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水妖の涙  作者: 蒼野理人
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01

「ここがグリシャム湖か」


 傍らにたつ相方の声に、ラウラは周囲に視線を滑らせる。

 大陸の西に位置するガルハラ山脈。頂きは雲に覆われ、その奥は年間を通して常に雪が降り積もっているという。その裾野に広がる広大な森林地帯。樹海とも呼ばれるその森の中央に見えるのが大陸一美しいと歌われるグリシャム湖だ。

 山の雪解け水が森林によって濾され、水晶の如く輝きを増しながら湖へと注ぐ。その透き通るような湖の奥。湖底には差し込む日差しが何かをきらきらと輝かせる。水よりも尚青いそれは、蒼玉だ。

 原石は鈍い青をしているが、磨けば透き通るように輝き、古には魔力を秘めているといわれている。嘘か本当かは知らないが。

 とにかくその言い伝えがある故、代々この国の王の盾にはこの石が使われている。

 赤子の拳ほどの大きさもある雫形の石を生み出したこの湖は、別名守護者の魂とも呼ばれている。その湖周辺には木々が立ち並び、奥に幾つもの豪奢な建物が見える。

 ここから王都までは馬を飛ばしても一日以上かかるが、湖の美しさ故に一帯は貴族たちの別荘地にもなっている。

 もう少し暖かい季節になれば、このあたりは王都に負けず劣らず華やかな様相をみせるだろう。だが、今はというと頭上にはどんよりと厚い雲がたちこめ陽光をさえぎり、辺りは生い茂る樹林の暗さがにじみだすように暗い。一筋でも光がさせばおそらく湖は輝きを取り戻すことだろうが、山から吹き下ろす風に揺れる湖面はさながら、まるで魔女がかき回す鍋の中身のよう。どんよりと濁り、湖底に見える蒼玉のちらちらとした輝きもかえって不気味さを増すばかり。

 まったく。これのどこが守護者の魂なのだろう。

 どちらかといえば水妖の魂といった方が近いだろうに。

 グリシャム湖周辺にはかつてこのあたりを治めていた古代王国の神殿があったという。そのせいか、この湖には昔から水の魔物が出ると言われている。

 今にも魔物が顔をのぞかせそうなどんよりとした湖面を見つめるラウラに、エンジュは懐にしまっていた紙を取り出しながら、すっと対岸を指さした。


「そしてあれが今回の依頼主の家だ」

「家……っていうかさ」


 折りたたまれた紙を受け取りながら、ラウラはちらりとエンジュを見る。


「あーゆーのって普通、豪邸とか屋敷とかっていわない? そもそも家っていうのはこう、もっと、遠慮深いものというか、もっと謙虚というか、なんというか」

「どっちでも同じだろ。とにかく行くぞ。早いところ依頼主に会って話をしておきたい」

「せっかちだねぇ、もうちょっと観光してからでも」

「なら、一人でしろ。俺は行く。こんな馬鹿げた依頼、とっとと終わらせたい」


 そっけなく言い放つと、エンジュは彼女に背をむけすたすたと歩き出した。

 湖畔には打ち上げられた流木やら小石などがある。それをなんの感慨もなく、無造作に踏みしめるエンジュの後姿を、ラウラはため息まじりにみつめた。


――グリシャム湖に女の幽霊が出る。それを退治してほしい。


 こんな奇妙な依頼が靴ひも亭に持ち込まれたのは三日ほど前のことだった。

 靴ひも亭というのは王都に下町の飲み屋だ。酒場の主は元は冒険者だったこともあり、自然とこの店には同じ冒険者やら冒険者に依頼をしたい人たちがあつまり、さながらギルドの様相を呈していた。

