死霊都市モース(5)
(もしかして、怒らせてしまったかな?)
話の途中で、突然黙り込んでしまったリディに、マリナは困惑の表情を浮かべた。すると、リディがそっと伏せていた顔を上げた。その彼女の瞳は──
黄金に輝いていた。
「どうやら間に合ったようだな」
リディがそう呟いた。その直後、マリナは背中を押され地面に倒れこむ。
「──!?」
倒れこんだマリナの背中に、次々と圧力が加わっていく。そして、腕と脚を凄まじい力で掴まれると、瞬く間に地面に拘束されてしまった。マリナは突然の展開に頭を混乱させながらも、なんとか首を回し、背後を振り返った。そこで彼女は、信じられないものを目撃する。
「フランク……それに村のみんなも」
マリナの背中に覆い被さっていたのは、村で彼女の帰りを待っているはずの、フランクや村人たちだった。マリナは信じられないような思いで、さらに周囲を見回す。すると、腕を拘束する者たちも同様に、彼女が住む村の仲間であった。こうなると、死角となって見えないが、恐らく脚を拘束している者たちも、そうなのだろう。自身が置かれている状況は分かった。だが理解できない。
「どういうことだ……」
酒場の女店主やリディを介抱してくれたテッサ、村長のマルコや村の子供達、そしてマリナにヘアゴムをプレゼントしてくれた女の子まで、村人の──恐らく誰一人欠けることもなく──全員がマリナを拘束、あるいは少し離れたところから、ジッと彼女を見つめている。マリナは動揺を必死に抑えて、現況を考察する。
村人たちは自分を追い掛けて、ここまで来たのだろうか? だとしたら、その理由はなんだ? それに、仮に追い掛けてくる理由があったとして、どうやって森を抜けてきたのか。彼らは、とてもじゃないが、極寒の森を抜けてくるのに、適した格好をしていない。最低限の防寒着を着用してはいるが、細部──手先や頭部──などの防寒対策は何もなされていない。それに、森を抜けるのであれば、ビックフットはもちろん、その他の野生動物に対抗するための、武器が必ず必要となるはずだ。しかし、村人の中に、そういった武器を手にしている者は見られない。これでは、寒さからも野生動物の脅威からも、身を守ることができない。
(まるで……村で普通に生活しているところを、無理やり連れてこられたような……だがそんな馬鹿なことがあり得るのか?)
そもそも、マイナス二十℃にもなる自分の身体に、彼らが直接触れて、凍傷を起こさないというのはおかしい。もちろん自分とて、彼らに直接触れられれば、焼けるような痛みを肌に感じるのだが、それすらもない。
さらに異様なのは、彼らの表情だ。その表情は虚ろで、何の感情もそこに映し出されてはいなかった。自分のよく知っている村人は、──よくも悪くも──感情豊かな者たちばかりだ。それが、まるでマネキンのように硬質な表情で、自分を見つめてくる。そして──
「な……」
マリナはそこで、彼らの大きな異変に気がついた。彼らの感情を写さない、まるでガラス細工のような瞳。その瞳が──
鮮やかな黄金に輝いている。
(今のリディと同じ……ぼくと同じ?)
マリナは地面に突っ伏したまま、眼前に立つリディを見上げた。彼女は村人たちの硬質な表情とは異なり、確かな感情を写している。しかし、彼女の表情から読み取れるそれは、マリナが知っている天真爛漫な少女のものとは違う、異質なものに思えた。
「リディ……?」
マリナは少女の名を呼んだ。村人に拘束され地面に抑え込まれているマリナを、冷たい目で見下ろすリディ。その彼女が、暫しの沈黙を挟んだ後、ゆっくりと口を開く。
「紆余曲折はあったが、こうして君をモースに誘導することができた。この少女には、感謝しなければならないな」
「この少女? どういう意味だ。お前……リディじゃないのか?」
「この身体は、少女──リディと言ったか? 彼女のものだ。私は君に焼き斬られる直前、傷口から彼女の身体に寄生した。そして、君と少女とのやり取りを静観し、タイミングを見て彼女の身体を支配した」
その言葉に、マリナはこの少女の姿をした存在の、その正体に気が付いた。
「お前……包帯の男か?」
マリナの驚愕の呟きに、リディの姿をした存在は、スッと目を細める。
「それは私を識別する単語しては不適切だ。あの身体も、所詮は私が外界で活動するために提供された、媒体の一つに過ぎないのだからな」
「外界? 媒体だと? 訳が分からない! いったい何なんだ! お前は!」
マリナは少女の意味不明な言い回しに苛立ち、顔を上げて吠えた。だが少女はマリナの怒声に怯む様子を見せず、落ち着いた口調で淡々と言う。
「ここまで来れば誰に聞かれることもない。話してもいいだろう。私は人類の進化を促すことを目的に、モースの技術により生み出された、寄生型人工生命体。通称スノー」
