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スノースキン  作者: 管澤捻
プロローグ
1/27

プロローグ

すでに完結まで書いている小説です。

話自体は小出しにしますが

途中で終わってもやもやすることもないので

見てやってください。

――以降、前書きも後書きも書きません――


(もう、五年も前になるのね)

 アリア・コルトーはそう思うと、ぐるりと周囲を見回した。

 木目調の家具で統一された、落ち着きのある広いリビング。その部屋にある、牛革で作られた三人がけのソファに、アリアは一人、座っていた。目の前のテーブルには、花の絵が描かれた白い陶器のカップが置かれている。湯気が立ち上るそのカップには、温かいココアが注がれている。アリアは右手でカップの取っ手を摘むと、カップを口元に運び、口の中にココアを少量流し込んだ。口腔に広がる甘み。それを口の中で転がし、喉に流し込む。ココアの熱が喉を伝い、胃に注ぎ込まれるのを感じる。アリアは手にとったカップを、テーブルに戻すと、腰まで伸ばした黒髪を掻き上げ、一つ息を吐く。

(そう、これは幸福というものよ)

 だが、アリアの表情は優れない。その理由を、彼女はとうに気が付いている。

 彼女は目線を上げ、リビングにある食器棚の上を見やる。そこには、幾つもの写真立てが几帳面に整列し、飾られている。その全てが、五年前に新しくできた、アリアの家族写真だった。

 アリアはソファから立ち上がると、食器棚に近づき、写真立ての一つを手に取った。その写真には、純白のドレスに身を包んだアリスと、ぎこちなくスーツを着る、黒い短髪の青年が写っている。教会で執り行われた、アリアとジェフの結婚式の写真だ。アリアはその写真に写る過去の自分を、眩しそうに見つめた。写真に写った彼女の頬は──少しアルコールの入ったせいか──僅かに紅潮しており、屈託なく笑うその表情からは、幸福が約束された将来の期待に、胸を膨らませている様子が見て取れた。

 そしてその期待通り、アリアは現在こうして、幸福を手に入れている。

(でも。足りなかった)

 パチッと、空気が弾ける音が聞こえた。彼女は写真立てを食器棚に戻すと、音のした方に、視線を向ける。彼女の視線の先には──我が家の収入からは分不相応とも思える──立派な暖炉があった。その暖炉ではオレンジ色の炎が激しく踊っており、そこから発せられる熱量が、部屋の中を一様に温めている。

 アリアは少しだけ視線を横にずらし、暖炉脇に置いてある薪を見やった。その量から、薪の尽きる、おおよその日数を推測する。恐らく、あと二日ほどだろう。レルミット大陸で暮らす人々にとって、薪不足はそのまま死に直結する重大事項である。普段であれば、アリアが気付いたとき補充しているのだが、果たして、不器用なジェフに彼女と同じことが出来るだろうか。それが心配だった。

(出掛ける前に、ジェフに念入りに言っておいた方がいいかも知れないわね)

 アリアは一つ頷くと、ふと窓に目をやった。隙間風が入らないよう厚みのある木材で縁取られた窓の表面には、外気との寒暖差によって大量の水滴が浮かんでいる。すでに午後の八時を回り、外は漆黒の帳が下りている。だが不思議と、窓をカタカタと揺らし、激しく降る雪は、それ自体が発光しているかのように、白く輝いて見えた。

 ここレルミット大陸は、年間を通して、雪と氷に包まれる極寒の地域だ。その気温は昼でもマイナス三十℃に達することもあり、不用意に外出しようものなら、ナイフのように肌に突き刺さる寒風が、命を容易に奪い去る。例え近場に外出する時でも、入念な準備を怠るわけにはいかない。もちろん、それが行き着くまでに何日掛かるかも定かでない、未開の地へ遠出するともなれば、なおのことだ。

(未開の地……五年前に諦めたはずのあの場所に、また私は行こうとしているのね)

