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スノースキン  作者: 管澤捻
死霊都市モース
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死霊都市モース(4)

 村を出発してから三日目。リディとマリナの二人は、度重なるビックフットの遭遇を乗り切って、ついにモースへの最後の難所に辿り着いた。

 リディとマリナの前には、巨大な岩壁が立ち塞がっている。目測で、その高さは三十メートルほどありそうだった。岩壁の傾斜は垂直ではなく、なんとか自力で登れるギリギリの角度だった。リディとマリナは相談の末、互いの身体をロープで結び、マリナが先行して岩壁を登ることにした。これでは一人岩壁から転がり落ちれば、一蓮托生で、もう一人も落下することになる。ただしそれは通常の場合で、マリナの膂力をもってすれば、小柄なリディ一人の体重を支えるぐらい、岩壁に掴まった姿勢でも容易だろう。つまりリディにとってマリナは、命綱を支える杭の役目を担ってくれているのだ。もっとも、マリナが先に転がり落ちた場合は、リディは為すすべなく、一緒に岩壁から転がり落ちることになるが、その可能性は限りなく低いため、考慮対象外としている。

 岩壁を登り始めて三十分が経過した。おおよそ中腹まで辿り着いたマリナが、眼下で潰れた蛙のように岩肌にへばりついているリディに、声を掛けた。

「大丈夫か? リディ」

「あまり……大丈夫じゃない……けど……大丈夫」

 リディのリュックサック──マリナの刀も一旦そこに差している──は今、マリナが代わりに背負っている。かなりの重量であるはずなのに、マリナは平然とした顔で、岩肌を掴む片手の握力だけで、自身の体重とリュックサックの重量を支えていた。傾斜となった岩肌にも、薄っすらと雪は積もっている。それに足を何度も滑らせながら、リディは少しずつ、岩壁を登っていく。

 さらに十分が経過した。心臓が早鐘を打ち、白い息が蒸気機関車のように口から大量に吐き出される。膝は笑い、手の握力はほぼ失われている。結果、再び潰れた蛙のように岩肌にへばりつき、リディは動かなくなった。そんな彼女に、マリナが心配そうに言う。

「やはり、ぼくが君を肩に担いで登ろうか? そっちのほうが速いし」

「ダメ……だよ。このぐらい……自力で登れる体力がないと……フリーライターとして……プロとして失格だよ……」

「やれやれ……意外に強情だな」

 それから一時間。途中休憩を挟みながら、リディとマリナは無事、岩壁を登り切ることに成功した。リディは雪の上に突っ伏しながら、荒い呼吸の合間にドヤ顔で言う。

「はあ、はあ、ほらね……ちゃんと登れた」

「息も絶え絶えだがね。余計なお世話かも知れないが、ちゃんと体力作りもしといたほうがいいんじゃないのか? スポーツとか何かしてないのか?」

「もちろん……してるよ。あたしこう見えて大陸中の格闘技を……習得しているから」

「なんだ? その取って付けたような強者設定は? その細い身体じゃ説得力ないぞ」

「まあ……本見て勉強しただけで、実戦で試したことないけど。痛そうだから。でも……記憶力は……お母さんほどじゃないけど……自信あるから……内容は全部覚えているよ」

 ビッと親指を立てるリディに、マリナは呆れて首を振る。

「その知識を扱えるだけの身体を作らなきゃ、ただの宝の持ち腐れだよ」

 そんな実ない会話をしながら、三十分ほど休息を取る。リディはようやく歩く体力を回復させると「よっこいしょ」と、おっさんのような声を出して立ち上がる。そして再び、リディとマリナは並んで歩き始めた。

 それから一時間程歩き続けると、ようやく鬱蒼とした森を抜け、二人は視界の大きく開けた場所に出る。そして──

「うわあ」

「へえ」

 リディとマリナは二人同時に、感嘆の声を上げた。

 そこは、地平線まで続く氷の床が広がっていた。念入りに磨かれた鏡のように、太陽光を反射するその広大な氷の床は、あたかもそれ自体が発光しているかのように、視界の中で眩しく輝いている。

