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スノースキン  作者: 管澤捻
死霊都市モース
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死霊都市モース(3)

 陽が暮れる前に、リディとマリナは野宿する場所を探すことにした。周囲から一段下がった窪地を見つけると、そこの雪を念入りに踏み潰して固め、野宿の準備を始める。

 リディはリュックサックから固形燃料を出すと、組み立てた薪──マリナが周辺の木を斬って作った──の下に置き、火を付ける。炎が大きくなったところで、焼き網を取り出し、その上に蓋を開けた缶詰を乗せる。缶詰の中身は鶏肉の甘辛ソース煮込みだ。網を炎にかざし、缶詰を温める。コトコトと音を立て、缶詰から温かい湯気と、食欲をそそる匂いが立ち上ってくる。リディは全体に火が通るよう、フォークで具をかき混ぜながら、マリナに──火から大分離れて座っている──声を掛けた。

「マリナは本当にいらないの?」

「ぼくは口にしたものを凍らしてしまうからな。食べることができないんだよ」

「それでお腹すかないんだ」

「空かない。あと喉も乾かないな」

「でもお酒は飲むよね」

「前に話したかも知れないが、唯一口にできるのがアルコールを含む飲み物だから飲んでいるだけさ。嗜好品だな。別に飲まなくても困るわけじゃない」

 リディは「ふーん」と返事をすると、コトコト熱せられた缶詰に視線を移す。そろそろ食べ頃だろう。そこでふと思いついた考えを、リディはそのまま口にした。

「モースってところがマリナの生まれた場所なら、もしかしたらそこに、マリナの体質を治す方法があるかも知れないよね」

 リディの言葉に、マリナは目を瞬かせた。

「それは……考えたことなかったな。そうか。確かにモースに行けば、ぼくのこれに関する情報が得られる可能性は十分にある。もしかすると、普通の体質になる方法も……」

「ねえ。マリナはその体質が治ったら、何がしてみたい?」

 リディの問いかけに、マリナは上を見上げて考え込み始めた。リディもマリナに倣い、夜空を見やる。ソーゲ森林地帯から見える星空は、息を呑む美しさだった。大小様々な星たちは、あたかも自分が最も美しく見える位置と光量を把握しているかのように、非の打ちどころのない美観を夜空に描き出している。

 暫くそうしてリディが星空を眺めていると、マリナの小さく呟く声が聞こえてきた。

「そうだな……色々あるが、まずは美味しいものを食べてみたいな」

 マリナの答えを意外に感じ、リディは目を丸くして彼女を見やった。マリナはそんなリディの視線に気付くと、フッと笑う。

「そんな目で見るなよ。十一年間ろくにものが食えてないんだ。周りの連中が、うまいうまいと、幸せそうな顔をして食事しているのを、ただ黙って見ているだけっていうのは、なかなかに癪だぞ」

「えっと……やっぱり……」

 火に炙った缶詰を指差すリディに、マリナは首を振る。

「言ったろ。今は食えない。この体質がもしも治ったらって話だよ。あとはそうだな、温かい風呂にも入ってみたいな。気持ちいいものなんだろ」

 マリナの問い掛けに、リディは「うん」と首を縦に振る。

「特に身体が冷え切っている時は、天にも昇るような気持ちだよ」

「天にも昇るか……いいな。ぜひ体験してみたい」

 マリナの体温はマイナス二十℃弱だと聞いている。水は凝固点である零℃を境に、固体となるため、彼女は液体に浸かることさえできなかったのだろう。

「あれ? だとするとマリナって身体とかどうやって洗っているの?」

「雪を擦り付けている」

 リディは「ああ、それは嫌だね」と、マリナに同情の言葉を掛ける。リディは少し考え込んだ後、マリナに対して「じゃあさ」と、ことさら明るく提案してみる。

「その体質が治ったら、バロー街に一緒に行こうか?」

「バロー?」

「うん。レルミット大陸で一番の温泉街で、すっごい有名なところなんだよ」

 マリナは顔をパッと輝かせると、興奮した様子で声を一段高くした。

「温泉。聞いたことがあるぞ。地中から湧き出している熱湯だな。なんでも色々な効能があるそうじゃないか。腰痛、リュウマチ、水虫とか」

「ピックアップする効能が微妙だけど……美容とかにいいのもあるんだよ。あと温泉だけじゃなくて、旅館がすっごいらしいの。そこならマリナの言う、お風呂に浸かって美味しいご飯が食べられるからさ、全部の要望が満たせちゃうわけだよ」