 五年という歳月を思い返し、アリアは再び息を吐いた。と──

「気は変わらないのか、アリア?」

 リビングの出入口から、男性の声が聞こえてきた。アリアは窓から視線を外し、暫し宙に彷徨わせた。声を無視した訳ではない。ただ、彼の問いに対して、少し考える時間が欲しかった。だが結局、彼女の口を突いて出たのは、彼の問いとは関係のない言葉だった。

「リディはもう寝たの、ジェフ?」

 アリアはそう言って、リビングの出入口に視線を向けた。そこには、彼女の言葉に眉根を寄せるジェフの姿がある。彼は一度頭を振ると、静かに答える。

「いや、どうだろうな。自分の部屋に入ったのは見たから、多分、眠ったんだろうけど」

「あなたが寝る前に一度部屋を覗いてあげてね。あの子は寝相が悪いから、毛布を蹴飛ばしている時があるの。冷えるといけないから、毛布をかけ直してあげないと」

「分かっているよ」

「あと、食事を作る時はアレルギーに気をつけてよ。リディは大豆がだめだから」

「そのぐらいは俺だって知っているさ。なあ、アリア。ごまかすのは止めてくれ」

「別に、ごまかしているわけじゃないわ。ただ、大事なことでしょ?」

 ジェフが困ったように肩をすくめる。そんな彼に対し、アリアは言い訳がましい返答をした。内心ではジェフの言葉を肯定している。それを彼女は陰鬱に認めた。

 ジェフがリビングに入り、ソファに腰掛けた。アリアの飲みかけのココアを見つけると、それを手に取ろうとして、止める。手持ちぶさたに指を組み、溜息を吐いた。

「……君が……その……冒険家とでも言うのかな? そういった仕事を生業としていたのは、もう五年も前の話だと思っていたよ」

「私も……そう思っていたわ」

「なんだいそれ?」

 ジェフが苦笑する。アリアはジェフに向き直ると、ゆっくりと頭を振った。

「私も、もう諦めたつもりだった。あなたと結婚して、家庭を持って、リディが生まれて。幸せになれたんだって、そう思って、満足した。そのつもりだったの」

「でも、そうはならなかったんだね?」

「不満だって言っているわけじゃないの。ただ、私は自分が好きで始めたことを、途中で投げ出したくないだけ。それが我儘だということは分かっている。だけどやっぱり、諦めきれない」

 アリアのそんな勝手な言い分を、ジェフは黙って聞いてくれていた。彼女の想いを、彼は受け止めてくれていた。ジェフに辛い決断を強いていることは、アリアも承知していた。自分の妻が、命を落とすかも知れない危険地帯に赴くことを、喜ぶ夫などいようはずもない。ましてや、アリアとジェフとの間には、五歳になる娘がいるのだ。娘にとって、母親が重要な役割を持つこの時期に、アリアの身勝手な行為を、ジェフが諸手を挙げて喜べるはずもない。