 リディは一度唾を飲み込んだ後、ゆっくりと氷の床に近づき、その中を覗き見た。太陽光の反射で多少見え辛いが、その透明度の高い氷の奥には、明らかに人工物と分かる建物の屋根が、軒を連ね広がっていた。その建物は、過去から現在を通じて、レルミット大陸では見たこともない様式で建造されている。大陸にある殆どの建物の屋根は、雪が積もらないよう急勾配で設計される。だが、その氷の中にある建物はそのどれもが直方体で、屋根も平らなものが多かった。建物の側面には窓と思しき小さな穴が等間隔で並んでおり、その幾つかにはガラスも残っていた。建物の大きさは──見下ろす都合上──判別し辛いが、大小様々あり、大きなものでは優に十メートル以上はありそうで、現代の建築技術では自壊してしまうほどに高い。また、特徴的な模様や溝などが付けられた建物の外壁は、木材やモルタルといった主流の建築材とは異なる、奇妙な質感を持っていた。

 建物と建物の間には、舗装された道路が隙間なく敷き詰められている。その道路の脇には──何の用途か分からないが──起立した円柱が等間隔に並んでいた。また目を凝らして見ると、その道路には直方体の箱らしきものがあちこちに転がっている。形状は馬車のそれに似ているが、馬を繋げる部分が見当たらず、一見してそれが何に使用されていたのか推測することはできなかった。

 リディは息をするのも忘れて、食い入るように氷の中に広がる都市を眺めていた。そしてようやく忘れていた分を取り戻すかのように深く息を吸い込むと、それを大きく吐き出し、ぽつりと呟いた。

「ここが死霊都市──モース」

 百五十年前に滅んだとされる、未開の地に眠る古都。十一年前にアリア・コルトーが調査に出向き、行方をくらました因縁の地。そして、マリナの住む村人が避けてきた禁忌の地にして、彼女が生まれたとされる場所。

 様々な感情が頭の中で駆け巡り、リディは暫し呆然とした。そのため、背後からの呼びかけに、リディはすぐ返事をすることができなかった。

「それで……これからどうする?」

 マリナだ。冷静を装っているが、その声は彼女の心の昂りを、リディに明確に伝えてきた。マリナもリディと同じく、あるいはそれ以上に、この地に来ることを望んでいたに違いない。自身の秘密が眠っているかも知れないその地に。

 リディは気持ちを落ち着けるために一度目を閉じると、自分の心音に耳を傾ける。一回、二回と、胸を叩く鼓動を数え、意識的に呼吸を深くゆっくりと行う。そして目を開けると、落ち着いた声音で言う。

「下に降りられる場所を探そうと思う」

「下? どういう意味だ?」

 リディの言葉に、マリナは疑問符を浮かべた。リディはマリナに向き直ると、年齢よりも幼く見えるその表情を引き締め、断言する口調でマリナに言う。

「ここの氷……ううん……氷に似た何かだけど……兎に角、これってすごい厚みだけど、この下にある都市をその中に閉じ込めているわけじゃない。都市の頭上を、まるで屋根のように覆っているだけなんだよ。そして都市部を覆っているのは水じゃなくて、酸素を含んだ空気であるはずだよ」

 マリナが、リディの発言に驚いたのか、目を丸くした。

「どうしてそんなことが分かる? それにこれが氷に似た別のもの?」

 リディは地平線まで広がる氷の床を拳で叩きながら説明を始める。

「太陽光の透過具合を見れば、この下で二度の屈折が起こっているのが分かる。もし都市の下までこの物質が覆っていれば、屈折はこの表面を透過するときの一回だけでしょ。それが二度起こっているってことは、この下でもう一度、屈折率の異なる物体が存在するっことを意味している。つまりこの物体は都市の頭上に被さっているだけ。そして、この物体の下にあるのが仮に水なら、どんなに透明度が高くても、これほど深い底まで光が減衰しないで差し込んでいるのはおかしい。一般的に光の減衰率は液体よりも気体の方が少ないから、この物体の下は気体なんだと思う」

