寄生型人工生命体スノー(4)
モースに娯楽施設は少ない。それは、モースの住人の殆どが研究職に就いた者たちであり、研究こそが、彼らにとっての娯楽だったためだ。そんなモースで最大と言える娯楽施設が、このモースコンサートホールだ。
彼女は今、コンサートホールの舞台に寝そべり、目を閉じている。眠っているわけではない。彼女は眠らない。眠ることができない。ただ目を閉じて思考を巡らす。彼女が生きた五十年間の記憶を鮮明に再生する。彼女は思い出していた。今から十一年前。彼女が初めて母親になったその時を──
その日、モースには数十年ぶりの、外からの来訪者があった。男女四名からなる彼らは、フリーライターとして大陸を回っている人間で、この地には調査兼取材で訪れたのだと話してくれた。彼女は彼らを歓迎しモースに迎い入れると、街の案内してやることにした。住宅街や商店街、軍事施設や研究施設、議会や官邸など、多様な施設を回った。彼らは一様に驚き、感激してくれた。施設の用途や建物の建築技術など熱心に彼女に尋ねてきた。彼女はその問いに、可能な範囲で真摯に答えてやった。
そして一通りモースの観光が終わった後、彼女は彼ら四名のうち、三人を殺してやった。一人は逃してしまった。彼女もこれには参ってしまった。人間を逃せば、ここモースの平穏が脅かされる。それは安寧の日々を過ごしたい彼女にとって、喜ばしくないことだった。
彼女はモースを覆う、氷に酷似した防護壁の外に飛び出した。モースから脱出するためには、必ずこの防護壁の上に出なければならない。そう彼女は考えたためだ。ただし、そのライターの生き残りが姿を現す可能性は、限りなく低いだろうとも考えていた。モースには至る所にビックフットがいる。彼女の庇護なくば、ビックフットに忽ち襲われ、喰われてしまうだろう。
だが彼女の予想は覆され、そのライターの生き残りは防護壁の上に姿を現した。その者は、まさに満身創痍といった、血と汗にまみれたボロボロの姿をしていた。だが、その瞳には焼けるような強い意志が灯っていた。何がなんでも生きようとする、強い意志が。
そのライターの手には、一振りの刀が握られていた。白銀の刀身を持つ刀。彼女は一目見てそれが灼熱の刀だと気が付いた。そして、得心する。ビックフットを退け、ここまで辿り着けたその理由を。寄生生物スノーにとって熱は代表的な弱点の一つだ。灼熱の刀で斬られた細胞は即座に炭化し、スノーが持つ自己再生能力を発揮できなくなる。自分を含め、スノー感染者にとって非常に都合が悪い武器なのだ。その者がそれを理解した上で、灼熱の刀を武器にしたとは思えない。恐らくは、自分がまともに扱える武器を、無作為に選んだに過ぎないのだろう。彼女は、彼らを軍事施設まで丁寧に案内したことを、少々悔いた。
「どうしてこんな真似をするの!? カルロスもリオネルも、イザベルまで、みんなみんな死んで、私の大切な仲間を殺して! 私たちが一体何をしたって言うのよ!」
「あなた達は何もしていないわ。ただモースから帰すわけにもいかないの。ここは世界でたった一つの、あたしの安息の場。それを害する可能性があるなら、排除するだけよ」
「初めから殺すつもりだったの!? だったらどうして街を案内してくれたのよ!」
「あなた達と話がしたかったの。モースには言語を介する生物は、あたし以外存在しないから。楽しい暇つぶしになったわ」
ライターは刀を握り締めると、腰を落とし彼女に向かって駆け出してきた。人間にしては疾い。三人のライターを屠った時に、彼女が人間ではないと理解したからなのか、一切の躊躇いがない、良い動きだった。もっとも、彼女にとって脅威となることはないが。
刀を振りかざし接近するライター。彼女はそれを十分に引きつけると、その者が刀を振り下ろす直前で、右腕を分厚い剣に変形させ、その者の腹部に突き刺した。
「あ……」
ライターから声が漏れる。剣が突き刺さった腹部から溢れる大量の血液が、その者の服を紅く染め上げていく。剣を伝う血が滴となり、防護壁に赤い血溜まりを作る。間違いなく致命傷だ。彼女は冷静にそう判断すると、剣を引き抜こうと、自身の右腕に意識を向けた。その時、彼女にとって信じられないことが起こった。
「あああああああああああああああ!」
間違いなく致命傷を負ったはずのライターが絶叫しながら、振り上げていた刀をそのまま振り下ろしてきたのだ。意識をライターから反らしていた彼女は、それに対する反応が僅かに遅れる。ライターの灼熱の刀が、彼女の右腕を肩口から切り裂いた。
「────!」
