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スノースキン  作者: 管澤捻
寄生型人工生命体スノー
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寄生型人工生命体スノー(6)

 リディに起こった異変を感じ取り、『左脚』は表情を強張らせた。そんな彼を見て、『左腕』が満足気に──無表情だが──呟く。

「『右脚』は追いついたようだな」

「テメエ……はなから俺を足止めして、『右脚』にリディちゃんを狩らせるつもりだったのかよ……」

「私は予防線を張っていたに過ぎない。我々『四肢』の中で、人間を匿うとすれば君だ。ゆえに、先に『右脚』に声をかけ、周囲を見張らせていた」

『左脚』は「チッ」と舌打ちをすると、地面を蹴り、『左腕』に接近する。『左腕』が突き出した左拳を屈んで躱し、『左腕』の懐に潜り込む。そして硬質化した右手を鉤爪のように尖らせ、『左腕』の胸部に向けて振り上げた。

 だが手応えはなかった。『左腕』は大きく跳躍して『左脚』の右手を躱すと、そのまま近くに建てられたビルの屋上に着地する。『左脚』が苛立ち吠える。

「テメエ! 逃げるつもりか!」

「私がお前と戦う理由があるか?」

「そっちになくても、こっちはあんだよ!」

「そちらの都合は私には関係がない」

 そう言うと、『左腕』がビルの屋上を伝い逃走を始めた。

「おいコラ! 逃げんじゃねえ! 正々堂々と戦いやがれ!」

『左脚』は叫ぶと、『左腕』を追ってビルの屋上に跳躍した。


 リディに打ち下ろされた巨大な鈍器(ハンマー)。それを彼女は、バイクの進路を直角に曲げることで紙一重で躱した。建物と建物の僅かな隙間に身を滑らせ、バイクを疾走させる。彼女は一気に噴き出した冷や汗と、全身に立った鳥肌に、身体を小刻みに震わせた。

「ししし……死んじゃうところだったよ……何なのよ……あの人」

 思わず口を突いた疑問。だがしかし、その答えはとうに予想できている。

 母上と呼ばれる存在から生まれた『四肢』。その一人である『右脚』に違いない。女性の白い髪と黄金の瞳が、その証拠とも言える。

『左脚』の話によれば、彼らはモースの存在を外に知られないために、モースに侵入した人間を容赦なく殺してきたのだという。そして彼ら自身も、過去に殺された人間にスノーを寄生させることで生み出されたらしい。つまり、リディもここで殺されてしまえば、身体にスノーを寄生させられ、母上と呼ばれる存在の娘として、利用されてしまうのかも知れない。その想像は、ただ無残に殺されてしまうよりも、遥かにリディをゾッとさせた。 

(マリナには悪いけど、やっぱり自分の身体を、知らない人に操られちゃうのは、ちょっと御免だよね)

 そう思っていると、上空から甲高い女性の声が聞こえてきた。

「ちょっと、そこの人間くん! 面倒かけないでって言ったじゃん! どうして逃げるのよ! 素直にベチャって潰れたほうが、私にとって都合がいいから幸せじゃない!」

 建物の屋根の上から、何やら勝手なことをほざいている女性。彼女は、建物と建物を跳び伝いながら、建物の隙間を縫って走るリディと並走している。つくづく人間離れしたその芸当に、リディは行儀悪く舌打ちをした。

「私あまり気が長くないのよ! だから、今度は避けないでよ! いい? 約束だよ! てなわけで、ドーン!」

 女性は右手の巨大な鈍器(ハンマー)をリディに向けると、その腕を高速で伸ばした。リディは咄嗟にアクセルを回す。バイクの速度が上がり、リディは間一髪のところで、女性の右手を掻い潜った。リディの背後で、地面が砕ける激しい衝突音が鳴る。

「あああ! 何でまた躱しちゃうのよ! 約束が違うじゃない!」

 そんな約束はした覚えがない。リディは、寒さと緊張で硬直する筋肉に喝を入れ、細い路地を繊細なハンドルさばきで走り抜ける。そして再び大きな通りに出ると、急カーブを切り、大通りに沿ってバイクを走らせる。

 と、ここで頭の中で『左脚』の声が響いた。

(リディちゃん。よかった無事みたいだな)

「『左脚』さんですか? あまり無事ってわけでもありませんが」

 背後からしつこく追い掛けてくる『右脚』を尻目に警戒しながら、リディは答えた。

(悪い。俺の計算違いだ。色々と面倒な方向に物事が進んじまっているみてえでよ)