聞きなれない言葉に、マリナは目の前にいる少女を呆然と見つめた。少女の放った言葉を、頭の中で咀嚼できないまま、ただその言葉を機械的に繰り返す。
「寄生型……人工生命体?」
「そうだ。生物に寄生することで、その宿主の身体を都合の良いように改変する。当初はその程度の存在であったが、私のように意思を持つ存在に昇華した場合、その宿主の精神をも支配できるようになった」
少女の説明に、マリナは強く頭を振った。
「回りくどくて全然分からない! もっと簡潔に話してみろ!」
「私はこの少女の身体を乗っ取った。彼女の精神は眠り、今は私がこの身体の支配権を握っている。こう言えば分かりやすいか?」
「お前という存在はモースによって作られ、それが包帯男に寄生し、次にリディに寄生して、彼女を操っているということか?」
「細部の説明を省けば、大まかにはそうだ」
「ふざけるな!」
マリナは怒りに声を震わせながら叫んだ。村人たちに組み伏せられ、身動きが取れないながらも、その鋭く尖らせた眼光にありありと敵意を込めて、リディを──リディに寄生した存在を睨みつける。
「お前の目的が何なのか知らないし、興味もないが、標的はぼくなんだろ! リディを巻き込むような真似は絶対に許さないぞ!」
「前回の身体を君に焼き斬られ、私が生き残るためには、この少女の身体に移るしかなかった。仕方のないことだ。私とてこんな脆弱な身体に移ることは、本意ではない」
「図々しいことを言いやがって! お前の都合なんか知ったことか! 彼女の身体からさっさと出て行け!」
「それは無理な相談だ。私は宿主なくして生きることができない」
「だから知るか! 勝手に死ね! それに、村のみんなを操っているのもお前だな! 村のみんなに何をしたんだ!」
「確かに村の連中を操っているのは私だ。だが、何かしたのは君の方だ」
「何!?」
「ビックフットを連中に食わせたな」
少女の思いがけない指摘に、マリナは思わず言葉を失った。少女が、眼前に突っ伏すマリナを酷薄の瞳で見つめている。その少女の黄金の瞳に射すくめられ、マリナは胸の中で、言い知れぬ不安が膨れ上がってくるのを感じた。自分が致命的な過ちを犯してしまった。そんな予感が、彼女の心を激しく泡立たせる。
マリナは怒りからではなく、不安から声を震わせて、少女に問うた。
「ビックフットが……どうした?」
「奴らは、私たち寄生生物に寄生された元人間の成れの果てだ」
「……元……人間? ビックフットが?」
「そうだ。とはいえ、奴らに寄生しているスノーには、私のような明確な意志はない。ただ衝動に従い、他生物を喰らうだけだがな」
ビックフットが元人間。その話をマリナは容易に受け入れることができなかった。記憶をなくした彼女が村に流れ着いてから十一年間。彼女は多くのビックフットをその手で狩ってきた。少女の話が事実であるなら、マリナはそれだけ多くの人間を、この手で殺してきたことになる。彼らが危険な生物と成り果てていたとは言え、それは気分の良い話ではなかった。あまつさえ、彼女はそのビックフットの肉を持ち帰り、村人たちに食べさせていたのだ。そんな共食いのような恐ろしい真似を、自分を受け入れてくれた村人に──
マリナは、うなじ辺りの毛がぞわりと逆立つのを感じた。一瞬、頭の中に過ぎった、一つの可能性。その可能性を、マリナは必死に否定した。しかし、マリナの微妙な表情の変化を感じ取ったのか、マリナが口に出してもいないその可能性を、少女が肯定する。
「勘付いたようだな。そうだ。ビックフットには寄生生物が宿っている。村人はその肉を食べたことにより、知らぬ間に寄生生物に感染していたということだ。私は寄生された者を操るすべを得ているが、村人たちに対しその土台作りをしたのは、紛れもなく君だ」
「ど……どうなるんだ? 村のみんなは。みんなビックフットになってしまうのか?」
少女の操り人形となり、マリナを拘束している村人たち。彼らが皆、ビックフットなどという怪物に変わってしまう。それも自分自身の責任で。その想像は、マリナの強靭な精神をも揺るがし、屈服させつつあった。マリナの瞳から、敵を貫くような鋭い眼光が消え失せる。そして、突然光のない暗闇に落とされた小動物のように、極度の不安と怯えが彼女の黄金の瞳に揺らめいた。
そんな彼女の沈痛など気にした様子もなく、少女はただ淡々と言う。
「村の連中がビックフットになる可能性は確かにある。が、確証はない。我々寄生生物が唯一苦手とするのは熱だ。村の連中はビックフットを焼いて食べていたのだろう。ビックフットに潜んでいた寄生生物の殆どが死滅したと考えられる。彼らに寄生できたのは、偶然死滅を免れた僅かな量だけだからな」
もうすでにマリナからは、少女の発言に対し疑うという心を失っていた。大切な村人たちを救いたい。その一心が彼女の思考を鈍化させ、少女の言葉を抵抗なく、その心に染み込ませてしまう。だから彼女は、期待を込めて少女に聞いてしまう。