「悪くないな……いや、すごくいい」

 うっとりとした表情で呟くマリナ。そんな彼女の姿を見て、リディも心が温かくなるのを感じた。リディはコロコロと笑いながら、声を弾ませてマリナに言った。

「じゃあ決定だね。あたしも一度も行ったことがないし、楽しみだな」

「そうだな。旅館といえば豪華な食事に、あとふかふかのベッドだな。今のぼくは眠ることもできないから、安眠を貪るというのも夢の一つではあるんだ」

「へえ、マリナって眠らないんだ。じゃあベッドの気持ち良さも……」

 そこで、リディの身体が硬直した。笑顔を浮かべた表情は引きつり、冷や汗がドッと噴き出してくる。リディは、温泉を頭に思い浮かべ表情を綻ばせているマリナに、掠れた声で恐る恐る訊く。

「マリナ……眠らないの?」

「ん? ああ、眠らないよ。目を閉じて休むことはあるが、意識ははっきりしている」

「じゃあさ……えっと……昨夜も……その……気付いていた?」

「君がぼくの胸を覗き見たことか?」

「ああああああああああああああ!」

 気付かれていた。リディは、羞恥から顔を真っ赤にして、必死に言い訳をしようと口をパクパクとする。だが混乱した彼女の口からは「あうあ」とか「はえう」など、言葉にならない怪音が漏れるだけだった。

 そんな気が動転して慌てふためいているリディを、マリナが──今までの幸せそうな表情から一変した──軽蔑満点の表情で、ジッと見つめてくる。そして、底冷えするような冷たい声音でリディに言う。

「気にするな。個人の性壁をとやかく言うつもりはない。ただ眠るときは、今後ぼくから離れて眠ってくれ。さもなくば焼き斬るぞ」

「違う違う違う違う! 誤解だよ!」

 リディが首と手をブンブンと左右に振る。何か言おうにも、舌が別の生き物にでもなってしまったかのように、うまく動かせず、言葉が出てこなかった。それでも必死に一文字一文字繋ぎ合わせ、リディはようやく一つの文章を、マリナに伝えることに成功した。

「お母さんに、マリナが似ていたから」

「ぼくがリディの母親に?」

「う……うん」

 リディは深呼吸して、少し落ち着きを取り戻す。彼女は恥ずかしさから顔を俯けて、頬を左手の指で掻きながら言う。

「あたしの母親がモースに行ったことは話したよね。それが今から十一年前なんだけど、お母さんはその日を境に行方不明になっちゃって。それで、マリナが十一年以前の記憶がないっていうから、もしかしたらって」

「ぼくが母親かも知れないと?」

「もちろん、本気でそう信じていたわけじゃないけど。確認しないと落ち着かなくて」

 マリナが眉をひそめ懐疑的に呟く。

「確認するために胸を見たのか? その母親の胸の形が特徴的とか、そういうことか?」

「まあ……そんな感じかな。でもやっぱり違っていたから、昨夜のことは気にしないで」

 リディは俯いたまま、恐る恐るマリナの表情を覗き見た。リディを見つめるマリナの表情は、冷たいものから、いつの間にか温かい笑顔に変わっていた。

「なるほど。どうやら期待させたようで悪かったね」

「いや、マリナが謝ることじゃないよ。あたしも黙って胸見ちゃってゴメンなさい」

 マリナは目を閉じると、ゆっくりと頭を振った。そして、優しくリディに話し掛ける。

「そこまで親を想っていたということだろ。だったら謝らなくていい。昨夜、君の行動をぼくが止めようとしなかったのも、君の表情がひどく真剣だったからだ。イタズラとか決してやましい気持ちなんかじゃない、もっと大切な何かをしようとしていると思ったんだよ。だから好きにさせてやることにした」

