07
伯爵はあいかわらず怯えて夕食の席にも出て来ず、アルマントはアルマントで何か考え事があるとかなんとかで部屋にこもりっきり。結局、夕食の席についたのはラウラとエンジュの二人きりだった。
「しっかしあいかわらず陰気な屋敷だよ……、ここってさ」
「しょうがないだろう。毎日幽霊を顔つき合わせてりゃ、陰気にもなるだろうさ」
そっけなく言い放ち、エンジュは肉にかじりつく。
さすがは伯爵家。この間のおざなりな食事とは違い、真っ当なものだった。おそらく肉にかけられたソース一滴がラウラとエンジュの三日分以上の食費がかかっていることだろう。
ラウラは肉にかぶりつきながら、残ったソースにパンを浸す。
「で、何を調べにいったのさ」
「ちょっとね」
エンジュは綺麗な手つきで操っていたフォークを置くと、膝にあったナフキンで口を拭う。
「で、ラウラも何かしらべたんだろう?」
「え?」
きょとんとするラウラに、エンジュはナフキンを机にたたきつけるように置く。
「まさか何も調べてないのか」
「しょうがないじゃん。アルマントもわかんないっていうしさ、伯爵は部屋から閉じこもって出てこないってんじゃさ」
「アルマントがわからない?」
驚いたようにエンジュは声を上げる。
「そう本人が言ったのか?」
「そうよ」
ソースを含ませたパンを口に放り込み、ラウラは頷く。
「心あたりはないらしいよ。全然、まったく」
「おかしいな……」
エンジュは首をかしげる。
「何がよ」
「いや……」
ため息をつき、何事か考え込むよう黙りこんだエンジュを、ラウラはじいと見つめる。
「何だよ」
「いや、あいかわらず顔だけはいいなぁと思ってさ」
「……お前、それほめてんのか? それともけなしてるのか?」
むっとするエンジュに、ラウラはゆるゆると頭を振る。
「そうじゃないってば。あたしもそうだったらよかったのになぁって」
「は?」
エンジュはきょとんとする。
「だって、そうじゃん。あたしだってもっとかわいかったらよかったのになーって」
「何言ってるんだよ。馬鹿だ馬鹿だと思っていたが、やっぱりお前は大馬鹿だな」
やれやれというように、エンジュは頭ふり先ほどもっていたフォークを指でつつく。
「どうしてそうなるんだ」
「だって、そうじゃない。やっぱりエンジュと一緒だったらあたし、嬉しかったなって」
「……ラウラ」
エンジュの顔がわずかにこわばる。が、ラウラはというと放り込んだパンを飲み込み、頬づえをついてあたりを見回す。
主がいないからか、給仕の姿はない。冒険者風情になど給仕する必要ともない。豪奢な食事を与えておけばいいだろうということだろうか。なるほどなかなか教育が行き届いている。
ラウラは小さく笑う。
「あたしさ、ずっとそう思ってたんだ。エンジュのお父さんもお母さんも黒い髪だったでしょ。あたしだけ違っていて、それがすごくさみしかった。だからずっと一緒になりたかった。いつかなれるとも思ってた。そのために泥を塗ったりしたっけなぁ」
「ああ、そんなこともあったな。おまえ昔から馬鹿だったもんな」
「さっきからバカバカ言いすぎ!」
ふん、と鼻をならし、だが、ラウラはほんのりと微笑む。
「でも、ホント馬鹿だったかもね。でも、本当にいつか同じようになれるって思ってたんだ」
「ラウラ……」
似ていたらよかったのに。
ぽつり、と呟くラウラに、エンジュは大きくため息をつくと立ち上がる。そしてぐるりとテーブルをまわりこみ、彼女の頭を乱暴に撫でる。
不愉快そうな顔つきだが、その手は優しい。それは彼の本心を表しているようにも見えて、ラウラは軽く目を伏せた。
「あたしね、アルマントの気持ちがわかるんだ」
エンジュは不思議そうに見つめる。
「気持ちが、わかる?」
「そう。彼も似てないんだって……」
「似てない……アルマントか?」
「っていうか、似てないじゃん。あの伯爵に、全然」
ラウラはふんと鼻を鳴らすと同時に、エンジュの眼がすっと細くなる。
「……なるほど。そういうことか」
「え?」
顔をあげたラウラに、エンジュはくしゃくしゃと髪を掻きまわす。
「馬鹿なりにやるな。ほめてやるぞ、ラウラ」
「はあ? って、ちょっとエンジュ! やめてよ! 髪が乱れる!」
「いつもぐちゃぐちゃだよ」
そういいながら、エンジュは彼女の手をとり強引に立ち上がらせた。
「何よ! まだ食事終ってな」
「仕事だ。行くぞ」
「ええええーーー!! まだソースが残ってるんだけどおおおお!!!」
伸ばした手は虚空を掻く。エンジュに引きずられるように連れて行かれた先は
「み……湖?」
すっかり日は落ち、あたりは闇に覆われている。聞こえてくるのは湖の向こうに広がる森がざわめく音。そして波音だけだ。
こんなところで何の用だというのか。
「お前はここで待っていろ」
「は? ちょ、エンジュ。あんたはどこに!」
再び屋敷へと戻りかけたエンジュが、ちらと振り返る。
「いいか。ここで待ってろ! いいな!」
「う、うん」
うなずき、ラウラは湖のほとりに腰を下ろす。
月はあいかわらず雲に隠れ、光はこちらにとどかない。ゆらゆらと揺れる水面に映るのはどんよりとした闇だけ。
時折たつ白波だけがいろをつける。
ラウラは肘をつきため息を落とした。
「あーあ、なんだっつーのよ」
まだ夕食がのこっていたというのに。パンも肉も魚も自分たちの手の届くようなものではない。
「持って帰ったらダメかなぁ……パン、あれ持って帰りたいなぁ」
この前のパンだって自分たちがいつもたべているものにくらべたらずいぶん上等なものだ。持って帰ったら食費がちょっとは浮くはず。
「ぜえええったいエンジュがダメっていいそうだなぁ。あれ、見栄っ張りだからなぁ」
見栄なんかよりも、お金だろう。矜持で腹は膨れない。
深いため息をついたその時だ。かさりと草を踏む音が背後から聞こえ、ラウラは振り返る。と、そこにいたのは
「伯爵……」
ぼうと湖をみつめていたのは、ここに来て以来怯えて部屋から一歩も出ようとしなかった伯爵その人だった。