寄生型人工生命体スノー(3)
「まずはリディちゃんよ。お前さんがどこまでモースについて知っているのか、それを話してくれねえか?」
『左脚』の問いかけに、リディは一つ頷き、話し始める。
「モースとは、二百年程前に突如現れた、異質な独立国家。総人口が千人にも満たない小国ながら、当時の水準をはるかに上回る技術力を保有し、大陸に多くの恩恵をもたらしてきた。その超科学力と風変わりな街並みから、いつしかモースは、人々の間で神格化されるようになっていった」
リディは、過去に読んだ母の文献を頭に思い出しながら、一字一句違えずに暗唱した。
「しかし、突如その姿を現したモースは同様に、突如その姿を消すこととなる。モースが大陸に現れてから十年、モースは、当時大陸中に存在していた近隣小諸国との交流を全て断ち、国ごとその行方をくらます。モースが何故姿を消したのか、またどのようそれを行ったのかは、現在も分かっていない。だがそれ以降、モースが歴史上に登場することはなくなった」
たった十年の交流の後、煙のように消え去ってしまった都市。ゆえに、モースは『死霊都市モース』と呼ばれているのだ。
「現代では、モースが実在したか否かは意見が分かれている。否定派の根拠は、文献以外に確かな物的証拠がないことと、その文献自体があまりにも荒唐無稽な内容であること。彼ら否定派は、当時乱立していた新興宗教が信者を集めるために生み出したのが、架空の都市、モースなのだと主張している」
リディはここで一旦言葉を区切り、息を一つ吐いた。ここまでは、一般的な書物に書かれている内容だ。そしてここからが、リディの個人的な体験から得たモースの情報となる。リディは一度唇を舐め、話を続けた。
「あたしはとある伝から、ここソーゲ森林地帯に、文献にあるモースの街並みと非常に酷似した都市があることを知りました。これはまだ、世間には公表されていない情報です。あたしはその事実を調査するために、ソーゲ森林地帯に入り、そこでマリナと出会いました。そして途中立ち寄った村で、モースがこの森に確かに存在すること、またモースが百五十年も前に滅んでいることを知りました。これが今、あたしの知るモースの情報です」
『左脚』はリディの話を聞き終えると、それらを頭の中で咀嚼するように目を閉じた。そして暫くした後、彼は再び目を開け、ニヤリと口元をあげた。
「大筋で正解だ。だが、百五十年前に滅んだってのは誤りだな。この街は少なくても五十年前までは人間が住み、稼働していた」
「そうなんですか?」
「ああ。その滅んだ云々の話は、ソーゲ森林地帯にある村で聞いたんだな。確証はないが、恐らくそいつらは、百五十年前にモースから離反した、原理主義者の連中だな。当時、モースが掲げた神をも恐れぬ政策に反発し、袂を分かった奴らの子孫。連中の頭の中じゃあ、その時すでに、モースは滅んじまっていたってことかな」
確かに、村長も『左脚』と同じようなことを話してくれた。自分たちはモースの生き残りなのだと。しかし、その経緯については、村長も詳しくは把握していなかった。
「神をも恐れぬ?」
リディは『左脚』の言葉を聞き返す。『左脚』は自身の裸の胸板とドンと叩くと、どこか誇らしげに言う。
「人間を強制的に進化させる技術。寄生型人工生命体スノーの開発、つまり、俺たちを作り出したことさ」
『左脚』が自身の白髪を掻き上げ、黄金の瞳を輝かせた。
「寄生生物スノーに感染した人間には、幾つかの身体的能力が備わることになる。その最たるものが、テロメアの半永久的な持続化と自己増殖促進による感染年齢凍結、つまり不老になることだ。スノーの開発が、これを目的として行われたと言っても過言じゃねえ」
「不老不死……」
リディはゴクリと唾を飲み込んだ。不老不死。それは人類の長い歴史の中で幾たびも登場する、人間が持つ究極の願望である。それを、モースは百五十年も前に叶えていたということだろうか。しかし、リディのその呟きに『左脚』が頭を振る。
「不死じゃねよ。不老なだけだ。人間に起こり得るであろう全て外的脅威を取り除くことだけは、当時のモースもできなかったのさ。それでも、多少の怪我なら自己修復できたがね。だが例えば、全細胞を炭になるまで焼かれちまえば、さすがに死んじまう」
確かに、『左脚』の言う通りだ。彼があげた例の他にも、モースの人々が把握していない未知の病原菌が、街に蔓延するようなことがあれば、彼らがその菌を理解していない以上、治療することは不可能だったに違いない。
「不老以外に、スノーに感染することで得られる能力は、その殆どがエネルギーや食料不足の問題解消と、生活向上のためのものだ。まず、スノー感染者は異常なまでの低体温となる。これはこの極寒のレルミット大陸で過ごすのに最も適した身体に変えて、暖房などのエネルギーを削減する目的があったわけだ。さらに呼吸から活動エネルギーを得ることで、食事を取る必要がなくなり、食料不足も解消。筋力と反射神経を向上し、日々の活動効率を高めるなど、その利点はもりだくさん」