 だがそれでも、ジェフはアリアの意見を尊重してくれたようだ。彼が、諦めたように一つ溜息を吐き、アリアに言う。

「仕方がない。君が一度言い出したら聞かない性格だということは、前から分かっていたことだしね」

「本当にごめんなさい」

 アリアの謝罪に、ジェフが優しく首を振る。

「君の本音が聞けてよかった。娘の──リディのことは、ぼくに任せてくれ。君が帰ってくるまでの間、なんとかやりくりして見せるよ。頼りないかも知れないけどね」

 ジェフがそう言って、アリアに笑い掛けた。その彼の笑顔につられて、アリアもようやく笑顔を見せる。

「そうね。あなた少し抜けているところあるから」

「相変わらず手厳しいな。やっといつもの君らしくなってきたかな?」

 ジェフがテーブルに置かれたカップを手に取り、中に入ったココアを一口飲んだ。彼は大きな仕事を終えたように息を吐くと、アリアを見つめ、真摯な口調で言う。

「ただ、これだけは約束してくれ。必ず家に帰ってくると。ぼくもそうだけど、リディには母親である君が必要なんだ。娘を悲しませるようなことは、しないで欲しい」

「ええ、約束するわ。私だってリディを愛しているもの。これが娘との今生の別れになるなんて絶対にいやよ。どんなことがあろうと、必ずリディのところに戻ってくるつもり」

「あと、ぼくのところにもね」

「それは、気が向いたらね」

 冗談を言って、二人で笑い合う。すると、リビングの出入口から、アリアを呼ぶ、幼い少女の声が聞こえてきた。

「ママ、何してるの?」

 アリアが視線をリビングの出入口に向ける。そこには、花柄のパジャマを着た、黒髪で癖毛の少女が立っていた。少女は目を(こす)りながらリビングに入ると、小さな首をちょこんと傾げて、アリアに問い掛けてくる。

「ママ。パパと何話しているの?」

「リディ。起きちゃったの?」

 アリアはリディに駆け寄ると、娘の前にかがみこんだ。リディが、アリアの瞳を見つめながら、再び問い掛ける。

「何話しているの?」

「大したことじゃないの。そんなことより、リディも眠いでしょ。だから、ママと一緒に今日はもう寝ましょうね」

「うん。だけどママ。その前にさ──」

 リディが手を前に差し出した。その小さな手には、一枚の紙と鉛筆が握られている。リディがおねだりするような甘い声音で、アリアに言う。

「また絵を描いて。ママの絵、すごく綺麗だから」

「今から? 明日の朝じゃダメなの?」

「今見たいの。ママの綺麗な絵を見ると、すごく綺麗な夢が見れるの」

 娘の言葉の真偽は不明だが、アリアは苦笑すると「分かった」と、娘から紙と鉛筆を受け取る。何を書こうかと悩む前に、自然に右手が動いていた。大した手間を掛けるわけでもない。五分程度で描き上げた絵を、期待に笑みを浮かべている娘に手渡した。

 その絵を見たリディが目を輝かせる。

「綺麗」

 アリアが娘に描く絵の殆どは、彼女がフリーライターとして大陸を回っていた──ジェフ曰く冒険家──頃に、出会った数ある景色の一つである。アリアは、一度見た景色を写真のように頭の中に焼き付け、決して忘れることがない。その記憶に焼き付いた景色を切り取り、紙の上に転写するのだ。今、リディに描いてやった絵も、五年前にアリアが実際に見た景色である。

 地平線まで広がる氷の床。その氷は透明度が高く、氷の底にまで光が差し込んでいる。そして光が差し込んでいる氷の底には、明らかに人工物と思しき建造物が並んでいた。その建物の様式は、一般的なレルミット大陸のものではなく、大陸(それ)とは異なる文明の技術によって建造されたと思わせるものだった。

 氷に沈む大都市。それがアリアの描いた景色だった。その非現実的な景色はひどく幻想的で、息を呑むほど美しいものであった。

「ねえママ。これ、どこの絵なの?」

 アリアは、頭に焼き付けた景色を思い浮かべながら、娘の質問に答える。

「これは、ずっとずっと前になくなっちゃった街の絵でね、五年前に一度ママが行ったことがある場所なの」

「へえ」

「そしてね、今度、ママがまた行く場所でもあるの」

「ママが?」

 アリアは娘の目を見つめ返し、首肯した。アリアは、目を丸くしている娘を、そっと抱きしめる。そして自身に決意するように、娘に言う。

「すぐに戻ってくるからね。いい子にして待っていてね」

「うん。リディ大丈夫だよ。もう五歳になるんだもん。ちゃんといい子にできるよ」

 娘の力強い言葉に、アリアは微笑んだ。

 自分の夢を捨てることはできない。だが、家族とて、自分の夢の一部なのだ。決して捨てたりはしない。未開の地に出向いて、命の保証などあるはずもない。だが、生きて再び娘に会う。その想いだけで、自分は決して死んだりはしない。妄想にも似たその決意を胸に抱き、アリアは自分の腕の中にいる少女を、より一層強く抱きしめた。

 目指す場所は──『死霊都市モース』だ。


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