「なら……お前が操るのをやめれば、彼らは元の生活に戻れるのか?」
「かも知れない。だから、あまり彼らを傷つけるのは君にとっても得策ではないだろう。素直にそこで這いつくばっていてくれ」
少女が一歩、マリナに近づいてきた。村人が助かる可能性を少女から示唆され、安心し掛けたマリナの心が、ビクンと大きく跳ね上がった。
「な……何をするつもりだ!」
「君を母上の下に連れていく。私が君をモースに連れてきたのは、それが理由だからな」
「やめろ! やめろ近づくな!」
マリナは恐怖に顔を歪め、懇談するように絶叫した。小柄な少女に寄生した得体の知れない生物は、すでにマリナにとって、ビックフットをも遥かに凌ぐ恐ろしい怪物へと変貌していた。マリナは、身体の芯から湧き出す強い恐怖に、全身を震わせた。
マリナは少女が近づいてこないよう、地面に組み敷かれたまま、握っていた白銀の刀を可能な範囲でブンブンと振り回した。その彼女の無様な姿に、少女が落胆しながら言う。
「君らしくない。そんなことしても無駄だと分かっているはずだ。拘束する村人を斬れない君に、逃れるすべはない」
「うるさい! 黙れ黙れ! いいか! ぼくにこれ以上近づくな! ブッタ斬るぞ!」
「それもできない。この少女を見捨てるつもりか?」
少女に寄生した怪物。その怪物から言われた的確な指摘。マリナは否定することもできず、ただ刀を振るのも止めずに、駄々っ子のように叫び続けた。
「黙れと言っているんだ! いいか、ぼくに近づくな! 斬れないというのなら、このまま自害してやる! 本気だぞ!」
「馬鹿な真似はやめろ。君はそんなつまらない精神ではないはずだ。いや、そんなつまらない精神ではあってはならない」
「知ったことを抜かすな! 怪物なんぞにぼくの何が分かる! 怪物が偉そうなことを抜かすな!」
「怪物とは酷いな」
そして少女に寄生した怪物は、マリナにとって致命的ともなる言葉を放った。
「君だって同じ──寄生生物なのに」
マリナは硬直した。
思考が凍りついた。
寄生生物──
ぼくも──?
「その黄金の瞳と白髪、異常に低い体温と強靭な身体。かなり高い濃度で寄生生物を宿している証拠だ。君自身は気付いてなかったようだが、私と君は同じ存在だ」
少女の言葉が耳に入ってこない。
世界から音が消え──
強い耳鳴りだけが──
脳を揺さぶっている。
身体の芯が凍えるように震えている。
身体の芯が燃えるように猛っている。
相反する感情が混ざり合い──
霧散して空っぽになった。
空っぽになった彼女の身体。その殻に、濃厚な絶望が注がれていくのが分かった。黒くドロドロとしたそれは──
彼女を容易に──
呑み込んだ。
「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」
マリナは背中に乗る村人を弾き飛ばすと、中段の姿勢になり、刀を振るった。地面が切り裂かれ、眼下に広がるモースへと、少女が落下していく。
少女に寄生した生物から、少しでも早く離れたかった。
都合の悪い真実から、少しでも早く離れたかった。
しかし、《・》はマリナを決して逃がしはしなかった。
少女の右腕から伸ばされた触手が、マリナの腹部に突き刺さる。そして触手は半ばで少女の右腕から切り離され、蠢きながらマリナの身体の中に侵入してきた。
「ああああああああががあああああああああああああ!」
絶叫する。身体は反り返り、ビクビクと痙攣を始める。手足が自分の意思に反してバタバタと暴れだし、指先が芋虫のように蠕動する。喉が破れんばかりに絶叫し、頭蓋の奥まで、自分の悲鳴で満たされる。なのにも関わらず、マリナの頭の中に、不気味なまでに澄んだ調子で語り掛けてくる声が聞こえてくる。
『これが私の最終手段だ。君は本当に聞きわけがないからね。私がこの身体を操作して、君を母上の下に連れて行くことにする』
「あがああああああああああああああああああああああああぎあああああああああ!」
頭に響くその声を打ち消そうと、声をさらに荒げるマリナ。だがそんな彼女を嘲笑うかのように、その声はどんどんと明瞭になっていく。いつしか、自分の絶叫とその声とが溶け合い、境界が薄れていく。自分がどちらの声で喋っているかも曖昧になる。
『寄生生物としての濃度は、私は君にはるかに劣っている。リディに乗り移る際、そのほとんどを破棄してしまったからな。だが、私は寄生生物の意思に干渉するすべを得ている。直接身体に侵入できれば、君の全てを支配できる。身体も──その心も』
絶叫はまだ続いているはずだった。だがもう、彼女の頭の中にその声は聞こえない。自分とは別の声だけが、脳を浸していく。そしてその声に溺れ、マリナという自意識が深い闇に沈んでいくのが分かる。
『さあ帰ろう。母上の下に』
その声を最後に、マリナは途絶えた。