「面倒って、これ以上の面倒ごとはすごく困るんですが……」

 陰鬱に呟くリディ。

(ごもっともだが、聞いてくれ。『左腕』の奴を逃がしちまった。しかもその逃げた先が、方向からしてどうも、母上のところらしいんだよな)

 母上。寄生型人工生命体スノーが濃縮されたことで生まれた意識体。モースに侵入した人間を殺し、その骸を利用してマリナたち『四肢』を生み出した現モースの支配者。リディはまだその姿すら見たことがないが、『左脚』の口からその単語を聞くたびに、嫌悪感にも似た恐怖が湧き上がるのを感じた。

(俺を母上の下まで誘導して、そのまま母上に俺を喰わせちまおうって魂胆だろうな)

「それが分かっているなら、深追いはしないほうがいいんじゃないです?」

(いや、下手に時間を置けば、『右脚』の野郎も母上のところに戻ってくるだろうし、場合によっちゃあ、もっと多くの子供を生み出して俺を狩りにくるかも知れねえ。リディちゃんの身体にスノーを寄生させて……とか)

「それは……困りますね」

(『左腕』はそこまで計算して、俺が逃げねえと踏んでいるのさ。マジで強かで嫌な野郎だぜ。できれば『右腕』を救出してから、俺と『右腕』の二人掛かりで母上と対峙したかったが、こうなった以上仕方がねえ。俺はこのまま、母上に対して強襲を掛ける)

「あたしはどうすれば……」

 不安気にリディが『左脚』に問うた。彼は少しの沈黙を挟んだ後、躊躇いがちに言う。

(正直、もうリディちゃんのダチを元に戻すことは、絶望的だと考えていい。『左腕』の身体を痛めつけて奴をそこから追い出すなんて余裕は、母上が与えてくれる訳がねえからな。勝手で悪いが、ここで共闘は解消させてもらう)

「そんな……」

(本当に悪い。リディちゃんは『右脚』をなんとか振り切って、そのままモースを出てくれ。北に向かって走れば、防護壁──モースを覆う氷に酷似した天井のことだが──の外に出るエレベータがあっから)

「えれべえた?」

(上下移動する箱みてえなもん。兎に角、そこからモースを出て、早急に森から逃げてくれ。それがリディちゃんにとって一番賢い選択ってやつだ。ただし──)

『左脚』がここで一度言葉を区切った。そして調子を落とし、こう話を続ける。

(俺は人の行動を強制するのは好きじゃねえ。だから、リディちゃんにはもう一つ、選択肢をやろうと思う。いいか、推奨はしねえぞ。俺が提示するもう一つの選択肢は、リディちゃんも母上のところに向かうってことだ)

 リディはその提案に、息を呑んだ。

(さっきも言ったが、リディちゃんのダチを戻せる可能性は限りなく零だ。だが、『左腕』に支配された身体を『右腕』が取り返す、そんな偶発的な何かが起こらないとは限らない。そんな僅かな奇跡に賭けて命を張るなんざ馬鹿げているが、それをリディちゃんが望むってなら、俺はそれを止めはしねえ)

 突然、リディの頭の中に大きな建物が映し出された。外観の八割がガラス張りとなった、他の建物とは明らかに趣の異なる建造物。そしてその映像とともに、その建物の名前と道順(ルート)が、リディの頭に浮かび上がってくる。

(ここが母上のいる場所だ。あとはリディちゃんがどうするか決めな。繰り返すが、母上のところに来ることは推奨しねえ。以上だ。悔いのねえ選択をしてくれや)

 ここで、『左脚』との会話が途絶えた。リディは『左脚』が残してくれた二つの選択肢を、頭の中に思い浮かべた。

 生き残るために、このままモースを出て森から外に逃げるのか。

 ありえない奇跡に期待して、わざわざ敵の本拠地に乗り込むのか。

 答えはリディの中ですぐに出た。

(奇跡とか、そういう言葉に弱いんだよね。あたしたちフリーライターは……)

 リディは大きくハンドルを切って、進路を変更した。

 目指すはモースコンサートホール。


(子供達がここに集まってくるわ)

 コンサートホールの舞台の中心。そこに寝そべる彼女は、ここに集ってくる子供達の気配に、そっと微笑んだ。

(みんな、本当にいい子よね。次生まれていくる子達も、この子達のように真っ直ぐに育ってくれるといいんだけど)

 我が子を想う彼女のその笑顔は、凍りついたように冷たいものだった。

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