 冒険者たちはマスターの元に持ち込まれた依頼を受け、そこから報酬を得る。

 エンジュやラウラもそうして日々の糧を得ていた。

 そんな時に、持ち込まれたのがこの依頼だった。

 別荘地であるグリシャム湖に毎夜幽霊が出るらしい。別段悪さをするわけでもないが、とにかく気味が悪い。どうないかしてくれというのが依頼内容だった。

 一応、国にはれっきとした軍も警備隊もいる。これが只の強盗だったら彼らの出番だろう。

 だが、相手が幽霊となれば話は別だ。

 まさか軍や警備隊相手に幽霊などと言えば最後、退治するどころか依頼主の頭の中身を心配されるのがオチだ。

 ましてや依頼主は伯爵家。

 特権階級の貴族がそんな怪しげな依頼、おおっぴらにできるわけがない。

 だから、同じぐらいアヤシゲな冒険者という名の便利屋集団にお鉢が回ってきたというわけだ。

 まあ、冒険者相手ならばこれが勘違いだったとしても問題にならないとおもったのだろう。

 だが、冒険者だって一応ポリシーみたいなものはある。

 もちろん、幽霊ごときどうってことはないが、大抵の冒険者は基本ロマンティックだ。

 彼らの血湧き肉躍るような活躍がしたくて冒険者になった者が大半だからだ。

 相手がドラゴンや、悪の黒魔法使いとかならともかく、ただの幽霊相手ではどう転んでも華々しい歴戦の一頁は飾れないだろう。

 さらに言えば相手は伯爵家だ。

 そもそも特権階級の輩は、冒険者というものを鼻から馬鹿にしているものが多い。

 正規の兵士たちのようなちゃんとした身分もなく、金のためならなんでもやると言ってはばからないという。そんな奴らに使われることを良しとしない冒険者も少なくない。

 そういった理由が重なり、高額な報酬のわりにやりたいという冒険者は皆無にちかかった。そこで金に困っていたラウラたちにお鉢が回ってきたというわけだが


「しょうがないじゃない! 仕事しないと今月の家賃だって払えないんだからね!」

「そんなことわかっている」

「わかってないじゃない。何、ふてくされているんだか」


 ぼそりと呟いたラウラに、先を歩いていたエンジュがぱっと振り返る。闇夜のような黒い髪がさらりと揺れ、エンジュの頬をかすめる。


「ふてくされている? 誰のことを言っている」

「誰って、あたしの前には一人しかいないと思うけど?」


 肩をすくめるラウラに、エンジュは榛色をした眼をすっと細めた。


「俺のことか」

「あれ? ようやく気がついた?」


 ラウラは声をあらげる。ざんざんと打ち寄せる波音が聞こえる。


「報償だっていつもの三倍だよ! これがあれば家賃が払えて、さらに武器の手入れだってできるのに何が不満なのよ」

「不満なんて言ってないだろう。……ただ、俺は」


 エンジュはちらりと湖を見る。風がわずかに強くなってきたのか、水面が白く波打っている。白波のせいで湖が一層どんよりと濁ったように見えた。


「何か嫌な予感がするだけだ」

「嫌な予感?」


 ラウラは首をかしげる。幽霊なんてものが居るとかいう噂のせいだろうか。

 しかし、エンジュが幽霊ごときで怯えるような珠ではないことは、ラウラが一番よく知っていた。


「嫌な予感って何よ。まさか本物の幽霊がいるとか?」


 獣や魔物ならいざしらず幽霊なんて本当にいると思っているのだろうか。驚いたように目を開くラウラに、エンジュは小さく頭をふった。


「いや、わからない。ただ、嫌なにおいがする。ここは」

「匂い……ねぇ」


 予感の次は、匂いときた。呆れたようにラウラはため息をつく。エンジュは術師だから目に見えないものにも鋭いことはわかる。だが、匂いとは。


「何もにおわないけど」

「ラウラは鈍いからな」


 振り返ったエンジュが薄く笑うのが見える。


「ラウラはわからなくて当然だ」

「なんですってー!」


 ラウラは走り、エンジュの胸倉をつかむ。


「それって鈍いって意味?」

「いや、言葉通りだけど」


 ぶっそりと呟きながらエンジュは掴んでいるラウラの手を振り払った。そして再び対岸に目をやる。

 風にあおられた白波が、対岸を洗っていた。

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