炭化し黒くなった断面を覗かせて、右腕が彼女から切り離された。痛みがあったわけではない。ただあまりに想定外の出来事に、彼女は目を見開き、身体を硬直させてしまった。ゆえに、水平に刀を構えるライターを、止めることができなかった。
彼女の身体が横一文字に斬り裂かれる。さらに続けて、ライターは上段に刀を構えると、頭部から股の下にかけて、彼女の身体を縦に斬り裂いた。彼女は抵抗できないまま、防護壁の上に、バラバラにされた身体を転がした。
「はっ……はっ……は……ごほ!」
ライターが大きく咳き込む。その者の口から大量の血が吐き出された。その血の色は赤というよりはドス黒い。まるで、ライターの命を絞り出して吐き出されているような、濃縮された赤黒い血。やはり、腹部の傷は致命傷だったのだろう。彼女は四つに分断された状態のまま、自分の判断に誤りがなかったことを確認した。ただ、致命傷を負ってなお諦めない人間がいることを、彼女は知らなかっただけだ。
「わ……たしは……死ぬわけには……いかない……やく……そく……したんだから……必ず……帰るって……あのこに……」
足を引きずりながら、ライターは歩き出した。その者は、うわ言のような呟きを続けながら、一歩一歩、彼女から離れていく。
彼女は迷った。その者を帰すわけにはいかない。だが、この四つに分断された身体では、俊敏に動くことはできないだろう。下手に攻撃を仕掛ければ、また思いがけない反撃を受けてしまうかも知れない。今ならまだ、時間をかければ再生可能な範囲だ。何より、ライターは致命傷を負っている。余計な手出しはせずとも、このまま放って置けばライターは直に絶命する。彼女はそう考えた。しかし、彼女にとってさらに想定外のことが起こる。
「あ……あああああああがあがああ!」
ライターの苦しみ方が変わった。ライターが自身の肩を抱き、膝を折ってその場に崩れ落ちる。身体を震わし、苦痛にあえぐライター。そして、ライターの腹部に突き刺さっている彼女の右腕が──
蠢きながらライターの身体に侵入した。
「!!!」
その直後、ライターの身体に変化が起こった。ライターの腰まで伸びた黒髪が、真っ白に変化したのだ。この現象は、彼女にとって馴染みのあるものだった。これは、寄生生物スノーに感染した者に見られる身体的変化。
(まさか……あたしの右腕が寄生した?)
スノー感染者たちの共食いにより、彼女の中で濃縮された寄生生物スノーが、右腕ごとライターに寄生した。確かに理屈は通るが、スノーから発生した意識体である彼女でさえ、そのような現象が起こり得ることを、考えたこともなかった。
ライターが立ち上がった。腹部の傷はスノーの自己再生能力によって塞がっている。彼女の右腕に寄生されたライターは、暫くその場に立ち尽くしていたが、そのうちフラフラと、森に向かって歩き出した。そして彼女の前からその姿を消した。灼熱の刀と共に。
(衝撃的だったわ。だけど同時に、とても魅力的だとも思った)
彼女はモースに戻ると、身体の回復を待ち、さっそく実験に取り掛かった。モースを訪れたフリーライター三名の死体に対し、自身の切断した各部位、左腕、右脚、左脚をそれぞれ寄生させたのだ。彼女の想像通り、それらは個別の意思を持った、彼女の子供となった。埋め込む部位を分けたからなのか、あるいは偶発的なものなのか、生まれた子供達はそれぞれ異なる個性を持っていた。それから、彼女はその子供達の成長を観察し続けた。時が停滞したようなここモースにおいて、日に日に自立心を芽生えさせていく子供達を見守ることは、彼女にとって有意義な──暇潰しとなった。
それから十年が経った。子供達の成長もある程度頭打ちとなり、だんだんと面白味がなくなってきた。だから彼女は、全てを一度リセットすることに決めた。
つまり、子供達を作り直すのだ。
そのためには、一度切り離した『四肢』を回収することが先決だった。仮に回収せずとも、彼女の身体からまだ幾人かの子供は作り出すことができるだろう。だがそれは、彼女からスノーを切り離すことであり、ひいては彼女自身を切り離すことと同義である。あまり、多用するものではない。見飽きて不要になった資源を回収し、再利用するのが最も効率的だと判断した。
(『右腕』の回収もできたことだし、ああ、今から楽しみで仕方ないわ)
生まれ変わった子供達は、前と同じ性格になるのか。それとも異なる性格となるのか。記憶はどうなるのか。完全に無から始まるのか。それとも何かしらの傾向が残るのか。
そんなことを想像すると、彼女は停止しているはずの心臓が、強く高鳴るのを感じた。