「じゃあ、さっき性壁だとか近づくなとか言ったのは……」

「あれはぼくのイタズラだ」

「ぶーー!」

 口を尖らせ非難するリディ。そんな彼女を見て、マリナは小さく笑った。

「怒るな。ちょっとした茶目っ気だ。それで、リディの母親はどんな人だったんだ?」

「どんな……て、五歳の時に行方不明になっているから詳しいわけじゃないけど……でも……優しい人だったよ。それだけは絶対」

「そうか……」

 マリナはそう言うと、夜空を見上げて黙り込んでしまった。リディは手持ち無沙汰になり、ふと自分の右手に視線を下ろす。そこでリディは、自分の右手に焼き網が握られていることに気が付いた。彼女は嫌な予感を覚えつつ、そのまま足元まで視線を下げる。

 そこには、中身を全てぶち撒けて空になった、缶詰が雪の上に転がっていた。

 リディは大きく溜息を吐く。再び食事の支度をしようと、彼女はリュックサックに手を突っ込み、中を漁り始める。すると、リディの背後から、夜空を見上げていたマリナの小さな呟きが、夜風に乗って運ばれてきた。

「母親か……ぼくにもいるんだろうか」

 マリナのその呟きには、彼女の期待と不安が含まれていた。


 ソーゲ森林地帯の北部にある名もない村。その村の酒場で、歪な形をした禿頭の男が、不機嫌な顔をして酒を煽っていた。自称村一番の猟師であるフランクだ。

「荒れているなフランク」

「うるせえ! ほっときやがれ!」

「大丈夫だって。モースが禁忌の地ったって、あのデタラメに強いマリナだったら無事に帰ってくるさ」

「誰もマリナの心配なんかしてねえ! 第一、モースに何があるか分からねえのに、どうして無事に帰ってこられるって分かんだ!」

「なんだ。やっぱ心配しているじゃねえか」

「うるせえって! どっか行きやがれ!」

 肩をすくめ離れていく友人。それを尻目に、フランクはジョッキに注がれた酒を一気に煽った。全く酒の味がしない。そもそも何を注文したかさえ、記憶が曖昧だった。フランクは「チッ」と舌打ち一つすると、テーブルに突っ伏して、腕の中に顔を埋めた。

(ちくしょう。生まれた場所だと? そんなところに行って、どうしよってんだ)

 愚痴を言いつつも、マリナの気持ちはフランクもよく分かっていた。

 マリナの体質を誰よりも気にしていたのは、マリナ自身だ。十一年前、マリナがこの村に現れた当時、彼女は普通の人間とは違う自身を忌み嫌い、村人たちとの間に壁を作って生活していた。最初の一年間などは、村の誰とも口をきかないほど、彼女は心を閉ざしていた。しかし長い時間を掛けて、彼女は少しずつ村人たちに馴染み始めていった。そして今では、共に酒を飲み、笑い合い、冗談を言い、喧嘩までするようになった。マリナは誰もが認める、この村の大事な仲間になった。

(だがそれでも、心のどっかで、まだ自分の体質を気にしてやがったってことか。気にさせちまっていたってことか)

 結局、フランクが苛立つ一番の理由がそれなのだ。十一年掛けても、マリナに、生まれなど関係ないと、そう言わせてやれない自分が不甲斐ない。いや、そもそも不甲斐ないというのなら、十一年間も自分の気持ちを正直に彼女に伝えられないこと自体がそうだろう。

(マリナが戻ってきたら、猟にでも誘ってみるか。それで告白だな。あいつは気味悪がるだろうが、いい加減俺だって覚悟決めねえと。あいつは歳取らねえのに、俺はどんどんおっさんになっちまうし。くそ。出会った当初はそんなに年齢差なさそうだったのによ)

 と突然、瞼が急激に重くなってくるのをフランクは感じた。意識も溶かされるようにドロドロになり、形を保っていられなくなる。

(……なんだ……そんな飲んだ覚えは……)

 その心の呟きを最後に、フランクの意識は闇に呑まれていった。


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