「氷じゃないってのは、どうしてだ?」

「こんな広い範囲で表面だけ凍っていたら、自重で壊れちゃうはずだよ。氷の下が水なら、氷自体が水に浮かぶからそうはならないけど。それにこの表面にだけ雪が積もっていないのはおかしいと思う。恐らく、雪を溶かすのか飛ばしているのかは分からないけど、細工がされているんじゃないかな。だとすれば、この物体は氷を模したもので、人が管理している──管理していた人工物だよ。そしてこれが人工物である以上、メンテナンスするためにその中に入る入口があるはずだし、入口があるなら、この中の気体には人が活動できるよう酸素があるはずなんだよ」

 マリナがリディの解説に、あんぐりと口を開けて沈黙する。その表情は驚きとも呆れとも取れる。リディとしてはそれなりに説得力のある推理だと自負していたのだが、何かとんでもない勘違いをしていたのだろうか。そんな心配をリディが抱き始めたとき、マリナが白髪の頭を掻きながら、リディにとって思いがけない言葉を口にした。

「ぼくは今まで、君のことを馬鹿だと思っていた」

「ええええ!?」

 マリナのあまりにも直球な告白に、リディは驚きの声を上げた。マリナは「いや……」と口ごもりながら、続きを話す。

「馬鹿は言いすぎだな……ただこう、少し直情的というか、もっと直感的な人間なんだと思っていた。だが意外にも、論理的に物事を考えられる人間だったんだなって」

「当然じゃん! あたし大陸中を回るフリーライターだよ。記事にするためにも、論理立てた思考は超重要なんだよ」

 非難するリディに、マリナが手を上げた降参のポーズで釈明を始める。

「だから悪かった。リディ。君の言う通りだ。だが、君のその話し方が子供っぽすぎるのも原因なんだと思う。もっと威厳のある話し方をすれば、印象も大分違うんじゃないか?」

「何よそれ! そんなのマリナの勝手な思い込みじゃん!」

 リディは頬を膨らませて、プイッとマリナに背中を向けた。その彼女の子供っぽい仕草に、マリナがますます苦笑を深める。

「だから、そういうところが……まあ、今のはぼくが全面的に悪いな。機嫌直してくれ。リディ。取り敢えず、この氷みたいな床の下に行きたいんだよな。それなら──」

 マリナは背負っていたリュックサックを前に下ろすと、チャックを開けて中を探り始めた。そして目的の立方体の物体を手に取ると、ポイッとリディに放り投げた。リディは突然投げて寄こされたそれを、慌ててキャッチする。手の中を覗き込むと、それは包帯男と戦ったときに使用した、小型時限爆弾だった。

「それで氷の床を爆破すれば手っ取り早いんじゃないか? 実はあの爆発、結構派手でもう一度見てみたいと思っていたんだ」

 マリナの提案に、リディは半眼になって答える。

「そんなのダメだよ。ここは貴重な都市なんだよ。その大事な建築物を爆発するなんて、ものすごい歴史的損失だよ」

「そうか、残念だな。なら──」

 マリナが再びリュックサックに手を伸ばした。リディは小型時限爆弾を取り敢えずポケットにしまうと、マリナの動向を注目する。マリナはリュックサックに差していた自分の刀を取り出すと、シャンっと抜刀し、白銀の刀身を外気にさらした。

「斬ってみるか? この灼熱の刀なら斬れ味抜群。爆弾で吹き飛ばすより、大分スマートだろ?」

「もう。どっちが直情的なんだよ」

 リディは大きく嘆息すると腕を組んで、マリナを嗜めた。

「爆破も斬るもダメ。破壊行為は極力禁止だよ。そんなことしなくても、メンテナンス用の入口がどこかにあるはずだから、それを探して──」

 そこまで話したところで、突然、リディは奇妙な目眩を覚えた。視界が急速に希薄になり、全身の力が抜けていく。頭の中が真っ白になり、何も考えられなくなる。

(あれ? 何これ……)

 ズキリと、包帯男にやられた腕の傷が一度だけ疼いた。そしてリディの意識は、深い闇に呑まれて消えた。


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