03
階段をあがった先にあったのはやはり、豪奢な細工がいたるところに施された廊下だった。そこにずらりと並ぶ扉のどれも、同じように見事な細工がほどこされている。取っ手一つでおそらくラウラが得る報酬の何倍にもなることだろう。
ずらりと並ぶ扉の一つに、最初の目撃者である伯爵の息子――アルマントはいた。
怯えて話ができない伯爵とはちがい、突然現れた冒険者である二人に対しても冒険者だとした見ることも、驚くこともせず、すんなりと状況を受け入れる柔軟性を持っていた。
突然現れた二人に椅子をすすめ、向かいに座った男――子爵アルマントにエンジュは今までのいきさつをかいつまんで話した。
依頼がありこちらにやってきたものの、状況が未だはっきりとしない、と。
「なるほど」
こくりとうなずいた拍子にやわらかな金髪の巻き毛がアルマントの頬にかかる。
考え込むように軽く伏せた眼を長いまつ毛が縁取り、小さく息を吐く唇は形良い。すっと通った鼻梁、これらが絶妙なバランスで配置されている 美しいといっても決して過言ではないだろう。
しばし考え込んでいたアルマントはややあって顔をあげると、二人を順に見つめた。
「父の言ったことはすべて本当です。ここから出ようとして馬を走らせるものの、道は間違っていないのに気がつくと屋敷の前に戻ってきてしまうのです」
「では、どうやって依頼をしたの?」
不思議そうに尋ねるラウラに、アルマントはわずかにほほ笑む。
「僕たちが居なければ別段問題はないのです。ですから、このたびの依頼も執事に頼みました」
「あ、なるほど」
「では、問題はあなたがた二人ということになりますね」
身も蓋もない。無遠慮にもそう言い放ったエンジュに、隣に座っていたラウラはぎょっとしたように眼をむく。だが、アルマントは怒るどころか、納得するように頷いた。
「ええ。おそらくそうなのでしょう。原因は父か僕のどちらか、もしくは両方ということなのでしょう」
「心当たりは?」
アルマントは一瞬何か考え込むような間をおき、そしてゆるゆると頭をふった。
「申し訳ない。あればお話ししたいのですが」
「では、恨まれるようなことは」
エンジュの問いに、アルマントはちらりと笑う。
「ない、と言いたいところですが、父も僕も清廉潔白とは言い難い生き方をしてますからね」
「伯爵家ともなればそうだろうな」
「返す言葉もありませんね」
またしても冷たい物言いのエンジュに、ラウラは冷や汗がとまらない。エンジュはいつもそうだ。言葉を選ぶことは決してしない。そのため相手の怒りを買うこともしょっちゅうだ。だが、アルマントはというと笑うばかりで、怒る気配は微塵もなかった。
「他に質問はありますか?」
「そうだな……」
エンジュはすっと視線を窓にやる。
外はさらにどんよりと暗くなっていく。日が沈んだのだろう。日が沈めば山から吹く風はさらに強くなる。窓がガタガタと揺れる。
「幽霊を見たのはここからですか?」
アルマントはきょとんとする。
「え?」
「いえ、こちらからなら湖が良く見えるようなので」
「ああ……ええ、そうです」
アルマントは椅子から立ち上がり、エンジュが見ている窓辺に寄る。
「ここからです。……あれを初めてみたのは」
「それで何かされましたか?」
「え?」
アルマントが振り返る。不思議そうに見つめていたが、ややあって首を横に振った。
「いえ、特に何も」
「……そう、ですか」
エンジュは一瞬不思議そうな顔をした。が、すぐさまいつもの無表情へと変わってしまった。だからアルマントはそれに気がつかなかったのだろう。
困ったように眉を寄せ、アルマントはラウラを振り返る。
「とにかく、一月後までに僕は王都に戻らなくてはいけないのです。父がピリピリしているのもそのせいなんです」
「一月後に何が?」
「結婚です」
そう言い、かすかにほほ笑んだアルマントの後ろの窓辺に小さなテーブルがあった。白地に金の文様がはいったそれの上には燭台があり、その脇に置かれていたのが小さな絵だった。年はラウラと同じぐらいか一つ下あたりだろうか。微笑んでいる少女の姿はひどく可憐にみえた。あれが、相手なのだろうか。
無遠慮に見つめるラウラの視線に気がついたのか。アルマントはふわり、とほほ笑んだ。
「彼女は現国王、ガルディア四世陛下の妹君なのです」
「へえ! それはおめでとうございます!」
ラウラの祝いの言葉に、アルマントは軽く頭を下げる。
「ありがとうございます」
「じゃあ、早く帰りたいですよねぇ」
「ええ……まあ」
「わかりました」
アルマントの言葉をさえぎるように、エンジュは突如椅子から立ち上がる。
「エンジュ?」
「おまかせください。一月後までには状況は変わっていることでしょう」
驚いたように見上げるラウラを見ようともせず、そっぽをむいたままそっけなく言い放つエンジュに、アルマントはぱっと顔をほころばせた。
「助かります」
アルマントは頬を緩めた。
「ところでお二人とも、今宵の宿はどちらに?」
「いえ、まだ」
「なら、こちらにお泊まりください。部屋なら腐るほどありますから」
アルマントの申し出に、ラウラはエンジュを見る。
ありがたい申し出だった。なにしろこのあたりは高級別荘地ということもあって、宿も雑魚寝しかできないような場末のものですら王都にある一番末のものよりずっと高額だからだ。まあ、二日、三日あたりならば良い。けど、それ以上となればいくら伯爵が気前よく報酬を払ってくれたとしても足が出る可能性もある。
もっと暖かい規制ならば野宿することだってできるだろうが。
今、野宿をすればこちらが幽霊になりかねない。
宿を提供してもらえるならこれほどありがたいことはなかった。だが――何が気に入らないのか、エンジュはたいそう機嫌が悪い。どうやら伯爵親子が気に入らないらしい。となると――がっくりとラウラが項垂れかけたその時だ。
「助かります」
えっと驚いたようにラウラはエンジュを見る。
先ほどまでの仏頂面はどこへやら。にこにこと不気味はほど機嫌よくエンジュは微笑んでいた。
「ご厚意に甘え、依頼が終わるまでこちらで御厄介になります」
「では、部屋にご案内しましょう」
アルマントの視線が部屋の隅に佇む男に向けられる。男は静かに頷くと扉へと促した。
開いた廊下は相変わらず薄暗い。ラウラはエンジュとともにアルマントに礼を言うと、男に連れられ屋敷の端にある部屋に通された。
部屋はアルマントがいた部屋よりはだいぶ小さいものだったが、それでもラウラたちからしたら目が飛び出るような豪奢な部屋ということにはかわりなかった。
「本当に御一緒でよろしいのですか?」
怪訝そうに見つめる男に、エンジュはにこやかに頷きながらラウラを指さす。
「どうせこいつは女じゃありませんから」
「なっ! どういう意味よ、それ!」
「そのまんまだ」
二人のやり取りを笑いながらみていた男は、何かあったら呼んでくれと言い残し部屋を出た。がちりとドアが閉まり、二人きりになるとエンジュは浮かべていた笑みをすっと消し豪奢な寝台にどんと腰を下ろした。
「やれやれ、本当に碌でもない場所だな、ここは」