「それだけ聞くとものすごいことですが、そんな何でもかんでも思い通りに人間を変えることなんてできるんですか? あ、もちろんマリナを知っていますから、その全てが嘘だというわけじゃありませんが」
リディの懐疑的な質問に、『左脚』は肩をすくめた。
「それができちまったのさ。当時のモースの技術力を持ってすればな。ゲームキャラの能力を好きに振り分けるように、人間を思い通りに造り変えることができた。だがその驕りが、モースの破滅を招いちまうことになる」
『左脚』が言う、ゲームキャラ云々についてはよく分からないが、モースの破滅という彼の言葉に、リディは表情を引き締める。
「破滅というのは?」
「寄生生物スノーを生み出してから約百年後。今から五十年前だな。すでに住民のスノー感染率が百パーセントになった時に、スノーに想定外の現象が現れた」
『左脚』が自虐的な笑みを浮かべ言う。
「寄生生物スノーに、自意識が芽生えちまったのさ」
リディの背筋に鳥肌がたった。『左脚』は浮かべた笑みを崩さず、話を続ける。
「とはいえ、その当時に生まれた自意識は、殆ど衝動に近い低次元のものだがね。だが、モースの連中は、自身に寄生したスノーから発せられるその衝動に支配されちまった。連中は身体の奥から湧き上がる衝動に従い、ある行動を取った」
「……結構『左脚』さんって勿体ぶりますよね。その行動って何なんですか?」
呆れ半分、焦り半分で、リディが『左脚』に話の続きを催促する。だがそんなリディの気持ちを知ってか知らずか、『左脚』は突然全く関係のない話を始めた。
「ときにリディちゃんよ、生物濃縮って言葉を知っているか?」
「はい?」
「生物濃縮ってのは、食物連鎖の過程を経ることにより、ある化学物質が生物体内に濃縮されていく現象のことを言うんだ。例えば毒を持った苔があったとして、その苔を小魚が食べ、その小魚を別の魚が食べる。この過程を経ることにより、苔が持つ毒が、魚の体内で高い濃度で蓄えられる。代表的な例を上げるなら、フグ毒のテトロドトキシンだな」
「あの……何の話をしているんですか?」
リディは口を尖らせることで、脱線した『左脚』の話に抗議の意を示した。だが『左脚』はそんなリディの非難の目を、特に気にした様子もなく、カラカラと笑う。
「怒んなよリディちゃん。話ってな順序があるんだ。んじゃあ本筋に戻すぜ。スノーに芽生えた衝動ってのは、スノーの開発目的でもあった『進化』さ。自己を進化させようとする衝動。そしてその衝動に従い感染者が取った行動ってのが、より多くの栄養をその身に取り込むこと。簡潔に言えば──感染者同士の共喰いが始まっちまったのさ」
『左脚』がさらりと言った衝撃の言葉に、リディは目を見開いた。彼の言うことが真実であるなら、当時、住民のスノー感染率は百パーセント。つまり、全住民が互いを喰らい合う、地獄のような光景がここモースで繰り広げられたことになる。
「じゃあ、モースが滅んだのは……」
「ああ。互いに喰い合った結果さ。そんで、人間はモースからいなくなっちまった」
「人間は?」
『左脚』があえて『人間』という単語を強調したことを不思議に思い、リディは彼に聞き返した。『左脚』は「そう!」とリディを指差し、リディの疑問に答える。
「そこが重要だ。人間はいなくなったが、残った連中がいる。それが互いに喰い合うことで質量を増やした、スノーに支配された個体たちだ。ここモースには、そんな奴がそこら中にまだ彷徨いている。だが中には、偶然モースから逃げ出し、外に出た奴らもいる。そいつらをリディちゃんたち外の連中は──」
「ビックフット!?」
『左脚』の話を遮って、リディは声を上げた。『左腕』が氷の床でマリナに語った、ビックフットが元人間であるという話。その意味が、『左腕』の説明でようやく理解できた。
リディに決め台詞を取られたのが悔しかったのか、『左脚』は少しだけ不服そうに顔を歪めた。だが彼は、すぐに気持ちを切り替えたのか、咳払い一つして話を続けた。
「まあ……そうだ。だがそれだけじゃない。その喰い合いをする連中の中で、突出した量の人間を喰らった個体が現れたのさ。んで、ここでリディちゃん。さっきした生物濃縮についての話は覚えているか?」
「食物連鎖によって化学物質が体内に濃縮されるってやつですよね?」
「そう。んでそれと同じことが起こったわけだ。大量のスノー感染者を喰らったその個体は、体内に高濃度のスノーを蓄えることとなった。スノーに芽生えた、単調で低次元な自意識は、濃縮されることで複雑性を持った高次元の知識へと進化を遂げた。その個体が同族を喰えば喰うほど、その個体の知識は高まり、確固たる自己を確立していった。その成長は凄まじく、僅か十年余りで、自らの生みの親である人間すらをも凌ぐ、知識と自己を獲得することになった」
そして『左脚』は、現在モースを支配している存在の通称を口にした。
「それが母上さ」