マリナは霞む視界で母上を捉えながら、自身の状態を確認する。肋骨を始め、幾つかの骨が、折れているかヒビが入っている。内臓を痛めたのか、身体の奥がギリギリと痛い。切り傷、裂傷は数え上げればきりがないだろう。満身創痍と言える。それでも、一、二時間の休息を取れば自己回復できる。もっとも、母上がそれを気長に待っていてくれるとも思えないが。

(ぼくが……こいつを……殺さないと……)

 壁を支えにして、なんとか立ち上がる。だが身体が言うことをきかず、刀を構えることができない。マリナが限界であることを知り、母上が勝ち誇るように笑った。それがひどく悔しかった。と──

 二階席の出入口が乱暴に開かれ、一人の小柄な少女が現れた。

「マリナ! だい……って、全然大丈夫そうじゃないじゃん!」

「リ……ディ……」

 信じられない思いで、マリナは少女の名前を呟いた。リディが走って、壁に寄り掛かるマリナへ近づいてくる。心配そうに自分を見つめてくるリディを、マリナは睨みつけた。

「モースを……出ろといったはずだ……こんなところまで……何しに来た」

「何しにって……マリナを置いてけるわけないじゃん! 折角再会できたのに、どうしてそんな冷たくするの! 変だよマリナ!」

「君の……知ったことじゃない……さっさと失せろ……邪魔だ」

「嫌だ! ねえマリナ。何が気に入らないのか知らないけど、逃げるならマリナも一緒に逃げようよ。バイクって乗り物に乗れば、きっと二人でも逃げられるから」

 いつの間にか、母上が立ち止まってこちらの会話を興味深げに聞いていた。余裕ゆえの行動だろうか。マリナは、そんな母上の嘗めた態度に、改めて怒りを燃やす。

「逃げるわけにはいかない……ぼくは絶対に逃げない……あいつを殺すまでは……」

「マリナ! 何をそんなムキになって──」

「ぼくに触るな!」

 肩を掴もうと手を伸ばしたリディを、マリナは力強く押し倒す。リディは受け身も取れず背中から倒れ、側頭部を床に強かに打ちつけた。「あ……」とマリナから声が漏れる。ゆっくりと上体を起こすリディ。その彼女のこめかみから、血が流れ落ちた。

「マリナ……」

 座り込んだまま、リディがマリナを見つめる。その悲しそうな瞳に、マリナは胸が締め付けられる。リディの瞳から目を逸らし、顔を俯ける。

「……ごめん」

「マリナ……」

 マリナは刀を床に落とすと、顔を両手で覆い肩を震わせた。

「ごめん……ごめんリディ……怪我をさせるつもりじゃなかったんだ……」

「マリナ……本当にどうしちゃったの?」

 もう、黙っておくことができなかった。これ以上、この出来事を心に閉じ込めておくことができなかった。そんな気力なんて、どこにも残されていなかった。想いを吐き出さなければ、身体が破裂してしまいそうだった。だから、無関係なリディに話してしまう。

「ぼくは……村のみんなを殺してしまった」

「え?」

 惚けたように聞き返してくるリディ。マリナは栓を切ったように言葉を吐き出す。

「フランクも、テッサも、マルコじいも、みんなぼくが殺した。村の子供達もみんなだ」

「何言っているの? マリナがそんなことするわけないじゃん」

 マリナの言葉を否定するリディ。そんな彼女に、マリナは悲痛に叫んだ。

「記憶に残っているんだよ! ぼくの中に入った『左腕』が、村のみんなを殺していくのを! ぼくの身体でみんなを切り刻んでいくのを! その様子が全部、記憶されているんだ! その時の光景を、感触を、匂いを、全部、全部! よりにもよって、ぼくの身体で、ぼくの大切な家族を殺したんだ!」

 リディが、マリナの予想外の告白に、目を見開いて黙り込んだ。マリナは肩を揺らしながら大きな呼吸を何度も繰り返す。そして暫くしてから、声の調子を落として、リディに呟くように言った。

「だから……ぼくがみんなの仇を討つんだ。ぼくが……討たなきゃだめなんだ」

「でも……それはマリナのせいじゃないよ」

「ぼくのせいだよ」

 マリナは落とした刀を屈んで拾うと、ふらりと立ち上がった。そしてリディを横切り、彼女の一歩前に出る。

「ぼくがいたから……みんな殺されてしまったんだ。ぼくなんかと関わらなければ、みんな死ぬことなんてなかったのに。ぼくなんかを……化け物のぼくなんかを……受け入れてしまったがために……みんなが……」

「マリナ! それは違うよ!」

「違わない!」

 マリナは刀を構え、腰を落とした。体力は完全には回復していないが、動くことぐらいはできそうだった。我ながら呆れるほどの自己再生能力。化け物の能力(ちから)

「だからリディ。君はぼくに関わるな。村のみんなを死なせ、その上、君まで死なせてしまっては……ぼくはもう……本当にダメになってしまう。こいつは……化け物の親玉は、ぼくが殺す。例え刺し違えてでも」

 そしてマリナは、死んでしまった村のみんなと、こんな化け物を心配してくれる優しい少女に、謝罪する。

「リディ……みんな……ごめん。ぼくなんか……いなければよかったよ」

 マリナは駆け出した。

 刀を力任せに横薙ぎに振るう。バックステップで母上が躱す。それを追いかけ、上段から刀を母上の脳天に叩きつける。が、刀を握る手首が掴まれた。振りほどこうと足掻くも、手首を掴む母上の左手は、一向に緩む気配がない。手首を引かれ、地面に引き倒される。心臓を踏みつけられ、床に身体が固定される。母上が右腕の剣を掲げた。刀を持つ手は、母上の左手に掴まれ、身体は踏みつけられ転がって回避することもできそうにない。

「チェックメイト♪」

 母上がにこやかに笑った。

 食われてもいい。殺されてもいい。だが、母上を道連れにしないことには、死んでも死にきれない。マリナはそう思っていた。しかしそんな決意など、母上との圧倒的な実力差を前して、何の力にもなりはしなかった。

(結局……何もできない)

 村のみんなを死に追いやって──

 仇さえまともに討てない。

 最悪だ。

 母上が掲げた剣が打ち下ろされる。その直前──

 母上が横に跳ねた。横たわるマリナの前に、リディの姿が現れる。あろうことかリディが、母上に身体をぶつけ、母上を横に弾き飛ばしたのだ。

「マリナ! 大丈夫?」

「バカ! 何やって──」

 母上が立ち上がり、リディに向けて剣を構えるのが横目に見えた。マリナは咄嗟に左腕を振り上げると、全力で床に肘を打ちつけた。二階席が大きく揺れ、次の瞬間、マリナを中心に崩壊する。マリナは即座にリディの身体を抱え込む。そして、二階席の瓦礫とともに一階席に落下した。


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